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私の受験体験 | |
海外で生きる | 産休に入って思うこと | ||
学生時代のすごし方 | 訓練を終えて・・・ | ||
夢を追いかけて | 仕事も、育児も・・・ | ||
CAを辞めて | CAの仕事は人生塾 | ||
フライト生活 | キャビンアテンダントとは? | ||
面接必勝法 | ソムリエと利き酒師と私 | ||
1年目を振り返って | |||
国際協力の現場から |
ラストフライト |
外資系のこの航空会社で働きだしてあれこれ10年近くになります。私たちCAも、いつかフライトを去るときがきます。 この10年、何人もの日本人CAの退職を見送ってきました。先輩とか後輩の退職は、たいていは笑顔で見送ってきました。しかし、訓練時から苦楽を共にしてきた同期たちが辞める時には、さすがに寂しいものです。20数名いた同期たちも、今では3分の1に減っています。辞めていった彼女たちは、ほとんどこの国には残っていません。 日本に帰り主婦をしている人もいますし、転職で別の国に住んでいる人もいます。 彼女たちにとっての退職とは、この航空会社でのCAの仕事を卒業するだけでなく、この国を去るというダブルの寂しさがあったでしょう。連日の送別会や最後のアジア旅行など、最後に思い残すことがないように多忙を極めている姿をよく見ました。 そんな彼女たちが、もう一つこだわっていることがあります。最後に乗務する便、いわゆる「ラストフライト」です。どこの都市に、どの機種で、だれと飛ぶかということが、とても重要です。私は今まで何人かの同期のラストフライトに同乗する機会がありました。仲のよい同僚と一緒に飛ばせてもらえないかと、会社にリクエストすることができるのです。 大事な同期のラストフライトを一緒に飛ぶ私にとっては、寂しさもありましたが、それ以上に、「何か特別なことをしてあげたい」という、やる気満々の便になります(笑)。本国人CAたちも、私のその気持ちを汲んでくれて、それは、それは、みんな色々なサービスをしてくれます。 数年前、性格がサバサバしている同期のラストフライトを一緒に飛びました。 その時の機長は、通常のアナウンスのあとに、退職する同期の簡単な紹介と、「皆さん、彼女の門出を祝ってあげてください」といった内容のアナウンスを続けました。機長が現地語と英語、私がそのあとに日本語(機長から私だけ知らされていたので、前もって日本語に訳しておきました)で、長いアナウンスを入れました。 そのアナウンスが流れている間に、チーフパーサーが彼女の手を引き、機内の前方に連れていきました。乗客の皆さんから見える場所です。さすがのサバサバした彼女も、驚きと恥ずかしさで、顔が真っ赤になっていたようです(笑)。 乗客は、様々な事情、感情を抱えて搭乗されます。楽しそうな観光客だけではなく、大変な仕事を抱えていらっしゃる方、ご家族のお見舞いのために乗ってこられる方など、それぞれ全然違うお気持ちで過ごしていらっしゃると思います。そんな機内という特別な環境で、お客様全員に伝ってしまう機内アナウンスを通して、身内の退職を祝うようなことをしても大丈夫だろうかと心配ではありました。 でも、アナウンスが終わると同時に、機内全体に大きな拍手が響き渡りました。皆さんが拍手してくださる中、当の本人はチーフパーサーに手を引かれ、機内の中を歩き回っています。何人かのお客様とは握手をするという芸能人のような扱いで幕を閉じました(笑)。 ドライな性格の彼女のはずが、同僚だけでなくお客様からの優しさにも感動し、最後には、大泣きするという感動的なラストフライトになりました。 別の同期のラストフライトも一緒に飛びました。 そのフライトでは、特別なアナウンスや、乗客のいる中、機内を歩き回るというようなことはありませんでした。その代わり到着後に、本国人CAたちが、プレゼントとメッセージカードをサプライズプレゼントしてくれました。それでまた彼女は号泣です。でも、あれ、よく見ると同じプレゼントが3つあります。 それに対して、彼女は日本への帰国が決まっています。もう客室乗務員の仕事につく予定はなかったので、寂しさの度合いはさすがに違うのでしょう。それでも、フライト前から、「最後のフライト、思い出を残してあげないと!」と張り切って、時間さえ許せば、カメラを片手に持ち彼女を撮りまくっていた私。 そして、最初から最後まで、「ラストフライトなのです〜。涙」と泣きまくっていた彼女。私たち2人だけが騒ぎ、自分たちも辞めるのに、それをおくびにも出さず、あっさりしていた副操縦士たち。その温度差に、涙が消え少し冷静に戻った私たちでした(笑)。 それこそ冷静に考えてみると、この国の人たちは本当に温かいなと思います。 ラストフライトと言っても、性格が出ます。 どんな形にしても、間違いなくラストフライトの機内で、本国人CAたちに温かく見送られたのだろうなと思います。辞めていく同僚たちを見送ることは寂しいですが、この仕事自体がそもそも一期一会なのです。 機内でお会いするお客様たちと、再会することはほとんどありません。全員同じメンバーでふたたび乗務することもありえません。新しい出会いと別れの繰り返しの中で働いている私ですが、この国の人たちの温かさと、その副操縦士たちのようにあっさりしているような切り替えの早さに、こちらもシリアスになりすぎずに救われています。 私は、この微笑みの国で、もうすこし今の仕事を続けたいなと思っています。 |
アジア系航空会社 Y子 |
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海外で生きる |
海外で働くということ、それはチャレンジの毎日です。 私は、新卒で、東南アジアの航空会社に入社し、2年ほど勤めた後、移籍して、現在は香港でCAの仕事をしています。香港は、東南アジアの国々とは違い、どこに行くにも、バス、電車、タクシーなどの交通機関が整っており、多くの場所で日本製品や食品が手に入り、基本的に、どこでも英語が通じるとても便利な場所です。外資系航空会社で働くと、すべて自分で動き、実行していかなければなりません。例えば、訓練中、試験勉強をしながらも、自分で入境事務所にアポイントをとり、香港IDを取得したり、乗務で、アメリカに行く際に必要なアメリカVISA申請のため大使館に行ったりします。右も左もわからない異国の地においても、自分で動かなければなりません。香港生活2年半の私は、香港人の友達や同期のおかげで、こちらでの生活にもだいぶ慣れました。 しかし、先日難題にぶち当たりました。 それは引っ越しです。私たちは、入社当時から先月まで、家具などがすべてそろっている会社の用意したアパートに住んでいました。そのアパートには、最大3年住めると言われていました。引っ越しなどまだ先のことだと思っていた矢先、突然1通のメールが。あと8ヶ月使える予定だったアパート契約が1ヶ月後に切れるから退去する必要があると・・・。生活にかかわる重要なことがメール1通でくるところが外資系です。文句などいう余地もなく、私の家探しは始まりました。香港の家賃は世界一と言われるほど高いのをご存じでしょうか?1ヶ月という限られた期間で、できるだけ低い予算で、日本人スタンダードの綺麗さで、立地の良い場所を探すのは至難の業でした。1ヶ月の半分はフライトでどこかの国にいるといえども、家は生活の基盤、とても大切なので妥協はできません。 家探し中、日本とはまったく違う引越し事情にも困惑し、焦りました。香港人の友達からアドバイスをもらったり、同じ状況にある同期の中で情報交換をしたりして、仕事と仕事の合間のお休みに物件を駆けめぐりました。香港人の友達のアドバイスで、印象に残っているのが、“言うのはタダ”。香港では主張することが大切で、家賃や家具などもすべて大家さんや不動産会社との交渉なのです。家探し初期のころは、家賃までもが交渉ということすら知りませんでした。香港は人が多いので、賃貸の出入りも激しく、1つの部屋に1日に20人以上が見学に来るということも少なくありません。当然、条件のいい部屋はすぐになくなってしまうので、決断する勇気と交渉力が必要になります。気に入ったらその場で契約し入金という感じで、考える時間などほとんどありません。大きなお金が動くものなので、契約時はさすがに弱気になりましたが 粘り強さとタイミングの良さで、最終的には快適な家を見つけることができました。 私は今まで、主張することや交渉ごとは苦手でしたが、やはり海外で生活するには、必要な能力だと改めて感じました。そして、自分で行動することの大切さ。足を運んで自分の目で見て、判断することがとても大事だと、今回の家探しを通して学びました。 話は違いますが、よく外資系の航空会社で働くには高い英語能力が必要ですか?と聞かれます。私は、英語という言語能力よりも、どのようにその国の人と関わっていくかというコミュニケーション能力が大事だと思います。英語が話せても、現地の人に溶け込めない人はたくさんいます。英語なんて毎日話していればできるようになるものです。それよりも、文化の違う人たちと、おもしろい話題や情報を楽しくシェアできる力の方が大切なのだと思います。そのためには、積極性であったり、社交性であったり、行動力であったり、机の上の勉強では得られないものが必要になってくると思います。海外生活では大変なこともたくさんありますが、チャレンジの毎日で、自分が高められていると感じます。私はCA受験時代、日系の航空会社を目指していましたが、縁あって外資系の航空会社2社で働くことになりました。楽しいことも辛いことも、全部ひっくるめて、よい経験だと思っています。自分が働きたい航空会社が決まっている人もたくさんいると思いますが、チャンスや縁はどこにあるかわかりません。あきらめなければ絶対に夢は叶いますし、そこで培った力はきっと働いてからも活かされると思いますよ!みなさんの夢がかないますように。 |
アジア系航空会社 M子 |
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学生時代のすごし方 |
☆今から歩みだすCAへの一歩☆
中学生のころから何気なく心に描いていたCA生活。しかし、これといって対策をすることなく、学生時代は経営戦略のゼミ活動に全身全霊を注ぎ、終電で帰宅して、朝は明け方に起床、土日も構わず通学して研究を重ねる毎日でした。そんな生活を送っていましたから、実際、本気でCAを目指し始めたのは就職活動真っただ中の時で、そうは言ってもスクールに通うわけでもなく、他の会社を受けながら、第一志望の企業のひとつとして受験を進めていました。尊敬する客室乗務員の先輩方とのご縁もあり、念願であった大手航空会社から内定を頂戴することができました。その年は、当初100名の採用予定と聞いていましたが、最終的な内定者は30名となりました。前代未聞の少人数の採用でした。私がこの就職活動を通して感じたこと、また実際に乗務をするようになって感じたことを、今回はご紹介したいと思います。 まず、大学時代に、何かに真剣に打ち込み、「本気」で取り組む姿勢を知っていることは、何よりの強みになるということでした。CA受験にしても、他の企業への就職活動にしろ、これは大きなアピールポイントになりました。もちろん、やみくもに取り組むのではなく、計画を立て、実行し、見直して改善する、いわゆるPDCAサイクル(Plan‐Do‐Check‐Action)を意識することも必要になります。客室乗務員になるためには、短期間で乗務の知識を身につけなくてはなりませんから、非常に厳しい訓練が待っています。訓練終了後も、覚えることは山のようにあり、毎日が勉強です。しかし、「本気」で取り組んだその先に待つ、「成果」を得る喜びを知っていれば、こうした厳しさにも喜んで立ち向かうことができるはずです。 二つ目に、日頃から言葉遣い、マナーについて意識をすることが必要であるということ。短期間で自分を作ろうとしても、必ず周りの方々は見抜いてしまいます。私は決していわゆる育ちがよいといわれる人間ではありませんが、両親の礼儀やマナーに対するしつけは非常に厳しく、日頃から人への接し方や、話し方について心がけるようにしていました。いくら受験直前になって、礼節を学んでも、何かの拍子で思いがけず出てしまうものです。面接官の方々もよく見ています。日々の生活から少しずつ意識をしていくことが大切になるのだと思います。 そしてなにより、人との縁を大切にし、人への感謝の気持ちを忘れないことが大切かなと思います。わが社で活躍されている客室乗務員の大先輩、また内定された大学の先輩にアドバイスを頂戴することができたのも、ゼミの先輩や親族からの紹介があってこそのことでした。お二人からお話を伺うことができなければ、私は夢をかなえることができていませんでした。日々、人との縁を大切にしていればこそ、さらに広がる縁もあります。厳しい訓練を乗り越えることができるのも、真剣に訓練生と向き合ってくださる教官や、共に学ぶ同期、支えてくれる家族がいるからです。乗務をする中でも、先輩方からたくさんのことを教えていただき、一人の乗務員として独り立ちしていくことができます。これからも、人との縁、感謝の気持ちを大切にしていきたいと思います。 すでに社会に出て活躍されている方はご存知の内容ですが、ここに書かせていただいたことは、短期間で形成されるものでもありません。新卒受験の方は、ぜひ今から意識して、CAへの第一歩を踏み出してください。 |
国内系航空会社2年目 W子 |
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夢を追いかけて |
皆さん、こんにちは、 現在、私は外国に住み、外資系CAとして乗務しています。以前は、国内でCAをしていました。10年くらい前は、CAにあこがれる田舎の学生でした。 学校の先生や両親は、大昔のCAのイメージがあったのか、よく「夢ばかり追ってないで〜」などと言われて、とても悲しい思いをしたのを覚えています。でも、どうせあきらめるなら、「やり切ってあきらめる」方が、後々の人生で後悔しないだろう。主婦になって、飛行機に乗るたび、「あ〜、私も受験しておけばよかった」と、胸が熱くなるのはやはり嫌だなと思っていました。ですので、上京前は、ありとあらゆる手を使って、OGの方に会い、お話を聞きました。また、CAマガジン等を読んだりしてイメトレをしていました。 大学には、幸いにも、教授のなかに、クルーとして飛んでいた方がいらっしゃって、航空業界のこと、CAの仕事のことを聞く機会もあり、ずっとエアラインが身近な存在になっていました。 その後、運良く国内系に合格し、国内線に乗務していました。今思っても、地方出身の私にとっては、やはり華やかな世界だったと思います。仕事はきついこともありました。1日4便や5便飛ぶことも珍しくなく、自分が北に向かっているのか、南に向かっているのか、今どこを飛んでいるのか分からなくなりそうになります。1日4便、5便を3泊4日かけて、毎日飛ぶのですから、体力的にはとてもきつかったです。それでも、プロです。1便目でも、5便目でも、同じ品質のサービスと安全性を保たなくてはいけません。精神的にも肉体的にも、とてもストレスフルな毎日だったと思います。 しかし、一方では、一人で生活するには、十分なお給料ももらっていましたし、機内外では、大手企業の方や、素晴らしいタイトルの職業の方とお目にかかる機会も多くありました。若かったので、けっこうチヤホヤされたりしていたような気もします(笑)。しかし、「CA」という肩書きに寄ってくる人もすごく多かったように思います・・・。 厳しい先輩も多かったですが、本当にきれいで、すてきな方が多く、美意識もかなり高かったように思います。お客様からは、「ありがとう」と感謝していただくことも多く、やりがいも感じていました。 でも、別の航空会社で飛んでいた知り合いが、何気なしに言ってくれた言葉、「Yさん(私)は、国内の会社でサービスを極めるのもいいと思うけれども、外資に移って、自由なあなたらしいサービスをしてほしい」。この言葉が忘れられなくて、どうしても外資系、国際線飛びたい!という気持ちがずっとありました。 その後、最初の航空会社を辞めて、語学学校に通い、寝ている以外はずっと英語の勉強をしていました。当時は、カレの家で、カレと一緒にいるのに、ソファーの上で宿題とかしていました。語学学校の先生が、とても厳しくて、普通にやっているだけでは、次のレベルに上がれません。それでなくても要領の悪い私は、人一倍勉強して、なんとか最後のステップまで行き卒業しました。 英語ができるだけで、これから仕事なんてあるのだろうか?世の中には英語ができる人なんてたくさんいるし、それに比べたら私の英語力なんてまだまだです。 いろいろな不安に襲われながらも、「あれだけがんばった、がんばれた自分がいるのだから、何でもできる!」「今できないなら、これからできるようにすればいい」。そんな思いや自信がどこからか湧き出てきました。一般企業への転職も、「パソコンができない」「事務の経験がない」から無理だと言われもしました。それでもなんとか、一般企業2社から採用通知を頂きました。(でもCAからの転職は本当に大変です。CA退職後、どのように生計を立てていくのかということも、CA受験のときには、頭に入れた方がよいと思います) その勢いで、外資航空会社に挑戦、現在の会社に合格。 外資系では、日本人一人で乗務することもあるので、孤独を感じる人もいるかもしれません。本国人同士は、彼らの言葉で話す訳ですから、何を話しているのかも解らない。たまに陰口をたたかれていることもあるかもしれません。明らかに差別という態度をとられることもありますし・・・。彼らからみれば、やはり、日本人は経済的にも裕福、おしゃれだし、日本は、食べ物もおいしいですし、どこへいっても、きれいで衛生面はきちんとしている「あこがれの国」ですからね。フライトで嫌なことがあっても、フライトが終われば忘れる、ウジウジ考えていたらキリがないと思います。 私は、周りが何を話しているか解らなくても、英語で突っ込んでいくこともあります。気にしないでギャレーで一人、ご飯を食べたりもしています。時には、一緒にお出かけして、本国人のなかにちょこんとついていくこともあります。見知らぬ土地でも、ひとりで出かけることもしょっちゅうあります。タクシーでボッタくられそうになったら、言い返したり、散歩していたら、なんだか怪しいエリアに入ってしまったり、地下鉄でつけられたり・・・。とても強くなったと思います。 CAの仕事、何の仕事でもそうだと思いますが、他の方も書かれているように、良い面も、大変な面も、もちろんたくさんあります。でも、もしあきらめかけている方がいらっしゃったら、あきらめないでほしい。人生一度きり!がんばったら、「失敗」か「成功」の2つの結果があるけれども、あきらめたら、そこで道はなくなってしまいます。 一人でも多くの方が合格の切符を手に入れられますように・・・。 |
外資系航空会社CA Y紀 |
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CAに向いている方もいれば、向いていない方もいます。今回は、念願のCAになり、がんばったにもかかわらず、夢と現実のギャップから体調を壊し、半年の乗務でCAの世界から離れた方からのエッセイです。 |
CAを辞めて |
みなさんは、なぜCAを目指していますか?女性なら一度は憧れるキャビンアテンダント。制服を着て、空港を歩いている姿がかっこいいから?人にサービスをすることが好きだから?いろいろな所に行けて楽しそうだから? 私もCAを目指した動機は、そんな単純な理由からでした。そして、実際にCAとして働こう!と思い、CAという職業を知っていくにつれて、CAという仕事に魅力を感じていきました。しかし、実際にCAとして働いてみると、そんなにかっこいいものではなかったのです。華やかそうに見えるCAの仕事の裏側。ここでもう一度、冷静にCAという仕事について考えてみませんか? 搭乗手続きが始まって、機内に乗り込むと笑顔でCAが迎えてくれて、その笑顔に元気をもらうことも多いですよね。みなさんがCAと聞いてイメージすることは、常に笑顔でお客様のおもてなしをする接客のプロということではないでしょうか?お客様がよく目にするCAの仕事は、飲み物を配ったり、新聞をお持ちしたりと、機内でお客様が快適に過ごせるように気を配っている姿だと思います。そして、実際に、私も、お客様に喜んでもらえるサービスをしたい!との思いで、CAを目指しました。 しかし、CAの一番大切な業務は、保安業務でした。保安業務が重要な業務ということは、もうご存じの方も多いですよね。もちろん、私も、入社前には、保安要員として、CAは乗務しているんだ!という意識はありました。しかし、自分が思っている以上に、保安要員としての仕事が多く、理想と現実のギャップに苦しんだ時もありました。実際に乗務を始めると、国内線CAの仕事のほとんどが保安業務なのです。機内においてある、緊急時に使用する装備品のチェックから仕事が始まります。いつ、どんな時にどのようなことが起こるか分からない。CAは、あらゆることを想定しながら乗務をしています。 みなさんは、CAのマニュアルを見たことがありますか?辞書ほどの厚さがあるマニュアルのほとんどを頭の中に入れて、乗務をしないといけません。機種ごとに脱出ドアでの操作が違うので、乗務の前には必ずチェックしておきます。私がいたA社では、乗務前のプリ・ブリーフィングでは、毎回チーフパーサーから安全面の知識確認が行われます。これには、何を質問されても必ず答えられるようにしておかなければならないため、乗務前はみんな必死でマニュアルを見て勉強をしています。分厚いマニュアルの中から何が質問されるか分からないため、とにかく必死でした。毎日がテスト勉強のようです。これは、本当に厳しいものでした。 *現在は、CA一人ひとりにIPadが支給され、マニュアル内容をIPadで確認することができる。 かって、アメリカのハドソン川で飛行機が緊急着水し、奇跡的に乗員乗客が全員助かったというニュースがありました。訓練を受けている私は、緊急着水前、機内でどのようなことが行われていたかが想像できます。緊急時に、マニュアルを見るヒマはありませんので、頭にたたきいれておく必要があるのです。自分が、CAとして乗務している飛行機が、緊急着陸することを想像してみましょう。機体が急降下し、着陸時に炎があがりました。お客様がパニックに陥っている状態でも、マニュアルにしたがって、冷静沈着にお客様を安全に誘導できますか? また、私が実際に乗務をして感じたことは、本当に体が資本の仕事だということです。CAの仕事は想像以上に体力勝負です。朝3時に起きる日もあれば、夜の11時まで乗務をしている日もあります。とても不規則な生活になります。 私が乗務していた航空会社の国内線では、1日に平均3〜4便乗務することが当たり前です。国際線でも、韓国、中国などの短距離路線は日帰りです。そして、休みを置かず、その翌日にニューヨーク線を飛ぶこともありました。通常、離着陸時に体力を消耗すると言われており、1日に3〜4便乗務することを考えると、どれだけ体力を使うかが想像できますね。機内は、酸素が地上よりも薄いため、地上で仕事をしているときよりもハードです。ドリンクサービス時などに使用するカートも見た目以上に重いです。上昇中にカートを動かすこともあり、腰に負担がかかることもあります。 そして、近年スケジュールが非常にタイトになってきています。国内線乗務では、朝の5時にショウアップ(プリ・ブリーフィング)が始まります。実際には、その1〜2時間前には、会社に出社しています。早朝出社でも、夕方の4時くらいまで仕事が終わらないということもめずらしくありません。拘束時間が長い時もあります。また、ほとんどが3泊4日で乗務スケジュールが組まれているため、その間はどこか地方のホテルに宿泊するということになります。ホテルの客室は乾燥しているため、自己管理も重要な仕事の一つです。 これは、私が乗務していた航空会社特有のことだと思いますが、次々に後輩が入社してくるため、あまり経験を積んでいなくても、重要なポジションをどんどん任せられます。ですので、常に勉強やチャレンジ精神がないとプレッシャーとなります。 余談ですが、食事をゆっくり取る時間がないくらい分刻みで仕事をこなさなければならないので、男性よりも早食いになってしまうかもしれません。 CAと聞くと、かっこいい制服を着られていいな、笑顔で優しそうだな、華やかな世界だなと感じてしまうかもしれません。しかし、湖に浮かんでいる白鳥のように、お客様に見えているところは、優雅そうに見えますが、水面下では、必死に足をバタつかせているのです。 私が実際に乗務をして感じたことは、お客様へサービスをする接客のプロというよりも、 安全運航を常に考えながらの乗務だということ、想像以上に体力勝負だということ、常にマニュアル把握が必要だということ、そして、精神的にどんどん男前になっていく、ということです。 緊急時やトラブル時には、リーダーシップを発揮しなければいけません。見た目が怖そうなお客様にも、凛とした態度を取らなければいけない時があります。とても重たい荷物も、お客様の代わりに、上の棚へ上げなければいけません。ダメなことは、ダメと言わなければいけません。怒られることも日常茶飯事です。想像以上に心身共にタフでなければできない仕事です。 もちろん大変なことばかりではありません。月並みですが、お客様に「ありがとう」と言われたときは、この仕事をしていてよかったな、と思います。サービスをしていて、お客様と気持ちが通じ合ったときは、とてもうれしかったです。 いかがでしたか?これをきっかけにCAの仕事の裏側を少しでも知ってもらえましたか? CAの仕事の良い部分だけではなく、大変な部分もしっかり見ていきましょう。憧れだけではつとまらない大変な仕事です。それでも、CAとして働きたい!!という覚悟が持てるなら、とてもステキなCAなって大空を飛び回ってください。 |
元大手国内航空会社 Y子 |
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フライト生活 |
あの入社訓練から数年経ち、いま私は国際線をフライトしています。担当路線はあるものの、さまざまな国へフライトする日々です。一ヶ月の間に、ヨーロッパ、アメリカ、アジア・・・昔じゃ考えられない日常だなと思います。でも、それがいつしか普通になり、時差にも慣れ、スーツケースのパッキングも早くなりました! この仕事につきたい!!と切に思っていた頃を思うと、想像以上に大変なことはたくさんあります。実際、「大変な仕事なんでしょう」とよく人に言われることがあります。でも、大学を卒業してすぐにこの仕事についたので、これが他に比べて大変な仕事なのかどうか分かりません。きっと、どこの社会にも、人間関係の悩みはつきものだと思いますし、それぞれの職にはそれぞれの悩みがあるものなのだと思います。 私がこの仕事についてよかったなと思うことは、何年も経った今でも、けっこうな頻度で訪れます。つい先日も、機内から眼下に広がるアマゾンを目にして、感動したまま思わず見入ってしまいました。忙しいフライトのほんの空いた時間に、このような景色を見ることができるのは、やはりこの仕事ならではだと思います。 また、もちろんステイ先の楽しみもはずせません。ホテルに着いたら、とりあえず皆休養を取るものの、クルーの間で脈々と受け継がれた美味しいお店情報によって、夜は美味しい食事に繰り出します。大体、いつも行くお店はいくつか決まっていて、そこに新しく入った美味しいお店情報を加えてアップデートされていきます。その食事の場で、先輩(ソムリエ率高し!) から美味しいワインを教えていただいたりして、何もしなくても美味しい食事とワインが楽しめたりします!あとは、都市によって観光やお買い物、スポーツ観戦、観劇など楽しみ方はさまざまです。私の同期には、夜中じゅう飛んで、ホノルルに朝着いた直後からサーフィンに出かける強者もいます。 個人的な楽しみは、地元のスーパーに行くことです。スーパーなど地元に密着した場所では、観光地よりもその場所のカラーが出ているというか、売っているものが場所によってさまざまで楽しいです。例えば、パリやアムステルダム(オランダ)では、いろいろな種類のチーズを少しずつ切ってもらったのを買ったり、ワインを見たり、イタリアだと面白い形のパスタや生ハム、見たことのないお菓子を試してみたり・・・、どこの国でもそうですが、地元の人達に人気のあるものを知ることができて楽しいです。ただし、目新しいものに挑戦すると、八割方後悔するものが多いですが・・・。 なんだか仕事に関係のないことばかりざっと書いてしまいましたが・・・もちろん仕事の楽しみも多いです。次はそういうこともお伝えしたいと思います!では。 |
国内系航空会社 国際線CA5年目 Y.K |
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面接必勝法 |
質問コーナーには、「今日面接行ってきました」「みなさんがんばってください」「洋服は・・・ですか?」という面接に関する質問やアドバイスが載っています。 私 も○年まえ、この道を通りました。私の大学では、OGの会社名や名前すら非公開でしたので、みんな、それはそれは、苦労していました。インターネットも普 及していなかったので図書館や友人を情報源として頼る以外なかったわけです。面接の本、というのも少なかった気がします。 「面接、どうしよう!」 人間土壇場になると隠れた力が出てくるもので、面接では、想像していたことは一つも聞かれず、また考えていたことは答えぬままに終わりました。 ただ、「これがよかったのかなあ」というものがあるとすれば、 私 は普段から読書が好きでしたし、おしゃべりも、美術館に行くのも銀座をぶらつくのも昔から大好きです。こういう日常のなかで、何かがあるとすぐに考える癖 があるのです。「私ならこう思う」「私が描いたら、こうは描かないだろう」「これを買うのとあれを買うのと、はたしてどっちが使い道があるだろうか」「今日のスカーフは、どっちが似合うか」「円高だと、自分にはどういう影響があるだろうか」 とりあえず、自分なりの感想を持ってみる。今思えば、これが、面接では自分を伝えられたことに、繋がったのではないかなと思っています。 マニュアルで固めていたら、自分も固まってしまっただろう、と思います。決まった答えからは、応用や発展がさほど望めないからです。普段から口には出さなく ても、「私ならこう思う」を心の中においていれば、苦手な分野やよくわからない事に対しても「私はこう思います。私はこうしたいです」がすぐに出てくると思うのです。スッと自分を表現できます。 面接、「必勝法」を探すのも、本をみて参考にするのもいいと思いますが、面接官に自分のオリジナルなキャラクターを知っていただいたり、伝えることができたりするとよいですね。 |
国内系航空会社 国際線CA7年目 直子 |
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1年目を振り返って |
「おはようございます。いらっしゃいませ」 乗務し始めた頃は、毎日のフライトが緊張そのもので、お客様へのご挨拶さえもたどたどしい状態でしたが、今では仕事にも慣れて、笑顔でお客様に対応できるようになりました。
◎ 乗務について
路線によりお客様も異なり、小さなお子様からお年寄りの方まで、幅広い年代の方々と接することは本当に楽しく、お客様から教えて頂くことも多々ありました。
◎ ステイについて
◎ 休日について
この仕事をし始めて、毎日が刺激的で、本当に楽しく仕事ができた1年でした。自分の視野も広がったと思います。もちろん、悔しい思いや、辛いこともありました。しかし、それを超える楽しさが、この仕事にはあるのではないかと思います。あくまで、仕事を楽しいかつまらないものか、それをどのように捉えるのかは、その人次第だとは思います。私は性格的に楽天的で、与えられた環境をよりどのようにしたら楽しくできるのか、ということを考えながら仕事をしてきました。その結果、大変充実した1年となりました。まだまだ新人ですが、これからもがんばってフライトをしていきたいと思います。 |
国内系航空会社 国内線乗務2年目 T美 |
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国際協力の現場から |
現在私は、2年間のボランティア休職制度を利用し、中央アジアのウズベキスタンにて働いていました。 日本航空CA 9 年間CAとして、世界各国を飛び回ってきましたが、外国に住むのは、実はこれが始めてです。ウズベキスタンと聞いて、皆さんはどんな国を想像しますか?シルクロード、砂漠、イスラム教、なんだか怖そう・・・いろいろなイメージがあるかと思います。それ以前に、「どこ?」と首を傾げる方も多いかもしれません。(何を隠そう、本人の私がそうでしたから・・・) ウズベキスタンは旧ソ連邦から1991年に独立した、人口約2,660 万人の国です。国民の88%がイスラム教ですが、戒律はそんなに厳しくはないようです。市場経済化を目指しつつも、まだまだ、旧ソ連邦の色彩が色濃く残るここウズベキスタンで、一体、私が何をしているかというと、ボランティア調整員という仕事をしています。電車の中吊りやテレビCMで知名度を上げてきた、「青年海外協力隊」や「シニア海外ボランティア」の各種事務手続き、活動上の悩みごと相談、新規派遣ボランティアの要望調査、語学訓練や健康診断のアレンジ、広報、健康相談・・・などなど、ボランティアの皆さんの活動をサポートする仕事です。 客室乗務員・・・世間では憧れの、華やかな職業と思われていますが、正直なところフライトに行くのが憂鬱なこともありました。不思議ですが、フライトで外国に行くと、どの国の景色も同じに見えてしまうのです。飛行機から降りて、一般のお客様とは別の出口から外に出て、クルーバスに乗り込み、外の景色を楽しむこともなくホテルに到着し、到着後も先輩に気を遣い、その晩の夕食会のアレンジをし、食べて、飲んで、帰ってきて、死んだように眠る・・・翌日は鉛のように重い体に鞭打って、そんなに興味はなくとも買い物に出かけ、午後からは翌日の乗務のことが気になりだして、ホテルに戻って、翌日のサービスのイメージトレーニング・・・そんな9年間でした。 もちろん、当たり前の話ですが、世界中のいろんな国に行けますし、合コンに行けばもてることもあります (笑)。世界中の美味しいものを食べ、ソムリエの資格も取ってワインへの造詣も深くなる。いつも人に見られているという意識からか、姿勢も良くなり綺麗になれる(と思う)。目標にしたいと思えるステキな先輩もたくさんいます。 しかし、「ボランティア調整員」という仕事を勧められ、もっと自分の視野を広げてみたくなりました。自分について、そして客室乗務員という仕事について、もっと別の視点から眺めてみたくなったのです。 そして、こちらへ来て1年2ヶ月が経過しました。これまでとはまったく異なる世界です。まず、自分のデスクがあることに感動。パソコンのスキルは特に勉強したわけではありませんが、ワードやエクセルは人並みには使えましたので困ることはありませんでした。 それより何より客室乗務員をやっていて良かったと思えることの方が多かった事実に、我ながら驚きました。まず、要人対応で怖気(おじけ)づくことがありません。国際協力の現場には、政府関係者、大学教授、コンサルタントなど、要人(VIP)と言われる方がたくさん来ます。空港送迎やホテルの手配、地方視察への同行など求められることがありますが、乗務員として「相手の立場に立って考える」ことが自然にできるので、堂々と自信を持って臨むことができます。接客業だけでなく、今、この人は何を求めているのだろう?とアンテナを張ることが、スムーズかつスマートな仕事のコツだと思いました。また、機内の仕事は時間制限がありますし、サービスのリズムというものがありますので、プライオリティをつけて仕事をする癖が身についています。次から次へと舞い込んでくる書類の山を、自然とプライオリティをつけてこなすことができます。さらに、イレギュラー対応に強い。開発途上国では、特に、突発的な事態が起こることがあります。そのような時にも、非常救難訓練で鍛えていますから、今何をすべきか、用意しておくものはこれ、連絡すべきところのピックアップ・・・などなど、頭をフル回転させて対応することができます。 そして先日、こちらの在留邦人で企画している「ウズベク会」という集まりで、プレゼンテーションを依頼されました。何を話そうかと悩みましたが、いろいろ考えているうちに、「国際人のマナー」というテーマに落ち着きました。結局、客室乗務員の新人訓練で学んだことを軸に、ウズベキスタンのサービスについて考えたり、海外で他人とのコミュニケーションを円滑にしたりするコツ、などといったことをお話ししました。(あるシニアボランティアの方がブログを開設していらっしゃり、このプレゼンについて記載してくださったので、興味のある方は是非ご覧ください。アドレスはこちら↓) このプレゼンの準備をしながら、やはり客室乗務員という仕事を選んで良かったなぁ、と思いました。新人訓練で叩き込まれた思想、というか心の持ちよう、人間のあり方、そういうものが、今の自分の大きな財産になっていることを再認識したのです。 客室乗務員の仕事をしていると、時の経つのが本当に早いです。一般の人たちの3倍の速さで過ぎていくと言われています。ですから、ボーっとしていると、あっという間に歳を取ってしまいます。しかし、その中でいろいろ考え、自らを省みることを忘れず、常に何かに興味を持ち、自己啓発を怠らなければ、大きく飛躍できる仕事であると思います。 帰国後は、また空を飛ぶ予定ですが、この2年間でさらに大きくなれるような気がしています。別の視点を持つことにより、仕事の幅も、お客様との会話の幅も広がるであろうと、とても楽しみです。あと10ヶ月、自分がここに来た意味、使命、そんなことも考えつつ、思いっきり楽しんで、精一杯がんばりたいと思います。 |
国内系航空会社 国際線乗務9年 M.O |
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私の受験体験 |
長年の客室乗務員になる夢がかない、M航空から内定をいただくことができました。合格した理由はとくに思い当たりません。本当に、ご縁をいただいたとしか言いようがありません。マレーシア航空 日本人CA CA受験体験 私が客室乗務員の試験を受け始めたのは、大学4年の時でした。ちょうどANA、JALと、日系大手の採用試験が始まっていた時です。客室乗務員が、人気職であることは知っていたものの、留学から帰国し、その翌日、たいした準備もせず、試験を受けるという、冒険を平気でしていました。今から思うと、甘い考えをしていたと大変恥ずかしいです。始めての試験は、これ以上ないくらいにあがってしまい、声だけでなく、足までふるえていました。あのようにドキドキした体験は、後にも先にもありません。 そうして、社会人として働き始めてからも、私は、懲りずに、客室乗務員の試験を受け続けました。仕事をしているから仕方がない、と自分に言い訳をして、書類の提出期限を守れない時期もありました。地方にいるから交通の便が悪いと、面接に遅刻をしてしまうこともありました。私の書類審査通過率はしだいに下がっていきました。 面接の帰りに、泣きながら友達に電話をしたこともあります。ある時友達に、いつものように泣きながら電話をしました。私は慰めてほしかったのです。「大変だね。地方にいて、全然違う職種だし、君はよくがんばっているよ」と言ってもらえると思っていました。しかし、その人が口にしたのは、仕事にかこつけて、努力を怠っている私を見抜いて、「まだ甘いんだよ。もっとがんばっている人はたくさんいるんだよ。面接官には、それが分かるんだ」という辛口なセリフでした。「だって・・・」を繰り返す私に、友人はなおもたたみ掛けます。 その時は、意地悪を言われているような気がしました。自分を否定されてしまったような気持ちになりました。でも、その言葉がきっかけで、私は少し変わることができたと思います。書類はどんなに疲れていても、眠くても、必ず期日までに届けるようにしました。おざなりになっていた仕事も、これではいけない、客室乗務員になったつもりで一生懸命やろうと思うようになりました。普段の生活が、面接で出てしまうという言葉を聞いてからは、大好きなジーパンやめて、毎日スーツのスカートをはくようにしました。 就職してから1年が経ち、私は初めて、アジア系のS航空会社の最終試験に望むことができました。そんな折り、スチュワーデス塾に出会い、私の悩みを聞いていただきました。今まで、だれにも相談できなかったことを聞いていただき、そして、温かいお返事とアドバイスをいただきました。残念ながら、初めての最終試験では、内定をいただくことはできませんでした。一番辛い時でした。もう少しで手が届きそうだったのにチャンスを逃してしまった悔しさ、ふがいなさ・・・。仕事を辞め、東京に出てスクールに通うかどうか悩みました。 さらに話しを聞いていただき、そして、今の仕事を大切にするようにとアドバイスを受けました。そのお陰で、なんとか仕事を続けることができました。そして、すぐ後に控えていたM航空に応募しました。面接の最中、他の方より優れていたようには思えませんでした。ただ少し、力を抜いて、笑えるようになっている自分がいました。いままでは、クルーになりたい一心で必死の自分でしたが、あのときは、自然な自分を見てもらえたような気がします。 私が、内定を手にするまでに受けた航空会社は、書類落ちも含めて(2度受けた会社もありますが)20社くらいだと思います。辛いこともありました。諦めてしまおうと思うこともありました。それでも、クルーになるだけでなく、何に対しても一生懸命になることができたら、その時の笑顔に、神様はきっとご褒美をくれると、今は思えるようになりました。 |
アジア系航空会社 乗務3年 E子 |
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産休に入って思うこと |
私は今出産を控えて産前休職中です。 まず、当たり前ですが、こんなに海外に頻繁にいける仕事はありません。いろいろな国の文化や人々、お客様に触れながら、知らず知らずのうちに様々なことを学ぶことが出来ました。テレビのニュースを見ていても、実際に肌で感じたその国の事情を知って見るのでは、面白さが違います。これは知らないうちに、自分にとって大きな財産になっていると思います。 もちろん、ステイ先でのおいしいお食事や買い物、観光も毎回の楽しみです。それだけではなく、フライトごとに初めて会うクルーやお客様からも、いろいろなことを教えて頂いたり、一回一回違うフライトが終わる充実感はかけがえのないものでした。サービスがうまくいかず落ち込んだことも多々ありましたが、心機一転、帰りのフライトではがんばろうと思うことで、少しずつでも自分の中で成長できた部分もあったような気がします。 他にもたくさん、この仕事で学べたことはあるのですが、産休中の私にとっても、個人的に役立ちそうなことがあります。それは、訓練所で、粉ミルクの作り方を学んだり、機内でたくさんの赤ちゃんと触れ合ったりしたことです。核家族化で小さなお子様のお世話をした経験がない人が多い中、クルーの仕事をしたことで、泣き喚く赤ちゃんと機内で接したことが、こんな風に自分に役立ってきそうだとは、あまり考えたことがありませんでした。 大学生のときに、就職活動をして、乗務員に内定したときには、これで海外に行って英語を使って・・・なんてイメージ先行なことを考えていました。しかし、この仕事は、実際には、本当に様々なことを学べる素晴らしい機会を与えてくれました。 これから出産・育児という、自分にとっては、全く未知の世界にしばらく入りますが、今までの乗務員の経験から、何とか自分も乗り越えられるのではないかと、勝手に思ったりしています。そして、他職種に比べて、長く取れる育児休職がありますので、復帰できる日を楽しみに、毎日を過ごしたいと思っています。 |
国内系航空会社 国際線12年 J子 |
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訓練を終えて・・・ |
私は、数ヶ月前にラインアウトしたばかりの新人客室乗務員です。 まず、訓練について紹介します。自分の人生を振り返って、あんなにがんばった経験はなかったと思うほど、毎日が一生懸命でした。約1ヵ月半、訓練所に通い、 2週間のOJT(On the Job Training乗務訓練)を経て、めでたくラインアウト(*)です。訓練所では、朝の7時半すぎに教室に着き、着替えや雑用を済ませて8時半からHR (ホームルーム)、授業が始まります。そして大体5時6時くらいに終わるのですが、ピタッとすんなり帰れるのは稀で、放課後みんなで残ってデモ(*) の練習をしたり、教官方にいろいろ教わっていたりして、放課後も勉強会です(お叱り付き)。今思うと笑って話せるよい思い出ですが、当時は、みんなゲッソリしていました。家に帰っても、今日の授業内容のまとめや、テスト勉強をしなければ覚えきれないので、睡眠不足の日々です。また、教科書などとても重いものを毎日持ち歩くので、いろいろな意味で体力的にも精神的にも強くなったと思います。 私が訓練所でびっくりしたことの1 つが、教室のカーテンです。一見、普通のカーテンなのですが実は中からは廊下は見えないけれど、廊下からはばっちり中が見えるという、マジックミラーのようなカーテンです。これは、いつでも人に見られていることを意識する為のものらしいのですが、授業中など、よく別の教官が教室の中を見ていたりします。なので、教壇で話している教官が見ていないからといっても気を抜けません。たまにカーテンの向こうをじっと見てみると、うっすらと見える別の教官が、こっちを見ていたりしてギョッとします。 と、ここまで何だかツライことばかり書いてしまいましたが、楽しい事もあります。やはり訓練をやり遂げた後の達成感は、感動でした。2週間のエマージェンシー訓練(緊急脱出訓練)も楽しかったです。覚えることはたくさんありましたが、体を動かすことが多いので気分的に楽しくなります。2週間終えた時は、教官も一緒に涙を流してくださるほど、感動します。そして、最終的に2ヶ月の訓練を終えた後に、無事訓練を終えた証として、左胸に名札を教官につけていただくのですが、あんなに感動するとは思いませんでした。とても嬉しかったのを覚えています。 次に乗務し始めてからのお話をしたいと思います。 実際に乗務して、まず先輩方のスピードについていけず焦りました。先輩方は何をするにも早いのです。例えば、機内に乗り込んだら、まず自分自身の荷物を収納するのですが、私たち新人は、限られた狭いスペースのどこにしまえばいいのか、途方に暮れます。少し経てば慣れるのですが、もう既に機内に乗り込んだときから出遅れているのです。当時は、少しでも遅れないようについて行くので精一杯でした。「早くしなきゃ・・・」と気持ちばかりが焦り、ミスを生み、悪循環です。出来ないのが当たり前!と開き直ってはいけないけれど、焦りはもっと良くないものだと思いました。いまだについ焦ってしまいがちですが、とにかくワンクッションおいて、自分を落ち着かせることにしています。 ラインアウト・・・Line Out 訓練を終えて一人前として現場に出ること |
国内系航空会社 国内線乗務1年目 Y生 |
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仕事も、育児も・・・ |
私がキャビンアテンダントになりたい!と思ったのは 電話の24時間案内テープで、受験要項を聞き、 CAとして飛んでいた方に個人的にアドバイスを受けたりしていました。 いまでも運動が大の苦手の私ですが、当時は、受験のために、 合格した時の嬉しかったこと! 入社して5年で結婚し、2年前の冬に出産しました。 子供が一歳になるのを待って、職場復帰しました。 でも、いざ飛んでみると、育児で過ごした年月よりも、 休職したことで、仕事のありがたみを感じたり、 子供を産むと、腹がすわるというのか、ちょっとくらいのことでは、 これからまたもし、妊娠することがあっても 休職して、現場や会社から離れて、初めて感じた事があります。それは、 私にとって、一番大事なのは家族で、仕事は食べていくための手段です。 |
国内系航空会社 国際線13年 T子 |
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キャビンアテンダントの仕事は人生塾 |
こんにちは、 CAになり立ての頃は、経歴の長い先輩たちを見て、そんなによく飛べるものだなぁと思っていましたが、あっという間の出来事でした。 私は、CAという仕事から、たくさんの事を学び、そして素晴らしい経験を浴びるほど得てきました。例えば お食事のサービスで・・・、 早く召し上がりたい方も、ゆっくり召し上がりたい方も、しかも温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、サービスしなければなりません。ギャレイ (Galley)と呼ばれる機内の台所では、戦争なわけです。しかも一旦、お客様の前に出たら、優雅に、にこやかに・・・です。 仲間との連携プレーも重要になってくるわけですが ここで私は、“要領”というものを学びます。頭の中で考えるわけです。何が今1番大切か、そして、つぎの行動は?その行動パターンは、今の私の生活にも息づいています。 長いフライトの中には、忙しい時間だけでなく、お客様も退屈なさる時間があります。私たちはその時間を、“アイドル・タイム”と呼んでいます。その時間も私たちの腕の見せ所なんですね。 旅慣れたビジネスマン、飛行機旅行が初めてのおじいちゃん、おばあちゃん、子供達、病人から大会社の社長さんに至るまで、皆さんを快適に、時には、喜ばせてあげなければなりません。自然と臨機応変に話し上手、聞き上手になってきます。 私生活でも そのくせが抜けないのか、どうもサービス精神旺盛になっていますが、そうなって悪いことは何一つとしてありません。おかげで、友人も沢山できました。 目的地に到着すると、そこには、非日常の世界が広がります。もちろん、フライトに支障をきたすような無理なことはできませんが、その土地、土地の空気に触れることは私達の特権なのです。 さぁ、Parisに着きました。 食と文化の素晴らしいこの土地で、本物のフランス料理、本物の芸術を味わうのです。本物に触れるということは どんなLessenを受けるよりも、いち早く自分のものになります。本物によって、感性が磨かれるからです。料理人だって、おいしいものの味を知らなければ、素晴らしいものは作れませんよね?そして、インド、タイ、何処に行っても ホンモノと交わるのです。 そんな中で、自分なりの意見が生まれ、時には、それぞれの素晴らしいものをかけ合わせてみたりして オリジナルな世界を作り出すこともできます。私たちが“正しい”のではなく、それぞれの国の文化や習慣・マナーも、また、それぞれに正しいのです。自分たちと異なっていることを知り、尊敬の念を持てるようになったら、しめたものです。自分のいる国、日本のことがよく分かってくるでしょう。 CAという仕事は、生活リズムのせいか 自分をしっかり持っていないと、流されやすいという性質もあると思います。それででしょうか?CAには、勉強好きが多いです。皆、何かをしています。そして、仲間と影響し合って、さらに深めたり、新しいものを発見したり、とってもいい環境です。私もその勉強好きの一人ですが、今は 誰が聞いても知っている“ソムリエ”の勉強を8年程前にしました。 その当時は、テキストを広げていても、“何してるの?”と聞かれる時でしたが、もともとワイン好きだった私は、いつもワインリストを見ながら、“自分で選べたらいいなぁ”と思っていました。ある時、何かの雑誌で、ソムリエを受験するには 「サービス業に5年以上従事していること」とあり、私には資格があるじゃない、しかも ファースト・クラスでも自信を持ってワインをお薦めできる!これだっ!それから猛勉強が始まりました。幸い、仕事先のHotelで、静かにゆっくりと集中できる時間があるし、本場でワインを飲むことも出来ます。 CAとして、努力し経験してきたことは、そのまま自分の糧になるのです。どうか、この仕事を目ざす皆さん、サービスのプロフェッショナル、仕事と共に成長していく自分を思い描いて、がんばってください。そんな皆さんを私は心から応援します。 |
国内系航空会社 乗務12年 夕城 |
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キャビンアテンダントとは? |
キャビンアテンダント(CA)というと、どういうことを想像しますか? CAとは 日本航空CA @ 色々な国へ行くことができる A たくさんの人々に出会える (含 有名人!) B 各国のおいしい料理が食べられる C 毎日定時に出社しなくてもよい @ 「いろいろな国に行くことができる」 まぁ、これは、皆様もそう思ってるでしょう。 A 「たくさんの人々に出会える」 すごい人数です。毎日1500名近いお客様をお迎えするときも。 B 「各国のおいしい料理が食べられる」 食事は、海外旅行での楽しみの一つでもありますね。 C 「毎日定時に出社しなくてもよい」 毎日、定時に出社しません。月の半分は、海外もしくは国内のどこかへ。 さて、覚悟はできましたか?CAになるためには、語学力も親しみやすさも大切ですが、もっと大切なものもあります。それは、あなた自身で探してみてください。本当に奥が深く、自分を成長させてくれる職業ですよ。 |
国際線 乗務経験9年 M穂 |
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ソムリエと利き酒師と私 |
キャビンアテンダントの中に、“空とぶソムリエ”がいるのをご存知でしょうか? ソムリエCA ソムリエの資格を有するには、23才以上で、飲食、サービス業で5年以上の実務経験があり、現在も従事している人が対象で、毎年1回、8月末ごろに行われる試験をクリアーしなければなりません。 一次試験は、筆記のみ120分で100問を、最低ライン70点でパスし、約2週間後、パスした人のみ二次試験に進み、口頭試問とデギュスタシオン (利き酒)に加え、実技試験(サービス実技・デカンタージュ)があります。飛行機のファーストクラスには、常にセレクトされた高級ワインが多くあることから、ワインの知識をさらに深めていきたいと、この資格に興味を持つ人が多いようです。 もともとワイン愛好家である私が、この資格にトライすることになったのは、自分の知らないワインの世界が、知らないということだけで見逃され、実は損しているのではないか・・・と思い始めたからです。これは、ワインに限らず、どの世界にも共通して言えることかもしれません。しかしながら、勉強となると、好きなワインを飲んでいる喜びとは違い、非常に大変でした。学生時代の試験の時でさえ、これほど勉強した覚えはありません。 まず、ワインのぶどう品種を覚えるだけで、白赤品種合わせてざっと100種以上、一品種を覚えたら、もれなく2,3種ついてくるのです。というのは、国や地方によって呼び名が変わったりするからです。ちなみに有名な品種で例をあげると、 ― 赤ワイン ― ピノノワール種(Pino Noir) = グロノアリアン (Gros Noirien) (仏) Jura地方 になってしまうのです。最初は、原語に踊らされて、目も頭の中もくるくるしてしまいますが、粘り強く見ていると、だんだんに慣れてきてしまうのが不思議です。 つらいつらい話ばかりになってしまいましたが、資格を取ってからというものは、実に優雅であります。まず、仕事での利点は、どのワインでも、自身をもってサービスできます。というのは、いろいろおっしゃるお客様に、あるワインの欠点を指摘されても、長所の部分も知っていただくなどで、対応できるようになったことです。ワインがすべてではありませんが、ある一つのきっかけからお話をするようになって、お客様とコミュニケーションがとれるチャンスがうまれるようになりました。知識とプライドを持ったお客様には、同等のレベルで接して差し上げなければ、相手は決して満足しないのです。 ファーストクラスを担当したある便でのお話です。 「ワインが美味しいからお宅の飛行機に乗ったのに、 とおっしゃった方がいらっしゃいました。この件に関しては、内心、“ちょっと手ごわいなー”なんて思いましたが、ひと通りお話を聞いた上で、 とご案内しましたら、後になって、 ワインのみならず、ファーストクラスには、高価な日本酒も搭載されています。日本酒の世界も、奥が深く、昨年、利き酒師の資格も取りました。今度は、焼酎アドバイザーにもトライしてみようかしらと考えています。(笑) 何事も見聞を深めようとするのは、その世界を知ることだけではなく、常に、ものごとを前向きにとらえようとする力も身について、まさに一石三鳥?ではないかと思います。 CAをめざす皆さん、あなたはどんな素敵なCAになりたいですか。 |
国際線 乗務経験12年 C夏 |
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