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外資CAの生活日記(中近東編)

 

 

著者紹介
小出あかり
国内航空会社やアジア系航空会社を経て、中近東カタール航空の第1期の日本人CAとなる。乗務した航空会社は6社となり、エミレーツ航空を最後に乗務から離れる。ベトナムサイゴン在住

 

No 01 オリックスの国

タイのバンコクから、カタールのドーハ国際空港に到着したのは、2003年6月のことです。私は30歳、初めての中東訪問でした。出発前に「地球の歩き方」を買いましたが、ドーハについての記載はわずか数ページで、本当に基本情報だけ。随分と心細かったのですが、「未知との遭遇」にドキドキ感が増したのも事実です。

当時 のドーハ国際空港は、大きめの「駅舎」といった規模でした。天井だけは異様なほど高く、見上げると自分が小びとになったような気がします。中東など暑い国では、天井の高い造りほうが涼しいのでしょう。空港の外に出ると、カタール航空からの迎えの車が待機していました。私は総務課職員の女性の運転で、アコモデーション(社宅)へと向かいます。(写真)カタール航空機

なぜ日本からではなく、バンコクからのドーハ入りだったかというと、私はそれまで、バンコクでCAをしていたからです。カタール航空の採用試験は、「タイ人枠」での受験でした。カタール航空はまだ、日本に就航していなかったのです。第1次の審査が、書類選考ではなくウォークインの面接だったのは幸運でした。中東の人にはタイ人と日本人の区別などつきませんから、素知らぬ顔で面接会場に紛れ込んだのです。試験半ばに日本人であることを告白したところ、「いずれ日本には就航するし、1人くらい採っておいてもいいか」という反応。めでたく、採用となりました。

さて、空港を出発した車は、5分後にはもう、アコモデーション(アコモ)の前に、
「着いたわよ」

促されて車を降りると、アコモの正面には先ほどの空港が・・・。
「ちなみに、反対側にあるのが本社ビルね」

私 の新居となる「アル・マハ」アコモは、空港と本社ビルに挟まれて建っていたのです。どちらへも、徒歩で行けそうな距離。周囲には他に目立った建造物はなく、ほとんど更地でした。そこを吹き抜ける熱風に、白く細やかな砂が舞い上がって見えます。

セキュリティーのオジサンは、バングラデシュ人とのことでした。色が浅黒いせいで表情が読み取り難いのですが、どうやら微笑んでくれている様子。軽く挨拶をしてエレベーターに乗ります。

案内されたのはスリー・ベッドルームの部屋で、2人の現役クルーと同居でした。彼女たちがタイ人と知り、なんとなくホッとします。同じ仏教徒で比較的おとなしいタイ人となら、きっと一緒に暮らしやすいでしょう。あいにく一人は留守、もう一人は乗務に備えて仮眠しているのか、寝室に籠って出てきません。

総務課の女性が帰ってしまった後、ドーハの街を一望してみようとアル・マハの屋上に上ってみました。ファミリー・フード・センター、ダスマン・センターというスーパーマーケットが2軒、ジュース・スタンド風の店には、デイ・バイ・デイと書かれています。

空港と本社ビルの外壁に、角の生えた馬の頭部が、大きく描かれているのに気づきました。これが噂に聞いた、オリックス! カタールのシンボルである国獣です。そういえば、機内で見たカタール航空クルーの帽子にも、金色のオリックスが輝いていました。よほど、この動物への愛情が強いのでしょうか。カタール国民はきっと、動物を愛護する心優しい人々に違いありません。

カタール国獣ORYXが制帽にも光る。※写真は仲良しの韓国人クルーとスタッフ・キャンティーンで

周囲を散歩でも…… デイ・バイ・デイが営業中なら、フレッシュ・ジュースを飲んでみよう。そう思い立った私は、エレベーターで階下へ降り、アル・マハを出ます。門のところで先ほどのオジサンが、無言で黒い顔をこちらに向けましたが、私を制止する素振りはありません。

ポケットには総務の女性から渡された、現地通貨が入っています。私という新入りのために当面の生活費と、石鹸やシャンプー、アイロン台、洗剤などの日用品を、部屋に用意しておいてくれたのです。異国で受ける心遣いに、気持ちが温かくなります。

建物の角を曲がると、民家の裏手から歓声が聞こえてきました。複数の青年の声で、何やらアラビア語で囃し立ているようです。好奇心に駆られて声のする方へ近づいて行くと 、白い民族衣装を着た若者たちが3、4人います。袋小路に追い詰められた茶トラの子猫が、みゃあ、みゃあ、と哀れな声を上げていました。彼らはなんと、頭に載せていた「黒い輪っか」をブーメランのように投げ、野良猫を苛めていたのです。

おやおや、どうやらオリックスだけが特別扱いだったようですね。ちょっとガッカリした私でした。※写真は民族衣装カンドゥーラ

 

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No 02 ドーハ初の食事は

私のアコモ、アル・マハから徒歩3分のところある、「デイ・バイ・デイ」はジュース スタンドに毛が生えたくらいの小さな飲食店です。

ジュースの種類だけは豊富で、ザクロ、スイカ、パパイヤ、メロン、マンゴー、パイナップル、オレンジ、アボカド、バナナ、レモン&ミント、フルーツみたいに甘~いニンジン…… と、目移りするほど。2種類以上を組み合わせてミックスにもできます。指定した野菜や果物を目の前でミキサーにかけ、フレッシュなものを提供してくれるのです。1杯5リヤル(およそ150円)で、しぼりたての生ジュースが飲めるなんて! 東京なら500円くらいするのではないでしょうか。 

食事メニューは、シャワルマやサンドイッチ、ビリヤニなどの軽食のみですが、「ご近所さん」のアル・マハへは、無料で出前もしてくれます。乗務から帰ってきて冷蔵庫が空っぽ!というときに、とても重宝するのがデイ・バイ・デイなのです。

※写真はデイ・バイ・デイとメニュー、シャワルマ(ラップサンド)とビリヤニ(カレー風味ピラフ)


私がドーハに到着した日に、さっそく目指したのがこの店でした。空港からアコモまで送ってくれた総務の女性に教えてもらったのです。ところが、店の前まで行ってショック! 「臨時休業」の札が掛かっています。

バンコクからの機内で出されたのは、エコノミーのちゃちな朝食だけです。空腹だった私は諦めきれず、キョロキョロと辺りを見回します。通路 を挟んだところに、新聞・雑誌棚 がありました。ローカル紙のアルジャジーラに加え、 雑誌も何種類か並んでいます。

写真誌の女性の胸の谷間は、極太の黒いマジックペンで、これでもかというくらい念入りに塗りつぶされていました。女性の肌の露出に厳しい中東では、こうしないと販売できないのでしょう。※写真はレディーガガのCD写真、右が中東版)

食べられそうなものと言えば、チョコレートとチューインガム。小型冷蔵庫の中には生卵、ヨーグルト、炭酸飲料が入っています。ドーハで初めて口にするもの・・・。5年後、10年後も、きっと思い出す特別な食事です。せっかくだから、カタールの郷土料理とか、何かおいしいものを食べたいではありませんか。初めての食事がキットカットとファンタ・オレンジでは、後々まで禍根が残りそうです。
「マルハバ(こんにちは)」

とりあえずお店の人と話してみようと、中へ向かって声をかけます。
「ハア……」

吐息のような音に目を凝らすと、薄暗い店内に老人の姿が見えました。オマーン風の民族衣装の胸に、真っ白いあごひげ を垂らしています。あまりに静かなたたずまいで気がつきませんでしたが、お爺さんは先ほどからずっと、私の様子を観察していたようです。

近くにレストランはありませんか、と聞いてみますが、英語が思うように通じません。こういうときは、ボディ・ランゲージの出番です。お腹に手を当てて悲しげな表情、食べものを口に運ぶ素振り、
「オオ、ユー、ハングリー?」

なんだ、英語話せるのか……。私のジャパニーズ・アクセントが分かり難かったのかもしれません。お爺さんは、私の国籍を尋ねてきます。
「ジャパン! アイム ジャパニーズ」

元気よくそう答えた瞬間、老人は目をカッと見開きました。黄色っぽく濁った目が血走っています。心臓発作でも起こしたのかと、私は狼狽えました。
「ヤバーニー(日本人)!」

醤油で煮しめたような茶色い顔が、クシャッと笑顔になりました。
「オーシン(おしん)、トヨタ・レクサス、ナンバーワン!」

お爺さんは店の奥から、銭湯にあるような低いプラスティックの椅子を出してきました。そこに座って待て、と言います。

商品の陳列棚の向かいに、トイレと簡易キッチンらしきスペースがありました。彼はその前に立ち、こげついて真っ黒のフライパンを取り出します。売り物の生卵を割り、小鍋に水と茶葉を入れて火にかけ……。五分もすると、食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきました。

目玉焼きとチーズ、レタスを、あぶった 薄パンで巻いたシャワルマと、甘くて濃厚なスパイス・チャイ(ミルクティー)。慌ててポケットからお金を取り出します。するとお爺さんは、「とんでもない」と言うように、首を横に振りました。
「ヤバーニ、フレンド!」

紙皿の上のシャワルマは、表面にほどよくこげ目がついて、いかにもおいしそう。さあ、ドーハ最初の食事です。「いただきます」と、ドキドキしながら一口かぶりつきます。もっちりと弾力のある薄パン、半熟に焼いた卵の黄身に、とろ~り溶けたチーズ、みずみずしい レタスの奏でる、「幸せのハーモニー」。塩と胡椒だけの味つけなのに、なんというおいしさでしょう。そして、ヤケドしそうな 熱々のチャイ。スパイスの刺激で、みるみる力が湧いてくるようです。チャイの熱さのせいか、こみ上げる幸福感のせいか、目に涙がにじんで きました。

ドーハ最初の食事。簡素ながらも温かい、私にとって、どんなご馳走よりも心に沁みる食事となりました。17年経った今でも、お爺さんの笑顔とともに甦る、最高においしい思い出です。

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No 03 転職は助け合い?

ピエウとボンちゃん。この2人のタイ人が、私のシェアメイトです。世界100ヵ国にも及ぶ国籍の中から、総務部がマッチングしてくれるのです。なるべく同じ宗教の者同士を組み合わせていると聞きました。

つやつや光る小麦色の肌に、のびやかな肢体のピエウは、「ヨガのインストラクター」といった風貌です。対照的に、小柄で色白、もっちりと大福のような丸いほっぺの、白雪姫みたいなボンちゃん。ピエウは25、大学卒業したてのボンちゃんは23歳なので、30歳の私がダントツで最年長です。2人とも入社して一年の未満とのことでした。

いかにも令嬢といった雰囲気をもつボンちゃんは、きっと裕福な家庭の出身なのでしょう。留学か、大学院へ進むか迷っていたところ、友人のお供をして受けたカタール航空の試験に合格…… 「たまたまお友達の付き添いで~」オーディションに受かってしまった新人タレントの心境というところでしょうか。海外生活には強い関心があったので、とりあえず1、2年働いてみようと、軽い気持ちでドーハに来たそうです。

ピエウは根っからのCA志望。手当たり次第に受験しまくり、「なんとか引っ掛かった」のがカタール航空でした。
「外資系の中では、JALが第1志望だったの」

募集があれば再挑戦するつもりだから、応援してね!と、言います。家族愛の強い彼女は、バンコクベースのJALウェイズへの転職を切望していました。

スリー・ベッドルームのアパートメントなので、バス付きの寝室は各自が個室。リビングとキッチンは共用です。大型冷蔵庫の中は、きっちり3分割して仲良く使います。自分の陣地に納まる範囲で買い置きをするのがマナーです。

※写真は調理器具つきのキッチン

水道料金、光熱費と電話の市内通話は無料、ミネラル・ウォーターは1ガロン入りのタンクを、3人で共同購入することにしました。お水の配達業者に電話すると、顎髭を生やしたクウェート人の男性がやってきます。20キロもある水のタンクを肩に担ぎ、アパートの戸口まで運んでくれるのです。汗びっしょりの姿に、思わずチップをはずむのでした。

ある日、私が買い物から帰ってくると、リビングルームの電話機の前にピエウが突っ伏しています。うっ、うっ、と嗚咽しながら、すすり泣いているではありませんか。
「ピエウ! ワッツ ロング?」

事情を聞いてみたところ、JALウェイズの書類審査に受かって面接に呼ばれたのですが、乗務の都合で指定日にバンコクへ戻れません。日にち変更の交渉をするため人事部に連絡したのですが、電話に出たタイ人の担当者は冷たい態度でした。「公平を期すためにも、日程の変更には一切応じられない」とのことです。

カタールで働く外国人労働者は、出入国を厳しく管理されています。休暇などで帰省する際には、勤務先にExit Permit (エグジット・パーミット出国許可証)を申請しなくてはなりません。仮病を使えば乗務を休むことはできますが、会社の了解なしでタイに帰国することはできないのです。病欠しておいて渡航の申請などあり得ません。
「アカリ! ヘルプ ミー」

泣き腫れた瞼、すがるような目で助けを乞うピエウ。うーん、JALウェイズのオフィスで権限をもっているのは、恐らく日本人です。私が電話をかけて日本語で強引に押し切れば、日本人上司に繋いでもらえるのでは……。そう考えた私は意を決し、緊張した面持ちでJALウェイズ採用担当課の番号をタイヤルします。
「サワッディー カァ」

タイ人の受付嬢です。彼女が日本語を話せないことを祈りながら、私はまくし 立てます。
「もしもし、いつもお世話になっております。カタールの小出です。人事部長をお願いします」

さも緊急の用件というふうに、緊張感のある低い声、押しの強い口調で伝えます。

電話口のタイ女性は、ほんの一瞬ためらったものの、「イエス、プリーズ ウェイト」と言って通話を保留しました。見たこともない国番号からの国際電話です。厄介ごとの臭いがするから、すぐにマネージャーへ繋いてしまおうと考えたのかもしれません。
「はい、お電話代わりました」

落ち着いた、中年男性の声です。
「不躾にお電話しまして、誠に申し訳ありません。私はカタール航空でCAをしている者です。タイ人の同僚、受験番号XX番のピエウの代理でお電話差し上げました」

そこから先は夢中だったので、何を話したか正確には思い出せません。中東のドーハに住んでいること。出国許可証の取得に数日を要し、どうしても指定日に間に合わないこと。なんとか特例で、面接を最終日に(その日はピエウの休日だった)変更してもらえないでしょうか……。電話を切られまいと必死だった私は、とにかく情熱的に訴えかけます。
「自由に出国できないとは、大変な環境ですね。面接日はご希望の日時に変更しましょう」

日本人男性はタイ人秘書と電話を代わり、私は受話器をピエウに渡しました。双方、タイ語でやり取りし、最後にピエウが何度もお礼を言いながら受話器を置きました。どうやら、首尾よく事が運んだようです。ピエウは私の首にしがみき、わんわん泣きました。
数日後に参加した面接で、ピエウは見事、合格を勝ち取ることができました。あのとき助けて頂いたJALウェイズの方、本当にありがとうございます。その他の受験者の皆さん、ピエウだけ特例でごめんなさい。

※写真は当時タイ人CAを多く採用していたJALウェイズ制服

人権保護の観点から批判を受けてきた、カタールの「Exit Permit(エグジット・パーミット制度)」は、今年(2020年)になってようやく、廃止されたそうです。

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No 04 個性派ぞろいのバッチメイト

バッチメイト(同期の訓練生グループ)は15名。国籍は、フィリピン、インド、スリランカ、アルジェリア、ナイジェリア、ロシア、中国です。良くも悪くも、強烈な個性を持つ面々でした。

*バッチメイトとチーフ(中央)

ロシア人のバッチメイト、ローラは、占い師の家系に生まれました。(本人談)私と同じアコモの違う階に住んでいます。顔は小さくて美形なのに図体ばかり大きく、ちょうどマトリョーシカ人形のようでした。(CAはエコノミークラスの通路の幅まで太っても大丈夫。腰回りがふくよかなことは、中東ではチャーム・ポイントとされているのです。有名なベリーダンスも、腰の動きを強調していますね)

*ぽっちゃりOK

自分は巫女のような霊媒体質で、急に霊が乗り移ることがあると吹聴します。非常に気分屋です。タロット占いをしてあげるから遊びに来て、と言われ部屋を訪ねると、気分が悪いから帰れ、と追い返されることもありました。

試験の前には、「勉強を教えて」と私や、他のバッチメイトたちにすり寄ってきます。15名全員が試験をパスし、そろって卒業したいと願っていた私たちです。でも正直なところ、ローラにはお手上げでした。勉強を教えてあげようとしても、彼女の忍耐と集中力が続かないのです。理解できないと奇声を上げたり、急に泣き出したりします。素直さがないので、自分の間違いを認めません。

案の定、ローラは何度も赤点を取ってしまいました。訓練を卒業できなければ、母国へ強制送還です。赤点のたびに、インド人教官のマリサが、ぐっとやさしい再テストを作ってくれ、なんとか凌いできました。ですが、ついにローラは、その再テストさえも落としてしまいます。

*優しかったマリサ
ローラが教官室へ呼び出されました。教室に残された14名は、神妙な面持ちで彼女の帰りを待ちます。30分ほど経ったでしょうか。真っ赤な目をしたローラが戻ってきました。教官たちの前で散々、泣き喚いたに違いありません。彼女は教室に入るなり、私たちを見渡してニヤッと笑いました。
「もう一度だけ、再試験を受けさせてくれるって。みんな、協力してね」

どうやって教官を説得したのでしょう。特例は絶対に認められないと、先輩CAから聞いていました。今回はどうやら、全ての決定権を持つチーフ(カタール航空のCEOは、チーフと呼ばれることを好んだ)による、特別な計らいだったようです。

「私の母は元CAで、娘の私に夢を託しているから、落第したなんて絶対に言えない。このままでは国に帰れない、家族から勘当されてしまうって、チーフに泣きついたわ」

えっ、代々「占い師」の家系じゃなかったの? そんなことはバッチメイトの誰一人、口にしませんでした。

「お金、貸してくれない?」

女子トイレで、アルジェリア人のトラヤが話しかけてきました。ドーハ到着時に会社から渡されたお金を使い果たしてしまい、いくらか融通してほしいと言うのです。彼女とは特に仲がよいわけでもなく、あまり話したことがありませんでした。トイレには、私とトラヤの2人きりです。心の中で警戒ランプが点灯します。

「悪いけど、私だって余裕はないの…… 給料日まで3週間もあるのに、生活費はどうするの? 10ドルや20ドルぽっち貸したって、焼け石に水じゃない」

両親に送金を頼んだから、1週間以内にお金が入る。今日、明日の食費があればいいの、と食い下がってきます。バッチメイトをあまり疑うのも、心が狭いような気がしてきました。訓練の2か月間、苦楽を共にする仲間ではありませんか。乗務できるようになるまで、逃げることも隠れることもできません。まさか、お金を借りたままとんずらなど、あり得ないでしょう。

「お願い、30ドル…… 100リヤルでいいの」

潤んだ青い瞳で、上目づかいに私を見つめてきます。黒髪にブルー・アイズというのは、頭がクラクラするほど魅力的、まるで青い目の黒猫のようです。こんなに美しい生き物が人を欺くわけがないと、疑った自分自身のほうが恥ずかしくなってきました。魔法にかかったようになった私は、オーケイと言ってバッグから紙幣を取り出します。

トラヤの瞳に一瞬、濃い影が差したように見えました。彼女は私の手から100リヤルをもぎ取ると、「このことは誰にも言わないで、借金なんて恥ずかしいから」と言い捨て、あっという間に(用も足さず)トイレから出て行ったのです。このお金が戻ってこなかったのは、言うまでもありません。訓練を卒業してずいぶん経ってから知ることですが、トラヤは同じ手口で複数のバッチメイトから借金していたのでした。

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No 05 はじめての日本人

カタール初(国営企業で初めて)の日本人として採用された私は、会う人ごとに珍しがられました。日本人の実物は初めて!というわけです。バンコクからドーハ入りした飛行機の中でも、「えー! 日本人だって?」と、現役クルーに取り囲まれ、質問攻めにあいました。笑ってしまったのが、「トーキョー空港の入国審査場って、無人なんだろ?」というもの。

彼らのイメージによると、全ての工程がオートマティックか、ロボットによる代行。手荷物検査で引っ掛かるとワープ(瞬間移動)して精密検査用の個室へ。そこにはタコみたいな姿のロボットが待ち構えており、足先のセンサーで体中をまさぐられ、抵抗すれば電気ショックが……。
*トーキョー入国審査(イメージ)

私が入社した2003年、ドーハに生息する日本人は少数ながら、確かにいたのです。大使館員や、石油・天然ガスを扱う商社の駐在員などでした。しかし彼らは、どこへ行くにもドア・トゥー・ドアの運転手つき生活。40℃を超える炎天下、戸外を散策する人はいませんし、接触の機会はごく限られています。そもそも現地の人には、「まさか、こんなところに日本人が?」という思い込みがありますし、外見的には中国からの出稼ぎ労働者と同じです。街ですれ違ったとしても、日本人と気がつかないでしょう。

新人訓練が始まると、クラスメイトや教官からも、「日本とは、どんな国か」と聞かれました。どんな国・・・、あらためて問われると答えに窮します。前に出て説明してくださいと拍手され、しぶしぶ教壇に立ちました。ホワイトボードがあったので、時間稼ぎに日本列島の絵を描いてみます。

「えーっと、日本は島ですね。海に囲まれていて、魚がいっぱい採れます。だから日本人は魚が好きなんですね。ちなみに中東でも放送された日本のドラマで、主人公のオーシン(おしん)が食べていたダイコン・メッシ(大根飯)は、実際はほとんど食べられていません。日本食と言えばスシですが、これは家庭料理ではなく……」
*73の国と地域で放映された

自国について英語で説明することは、なんと難しいのでしょう。いいえ、私の場合、日本語で説明する知識さえ不足していたのです。結局、食べ物の話に終始してしまい、無知な自分を恥じました。

海外で働く機会を得たら、日本文化についてプレゼンテーションできるくらいの準備は、しておくべきだったのです。大げさに聞こえるかもしれませんが、「私は日本代表だ!」くらいの覚悟を持って行動しなくては・・・。中東には特に親日家が多いのです。自分のせいで日本人の評判を落としてしまっては、おしんさん、先人たちに申し訳ないですものね。

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No 06 チーフの恐怖政治

全社員から、「チーフ」と呼ばれるCEO、アクバル・アル・ベイカー氏は、敏腕経営者として世界的に知られています。もともとは王族の所有だったカタール航空を、半官半民の企業として成功させました。用心深い性格で猜疑心が強く、肝心なところは決して他人任せにしません。何ごとにおいても最終的なチェックは自分自身で行いました。

*おっかないチーフ

まさに、神出鬼没!自らBMWを運転し、予告なしで私たちの職場に現れます。
「チーフだ! チーフが来たぞ!」

出発前に、搭載品のチェックをしていたCAが気づき、皆にPA(機内アナウンス)で知らせます。あわてて機外を見ると、BMWの運転席のドアが開き、白い民族衣装の男性が降りて来るところでした。推定身長165cmの華奢な体躯、猫背ぎみの細い肩、剃刀のように鋭い目つきは獲物を狙う鷹のようです。

ちょっと想像してみてください。ボーディング直前の飛行機に、JALやANAの社長が抜き打ちチェックに来たとしたら  お供も連れず単独で、自分の運転する車で滑走路わきをスイスイ走り抜けて来るなんて・・・。しかも、チーフが選ぶのはVIPの乗る特別機などではなく、何の変哲もない普通の便なのです。これでは、全く予測がつきません。
「身だしなみ確認!口紅ON、ハットON、スマイルON!」

ひゅるる……とキャビンに流れ込む、一筋の冷気。全員が動きを止めました。左側のドアサイドに、チーフが蝋人形のごとくたたずんでいます。彼はいつも、ひんやりとした空気をまとっていました。機外は40℃もあるというのに。

チーフはいきなり、トイレのドアを開け始めます。清掃状況をチェックしているようです。1つ、また1つと、機内をせかせかと歩き回り、すべてのトイレを確認していきます。その途中、ギャレーカウンターを指でこすったり、雑誌の棚やキャビンの床などに目を走らせたりしています。

「指紋---」
チーフが乗客用の収納棚(Overhead Compartment)を指し示しました。クルーが朝刊の用意をした手で触れたのでしょう。確かに、指の形をしたグレーっぽい指紋が、収納棚の白いカバーに付着しています。よく注意してみないと分からないくらい目立ちません。

「水滴---」
最後のトイレから出てきたチーフの顔が、怒りに歪んでいます。洗面台の蛇口から、ポトリと落ちた一滴のしずく。それが拭き取られないまま残っていたようでした。
*ぴかぴかのトイレは、クルーの努力のたまもの

「誰だ、ここの担当者は!」
チーフはなぜか、水滴の拭き残しにはことさら厳しいのです。担当CAの顔から血の気が引いてゆきます。私たちの処遇など、チーフのご機嫌しだいです。チーフが、「クビ」と言ったら最後、翌日には母国行きの片道チケットを渡されるでしょう。労働基準法もへったくれもありません。チーフの前でうなだれる同僚。可哀そうに・・・。

その時でした。状況を傍観していた私のところへ、思わぬ落雷があったのです。
「You!」

険しい顔のチーフが、つかつかと私へ向かって来ます。え、えっ、なになに? え、まさか、私? 彼は私の正面でピタリと足を止めました。そのまま右腕を真っすぐ伸ばし、細い人差し指を、私の顔のど真ん中に突きつけます。 
「Clean your nose!」

え、のーず? 鼻? 鼻をキレイにしろって・・・。訳の分からない私は、両手で鼻を隠しながらパニック状態です。チーフはそんな私にくるりと背を向け、足早に飛行機を去っていきました。

私の鼻から何が出ていたのでしょうか。鼻クソか、鼻毛かしら  いいえ、違いました。
「アカリ、鼻がテカってるんだよ。はい、これで拭いときな」

そんなことだったのか・・・。ゲイの同僚が差し出した、「あぶら取り紙」を放心したまま受け取り、へなへなと脱力しました。会社のトップが仕事熱心なのはよいことですが、おかげで3年は寿命が縮んでしまいました。

金のオリックスがついたCAの制帽(ハット)は、チーフの大のお気に入りです。いつ、いかなるときも、制服とワンセットで頭に載せていなくてはなりません。帰宅後にアコモの部屋で鏡を見ると、頭に一周くっきりと、線のような帽子の跡がついており、しばらくは消えません。なんだか、昔のスーパーフライみたいです。
*おでこにくっきり孫悟空

ひとたび制服を着用したら、アコモのドアを出る瞬間から「ハットON」が原則です。送迎のクルー・バスの中でもハットを取ることはできません。本社ビル内では、座学訓練の教室と従業員食堂(Canteen)、トイレの中だけが唯一、ハットを被らずに過ごせるエリアでした。授業の合間の休憩時間に、トイレまでほんの5メートル廊下を歩くにも、ハットONするのが決まりでした。これだけハット愛の強い航空会社は、世界中探してもカタールだけではないでしょうか。

万一、無帽の制服姿でうろついているのをチーフに見つかれば、またたく間にクビの2文字が天から降臨してくるでしょう。クビとまではいかなくても、降格処分(Promotionの逆で、Demotionと言います)は日常茶飯事。昨日のマネージャーが今日の平社員なんて、カタール航空では、さして珍しいことではありません。

「あれ、〇〇マネージャー、名札が平社員になってる」
「しぃー、聞こえちゃうわよ! He’s been demoted!」

このようなやり取りが、会社やアコモのあちこちで囁かれたものでした。日本企業の部長さんなら、プライドがズタズタで出社できないかもしれませんね。

チーフによる従業員の独裁的支配は、身だしなみ規定だけに留まりません。私の在籍中には、「3年間結婚禁止令」という驚愕の不文律が存在していました。女性CAは入社から3年以内に結婚してはならず、3年間待てない場合は仕事か結婚かの選択を強いられるのです。実は私もこれに当てはまってしまい、2年7ヶ月でやむなく退職しました。不可解なのは、入社前から結婚しているのはOKなのです。

イスラム社会では(建前は)、不純異性交遊が禁じられています。未婚で入社した女性がドーハで知り合った男性と恋愛し、会社のアコモに連れ込むなど風紀が乱れる、という考えなのでしょうか。それでは「3年」という縛りは、どういう意図があってのことでしょう。5年や10年にすると、嫁に行き遅れてしまうからでしょうか。私の周囲では誰も、明確な答えを知りませんでした。

後で聞いたところによれば、私が退職してすぐ、アコモに門限までできてしまったそうです。イスラム圏で働くことは、特に女性にとってタフなチャレンジとなるでしょう。しかし大変なことが多い分、日本国内では得られない様々な学びもあります。「日本の常識」イコール「世界の常識」では、決してありませんものね。

違いを楽しもう!という心意気で逞しく日々を過ごせば、過酷な状況においても、幸せの種はきっと見つかるに違いありません。

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No 07 マルチナショナル・エアライン!

結核、急性灰白髄炎、ジフテリア、破傷風、腸チフス、A型肝炎、B型肝炎、細菌性髄膜炎・・・。

カタール航空のクルーは乗務を開始するにあたり、上記8種類の予防接種を受けていることが必要です。

なかには期間を開けて複数回、注射を打たないといけないものもあります。訓練終了と同時に始まる乗務に備え、採用の内定が出た直後から接種を開始しました(当時)。

私はドーハへ来る前に、いくつかの航空会社に勤めましたが、ワクチンの接種は義務づけられていませんでした。こんなふうに注射漬けになった経験は初めてで驚きました。この数年後に入社したエミレーツ航空でも、やはり同様の予防接種を受けさせられました。

外資航空会社によっては、日本人Crewは、本国と日本を結ぶ単一路線のみに乗務します。中東の航空会社ではCrewの国籍に関係なく、世界中の国を訪れるので、あらゆる感染症の抗体をもっている必要があるのでしょう。しかも、予防接種の効果は永久に続くわけではありませんから、定期的に注射をしなくてはなりません。Crewは各自で「ワクチン手帳」を管理し、有効期限のチェックは業務の一環とされていました。(*世界150都市以上に就航)

注射さえ我慢すれば世界中を飛び回れるというのが、この仕事の醍醐味です。加えて、中東の航空会社のよいところは、マルチナショナル(多国籍)な環境で働けることでしょう。世界100ヶ国以上のCrewで構成されています。

こんなに多種多様な人々の中で働くことが、いったい他のどの企業で叶うでしょうか。これまでの価値観が崩壊するようなショッキングな出来事もありましたが、お金を払ってでも得たい経験、働く価値のある魅力的な職場だと、私は信じています。

*中東のクルーはマルチナショナル!

この国に外国人労働者が多いのには理由があります。基本的にカターリ(カタール人)は、あくせく働きません。生まれ落ちた瞬間から、政府の手厚い保護が受けられるのです。

税金は無料、幼稚園から大学まで授業料も無料、光熱費、水道、市内電話も無料、医
カターリは贅沢三昧の日々

療費も無料、何から何まで無料、無料、無料! カターリであるというだけで、海外留学の奨学金(たぶん返済不要)も支給されますし、土地も(恐らく無料で)貸してもらえます。投資やギャンブルなどで身を持ち崩さないかぎり、生涯、食い逸れることはないでしょう。

カターリ男性は当然、白い民族衣装が汚れる仕事などしません。女性は見合い結婚するまで家事手伝いの人が多いようです。そこで肉体労働の全般を、私たちのような外国人労働者が請け負います。カタールの総人口のうち90%が外国人、カターリはわずか10%だけでした。 

隣国のUAEも似たような状況なので、たくさんの労働者が必要です。2006年当時、カタール航空、エミレーツ航空、エティハド航空の間には、「クルーの引き抜き禁止協定」が結ばれていました。遵守期間は在職中と、退職日から1年間です。私のようにカタールを辞めて丸1年待てば、エミレーツを受験することができます。

異人種・異文化が入り乱れての暮らしは、争いごとなど多いのではないか、治安が悪いのではないかと不安になるかもしれません。ところが、意外と大丈夫。犯罪発生率は日本より低いくらいでした。砂漠区域には人が住めず、居住地が狭いので監視の目がゆき届き易いこともありますが、警察官の人数が、とにかく多いのです。国の経済力の豊かさを象徴していますね。

実を言いますと私も一度、逮捕されかかったことがありました。すっかり乗務に慣れた頃、後に夫となる日本人男性と知り合いました。忘れもしない、3回目のデートの帰りです。彼の運転する車でアコモに戻ったのは、夜10時前後だったと思います。なんとなく別れ難くて、門の前に車を止めたままエンジンを切りました。もしかして、初キッスかしら・・・。彼の顔が近づいてきます。

ピカーッ!!
崖下の砂地に潜伏していたパトカーが、対向車線から突如現れました。ヘッドライトがまぶしくて、目を開けていられません。

「そこの2人! 車内で何をしている!」
わいせつ行為をしていると判断されてしまったのです。
「結婚証明証を出せ」
もちろん、そんなものはありません。

幸い、彼がカタールIDカードを所持していたことと、勤務先がドーハで名のとおった日系企業だったことで、「今回だけだぞ」と、大目にみてもらえました。このことがもし公になっていたら、私はカタール航空をクビになっていたでしょう。本当に命拾いしました。

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No 8 出会いを呼ぶ街 —その1—

富裕国のカタールでも有数の大富豪、「ミスターD」から電話があったのは、乗務生活が始まって間もない頃のことでした。こちらで買ったばかりの携帯電話が鳴り、見たことのない番号が表示されています。

「アイ アム ミスターD」

その一言だけで、高貴な人物だけがもつ威圧感がビーンと伝わってきました。あなたなど知りませんよ、とは間違っても言えません。圧倒されて息を呑みます。

「私のワイフが、日本人の君と会いたがっている」

日本人が入社したことを、どうして知っているのでしょう。しかも携帯電話の番号まで・・・。

しかし何故かしら、会うべきという強い直観が働きました。とりあえず彼の「ワイフ」と会うだけなら、それほど警戒する必要はなさそうです。第一、誰かの電話番号を入手することなど造作ないのですから、その気になれば私を拉致することだって可能でしょう。腹をくくった私は、待ち合わせの日時を決めて電話を切りました。傍らにいたアコモのシェア・メイト、タイ人のボンちゃんが私に尋ねます。

「もしかして、ミスターDだった? それとも、ミセスから?」

 

 

 

 

 

*バンコクの金ぴかVIP病院

バンコク便のファーストクラスを頻繁に利用するD夫妻は、タイ人クルーの間では有名でした。タイは医療ツーリズムに力を入れており、バンコクにはミスターDお気に入りの超豪華VIP病院があるのです。彼には糖尿病の持病があるようでした。

夫妻はその便に乗務していたクルーから、私のことを聞いたのでしょう。ボンちゃんは先輩クルー経由で、私の連絡先を教えてほしいと頼まれたそうです。

「ごめんね、勝手に教えちゃって」

先輩の頼みなら断れません。それに、思わぬ話の展開に、ちょっとワクワクしてきました。

ボンちゃんの話によると、D夫妻の出会いは英国留学中。ミセスの本名は恵美子さんといいます。留学期間の終了と同時に、結婚するつもりで、ミスターDは恵美子さんをドーハへ連れ帰ったのです。しかし、厳格なイスラム教徒である一族の猛反対にあいます。それでも意志を曲げなかった彼は、莫大な財産の相続権を一切放棄してまで、恵美子さんとの結婚を選んだのです。

最終的には、彼の熱意に心を動かされた一家の長老から、赦しが下り、恵美子さんの改宗のあと、大富豪D一族の長男夫婦として受け入れられたのでした。イスラム教徒は一夫多妻が普通で、裕福な家庭なら4人の妻をもつことができます。いわばトロフィー・ワイフ的な、男性の経済力の象徴ではないでしょうか。しかしながらミスターDは、恵美子さんの他には決して妻を娶(めと)ろうとしませんでした。2人の物語はカタールで最も有名な、真実のラブ・ストーリーなのです。

数日後、娘を連れたミセスDは、約束の5分前に待ち合わせ場所に現れました。柳の枝のように細身で控えめな印象、身につけているものは清々しいほどさっぱりと簡素でした。本当のお金持ちとは、こういうものなのでしょうか。

 

 

 

 

 

てっきり、こんな感じかと…

岩石のように大きいダイヤで着飾った、英国仕込みのエリザベス王朝風マダムを想像していた私には、ちょっと拍子抜けするくらいです。

しかも召使いを連れず、自分の運転で来ていました。年齢は40台前半というところでしょうか。化粧っ気のない日焼けした笑顔で、「カタール企業に日本人お独りで、何かと大変でございましょう。お困りのことがあれば、ご相談くださいませ」と言ってくれます。中学生の娘さんは多少危なっかしい日本語で私に挨拶し、はにかんだ笑顔を浮かべました。

ミスターDの言っていた、「ワイフが君に会いたい」というのは、どうやら「独りぼっちの日本人」である私を、心配してくれていたようなのでした。アラブ人の大家族に嫁がれたときのご苦労は、相当なものだったに違いありません。ご自身の経験を、私のカタール航空での状況と重ね合せたのではないでしょうか。同胞の身を案じてくれたミセスDの優しさに、強く胸を打たれた瞬間でした。

それ以降、彼女は私をお茶会に招いてくれたり、男女別室で行われる中東スタイルの結婚式に出席する機会を設けてくれたりしました。好奇心旺盛な私に、カタールならではの体験をさせてあげたい、という心遣いだったのでしょう。私のほうも、ミセスDからの協力要請があれば駆けつけ、現地で困っている日本人を助けてあげたりしました。つかず離れず、ほどよい距離感のミセスDとの交際は、私がドーハを去る日まで続きました。

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No 9 出会いを呼ぶ街 —その2—

 

 

 

 

 

カタール最大のモール「シティーセンター」にはスケートリンクも

アコモからタクシーで15分の「シティーセンター」は、ドーハで一番大きなショッピングモールです。ちょっとした買い物は徒歩で行けるファミフー(ファミリー・フード・センター)で済ませていましたが、せっかくの休日だったので足を延ばしてみたのでした。

ぶらぶらとウィンドー・ショッピングをした後、モール内の大型スーパーCarrefourに寄ります。興味本位で日本食材の輸入品コーナーを覗き、一人の男性に目を留めました。タカラ本みりんのボトルを片手に、真剣な表情です。日本人かしら? 

 

Carrefourは中東に多いフランス系のスーパー

横目でちらちらと観察します。顔のつくりだけでは分かり難くても、品物を手に取る動き、立っているときの姿勢や歩き方を見れば、日本人かどうか判別がつくものなのです。彼は賞味期限をカウントしているのか、親指から順に1、2、3と指を折りながら数えます。これは! まさしく日本人特有の数え方です。

焼き海苔、お酢、マヨネーズは現地で購入可能

 

日本人、みーっけた! 確信のあった私は声をかけました。
「日本の方ですか?」
突然、日本語で話しかけられた男性は、きょとんとした顔で私を見返します。それから合点がいったように、笑顔をつくって言いました。
「ワオ! ユー スピーク ジャパニーズ!」

どうやら私のことを、日本語が堪能なアジア系外国人と勘違いしたようでした。

いいえ、私も日本人ですと笑いながら、食品棚の前で自己紹介を始めます。その男性、大手商社駐在員の宮根さんは、照れたように頭を掻きながら言い訳しました。
「ドーハの日本人は全員、顔見知りなので」

私のような未確認飛行物体に遭遇するはずはないと、日本語で話しかけられても、にわかには信じられなかったようです。宮根さんとの出会いがきっかけで紹介が紹介を呼び、私の交友関係は一気に広がりました。この日を境に私も、「ドーハの日本人は全員、顔見知り」となっていったのです。

 

 

 

 

 

ドーハ中央卸売市場

料理が得意な宮根さんは、現地の新鮮な魚で、お刺身を振舞ってくれることもありました。朝市で直接アラブ人と交渉し、食材を仕入れることのできる、唯一の日本人だったと思います。一度、私も連れて行ってくれ、魚の選び方やさばき方を教えてくれました。

私の入社した当時、ドーハの日本人コミュニティーはとても小さなものでしたが、家族のような温かさがありました。小規模だからこそ、身を寄せ合い、支え合ってゆこうという気持ちが生まれるのかも知れません。

「住んでみて、一番よかった国はどこですか」と、度々聞かれます。私にとって、答えに迷う質問のひとつです。何かに順位をつけることは、難しいものですね。

 

 

 

 

 

CAには国境を跨ぐ出会いがあります

その国の印象をつくるのは、そこで出会う「人」ではないでしょうか。一緒に大声で笑ったこと、悲しいね、悔しいねと涙したこと・・・。誰かと分かち合った感動の体験が、その土地の印象として、私の心に刻まれていったような気がするのです。CAの仕事をとおし、あなたにも素晴らしい出会いがたくさんあるよう、心から願っています。

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No 10 びっくり、どっきり中東フライト

カタール航空で乗務し始めてから、毎日が驚きの連続でした。

ライン・アウトの直後は、短距離のイントラ・ガルフ路線(イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、バーレーン、UAE、オマーン)からのスタートです。近隣諸国間の往来は、ほとんどが単身赴任する出稼ぎ労働者たちでした。搭乗を終えた機内は、むせ返るような熱気と男性の体臭に満ちています。


 

清掃員や建設作業員として働く肉体労働者たちの待遇は、かなり酷いものです。あるタクシー運転手から聞いたのですが、20㎡のスタジオルーム(ワンルーム)アパートに男性8名が寝起きし、里帰りは年に1度きりということでした。

貧しい家庭の出身者がほとんどですので、飛行機に乗り慣れていません。(初めての人も多かったのです)好奇心で肘かけのコールボタンを連打したり、「ベルトを締めてください」と注意すれば、履いているズボンのベルトを締め直したりします。

トイレの使い方が分からず、蓋を上げずに「大」をしてしまうことも結構ありました。鎮座する立派なブツを発見しないか、持ち回りのラバトリー・チェック(トイレ内の清掃・保安確認)の際は毎回ドキドキしました。大当たり!してしまったら覚悟を決め、手袋や消毒剤で完全防備します。「健闘を祈る」と、クルーの皆に見送られ……。爆発物処理班にでもなったような心境でした。

カイロ便では何故か、鎮痛・解熱剤「パナドール」が大人気です。搭乗直後から、着陸して降機するまで、絶え間なくパナドール・コールが続くのでした。エジプト人は、この薬がとにかく好き。大阪のおばちゃんにとっての「あめちゃん」くらいに、愛着のあるアイテムかもしれません。客室中のファースト・エイド・キット(救急箱)のパナドールが、カイロ往復便ですっからかんになりました。

カタール航空では、客層に合わせたミールのチョイスも独特でした。路線によっては、チキンorビーフ?ではなく、ベジorノン・ベジ?なのです。ヒンドゥー教徒の多い場合は、「菜食か、肉食か」のチョイスでした。いつもベジタリアン用のミールを大めに搭載したのは、肉抜きのミールなら両方の人が食べられるからです。

最も手を焼いたのが、「お祈りコントロール」でした。イスラム教徒は、日に5回の礼拝が義務づけられています。戒律によれば、旅行中は免除となるはずなのですが、敬虔な信者となると、決まった時刻にお祈りせずにはいられません。物心がついたときからの習慣ですから、気持ちは分かるのですが・・・。

離陸直後にいきなり立ち上がったり、着陸すれすれのタイミングで床にひれ伏したりします。私たちCAも、危険で席を立つことはできません。CA席からジェスチャーで、危ない、座って!と訴えても、PA(機内アナウンス)で叫んでも、お祈りに夢中で聞いてくれません。とにかくケガをしませんように  。離着陸の11分間は私たちにとっても、ある意味、お祈りタイムとなるのでした。

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No 11 ドーハ自爆テロ事件~平和ボケ のんきな日本人 ‐その1‐

連日、日本のマスメディアが報道するコロナ騒動  。現在ベトナムのホーチミンに住んでいる私は、距離がある分、日本の状況を少し客観的にみています。初期対応に始まり、後手、後手に回ってしまった感のある日本政府の対策。それが私に、17年前にドーハで起きた爆弾テロのことを思い出させたのでした。

 

*犯人の乗る車が爆発し、火の手が上がった

 

2003年3月20日の夜、シェークスピア劇を上映中劇場の前で自爆テロが発生し、イギリス人男性1名が死亡、2名が負傷しました。これが今日までにカタール国内で起きた、唯一のテロです。

この日、私は日本人駐在員のグループと、市内のレストラン「ムーン・パレス」で夕食をとっていました。韓国人夫婦が経営するムーン・パレスでは、リーズナブルな値段で韓国風和食を食べることができます。

 

*駐在員のオアシス、「ムーン・パレス」

接客を取り仕切るミセス・ムーンは、適度なふくよかさと色白美肌の持ち主。中年女性にしか出せない、オンナの色気を漂わせています。店名のとおり、月の光のような慈愛に満ちた輝きを放ち、「もし楊貴妃が生きていたら、こんな感じかしら」と思わせました。彼女を目当てに、店に通う男性客もきっと多かったことでしょう。

今夜は特別に頼んで個室にしてもらいました。男性陣はアルコールのボトルを持ち込み、宴会ムードです。イスラム教国では高級ホテルのバーなど、限られた場所以外では飲酒ができません。外国人居住者は「リカーパミット」という酒類購入許可証を取得すれば、たった1件しかない国営の酒屋で購入することができます。

値段については、買うのがバカバカしくなるほど高く、更に2020年から関税が100%に上がりました。つまり、仕入れ値の倍です。それでも、娯楽の少ない(もちろん、風俗店もない)ドーハでは、酒でも飲まないと「やってられねぇ」のでしょうね。

皆さんアルコールがまわり、宴もたけなわとなりました。下戸の私だけが、冷茶をチビチビと・・・。そのとき、石油掘削ドリルの販売会社に勤める、徹さんの携帯電話が鳴りました。こんな時間ですから、緊急連絡に違いありません。英語でのやり取りのあと、緊張した面持ちの徹さんが、私たちに情況を説明してくれました。自爆テロがあったらしい・・・。

宴会などしている場合ではありません。私はすぐさま腰を上げました。しかし見回すと、立ち上がっているのは私と徹さんだけです。我先にと帰宅すると思われた駐在員たちは、お互い顔を見合せているだけで、動く気配がありません。

「ドーハは警察官が多いし、きっと大丈夫ですよ。とりあえず、今夜は・・・まさか、連続で2発ってこともないでしょうし」

「ターゲットは欧米人ですよ。少なくとも、こんな個人経営のレストランが狙われることはありません」

そーだ、そーだと、酒宴は再び盛り上がってしまい、他に誰も席を立とうとはしません。そうしている間に、徹さん以外の携帯電話も鳴り始めました。現地の事情に詳しいスタッフから、次々と注意喚起の連絡が入っている様子ですが、誰一人まともに相手をせず、生返事をして切ってしまいます。こういう雰囲気になってくると、さすがに「俺は帰るよ」とは、言い出し難いかもしれません。

彼らの行動に不信感を抱いた私は、「あまり遅くなると怖いので」と、先に失礼することにしました。普段から肝っ玉の小さい徹さんは、私に便乗して抜け出そうと思ったのか、「アコモまで送ってあげる」と申し出てくれます。

「駐在員の危機管理能力って、どうなっているのかしら。本社に迷惑をかけないように、慎重に行動しようとは思わないの?」

車の中で、徹さん相手にこぼす私でした。

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No 12 ドーハ自爆テロ事件~平和ボケ のんきな日本人 —その2—

経験したことのない事象に対するファースト・アクション、これが日本人の弱点かもしれません。研究開発の現場においても、ゼロからの構築よりも既存の物を改良することのほうが、日本人は得意であるような気がします。

大きな自然災害が起きると、被害状況を調査し、問題点を徹底的に洗い出し、経験を活かした対策で次に備えるのが日本人です。地震予知の研究や津波の対策については、世界的に高い評価を得ていると聞きました。

私たちは、失敗してしまったり問題を起こしてしまったりすると、潔く非を認めて自分を責める傾向があります。(私の経験上、他の民族はまず言い訳をします)、この「反省力」と「応用力」の高さが、日本人の強みではないでしょうか。

 

普段は昼寝ばかりしているベトナムの男たちですが

 

対照的に、現在、私の住むベトナムの人々は、日々を刹那的に生きている印象があります。ですから、人生設計を立てたり、将来のために貯金したりすることが苦手なのです。「物ごとは、どうせ計画どおりに進まないから」というのが彼らの言い分です。

 

理想のもと団結したときの瞬発力は凄い

 

色々なことを想定しながら生きていないので、毎日が想定外のことだらけ・・・いいえ、そもそも想定ということをしないから、想定外というものも存在しないですね。経験したことのない事件が起きてもパニックになりません。今回のコロナ対策で、ベトナム人の取ったアクションは素晴らしいものでした。

「同胞諸君、君たちは戦士だ!」
ベトナム政府は、プロパガンダで国民を鼓舞することに長けています。男たちのベトコン魂に火がつき、魔女狩りのような冷徹さで、あっという間に中国人を駆逐しました。感染者が多く出た国からの入国は、即座に徹底拒否。日本に対する措置も検討中です。

前述のテロ事件の夜、ドーハの日本人駐在員は緩慢な態度でした。今回のコロナ発生当初も、国民だけでなく政治家までも危機感が薄く、のほほん~としていたように感じませんか。それにより、初期対応が遅れてしまいました。しかし、そう言う私だって、「もし役人の立場だったら、正しい判断はできていたか?」と問われれば自信はありませんから、本当は批判する資格などないのでしょうが……。

 

戦争のない平和な環境で育った私たち

 

ドーハでは、自爆テロという想定外の事件に遭遇し、どう対処したらいいのか分からなかったというのが、駐在員たちの本音でしょう。戦後生まれの平和ボケ民族には、テロという言葉に現実味がもてません。最悪な事態から目を背けたくなる、「自分だけは大丈夫」と思いたい気持ちも分かります。

駐在員はまだいいほうです。いざというとき助けてくれる、「日本本社」という後ろ盾があるのですから。海外ベースで働く外資系CAの多くが現地契約です。丸腰で乗り込み、何でも自分で解決して、現地の生活に溶け込んでいく逞しさが要求されます。

 

海外での一人暮らしは危険がいっぱい!プライベートでも危機管理は大切

 

危機管理も自分だけが頼り、自分の身は自分で守るのです。海外では母国にいるときとは勝手が違うのだと、肝に銘じておきたいものですね。(脅かすつもりはありませんが)万が一、人質にでもなれば、政府を巻き込む事態となってしまうかもしれません。

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No 13 タク運ストーカー、バブーちゃん

 

夏季の気温は日中45℃を越え、屋外活動は日が沈んでから。クルー仲間と月夜の砂漠でBBQ!

 

野菜、果物、米、洗剤にトイレットペーパー・・・。アコモ前にあるスーパー「ファミフー」までは徒歩5分ですが、灼熱の砂地を歩けば数秒で汗が吹き出します。肌に張りつくシャツの不快感を想像すると、外出が億劫になってしまうものです。幸い、この国のタクシー料金は手ごろで、初乗りは当時で3リヤル、90円くらいでした。日本なら当然、歩く距離でも、日中はタクシーを使ってしまいます。

 

インドの桃源郷とも呼ばれるケララ州

 

個人タクシーの運転手、ミスター・バブーは、インドのケララ州出身です。インド最南端に位置するケララは、緑豊かなインドの楽園。その土地柄か、ミスター・バブーはインド人にしては純朴そうな、おっとりとした雰囲気でした。(カタール航空で働くインド人は首都デリー出身のエリート層が多く、スノッブで鼻持ちならないのです)

スーパーの駐車場でたまたま彼のタクシーを拾い、降り際に「コール ミー」と携帯電話番号を渡されました。暑い中、通りで流しのタクシーを捕まえる手間が省けます。喜んだ私は、次回から彼を呼び出すようになりました。

気心が知れてくると、「バブーちゃん」、「アキラ」と呼び合う仲に。(「アカリ」の発音が難しいようで、いくら訂正しても「アキラ」に戻ってしまうのです)買い物が終わるまでファミフーの駐車場で待っていてくれるので、往復利用できて助かります。特にラマダン(断食月)の期間中は、運転手も断食するのでタクシーを拾うことが困難です。バブーちゃんの存在は、私の快適ライフに欠かせないものとなっていきました。

*昔はオンボロの個人タクシーが主流

お抱え運転手バブーちゃんとの蜜月関係は、しばらくの間続きました。様子がおかしくなってきたのは、彼の電話番号を同室のピエウやボンちゃんに教えてあげてからです。私の不在中、シェアメイトたちがタクシーで困らないようにとの配慮でした。しかし、バブーちゃんは明らかに不満そうです。

「アイ ウォント アキラ オンリー」

他の者から呼び出されるのは嫌だと言います。もともと流しのタクシーですし、勝手に電話番号をばらまいたのは悪かったかもしれません。反省した私は、自分だけの利用に留めることにしました。

これが彼の誤解を招いてしまうとは・・・。シェアメイトたちから呼び出されなくなったことで、私自身、バブーちゃんが他の女性と接触することを好まない、つまり「彼に気がある」と勘違いさせてしまったようなのです。

ある日、いつものようにバブーちゃんに連絡すると、「すぐには行けない、30分後くらい」と言います。きっと、別のお客さんを送っているところなのでしょう。しばらくして彼から、「到着した」と電話が入りました。私はアコモのロビーへと降り、待機していた車に乗り込みます。
「マイ ディア アキラ・・・」
私を見つめるバブーちゃんの瞳が、今日は心なしか熱を帯びているように感じました。

「アイ ギブ ユー ジス」
助手席に積んだ買い物袋を、重そうに持ち上げます。手渡された袋を開けると、私がいつも買っているアル・マライの牛乳とヨーグルト、焼き立てのアラブ風の薄パン、好物のヒヨコ豆のホムス、ピスタチオナッツ、オリーブやマスカットといった果物が入っています。待たされた30分の間に、買い物を済ませてくれたのです。驚いたことに、私が作成した買い物メモのアイテムと、完全に一致していました。

 

ファミフーでは、食料、日用品だけでなく、店内で作るパンやお惣菜も販売

 

何度もスーパーに同行しているので、いつも購入するアイテムを学習したのでしょう。食べ物を消費する休日の数と買い物の頻度から、冷蔵庫内の在庫状況まで割り出すとは・・・。ちょっと気味の悪さを感じつつも、お礼を言って財布を取り出します。
「ノー!」 
いかにも心外だというような、悲しそうな表情。
「バブー、 テイク ノー マネー フロム アキラ!」
私と金銭のやり取りはしたくない? いったい、どういうつもりでしょう。

「ユー アー マイ ワイフ・・・」

その日から、私はバブーちゃんと絶縁することに決めました。彼からの電話はもちろん無視します。するとバブーちゃんは、呼び出してもいないのにアコモの駐車場に待機するようになりました。色恋に免疫のない、田舎出身のバブーちゃん。居酒屋や風俗店のないドーハですから、若い男性にはストレスのはけ口がありません。だからバブーちゃんの頭の中では、妄想が際限なく膨らんでしまったのでしょう。

 

 

警備員から出入り禁止にされるまで、バブーちゃんは毎日アコモを訪れ、忠犬ハチ公のように私を待っていたそうです。今思うと、可哀そうなことをしてしまいました。

 

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No 14 はけ口がない出稼ぎの男たち

私たち女性は、その気はなくとも男性の欲望を刺激してしまうことがあるかもしれません。日本ではいたって普通のノースリーブやミニスカートの服に、ムラムラしてしまう人もいるかと思うと、中東では注意しなくてはなりませんね。

ドーハよりずっと開放的で、外国人観光客の多いドバイでも、不愉快な目に遭いました。タクシーの運転手がバックミラーに映る私の姿をオカズに、自慰行為を始めたのです。左手でハンドル、右手でイチモツを握り上下運動・・・。最後にダッシュボードに載せたクリネックスの箱から、しゅしゅっとティッシュを2、3枚抜き取ってニンマリ。私は途中から気づいていたのですが、無視しようと決め、しかめっ面で窓の外を眺め続けました。車という密室で口論になり、連れ去られでもしたら大変ですからね。

目的地に着きタクシーを止めた運転手は、後ろにいる私のほうに身を乗り出してきます。そして、「サンキュー、サンキュー」と言いながら、握手を求めてきたのです。キャーっと彼の手を振り払い、メーター分のお金を投げつけるようにして走り去った私でした。

「根強く残るやまとなでしこ幻想のせいで、日本人女性はつけ込まれやすいのだ」という意見もあります。

 

日本は男尊女卑、従順な女性が多いと 勘違いしている外国人も未だに多く

 

実は私、訓練生のときに、本社のキャンティーン(社員食堂)で、いきなり従業員からキスされたことも・・・。しかも頬や額にではなく、マウス・トゥー・マウスで「ぶちゅー」っと。犯人はフィリピン人の若者です。あまりの衝撃に、声も出ませんでした。起きたことを事実として受け入れたくなかった私は、つんと澄ました顔でお会計し、無言のまま教室に戻ったのです。

2人きりのときを狙われたので証人はいませんでしたが、防犯カメラが一部始終を捕えていたのでしょう。翌日から彼の姿を見なくなりました。

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No 15 はやぶさVIP

カタールで大切にされている動物は、会社のシンボルでもある国獣のオリックスであると、以前にお話ししました。では、中東全域ではどうでしょう。富の象徴として所有されるのは、有名なアラブ種の競走馬とラクダです。ラクダなんて、なんの役に立つのかしら……と思われるかもしれませんが、お乳も、お肉も食べられますし、ラクダのレースは競馬に並ぶ人気なのです。搾乳用は1頭70~100万円、競走用は200万円前後もします。

 

低脂肪低カロリーのラクダ乳、味は塩気があり日本人には概ね不評。ドーハのラクダレース場Al Shah Aniya Camel Racetrack

 

馬もラクダも、犬のように身近でかわいがるには、サイズが大き過ぎるかもしれませんね。(ちなみに犬は、イスラムの教えでは不浄な動物。古来種の猟犬以外は触っちゃダメ)そこで、アラブの富豪たちがペットに近い感覚で愛でるのが、「ファルコン(和名:はやぶさ)」なのです。

飼い慣らした猛禽類を山野に放って行う狩猟、「鷹狩り」は中東が発祥だと聞きました。日本で使われるのは、タカ科のイヌワシ、オオタカ、ハイタカのようですが、中東ではハヤブサ科のハヤブサです。そして鷹狩りは現在でも、野性味溢れる男の趣味として、お金持ちや王族の間で盛んに行われています。

 

 

 

ファルコンを連れて、近隣国の狩場まで飛行機旅行! そんな贅沢が、洒落者のカターリ(カタール人)男には許されているのです。おや、確か、「客室へのペットの持ち込み禁止」というルールがあったはず・・・。いいえ、ファルコン様は、ただのペットではありません。パスポートだってお持ちなのですから!

 

カタール政府発行、ファルコンの個人(個鳥?) パスポート

 

飼い主は追加料金を払って、隣の席をファルコンのために確保するのです。
「本日のフライト、ファルコン様ご搭乗!」
情報を受けた私たちCAは、指定された座席の床に新聞紙を敷いて待機します。糞が付着するのを防ぐためです。

 

これはチャーター機? 通常運航では鳥数に制限あり

 

ファルコン様は、「フード」と呼ばれる頭巾状の目隠しをされています。こうしておけば、羽をばたつかせずに大人しくしているのです。フライト中の飲食(フードをしていると欲しがらないようですが)の世話は、飼い主自身で行います。以前はビジネス、ファーストクラスにも搭乗可能だったのですが、今は規則が変わっているようです。エコノミークラスのみ、1人1羽まで、1機につき6羽までとなっています。

 

会社も宣伝:Bring your falcon on your flight to Doha!

 

あなたがファルコンの隣席になってしまったら、どうしますか? やはり、ちょっと怖いでしょうか。たまたまかもしれませんが、私の在籍した3年間、ファルコンがらみのクレームは一度も受けませんでした。座席を移動したいと言われたこともありません。この地域の人々はファルコンに対して、特別な敬意を持っているのでしょう。政府がパスポートを発給してしまうくらいですからね。

ファルコンの隣は気にしないアラブ人たちも、男女の配列にはとてもセンシティブ

座席移動の理由で最も多かったのが、女性からの、「男性の隣はイヤ」というものでした。家族以外の男性と接触してはならない、イスラム女性たち。チェックインの際に座席のアレンジには気を配りますが、満席の便に時間ギリギリで現れたりすると、希望に沿えないこともあるのです。

黒装束「アバヤ」を着た女性たちが機内に乗り込んでくると、CA同士で目配せし合います。座席に案内がてら、隣が男性客でないことを見届けなくては・・・。もし男性なら、ほぼ100%の確率で、座席移動をリクエストされるからです。早期発見、早期対応が、オン・スケ(定時)運航の鍵を握ります。

周囲の乗客は、わりあい協力的です。座席の移動を頼まれて「No」と答えれば、「なんて了見の狭いヤツだ」と、他の乗客から白い目で見られ、CAたちから総スカンを食うでしょう。このケースで協力を拒まれたことは、まったくありませんでした。

 

黒いアバヤからも美しさが駄々漏れのカターリ女性

 

状況を察して、自ら座席交換を申し出てくれる紳士も多かったです。美しいカターリ女性から感謝されて気分がいいですし、乗客たちからは拍手、フライト中はCAがちやほやしてくれます。ちょっとしたヒーロー気分が味わえるので、人助けだと思えばお安い御用?かな。

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No 16 訓練打ち上げパーティ

会社外で初めて、ムスリム(イスラム教徒)の友だちができました。エジプト人の「ボス」です。

彼との出会いは、訓練最終日の打ち上げパーティでした。赤点連発のローラにはヒヤヒヤさせられましたが、めでたく全員そろっての卒業です。修了証書を受け取った私たちは、いったん帰宅してドレスアップした後、ホテルのバーに集合しました。

 

ナイトクラブやバーは昭和っぽいインテリア

 

イスラム教国のカタールでも、4つ星、5つ星ホテルには、お酒を提供するラウンジがあるのです。料金は言うまでもなく、ぼったくりと言いたくなるくらいの外国人向け価格ですが、この日くらい散財してもよいでしょう。

訓練期間中にお酒を控えていた反動か、仲間たちは早いピッチで酒をあおります。2ヶ月間のストレスから解放され、飲めや歌えの大騒ぎ。例によって下戸の私は、同じくお酒の飲めないムスリム陣営で、静かにコーラをすすっていました。

何気なくバーカウンターのほうを見ると、1人の女性を中心に人だかりができています。薄暗い照明の中、淫靡に白く浮かび上がる胸の谷間……。長い脚を投げ出すようにスツールに腰掛けるタニヤは、ロシア人のバッチメイトです。本能に導かれるように群がった男たちが、タニヤに酒をおごっては、「一緒に踊ろうぜ!」と口説いているのでした。碧眼金髪のグラマー美人がモテるのは、自然界の法則か、世界共通の原理でしょうか。

シケた顔でフロアを眺めている私に、フィリピン人のニーニョが話しかけてきました。

「アカリ、訓練が終わって君に会えなくなるのは寂しいよ」

フィリピン航空で教官をしていたニーニョは、当然ながら、訓練中の成績も抜群でした。カタール航空が4社目という「プロ訓練生」である私は、彼にとって、試験で常に首位争いをする、よきライバルだったのです。

「アカリも同じ気持ち? 僕に会えなくなるのは寂しい?」
彼がおずおずと聞いてきます。どうやら、私に好意を持ってくれていたようです。ニーニョはまだ30歳なのに、妙に落ち着いた「おっさん」っぽい雰囲気で、男の色気に欠けていました。「いい人ね、でも・・・」と女性から言われてしまうようなタイプで、異性として意識したことはありません。しかし、ここは社交辞令として、「私も寂しいわ」と答えるべきでしょうか~、そのときです。

「エクスキューズ ミー」

アラブ人特有の、癖のあるアクセント。岩のように大きな体の男性が、私とニーニョの間に割って入りました。この暗いのに、サングラスをかけています。

 

 

短く刈った頭髪、意志的な太い眉、どっしりと末広がりの鼻、強靭そうな顎、重そうな頭を支える太くて短い首、肉づきよく盛り上がった肩・・・。指に挟んだ葉巻の先から、うっすらと煙が立ち上っています。エルメスのネクタイを締め、見るからに上質そうなスーツを身につけた男性は、「マフィアのボス」のような貫禄がありました。

「彼女と話したいんだが、君の恋人か?」

すっかり委縮した様子のニーニョが、激しく首を横に振ります。男性は満足そうにニヤリと笑い、ニーニョの肩をポンポンと叩きました。それを合図に、尻尾を巻いて退散するニーニョです。え、ちょっと待ってよ!私を置き去り? この予期せぬ闖入者は、いったい何者でしょう。

「私の名はアハメッド。エジプトのカイロから、3年前に赴任してきた」

サングラスを外した彼は、ポケットから名刺入れを取り出します。名刺を受け取りながら、初めて目が合いました。べっ甲色に澄んだ瞳が、柔和な光を湛えています。大きな体に似合わず、気は優しいのかもしれません。名刺の肩書は、ペプシコーラのカタール支社長です。なかなかの「偉い人」ではありませんか。

「失礼だが、君の国籍は?」

仕事帰りに1人で飲みに来ていた彼は、遠くから私を眺めて出身地を当て水量していたのです。モンゴル人でも、ネパール人でも、フィリピン人でも、中国人でもない。韓国人とも違うような・・・。彼の会社には、様々な国籍の従業員がいますが、そのどれにも当てはまりません。ついにギブアップして、本人に尋ねることにしたのでした。

「ヤバーニ、日本人です」

 

キャプテン翼は、中東では「キャプテン・マジド」

 

興奮した彼は高価な葉巻を投げ捨て、私の手を強く握りました。

「アル ハムドゥ リッラー!」(英語のオーマイゴッド!的に多用されるアラビア語)

日本に生まれてよかったと思う瞬間です。エジプトにも親日家が多いのは、やはりドラマ「おしん」の影響でしょうか。(ちなみに、漫画・アニメ界のビッグ・スリーは、ドラえもん、一休さん、キャプテン翼)

アハメッドさんは、会社で「ボス」と呼ばれているそうなので、私もそう呼ぶことにしました。ボスはムスリムなのに、お酒もタバコもたしなみます。基本的に、「商談相手に合わせる」のがモットーです。ペプシのように世界展開する企業で働くには、柔軟性が求められるのかもしれません。

私が社内でたった1人の日本人であることを知ると、「君はサムライだな」としきりに感心し、何か困っていること、欲しいものはないかと聞いてくれます。初対面の人にあれこれ頼むのも気が引けますし、「特にない」と答えました。

それを聞いたボスは、驚いた顔で私を見返してから、天を仰ぎました。

「アル ハムドゥ リッラー!」

私の謙虚さが新鮮だったのでしょう。名うてのプレイガール、ロシア人やモロッコ人の女の子に同様の申し出をすれば、あれ買え、これ買えと、たかられるのが落ちです(もちろん、そうでない場合もあります)。ボスは新しい葉巻に火を点けると、何やら思案顔で紫煙をくゆらすのでした。

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No 17 自販機に愛をこめて

「ピー、ピー、ピー、ガガ、ガ……」
翌朝、軽トラがバックする音で目が覚めました。えっちら、おっちら(では、ありませんが)、土方のかけ声のようなものも聞こえてきます。アコモの周辺で工事が行われているのでしょうか。今日は休日、心置きなく惰眠をむさぼる予定だったのに・・・。いまいましい気持ちで布団をはねのけ、窓から身を乗り出します。

 

 

見下ろすと、アル・マハの門の前に1台の小型トラックが止まっていました。荷台には大きな箱型の機材、それを降ろそうと2人の作業員が奮闘しているのです。彼らから少し離れた場所に、監督者らしき男性がスーツを着て立っています。あの人は  。この距離からでも、その体格は目立ちます。

「ボス!」

私の声に、彼はこちらを見上げました。陽を受けたサングラスが、光を反射して輝いています。ボスは口元で笑うと、私に向かって軽く手を挙げました。
「ベンディング・マシーン フォー ユー!」

 

 

私専用の自動販売機?! それをアル・マハの門の前に、設置してくれているのです。日本に住む皆さんは、「たかが自販機」と思われるでしょうが、ここは砂漠の国カタール、灼熱の街ドーハです。冷え冷えの清涼飲料やミネラルウォーターが、エレベーターを降りるだけで手に入るなんて!

*屋外にある自販機の数は、日本よりもずっと少ないのです

乗務からクタクタで帰ってきて飲み物を切らしていたとき、いちいちファミフーまで歩く必要も、タクシーでシティーセンターまで行く必要もなくなるのです。デイ・バイ・デイに電話で出前を頼むことは可能ですが、ペプシ1本すぐに飲みたいとき~、それだけ配達させるのは気が引けるので、ケバブやフライドポテトまで注文せざるを得ません。

専属タクシー運転手だったバブーちゃんとの決裂で、出不精になっていた私にとってグッド・タイミングでした。自販機の出現は、「アル ハムドゥ リッラー!」、まさに神のご加護でした。同じアル・マハに住むクルー仲間たちも、きっと喜ぶことでしょう。

昨晩、援助を申し出てくれたボスに対し、私は、「何もいらない」と答えました。遠慮されるほど、かえって世話を焼きたくなるのが人情というもの。異国で奮闘する日本人の力になってあげたいと、知恵を絞って考えてくれたようでした。本当に有難いことです。

日本文化に興味があるというボスのため、知り合いの駐在員を何人か紹介してあげました。石油掘削ドリルの会社に勤める徹さんは、特にボスのお気に入りです。彼のことを、「トーラ!」(トオルの発音は難かったようです)と呼び、一緒にお酒を飲んだり、夜の砂漠へバーベキューに出かけたりしていました。

ボスの自宅で、エジプトの伝統料理をご馳走になったこともあります。ボスがカイロから呼び寄せた下男、レダさんが料理人です。米を詰めたハトの丸焼き、オクラと羊肉のトマト煮込み、クレオパトラも食べたと言われる「美の野菜」、モロヘイヤのスープなどが食卓に並びました。シンプルで素朴な味つけは、日本人の口にも合います。初めて食べるエジプト料理の美味しさに、感激しました。後日、レダさんに頼んで料理教室を開いてもらったほどです。

 

ハマム・マシュイ(ハトの丸焼き)、バミヤ(オクラとトマトと羊肉の煮込み) ムルキーヤ(モロヘイヤのスープ)

 

食後は居間に移動してシーシャ(水タバコ)を吸い、デーツをつまみながらアラビック・コーヒーを飲むのが定番です。アラビック・コーヒーとデーツは、中東の「おもてなし」には欠かせません。カタール航空のファーストクラスでも、ウェルカム・ドリンクのサービスとして提供されています。

 

 

アラビック・コーヒーは、カルダモンという清涼感のあるスパイスが入っており、ちょっと不思議な味です。日本人にとって、「味覚の未体験ゾーン」かもしれません。

ナツメヤシの実、デーツは、干し柿のように甘くて栄養満点です。中東でデーツを買うなら、王室御用達の店、「バティール」が一番! 味も値段も最高級と言えるでしょう。

 

高級デーツ店「バティール」には、ナッツやオレンジの皮を挟んだ変わり種も

 

アラビック・コーヒーは、上澄みだけを飲みます

 

アラビック・コーヒーが出されると、ボスは決まって「コーヒー占い」をしてくれました。このコーヒーは作り方が独特で、コーヒー豆の粉と水を鍋で煮だし、濾さずにカップに注ぎます。カップの底にどろっとした粉が溜まるのですが、これを利用して占うのです。

飲み終わったカップを、底に溜まった粉ごとソーサーの上にひっくり返して置き、1分ほど待ちます。粉がソーサーへ流れ落ちると、カップの内側に川のような模様が幾筋もできるのです。ボスはそこからメッセージを読み取り、過去・現在・未来を見事に言い当てました。

 

 

ベドウィンと呼ばれる砂漠の遊牧民の間で、古くから伝わる占いということです。砂漠のテントで車座になって語り合う、アラビアン・ナイトを思い浮かべます。シーシャとカルダモンのエキゾッチックな香りに包まれた私は、キャラバンの一員になったような気分がしました。

*砂漠を移動しながら暮らすベドウィン族

ラクダレース観戦や、砂漠ツアー、美しいドーハ湾での海釣りなど、水先案内人の役目を買って出てくれたボスのおかげで、ドーハで珍しい経験がたくさんできたのです。ボスからは中東の文化を学び、アル・マハに住む同僚たちからは、それぞれの母国について教えてもらう、マレーシア人のノラ、インド人のハリシャ、ロシア人のローラ、モロッコ人のニスリン、レバノン人のファティマ、韓国人のサン、フィリピン人のシーラ、南アフリカ人のナディア、タイ人のボンちゃん・・・。1棟のアコモの中に、凝縮された世界が存在していたのです。

気心の知れた日本人同士で、助け合うのも大切です。でも、いつも日本人だけで固まって過ごすのは、もったいない気がします。相手の国について教えてもらい、日本について教えてあげる。「草の根文化交流」で、世界中に日本のファンを増やしていけたらステキですね。海外ベースで働くCAの一人ひとりが、アンバサダーではないでしょうか。

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No 18 秘密のアミリチーム

私に続いて、待望の日本人が2名、カタール航空に入社してきました。ナオちゃんと舞ちゃんです。2人共シンガポールでの採用で、ナオちゃんは銀行からの転職、舞ちゃんは元シンガポール航空のCAとのことでした。お試しで採用した私が、問題なくカタール航空に順応したので、日本人の採用に弾みがついたのかもしれません。(*カタール航空は世界中でCA採用を実施している)

タイ人のシェアメイトだったピエウが、JALウェイズに合格してバンコクに帰っていきました。部屋が空いたので、ナオちゃんは私とルームシェアすることになりました。

 

即位の礼に出席したタミーム首長

 

舞ちゃんは、チャーター便のみに乗務する「アミリ」チームへの配属が決まっていました。アミリのフライトは、王族と政府要人という超VIP用の大型プライベートジェット機による運航です。アミリとメインライン(通常乗務)のクルーは、乗務スケジュールから、給与、待遇、アコモなど、多くの面で異なります。同じなのは制服くらいかもしれません。

アミリの訓練も本社で行われるのですが、授業の内容は謎に包まれています。座学後の実機訓練にチャーター機を使うわけにはゆかないらしく、数ヶ月の間だけメインラインに乗務しました。それが終わるとアミリチームの一員として、ある意味、特殊な生活を送るようになるのです。

彼らのアコモはアパートメントではなく、基本的に一戸建てです。舞ちゃんも、ラマダ交差点近くにある、コンパウンド内の二階建ての家に住んでいました。コンパウンドとは、敷地の入口にゲートがあり、共有の中庭を囲むように家が立ち並ぶ住居のことです。

アコモは必ずアミリクルー同士でシェアします。舞ちゃんもアミリの先輩と同居していました。寝室とバスは個別で、キッチンとリビングルームが共用というのは、メインラインのアコモと同じです。やはり一戸建ては広々として天井も高く解放感があるのです。正直なところ、メインラインのクルーにとっては羨ましいものでした。

また、メインラインの有給休暇は年間30日なのに対し、アミリは45日間ももらえました。もちろん、30日間というのも、日系の会社と比べれば多いと思います。ですが、母国に恋人や家族を残してきたクルーにとって、休暇は何日あっても足りないのです。私の周囲でも、家族の絆の強いフィリピン人やタイ人のクルーは、しょっちゅう優待チケットを使って帰国していました。

ここまでの話を聞いた皆さんは、「カタール航空のクルーなら、アミリになりたいわ!」と思うのではないでしょうか。しかし、アミリにはアミリの苦労があります。なにせ、搭乗客がVIPを超える超VIPなのですから。普段はテレビで見るような人たち。日本であれば、天皇・皇后陛下、首相クラスや主要閣僚クラスを、毎回お世話するイメージです。想像するだけでストレスを感じ、体が震えてしまいませんか?

噂では、王族の方々はちょっとしたことでは怒らず、注文も多くないそうです。なるほど、と頷きました。私の経験上、ファーストクラスの乗客であっても、CAに対してわざと居丈高に振舞ったり、ここぞとばかりに何杯もお酒をおかわりしたりする人たちは、たいした大物ではありませんでした。(私の偏見だったらゴメンなさい)大きな組織をまとめる立場の人は、些細なことでイライラしないようです。こういう人たちは大局を見ているので、細かいことに捉われないのかもしれませんね。

アミリクルーは仕事中だけでなく、日常的にストレス値が高めです。「乗務スケジュール」というものが存在しないので、携帯電話が片時も離せないのです。外出は許されていますが、すぐに帰宅できる距離に限定されています。舞ちゃんと一緒に外出すると、いつも携帯電話の電波が届いていることを確認していました。

有給休暇は多めですが、ドーハでのオフ(休日)は3ヵ月間に4日しか確約されていません。それ以外は、1日24時間、週7日間、ずっとスタンバイなのです。しかしながら、フライト先では超VIPの泊まるゴージャスなホテルで過ごすこともありますし、一般人とは縁のない最高級リゾートを訪れる機会もあるでしょう。王族のバケーションに同行できるならば、娯楽の少ないドーハでオフをもらうより、ずっと楽しいかもしれません。

 

アルハンブラ宮殿を見下ろす首長豪邸(18億2400万円)

 

アミリの給料は、同じカタール航空の社員であっても秘密にされていました。拘束時間が長いので、メインラインよりは格段に多いはず   というのが定説です。よいサービスをすれば、乗客からチップを頂戴することもあるようでした。メインラインでは、乗客からのチップは辞退するのが普通ですが、アミリの場合、せっかくの心付けを固辞することは、失礼にあたるのかもしれません。

アミリの実態については、厳しい箝口令が敷かれていました。給料のことだけでなく、フライトの行先、機内での会話内容など、見たもの、聞いたことのすべてが、絶対に口外禁止なのです。アミリのアコモには、盗聴器が仕掛けられているという噂もあったほどでした。

 

文化交流に熱心なカタール王族は、何度も来日

 

女性は共感の生きもの。珍しい体験をすれば、「ちょっとォ、聞いてよ!」とシェアしたくなるのは女の性です。でもアミリクルーには、そういった楽しみが許されないのです。そこを理解してからは、舞ちゃんとはできるだけ、乗務以外のことを話題にするようにしました。ちょっとしたおしゃべりが原因で親友が解雇されでもしたら、私は一生、後悔することでしょう。

メインラインでは、特に座席数の多いエコノミークラスでは、ほとんどの乗客と一期一会です。クレームを受けたことのあるお客様と機内で再会する可能性は、極めて低いのではないでしょうか。アミリでは、乗客の顔ぶれがだいたい決まっています。一度しくじった場合、次の乗務から気まずくなるでしょう。特定の乗客との相性が悪く、「あのクルーは嫌いだから、次回から除外しろ」と言われるリスクだってあります。

乗務スケジュールについても、あらかじめ決まっているメインラインのほうが、オン・オフの切り替えができるので体調管理し易いですね。アミリのスケジュールはお客様しだいなので、プライベートの予定が立てられず、いつ電話がかかってくるかと気が抜けません。

機内サービスにおいても、路線によって内容が決まっているメインラインは、一種の気楽さがあります。アミリクルーは、食事メニューを決めるのも仕事のひとつ。お客様の好みを熟知することが必要です。昨今はアレルギーなどにも気を使うのではないでしょうか。国の宝、超VIPにもしものことがあれば・・・。 厳しく責任を追及されることは、覚悟しなくてはならないでしょう。しかし、その重圧を補って余りある、貴重な経験をできることは事実です。アラブの王様にお仕えできるなんて! まるで、おとぎ話のようですね。

アミリとメインライン、同じ会社でありながら、クルーの生活はかなり違うのです。どちらの生活にも、喜びと苦労があると思います。あなたなら、どちらを選びますか?

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No 19 キャプテン・リビアのハイジャック武勇伝

 

 

リビア人のキャプテン・モハメドは、どことなく犬に似ていました。飼い主に叱られたときに見せる、バツの悪そうな、ちょっと情けない顔をしています。色が浅黒く、身長が190センチ近くあるので、全身像はゲリラ兵のように精悍です。でも、近づいて顔を見ると、まったく威厳がなくて拍子抜けしてしまいます。そのギャップは、彼の魅力でもありました。

 

「同じ名前の人、集まれ!」イスラム教国でのモハメドさん集会ポスター

 

モハメドは、中東にとても多い名前です。イスラム教の預言者にちなんだありがたい名前で、社内はモハメド氏だらけでした。街で、「モハメード!」と叫んだら、きっと10人くらい振り返ると思います。私はこのリビア出身のモハメド機長を、「キャプテン・リビア」と呼ぶことにしました。

日本人に興味があっただけかもしれませんが、キャプテン・リビアは私のことがお気に入りでした。自分はアカリの淹れたコーヒーしか飲まないと、出発前のブリーフィングで宣言するほどです。離陸してベルトサインが消え、自動操縦に切り替わると、さっそく私を指名してコーヒーを持ってこさせるのでした。

 

エミレーツ時代

 

この忙しいときに・・・。舌打ちしたい気分でしたが、機長のリクエストを邪険にはできません。コクピット・クルーのお世話も、CAの大切な仕事のひとつ。機長がご機嫌だと、フライト全体の雰囲気が明るくなるからです。パイロットからパーサーへ、パーサーから部下のCAたちへ、CAたちから乗客へと、「上機嫌」は伝播していくのでした。
クルー間の楽しい雰囲気は、乗客にも伝わる。

いったんドアが閉められると、操縦室内の様子はキャビンからわかりません。防犯上の理由から、密室状態の時間が長くならないよう注意します。巡航中は30分おきくらいにCAの誰かが操縦室に入り、パイロットたちに異変がないことを確かめるのが決まりでした。

 

 

入室前にはインターフォンで、飲み物の注文を取ります。キャプテン・リビアのコーヒーは、砂糖多めのダブルエスプレッソ、仕上げにスチームしたミルクを少量のせたマキアート風、と決まっていました。CAはリピーターの乗客だけでなく、パイロットの好みもできるだけ覚えておきます。

コーヒーを持って操縦室のドアを開けると、振り向いたキャプテンが、「座れ」と目で合図してくるのでした。コックピット後方には、折り畳みの補助席があります。キャプテン・リビアのおしゃべりにつき合わされると、下手すれば30分くらいキャビンに戻れません。

 

 

1分でも時間が惜しいサービス中は、はなはだ迷惑でした。でも、たまにおもしろい話を聞かせてくれることもあります。最も興味深かったのが、パイロットが全員、急死した場合の着陸方法。自動操縦、自動アプローチ、自動ランディング、自動ブレーキのスイッチやレバーの位置。そして、キャプテン・リビアが若い頃に遭遇した、ハイジャック未遂事件の話でした。

カタール航空の前に、彼が勤めていたリビア航空での出来事です。空港に着陸して駐機場まで進む途中、扉を隔てた客室で悲鳴が聞こえました。その直後、CAの喉元にナイフを突きつけたリビア人の青年が、操縦席になだれ込んできたのです。1980年代のセキュリティー対策は、万全とは言い難いものでした。

「飛行機を止めろ、バックして滑走路に戻るんだ!」
すっとぼけた犯人です。車と違って飛行機はバックできませんし、目的地の変更なら上空で行動を起こすべきでした。気づいた乗客が携帯電話で通報すれば、警察か軍隊が駆けつけてくるでしょう。もしも、複数犯による計画的な犯行ならば、乗客全員が人質になる可能性もありますが・・・。旧式の飛行機なので、客室の映像が見られるモニターは設置されていませんでした。

 

 

「たった一人で、たいした勇気だね」

青年の言動から、ろくに下調べもしていない、突発的な単独犯と確信したキャプテンは、鎌を掛けました。

「まあ、座りなさい。どうせ給油しないと飛べないから」

犯人は、「一人」という言葉を否定しませんでした。

「ドアが開きっぱなしだと、君のために補助席が出せないよ」

操縦室のドアを閉めさせるときに、「席が足りない」という理由でCAを解放させます。着席した犯人は、いくぶん興奮が収まったようです。顔を見てみると、二十歳そこそこの若者でした。

 

 

「食うか?」

おやつに常備している、キットカットを差し出します。予期せぬ展開に、青年は戸惑った様子です。キャプテンの「叱られた犬」みたいな顔は、魔法のように相手の警戒心を解いてしまうのです。ほら、と促された青年は、キットカットを受け取りました。

「シュクラン(ありがとう)」

ついお礼の言葉が出てしまい、「しまった!」という顔をしています。すっかりキャプテン・リビアのペースです。

「そこに掛かっている上着のポケットに、財布が入っている。持って行きなさい。君にも家族がいるんだろ?」

警察には内緒にしてやるから、お金を持って家族のところに帰りなさいと青年を諭します。

「さあ、乗客たちが騒ぎだす前に・・・」

彼はキャプテンに言われるまま、そうっとドアを開け、静かに操縦室を出て行きました。飛行機を包囲していた警官に取り押さえられたのは、当然の結末です。キャプテンは、銃声がしなかったことに胸を撫で下ろしましたが、青年の前途を思い、とても切ない気持ちになったのでした。

「犯人は、どこへ向かいたかったの?」

私の問いに、「ニューヨーク」と、キャプテン・リビアは答えます。失業と失恋が重なり、自暴自棄になっていたとのことです。「アメリカ人になって、やり直したかった」と、警察の取り調べで話していたそうです。

なんと無謀な、しかも嘘みたいな動機ではありませんか。キャプテン・リビアの作り話では・・・と、一瞬、疑ってしまいましたが、そういえば日本でも、まさかと思うようなハイジャック事件があったはずです。

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