エチケットとマナー講座

 

はじめに

CAであるあなたは、よいサービスマン(ウーマン)である前に、よいサービスの受け手ですか。

レストランで、ウェイトレスが飲み物を持って来てくれました。『ありがとう』の一言が出ていますか。外地では、日本では、どうですか。買い物でも、食事でも、銀行でも、高速道路の料金所でも、店員や係りの人に、『ありがとうございました』と言われて、返答していますか。外地で、Crew CarからBaggageを降ろしてくれている運転手さんに、"Thank you"と言ってからホテルに入っていますか。

 


自分に礼儀正しくありたい

 

アメリカの第3代大統領ジェファーソンが、ある時、ホワイトハウスの庭を散歩中、黒人の庭師に対して、丁寧に挨拶をしたところ、側近が、それをたしなめました。そこで、ジェファーソンは、

"自分は何びとに対しても、礼儀正しくありたいのだ"

と答えました。

随筆家の草柳大蔵さんが、昔、ある本で、父娘で旅行した時のことを書いています。ホテルをチェックアウトする時、娘さんが、使ったタオルをキチンとたたまずに、放りっぱなしにして部屋を出ようとしました。なぜ、たたまないのか聞いたところ、「どうせ、メイドが片付けるのだから、その必要がない」という答えが返ってきました。彼は、メイドが気持よく清掃できるように、タオル類はキチンとたたんで残してくるのが、当然だと思っていました。ところが自分の娘は違っていたので、がっかりしたと書いていました。

ジェファーソンも、草柳さんも、同じことを言っています。身分が違おうと、人が見ていようがいまいと、いつも同じ態度でなければ、本当に礼儀正しいとは言えません。その根底には、常に、相手を思いやる気持があります。

"Do unto others as you would have them do unto you" (聖書)
"The fundamental purpose of Etiquette is to make the world a more pleasant place to live in, and ourselves more pleasant to live with. (エミリー・ポスト)

機内でも、欧米人に、よいサービスの受け手が多いのは、CAなら誰でも知っています。欧米社会では、地位の高い人ほど、礼儀をわきまえています。何かサービスをしてもらった時は、レストランのウェイターやホテルのボーイにでも、"サンキュー"と言います。日本のような殿様社会とは、ちがった発展をしてきています。

 


エチケットの語源

 

"Etiquette"という言葉に近い日本語は「礼儀作法」ですが、無理に訳すと、ニュアンスが違ってしまう恐れがあります。そのため、カタカナ表示になっています。

元来の意味は、ベルサイユ宮殿の庭にあった、"Keep off the grass"(芝生に入るな)と書いてあった、立札のことを指していました。 (エンサイクロペディア百科事典)

 


そこで用を足すな

 

ルイ十四世時代のベルサイユ宮殿には、いつも全国各地から領主たちが集められ、宮殿内は、領主たちとその家来で、ごった返してしました。当時のフランスには、まだ、トイレはなく、用足しはオマルを使っていました。王様やお妃たちは、穴のあいた椅子に座り、下にオマルをおきました。用足しが終わると、家来が、屋外に捨てにいきました。ベルサイユ宮殿に来る各地の領主たちにも、オマルが用意されていましたが、家来たちの分はなく、彼らは仕方なく、城の外へ用足しに行きました。用足しは、庭園内のある場所が指定されていました。だが、家来たちは、場所がよく分からないので、芝生の中に入り、花園に隠れて用を足していました。そのため、あちこちが臭くなるし、花園は荒らされてしまいました。そこで、庭番が、用を足す場所に行きやすいように、道筋を作り、その両側に例の立札を立てたのです。

 


エチケットの精神

 

美しい花園に、人々が入ってきて、荒らしてしまったので、この立札が立てられました。後に、人々は、"Etiquette"という言葉を、単に、立ち入り禁止の立札のことだけでなく、

― 心の花園を荒らすな ー

という広い意味で用いられるようになりました。その後、この言葉は、宮廷での作法全般を指すようになりました。

 


宮廷内での作法

 

宮廷内に入る時、人々には、チケットが渡されました。そのチケットには、宮廷内での作法が書いてあり、それに従うことを求められたのです。そのチケットのことを、エチケットと呼んだという説もあります。ルイ十四世自身が、宮廷内の礼儀作法のあり方を確立した、とも言われています。

ルイ十四世が、ベルサイユ宮殿に、居を構えたのが1682年です。宮殿に各地の領主を集めていました。徳川家康が、江戸に居を構えたのが1603年です。日本でも、同じ時期に、全国から大名が集められていましたし、城中には特別の儀礼(エチケット)がありました。

ルイ十四世統治の100年ちょっと前に、フランスに食事作法を持ち込んだのは、イタリアのメディチ家からアンリ二世に嫁入ったカトリーヌ・ド・メディシスです(1533年)。それまでのフランス人は、肉などは手でちぎって食べているような国民でした。

 


エチケット・マナーの歴史

ヨーロッパでも日本でも、1400年代から1500年代にかけて、国を統一するための戦いに明け暮れていました。そして、イギリスでは、ヘンリー8世1491~1547」)が国を統一、続いてエリザベス1世(1558~1603)が大英帝国を築き上げました。フランスでは、太陽王と呼ばれたルイ14世(1638~1715)のブルボン王朝を確立しました。日本でも、1500年代は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が国家統一をめざしていました。そして1603年に、家康が江戸城に移り、江戸時代が始まりました。

戦乱の時代が終り、国が統一されると、どの国でも宮殿内や城内でのしきたりが決められていきました。そして、騎士道や武士道が確立して行き、男たちはそれを求められるようになりました。

ところが、1700年代終りには、フランス革命が起き封建社会は終りを告げます。華やかだったベルサイユ宮殿も人民の手に落ちます。イギリスでも、名誉革命などがあり、人民のための議会政治が発展していきます。 産業革命が起こり、産業・商業が発展していきます。1800年代になると、女性も社会に進出していきます。そこで女性たちにも、社会での作法が求めらるようになっていきました。

その流れについては、「エチケット・マナーの歴史図解」(塾長作成)を参照してください。


 

エチケットは常識

 

アメリカ人は、服装や料理の食べ方もうるさくないし、社会生活の中でも、ヨーロッパ人のように、堅いことを言わない、と思う日本人が多くいます。これは、大衆レベルの話であり、アメリカでさえ、エチケットやマナーを身につけていない人は、教養ある人間とは見なされません。実社会での成功はむずかしいと言われています。そのため、大学生は、社会に出る前に、必ずエチケットの勉強をします。エチケット関係の本で、アメリカで代表的なのが、エミリー・ポストの「Etiquette」です。「エミリー・ポストのエチケット」というタイトルで翻訳版が出版されています。読んでみてください。

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