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パリの思い出 第一話
アレアレ、フランス
!
1991 年の春、朝の5 時、私は買ったばかりのサムソナイトの大型スーツケースを率いて伊丹空港へ向かいました。伊丹から成田空港(NRT)行き国内線飛行機に乗り、それから成田で同期24
人全員集合、そして私はNRT からパリシャルルドゴール空港(CDG)へと飛び立ちます。私の乗る飛行機275 便ボーディング開始のアナウンスがゲートに流れ始めました。
私は、これからパリに行きオテス・ドゥ・レイル(=仏語で女性客室乗務員のこと)として世界デビューでございます。飛行機は滑走路を走り巡航高度約10,000
メートルに向かうところ、向かうところ敵なし! 22 才の春でありました。合い言葉はアレアレ、フランス。(日本語で言うと、それいけフランス!)
さて、時は移り、現在私は日本在住でして、パリ時代にノスタルジックになっているところ。そこで当時のとても楽しかった日々を思いだして書いてみることにしました。このサイトをご覧になられている方にご一読いただければ嬉しく思います。

カフェでオレンジーナに出会う
パリに到着して最初の朝、私は目が覚めたとき、自分が異国の地にいるという実感があまりありませんでした。実際、渡仏1
日目にしてよくぞまあ熟睡したものです。この時、私はパリ郊外の地方空港オルリー界隈のホテルの1 室で目を覚ましました。入社が決まってから、パリの地に到着するまで、東京・青山で同期とご対面、そして記者会見を受け、引き続き渡仏の準備で毎日慌ただしくて、ずっと緊張していたのですが、目的地に到着しこのホテルで一人やっと少しは落ち着けたわけです。
私は、ベッドの中でテレビのリモコンの電源をつけました。流れているのは日本のアニメ、でも言葉はフランス語、そうだパリに来たのです、目が覚めました。そして今日から研修です。急いで身支度をし、1
階のビュッフェに行かなければ、同期はもう朝食をとっている時間です。これから毎日、研修所に通い機内サービスを学びます。更に研修が終わる6月で、私たちのホテル暮らしは終わり、それまでにパリに居住するためのアパルトマンを各自探すことが必須事項となっていました。
そういうわけで、オルリーで、明るく楽しいフランス人の教官達による研修を終えると、午後はオブニー(在仏日本人向けの無料情報誌OVNI)を片手に持って、にわか雨にも負けずそよ風にも負けず、そして遊びに出たい欲望にも負けず、春のパリの街で物件巡りです。日本でも勿論そうですが、外国人が部屋を借りることはかなり労力を要するものです。それにちょうどその頃メトロのストライキ活動と重なりました。フランスの教官は私たちをからかって

「Ce n’est pas de problem, You can walk!」(たいしたことではないね、歩けばいいでしょ!)

と言い放ちますが、我々日本人、特に私は、欧米の方よりも歩くのが苦手みたいです。パリの中心部では特に道路は広くて広くて、渡っても渡っても次の通りが現れてきて、ぼんやり歩ける日本とは異なります。車は容赦もなく、信号は歩行者にとってあまりあてにはなりません。だから、歩くときはしっかり歩く、そしてのどが渇いたら、この辺りでどうでしょう、カフェに入りましょう?

On y vas?(オニヴァ! さあ、行きましょう)

初めてオレンジーナに出会ったのは、そんな物件巡りをしていた午後、確かポルトマイヨー近辺のカフェでした。さわやかな昼下がり、私たちはカフェの庭にあるテーブルに座りました。マロニエの木の下で、長身細身のギャルソンがオーダーを取りに来ます。

「Qu’est-ce que tu veux, Madomoiselle?」(女の子達、何になさいますか?)

海外経験が豊富な同期がオレンジーナを、私に勧めてくれました。

「Eh, Je veux un Orangina, s’il vou plait.」(えーっと、私はオレンジーナをお願いします)
そして初めて飲んだオレンジーナ! セ、シ、ボンであります。ノドもとで炭酸バブルがはじけます。はい、こちらがオレンジーナでございます。この瓶の形が表すように、分類としてはオレンジ系炭酸飲料水で、ジュースの中には果肉も入っています。ご自身で購入して飲む際には、軽くシェイクしてから飲むべしです。1985
年に公開されたフランス映画の「生意気シャルロット」の1シーンで、シャルロット・ゲインズブールがカフェで飲んでいたのが、このジュースです。シャルロット演じるシャルロット・キャスタンは13
才、難しいお年頃で終始物憂げな(仏語ではアンニュイウーズ ennuyeuse)な様子でしたが、それがなおのこと可愛いフランス娘、それにオレンジーナ、パリは素敵です。よかったらオレンジーナを飲んでみて下さいね。

A bientos! では、また!

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パリの思い出 第二話
カルピスウォーターでフライトに臨む

さて、第2話です。あれから3ヶ月がたち、今わたし、又、成田空港です。今日は歩いていると、時折、人の視線を感じます。何故かと言うと、この制服に身をつつんでいるからに他ありません。制服は何種類か支給され、各自季節にあわせて好きなものを着ることが出来ます。この日、私は水色のワンピースに、ストライプのスカーフ、そしてネイヴィ色のカーディガンをあわせて、髪はシニヨンでまとめています。動く歩道を歩いていると、反対車線の歩道ですれちがった、学生風の女の子達が、私を振り返り見て言っているのが聞こえます。

「みて!スチュワーデス!」

はい、そうです。そうなのですが・・・ わたし、自信がないのです。確かにサービス研修を終えることは出来ました。モンパルナス大通り付近の小さなアパートの3階で一人暮らしも順調です。そして、先日、初フライトのパリ(CDG)−成田(NRT)便往復のファーストフライトをこなしました。こなしたといっても、それは日仏先輩乗務員達の支援あってのものです。私は、他のクルーのように、てきぱきとは動けません。だから、私は、本日のフライトが近づいてきてかなり緊張している次第です。しかも、この緊張を隠したいという気持ち、なぜって緊張しているのは私だけに違いありませんから。
私は、さっきすれ違った女の子達を振り返り見ました。これから旅行に出発するのでしょう、何やら、とても楽しそうです。
「あーあ、学生に戻りたいわ〜」(関西弁でつぶやく)
私は、弱気で逃げたい気分になっています。でも、今日のブリーフィング(フライト前打ち合わせのこと)の場所
ゲート2Aは近づいて来ました。チヒロちゃんが、私を見つけて手をふっています。今日のフライトは、同期のチヒロちゃんといっしょです。彼女は、同期といっても、これまで既に東京で客室乗務員として仕事をしており、プロフェッショナルな人です。チヒロちゃんは、バッグの中からカルピスウォーターを取り出しました。
「はい、これ、あとで飲んで!」

搭乗口前のオレンジ色のソファで、大人っぽいフランス人クルー(Crew)達が、談話しています。私は、またまた緊張してきました。そして、シェフの鶴の一声!
「Allez, tout le monde! 」(みんな!始めますよ)
シェフ・・・Chef de Cabine チーフパーサー(客室責任者)のこと

B747-400という型の飛行機には、2階席があり、ここはビジネスクラスです。ブリーフィングの結果、本日、私はここで働きます。業務用ハンドバッグ・手荷物と、それにカルピスウォーターを持って、階段を駆け上がりました。2階席は、こじんまりとしていて担当クルーは2名のみです。今日、一緒に仕事をするのは男性クルーのジャン・ジャック、彼はすでにギャレーで、鼻歌を歌いながら機内食のセットを数えています。

「Bon jour!」
まずは、仕事前の挨拶ビズゥです。(注釈1参照)そして、彼は、今度は実に手際よく、朝食用機内食の乗ったお盆を数えていきます。私は、横に立って彼の言う数をメモにとります。数え終わると、ジャン・ジャックは、ポケットからミントを取り出して口に含みました。私がちらりと見ると、

「Tu l’aimes?」(読み:チュレーム?)
ジャンはミントの入ったケースを差し出します。私は、はりきって答えました。
「Oui, je t’aime.」(読み:ジュテーム!)
ジャン・ジャックは余裕の表情で返します。
「Deja!」(読み:デ・ジャ! 意味:それは、随分早いね!)
ギャレーに出てきていたコックピットクルーとキャプテン(機長)は口笛をふきました。
「ブラボー!」

状況説明いたします。ジャンは、チュレーム?といって私にミントを渡しました。つまり「君はこれ好き?(よかったらお一つどうぞということです)」これに対して、私が言うべきだったのは、「ジュレーム、メルシー(私はそれ好きです。ありがとう一つ頂きます)」でした。ところが張り切って私が答えたせりふは、ジュテームです。これは、有名な言葉ですね。「愛しているわ、あなた!」って感じですね。密度の濃い二者間でささやくように言うべきものです。(参考1参照)あーら、らー、はずかしいです・・・
まあ、とにかくキャプテンの笑いをとって私は、一挙に緊張をとくことが出来ました。さあ、働きましょう!動いて、動いて!
「機内グッズ、機内誌、ヘッドフォン、毛布!全席ぬかりございません!」

そして、ほら、1階のファーストクラスの扉が開きましたよ。お客様たちの活気が機内に伝わってきます。今日は、どんな方達にお会いできるのでしょうか。私は、新米オテスでございます。笑顔の準備OKです!さあ、お客様が、一人二人と階段をあがって来られます。
「Bienvenu a board!」
「いらっしゃいませ」

ジャン・ジャックと声をあわせます。チヒロちゃん、カルピスウォーターありがとうね。
では、また次号でね! Tout a l’heure!
(注釈1)ビズゥ(bisou)とは、同僚や友人に出会った際、また、しばしのお別れの際に、2名でする仕草のことです。二人で向き合い、同時に頬を、右、左と順に、ささっと1回ずつすりあわせます。口紅を相手の顔につけないよう注意!
(参考1)第1話でお話しした、女優シャルロット・ゲインズブルグの歌をきくと、そのささやき方が分かります。
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パリの思い出 第三話

ファーストクラスで社交を学ぶ

『働くときは、責任を持って働き、休むときは、存分に楽しむ』、これ、フランスの常識なり。従いまして、本日、ワタクシ10日間の休暇のさなかで、モンパルナス大通りを駅に向かって歩いているところです。長距離便の乗務員は、1往復の乗務にかかる所要日数が長いため、その分お休みも長いのです。アパートから、モンパルナス・ビアンブニュ駅までのこの通りには、様々な個人商店が建ち並んでいます。カーテン専門店、アジアン雑貨店、そして、朝一番早起きなパン屋さんがお店を開けました。

「おはようございます。シューアラクレームとエクレール、
それに、バゲット2本(日本ではフランスパンと呼びます)を下さいな」

パン屋をあとにし、私は、さらにそのまま直進し、駅を通り越します。今日は、この界隈に住む友人の部屋で、同期たちと持ち寄りランチパーティーを行います。手料理を披露する同期が多い中、私は料理経験不足のため、デザートの甘い焼き菓子と、バゲットの購入を担当したのでした。他に、キャビアの瓶詰めを5個持ってきています。今日の持ち寄りパ−ティーでは、炊きたてご飯も用意されます。そこで、私は、ここしばらくのフライトのたびにためておいた瓶詰めキャビアを用い、キャビア丼を提案する思惑であります。キャビア丼を知ったのは、それは、あるフライトでのことでした。それはある日の昼下がり・・・。

日本時間の午後1時半頃だったでしょうか。私は会社から支給された日本への里帰りチケットを使い、大阪で休暇を過ごした後、パリに戻るところで、運よく憧れのファーストクラスに座ることになりました。E列の4番席(前から数えて4番目、右の窓側席)、ゆったりとした赤色のリクライニングチェアに埋もれ、私は嬉しくて上気しておりました。斜め前の席に座っている方は、フランス人の上品なご夫妻、その後ろの方は、日本人の紳士、みなさん風格があります。私は優雅な雰囲気に包まれ、雲の上にながれるこのゆったりとした時間を過ごすのでした。

程なくして、座席のひじ掛けから、テーブルが取り出され、ナプキンが敷かれました。先輩が、前から順番に本日のコースメニューを、笑顔で渡して行きます。先輩とシェフの動きに私の目はきょろきょろ忙しいです。まずは、食前酒を載せたワゴンがやって来ました。シェフは私に目配せをして、カクテルやシャンペーンの説明をします。スクリュードライバーに、カシスソーダ、色々ありますが、私はオレンジーナをお願いしました。次に前菜のワゴン登場。スモークサーモンにフォアグラ、ほうれん草と人参のテリーヌ、さらに瓶詰めキャビア!シェフが誇らしげに、それらを白い陶器製のお皿に盛り合わせます。先輩はそのお皿を丁寧に運びます。私はキャビアには手をつけず、こっそり未開封のまま、足下においていた横広タイプの紙袋に忍ばせました。紙袋には、カール、ミルキー他、日本を代表するお菓子が詰め込まれているのが、一目で分かります。これらは、パリのアパートで食べようと思い日本から持ってきたものでした。
Voulez-vous du pain?(パンはいかがですか?)
スチュー(男性客室乗務員)が、朗らかに、かごに盛られたパンを持ち回っています。
お皿が引けてしばし休憩、すると、私の隣に座っている恰幅のいい日本人の男の人が、話しかけてきました。
「フランスには、何かのお勉強に行かれるのですか?」
「いいえ、仕事で出かけるところです」
私は、ファーストクラスに座るレディを演じ気取ってみました。
「それはたいしたものですね。あなたのようなお嬢さんが単身でパリへご出張とは!」と紳士。
「いーえ〜、たいしたことではございませんわ」
いーえ〜を、美母音で発音しレディな雰囲気づくり続行中!(『うまくいっています!』)そして、メイン料理のワゴンがやって来ました。
Vous voulez viande ou poisson (お肉になさいますか、魚になさいますか?)
Poisson, s’il vous plait. (魚をお願いします)
この日の魚料理は、ホワイトソース仕立てのムニエルです。隣の男の人は、ボルドーの赤ワインを飲み饒舌になってきました。ステーキを口に運びつつ、パリのレストラン、エビアン地方の湖畔にある別荘、カンボン通りの宝石のこと、次々とフランスの知識を私に話すのでした。私は、オレンジーナ片手に、おいしい食べ物と、会話に夢中です。
そうして、盛り沢山のチーズ達が現れ、最後はデザート。ケーキ・フルーツの盛り合わせワゴンが目の前に止まり、私は貴婦人モード中であることをすっかり忘れ、何を選ぶかの真剣勝負です。苺タルト、ガトードショコラ、マスカット、それにコーヒーには角砂糖を二つお願いします、全部いただきます!
Bon appetit!(さあ、召し上がれ!)
シェフと先輩がにっこり笑いかけました。
それから10時間、優雅な空中旅行は、飛行機の到着で終わります。飛行機は、静かにフランスの地に着陸しました。私は頭上のシートベルトサインが消えてしまうその前に、男の人に挨拶を言いました。
「さようなら、お元気で!」
「あなたもお元気で!ところで、キャビアを持ち帰って食べるのなら、
炊きたての日本の白米の上にのせて丼にすると、最高にうまいですよ」

瓶を紙袋に忍ばせたのを見られていたのですね。
「はい、ぜひ、やってみます。色々とご教授有り難うございました」
私は、気取るのをやめて率直に言いました。
これは、昨日の出来事。クラクションの音が後ろから聞こえました。モンパルナス大通りの車は渋滞してきました。パリの朝は今日も元気です。では、ランチパーティーに行ってきますね。皆さんも良い休日を!Bon appetit!

(参考写真:瓶詰めキャビア)
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パリの思い出 第四話

楽園タヒチでニワトリに追いかけられる

“アタンション シルブプレ!皆様、ただ今ご搭乗機は、フレンチポリネシア諸島の上空を飛行しております。”雲の下に、きらきらと輝く水色の海、青い珊瑚礁、海に浮かぶ熱帯樹の島々、操縦席から見るこの眺めのすばらしさよ!これぞ、楽園トロピカル!お待たせ致しました、タヒチの登場です。(パチパチ)
(注釈1)


CDG(パリ)からNRT(成田)、東京で2泊ステイして、NRTからタヒチ、それからタヒチにて、たっぷり7日間ステイ、この航路は、フランス人クルーにとっても、5本の指に入る人気フライトです。この便では、いつものパリ−成田直行便に比べて、カップルやご家族連れが多く、皆様もれなく上機嫌です。飛行機が、ファアア空港に到着すると、客席から拍手が起こります。
CDG・・・シャルル・ド・ゴール空港(パリ)
Bonne vacance!(良い休日を!)

お見送りする私たちクルーも、至極ご機嫌です。旅なれたシェフやキャプテン達は、このまますぐに他の島へ乗り継ぎ、ダイビング三昧の7日間を過ごすとのこと。乗務前に各自乗り継ぎ便やホテルのアレンジを済ませており、挨拶ビズゥもそこそこにして、現地スタッフからレイをかけられたまま手を振りボラボラ島へ行ってしまいました。


さて、私はというと、ダイビングはやったことがないし、モーレア島もボラボラ島もタヒチ島のことさえ分からず、日本人の先輩達にくっついて、タヒチ島で過ごすことにしました。会社指定のホテルにチェックインし、2時間後にプールサイドのレストランで、女性クルーだけでビュッフェランチです。今日のホテルの部屋は私の好み。天井が高くて、白い壁、フローリングの床、大きなベッドが中央にあり、応接セットは籐製です。バルコニーからは、日本では見ることのない透明な海と白い砂浜の景色を楽しめます。

シャワーを済ませ、サマードレスに着替えて私はプールサイドに向かいました。プールでは、フランス人の子供が水遊びをしていて可愛らしい笑い声が聞こえてきます。ビーチパラソルの下では、読書をするもよし、昼寝をするもよし、トロピカルな太陽におまかせです。そして、やしの木の下で、私は、日本人の先輩達それにフランス人オテスのマルセリーヌと木製のテーブルを囲み座りました。そよ風が気持ちいいです。ランチビュッフェでは、フレンチスタイルの料理が基本ですが、他に、焼きバナナ、バナナの皮に包まれて焼かれた魚貝や豚肉、それに椰子の実ジュースも味わいながら、マルセリーヌをオピニオンリーダーとして、ガールズトークに花が咲きます。

「ところで、ラン子はどうしたの?」と、マルセリーヌ。

ラン子さんは、スチュー達と一緒に、鉄板焼きを食べに行きました。彼女は、今回、成田−タヒチ間乗務のみ特別参加している他社の乗務員で、御年28才、みずみずしい魅力を全身からあふれさせている素敵なかたです。艶やかなボブスタイルの黒髪に、少々上がり気味の東洋的な目、黒い瞳、そして女の人であることを堪能しているかのごとく、踊るようにフランス人クルー達の前に現れました。彼女の出現に、単身のフランス人男性クルー達は歓び勇み、ボラボラ島のダイビングの旅程をキャンセルまでして、ラン子さんと共にタヒチ島に残ることにしたのでした。

翌朝のこと、先輩から、私の部屋に連絡網による電話が入りました。『ラン子さんと行動を共にしないこと!』との戒厳令が発布されたのです。昨晩は、ラン子さんはもちろんのこと仏日クルー達で、海辺のレストランでタヒチアン・ダンスを観賞しながら、ディナーを楽しんだというのに、その後一体何があったというのでしょう?理由はこういうことです、ちょっとしたオペラです。コケット(coquette
注釈2)なラン子さんは、フィリップとガブリエル、この二人の若きスチューをあっという間にとりこにしました。しかしながら、彼らは以前からの親友でありました。

「一体ラン子は、どちらを愛しているのか!」

楽園の一夜目にして、二人の男同士の友情は、ラン子さんをめぐるラ・ムール(l’ amour
意味:英語のlove)の戦いへと変貌したそうな。まあ、ここまでならまだ戒厳令もでなかったのでしょうが、フィリップとガブリエル両者共に、彼女への思いは、相当純粋なものに淘汰されている、にもかかわらず、セニョリータ・ラン子嬢は、無邪気にクスクスと笑い更に彼らを翻弄し、二人を苦悩させているそうな。この時点で、私の先輩達は同じ日本人女性としてレッドカードを差し上げた、とまあこういうことです。
「それにしても、たった一晩でこんなドラマが起こるとは!」と興奮気味のワタシ。
マルセリーヌは冷静です。人差し指を立てて私に答えます。

L'amour, il n'a jamais connu de loi. Tu le comprandras un jour, mignonne!
(和訳 ラムールにルールはないのよ。ミニヨンちゃん、そのうち分かるわ、あなたにも)

22才にしては、奥手な私、ましてや、成熟した大人のフランス人からはべべ扱いです。
しかるに、私はこの男女もつれあい劇場にコメントしうる経歴をもたず、ひたすら『ラン子さんと行動を共にしないこと!』戒厳令を遵守(注釈3)、ラン子さんからの誘いには病欠をつくろい断り、その結果として、タヒチで過ごす残りの丸5日間を一人ぼっちで過ごすこととあいなりました。

そして翌々日の朝、誰かがドアをたたきます。ドアをそっとあけると、ホテルのメイドさんでした。褐色の肌に見事な肉付き、島の女性です。掃除機片手に、部屋に入ってきました。彼女は少し怒り気味・・・
「マドモワゼル!あなた、この2日間、部屋にこもってばかりですね。これでは、私は掃除ができませんよ。どこか具合でも悪いの?」

Je vais bien, c’ est juste a cause de l’amou
(和訳:私は元気です。ただ、ラムールのせいなのです)

「とにかく、どこかに遊びに行ってらっしゃいませ!マドモワゼル!」

ルームメイドさんに言われ、仕方なく、ル・トラック(島の市内を走る小型バス)に乗って市内のショッピングセンターに一人でやって来ました。赤いパレオ1枚と絵はがきを購入しました。それから、土産物を見たりもしましたが、結局リプトニック(リプトン社の炭酸紅茶)とサブレ1箱を買って、ホテルに帰ることにしました。ところが、次なる問題発生。バスが見つからず、プラプラ探しているうちに、ジャングルの奥の池に迷い込んでしまいました。密林の池のたもとでたった独り、樹の上から大きな鳥の鳴き声が聞こえています。さらに、茂みの中から何か中型サイズの動物が近づいてくるのが見えました。彼(もしくは彼女)は白い羽を広げ一鳴き発声しました。

Cocorico!
(和訳:コケコッコウ!)」

それは、白くて赤いとさかの一般的なニワトリ、なにゆえ密林を独り歩いているのか?ニワトリは、徐々に足を速め、羽を大きく広げ私に向かってきました。

Au secours!
助けて〜〜!

次回へつづくA la prochaine fois!
(注釈1) 現在では、飛行中の操縦席に客室乗務員やお客様が立ち入ることは、セキュリティー強化のため禁止となっております。
(注釈2) コケットな女性とは、(挑発的な魅力+無邪気な魅力)÷2で出来る
可愛いひとのこと。 代表例: ブリジット・バルドー(フランス女優)
(注釈3) 遵守とは、きまり・法律などに従い、それを守ること。(第6版広辞苑より)
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パリの思い出 第五話

楽園タヒチでニワトリに追いかけられる(後編)

Au secours!
助けて〜〜!

私は、茂みをかき分け走りました。私の頭上にニワトリがとまったらどうしよう。振りかえらず突っ走りました。そして、どうやら人通りのある道が現れ、小型バスが見えました。運転手さんは後ろから走ってきた私を見て、バスを止めて待ってくれています。バスの中にいる人たちは皆、窓から手を振り上げ、私を応援してくれています!
「あ〜、助かった〜」
中に乗りこむと、二列に向かい合った木製のベンチが備えられており、そこに美しい褐色の肌をした島の人たちが座っています。鮮やかに盛られた果物かごを持つパレオ姿のご婦人達、ビーチサンダルの少年や、麦わら帽をかぶった男性たち、定員は12人ほどです。私も、皆と並んでベンチに腰掛けました。ニワトリは口をとがらし、不服そうにバスを見送っています。危機一髪でした。私は、運転手さんに言いました。

Je me suis perdue
(私は、道に迷ってしまいました)ソフィーホテルを探しています。.(タヒチではフランス語が公用語です)

運転手さんは言いました。

accord
(=OK)

指を立てて見せます。緑に囲まれた人家の並ぶ道を進んでいくと、ソフィーホテルが近づいてきたようです。島の人達は、街の地理を熟知しているようで、みな一斉に同じ方向を指さし「あれだよ!マドモワゼル!」と口々に力強い声で教えてくれました。

Vous etes tres gentils J’apprecie beaucoup
皆さんのご親切、本当に感謝しております

戒厳令中の私に、皆さんの優しさが身にしみます。バスを降りて、島の人達にお礼をいい手を振りました。それにしても、エライ目にあったよ〜。
スーパーの袋を持って、3階の部屋に戻ると、これまたなんと、朝のルームメイドさんがまだおられます。彼女はサイドボードに置いてあった私のゲームボーイを手に持ち、テトリスに没頭しているではありませんか!
「お帰りなさい、ごきげんいかが、マドモワゼル。ところで、このゲーム気に入ったわよ。私に売ってくれない?」
全くもー、ダメに決まってます!この楽園タヒチで、私はひとりぼっち、任天堂株式会社のゲームボーイだけが楽しみなんだから!

Non, jamais!
絶対にダメ!

翌日も、ゲームをしたり、絵はがきを書いたり、海を眺めたりし、独りで部屋にいました。それでも時間はなんとか経過し、部屋に薄紅色の夕陽がさしてきました。何か面白い番組でも観ようかとテレビをつけたところ、『Dr.
スランプ アラレちゃん』が始まるところでした。おぉ、ここタヒチでもアニメは日本製ですな。私は歌います。
♪きったぞ、来たぞアラレちゃん。ピッ−ピッピッピ ぷっぺぽー!ガっちゃんも・・・♪
『あきません、情けなくなってきました』(この歌が悪いのではなく、我が境遇に対して)ミゼラブル(注釈1)な気持ちになってきました。この際、夕暮れの白い砂浜をひとりさまよえん、私は赤いパレオをからだに巻きビーチに降りました。今宵の月は太い三日月です。“お月様、男女もつれ合い劇場は、その後も依然として険悪な状態だそうです。それにしても、「らむーる」とは不思議なものであむーる。目下、「ラン子さんと行動を共にしないこと」戒厳令に従うのみしか、なすすべのない私でありますが、よくよく考えてみると、実際問題、ラン子さんは罪に問われるべきか否か?分からなくなってきました。
ラン子さんに翻弄されてしまった男性クルー達には、少しでも非はないのでしょうか?ふ〜む、「らむーる」とは理性をつつくやっかいなものでもあむ〜る。“ここで、気を取り直して一曲♪
L’amour est enfant de Boheme il n’a jamais jamais connu de loi
恋はジプシーの子。規則など知らないの。
Si tu ne m’aime pas je t’aime
あなたがあたしを愛さないのなら、あたしがあなたを愛するわ。
si je t’aime prends garde a toi
あたしに愛されたなら、ご注意ね!
Prands garde a toi

あれ?どこからか男の人がうたい返してきます。振り返ると、5階のバルコニーからシェフが私を見てあきれています。あら、シェフはボラボラ島から帰ったのですね。

Prands garde a toi
君のパレオはまもなく風でほどけそうだ。

あわててパレオの結び目をきつくしめ直しました。とりいそぎ、ご挨拶を。
「こんばんは。良い休暇でしたか?」
「この上なく。ところで、君は?」

Comme ca
まあまあでした

「そのようだね。そこで、大至急、皆に集まってもらいたい。

Vien ici
(ここに来なさい)」

タヒチ島に戻ったシェフは、タヒチ居残り組の若手クルー達の様子が尋常でないことをすぐに悟り、仲裁の必要を察し、緊急のポー(注釈2)を行うとのことであります。私は、7日間の努力のかいあり、陪審員(注釈3)に任命されました。まあ、おかげで少しは成長したみたい。
「アタンション シルヴプレ、みなさま、ご搭乗機、楽園に着陸後は、急性ラムールにご注意下さいませ。

Prands garde a toi
お休みなさい!

(注釈1)ミゼラブル(miserable)とは、惨めとか哀れとかの状態を表す形容詞です。ジャン・ヴァルジャン主役で有名な、小説「レミゼラブル(邦題:ああ無情)」で有名な単語です。
(注釈2)ポー:フライトでホテル滞在の1日目の夕方頃に集合し、軽食や軽い会話を楽しむ会合のことを、私たちは「ポー」と呼んでいました。スペル不明。ご存知の方がおられれば、教えて下さい。
(注釈3)陪審員とは、法を裁く専門の裁判官のほかに、裁判に参加して意見を言う人。
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パリの思い出 第六話
クスクスを作ってみる
私の勤務していた航空会社は、ロワシー(Roissy)に位置し、その建物の中には、らせん階段がありました。黄色い手すりのらせん階段です。会社に着いたら、まずは各Crew専用のメールボックス(郵便箱)を覗きます。給料明細や連絡文書、来月のフライトスケジュールが投函されているのです。メールボックスがあるフロアから、らせん階段を少し昇ると、日本人オテス担当のシェフたちの個室が数部屋あります。適度な広さで、明るくて日当たりのいい個室です。そして、らせん階段を下に何周か降りていくと、社員食堂があります。この日、私は小切手を発行する用事でオフィスに来ていたところ、ちょうどフライト前のさやちゃん、フライト後のあかりちゃんに出会ったので、共に社員食堂で昼食をとることにしました。
ビュッフェで、直属の上司ムッシュ・ドモンジョに出会いました。ムッシュは、クスクスを満足げにフォークで口に運んでいます。
「私達も、クスクスを食べよう!」
私たち3人はサラダコーナーに並べられたクスクスをプラトー(plateauお皿)に盛りました。さて、皆様はクスクスって試されたことはありますか?ある方はどうでしたか、お好きですか?実はワタシ、このときがクスクス始めてのときでした。では、いただきます。ところが、『ムムム…どうなのかね。』…
でも、さやちゃん、あかりちゃんは美味しそうに食されています。私はとりあえずこの件については、何も語らず、残さず頂きました。(ムムム・・・?)
ロワシーから列車RER線に乗りアパートに戻ります。駅のスタンドで、女性誌『マリ・クレール(marie
claire)』を買いました。すると丁度、雑誌の中ほどに、クスクスのレシピが掲載されておりました。そのレシピ特集によると、さっき私が食べたクスクスは、クスクス料理の中の1つ「タブーレ」というものであったことが分かりました。タブーレは、トマトやきゅうり、パセリなどの冷野菜のみじん切りにクスクス粒をたっぷり入れ、フレンチドレッシングをかけて、出来上がり…
あっ、さっき、備え付けのドレッシングをかけなかった、それだからムムム・・・だったのね!さらに、レシピによると、クスクスは、基本的には、グリルされた肉や魚に添えられ、野菜を煮込んだソース(トマトソース、カレーも可)をかけて召し上がれ、とのことです。
RERのダンフェール・ロシュロー駅(Denfert Rochereau)に到着、列車を降りました。この駅からアパートまで、徒歩で約15分ほどです。ロワシーに行くのに便利で、よく利用している駅です。ここからモンパルナス墓地の外壁沿いに歩いていくと、地下鉄のエドガー・キネ駅(Edgar
Qiunet)にたどり着きます。この駅の付近では、午前中なかなか大きなマルシェ(市場)が開かれます。
『そうだ!明日の朝は、早起きをしてマルシェに行こう!私、クスクスを作ってみます』

クスクス粒
翌朝、目覚まし時計に起こされ、予定通りエドガー・キネ駅のマルシェにやって参りました。天気はくもり。マルシェの入り口に立って、お買い物リストとがまぐち財布を確認します。今回は、トマトソース仕立てのクスクス作成に挑戦すべく、昨日すでにスーパーマーケットINNO(イノ)で、トマトソース缶、クスクスの粉、ひよこ豆は、調達済みです。そして今、ここでは野菜を購入します。いざ、人ごみへ出陣!(アタンション、スリにはくれぐれも気をつけてね) 果物、はちみつの屋台、その先に大きな動物の肉があらわにぶらさげられているのが見えてきました。その向かいは鶏肉専門店、ありました。八百屋さんです。
「Qu’est-ce que vous desirez 何になさいますか?」
通りには、声がとびかっており、私も大きな声で言います。ジェスチャーもつけて頑張ります。
Je voudrais 2 oignons
タマネギ2つ
2 tomatesトマト2つ
1 chou et un bouquet de
coriandre きゃべつ1つとコリアンダーを1束
Et avec ca? 他に何かいかが?
Et puis un demi kilo de
pomme de terre それにジャガ芋500g
et 200g de courgetes s’il
vous plait ズッキーニ200g
Et voila Cela vous fait
25 francs はいどうぞ、25フランになります
Super
わーい、全部そろいました。フランス産の野菜は、日本の同じ種類のものと比較すると、どれも大きくて、買い物バッグは思ったより、ずっといっぱいになりました。露店の中を歩いていると、行商人達が陳列された商品を売り込もうと声をかけてきます。スパッツ売り場で、とがった眉に黒髪をカチューシャでまとめた女の人が
聞いてきました。
Tu es chinoise あなた中国人?
Non je suis japonaiseいいえ、わたしは日本人です
と、答えたところ、アラブ風の行商人達や、カチューシャの女の人とそのダンナさんが集まってきました。親指と人差し指をこすってお札を数えるジェスチャーをしながら私をはやしたてます。
「Japanese, Japanese! Money♪Money♪」
「But, I’m not as rich as other Japanese!」(でも私は他の日本人みたいなお金持ちではないです!)
notとotherに強いアクセントをおき、言い返すと、皆に笑われてしまいました。
帰り道、野菜は重いですが、クスクスの為です。私はモンパルナス墓地の周りを歩きアパートへと向かいました。この墓地には、フランスを代表する複数の文化人が永眠されています。その中の一人、1991年に逝去された作詞家兼作曲家のセルジュ・ゲインズブール、私は、ここを歩くとき、いつも彼の歌を想います。そういえば、彼の最後の恋人ってシノワーズ(中国人女性)でした。さっきマルシェでシノワーズのふりをすれば、意地のわるいことを言われずにすんだのかな・・・
当時、日本はアメリカのロックフェラー・センタービルを筆頭にあちこち買収し、欧米人から批判されていました。パリの行商の人達も、日本の拝金主義をご存知なのでしょう。そりゃ、お金は生活に必要不可欠でしょうが、わたしだって当然そんな拝金主義は好みではありませんのよ!ふん!
「いじわるを言われましたが、Ne t’inquietes pas気にしないで!アパートに帰ったら、セルジュの曲、ラ・ジャヴァネーズを聴きながら、クスクスを作ってみます。」
(注釈1)この頃のフランスの通貨は、フランでした。2002年よりユーロに改訂されています。
(参考) ところで、ロックフェラー・センタービルは現在ではアメリカの所有にもどっています。その後、拝金主義の威力は自然に日本を去っていきました。ですから、お気になさらず、いざマルシェへ!お出かけ下さいね。

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パリの思い出 第七話
We Need Chopsticks!(in 香港)
♪Love is a many-splendored thing♪(ラーブ イズ ア メーニー スプレンダー シーング♪)今、流れているこの曲は、『慕情』です。香港を舞台にしたアメリカの恋愛映画の主題歌です。こんばんは。私は、いま夕暮れのさす香港島の中環(セントラル)の会員制サロンにおります。このたび、CDG(パリ)−HKG(香港)−OSA便(大阪)が就航しました。日本人オテスはCDGからHKGに入り、そこで3日〜10日間ステイし、その間にカイタク空港(注釈1)から伊丹空港の往復を乗務します。そんなホテル暮らし中、今夜、私は、3才年上の同期2名に誘われ、香港の若手ビジネスマン達と交流する会に参加しているところです。
セントラルのオフィス街で働く現地の青年達は、仕事帰りのスーツ姿で順次サロンに集まります。
「My name is George. How do you do?」
「How do you do? I’m Keiko.」
「Kent. Nice to meet you.」
「Nice to meet you, too.」
彼らは、英国式の名前を持っていて、イギリスやオーストラリアに留学の後、香港に帰国してまだ数年、現在はパパ殿の経営する貿易会社で修行をしていたりとか、金融関係の会社員であるとか、エグゼクティブな方々です。
19時、青年4人とカップル一組そして私たち日本人3人がそろったところで、円形の黒皮ソファに着座しました。間接照明に照らされたこの部屋には、ビリヤードやルーレットがあります。後ろにはバーカウンターがあり、タキシード姿のバーテンダーがカクテルを作っています。
「君って日本人に見えないね。香港の女の子みたいだよ。」
金融ジェントルマンが、洒落た手つきでピーナッツをつまみながら私に言いました。他の青年達も私に目をむけます。
「そうだね、ケイコは、話さなければ95%香港チャイニーズと思われるよ。」
「So am I?」(そう?)
95%香港の女の子だなんて、光栄だわ♪ とかく、調子にのりやすいわたし、そう言われ嬉しくて、円形ソファに浅く腰掛け、愛きょうをふりまきます。
「ケイちゃん、ちょっと…!」
まやちゃんが、私に耳打ちしました。カップル参加の女の子が、一人ぽつんと北京ダックを食べています。
「彼女に聞いて!私たちのせいで気を悪くしていないかどうか聞いて!」
そう言われドキッ、『いけない、いけない。』パ−ティーでは、もっと気を使わなくっちゃ!自分のことばかりじゃいけませんのでした。私は、ソファーの背もたれ越しに隣の隣に座っている彼女にこっそり言いました。
「I think I talked too much. Didn’t I bother you? 」
(ワタシ話しすぎたみたいです。あなたにいやな思いさせなかったでしょうか?)
彼女は、笑顔で答えました。
「Oh, not at all. I’m so good. Do you care for something to eat?」(そんなこと全然ないですよ。大丈夫です。何か食べませんか?)
おつまみをすすめてくれました。よかったです。私はテーブルの上の人参スティックを取りかじりました。(ちょっと疲れました。)
その後予定通り我々一行はビクトリアピークでまさにmanyメニー-−splendoredスプレンダードゥな(いくつもの輝きを放つ)夜景を展望、そして解散致しました。地下鉄で九龍サイドのチムサーチョイ駅で降り、ホテルの部屋に戻りました。窓をあけると電光看板が点灯していて、中華の油の匂いが生暖かい風と共に入ってきます。通りには学生の集団がコンビニの前でたわむれています。
『おなか、すいたな。』 パーティーでは、気が張って、野菜スティック3本とピーナッツ5粒をつまんだだけでした。振りかえると、ベッドの枕元でメッセージランプが光っていることに気がつきました。フロントに電話して、メッセージ内容を聞きました。
「Your message is from Natsuki. When you get back , please call room 2412.」
仲良しの同期、ヨシオカ・ナツキからです。あわてて、2412号室に電話をまわしました。
「ハロー、今日着いたの?」
彼女は、少し眠りかけてたみたい。
「う〜ん。ねぇ、ごはん食べた?」
「まだ。ルームサービスで済ませようかと…思ってたところ」
「じゃあ、おかゆ食べに行く?」
「オッケー!フロントに10分後ね!」
「Apresアプレ 10ディ minuitesミニュイ!」

ホテルのすぐそばに、クルー御用達の茶楼ジャラウ(注釈2参照)があります。私たちは、食堂の閉店前にかけこみ、ラストオーダーにぎりぎり間に合い、海鮮粥をお願いしました。小さな店内には閉店前にふさわしい中国女性のバラードが流れています。
「おはしが、来ないね」
店内には、従業員は見あたらず、私たちの他にもう一組の女性客がいるだけです。カウンターに来て、おはしを探してみましたが、見あたりません。もう一組の女の人も、カウンターに何か調味料を取りに来ていました。ナツキは彼女に聞きました。
「Where are the chopsticks?」
ショートヘアに薄めがねをかけ、デニム姿のご婦人は、めがねのふちに指をあて、私たちをじろりと見ました。英語は通じないようです。香港は、英国の植民地で、たいていの人は日常英語を話します。なのに、この店では、珍しく英語は使用されないのでしょうか?
「Chopsticks!Chopsticks!」
私たちは、指2本を使って、おはしで熱いものをふーふーと食べる動作を熱演、さらに言いました。
「That’s why, we need chopsticks!」
がね婦人は、鼻にしわをよせ首をかしげます。ダメだ、こりゃ…
結局、我々は厨房におじゃましてチョップスティックスを獲得し、海鮮粥を食べることが出来ました。香港のおかゆは、とろおりとして、暖かくてこくがあり、ワタシ本当にこれが好きなんです。あー、満足です。それから、本日の締めに、デザートをお店のおかみさんにオーダーしました。壁に貼られたマンゴープリンの写真をさしました。
「Two mango-puddings, please!」
ここのおかみさんも、英語は話しません。広東語でしょうかね、何か私たちに言っているのですが、はて、あいにく私たち広東語を理解できず…今度は、私たちが首をかしげます。 すると、めがね婦人が、こちらのやりとりに気がついたようです。ご自身達のおしゃべりを止めて、見ておられます。そして、向かい側のテーブルから一声!
「あ、の、ね!マンゴープリンは売り切れしたよ! デザートは、アンニンドウフしか、な、い.、よ!」
なーんだ、日本語ぺらぺらじゃん! 多謝(トウチェ)。(=Thank you.)では、おあとがよろしいようで・・・。
Bonnne soire e!
(注釈1)茶楼チャラウはレストランの種類の1つで、町角にある庶民的なお店の総称。
(注釈2)香港啓徳(カイタク)空港; 九龍半島にあった国際空港。1997年におしまれながら廃港。世界の空港の中で、最も離着陸数の多い空港で、着陸にテクニックを要することでも有名な空港でした。
(参考)カイタク空港の廃港と同じ年1997年に、香港はイギリスから中国に統治権が返還されましたね。感慨深いです。

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パリの思い出 第八話
ギャレーの中で異文化交流を図る
国際線を飛ぶ旅客機には、いくつか種類があります。ふっくらした型のエアバスA380、マッハ2を誇る、鋭い型の超音速旅客機コンコルド(参考1〜2)、そして中でもやっぱり私はボーイング747-400が好きです。どういうところが好きかというと、客室内の天井が高くて開放的だからです。全長70mの機内には、エコノミークラス、ル・クラブ(ビジネスクラス)、プルミエ(ファーストクラス)の3クラスがあり、青いカーテンで仕切られています。このカーテンを順に開けて、通路を進むのがなんとも爽快なのです。
「みなさま、これより機内の照明を消灯させていただきます。
読書などをされるお客様はお手元のボタンを押し、読書灯をご利用下さいませ」
ただ今、私は前方のファーストクラスに乗務中で、日本語の機内アナウンスも担当しています。昼食サービスが終わり、機内の照明が消され、クルーは交替で仮眠をとります。今回、私は遅番ですから、先に仮眠に入ります。他方、スチューのクロードは早番です。私がrepos(ルポ休憩)に入る前に、彼はギャレー(参考3)でお食事の時間です。カウンターにクルーミールを綺麗に並べ、パンを二つにきりわけ、間にカマンベールチーズをはさみ、オーブンで焼いています。クロードはきっちりとした身なりで、マナーの良い青年です。私は、ファーストクラスのミニバーを整えてから、ギャレーで自分の食事を温めている彼に聞きました。
Tu connais son nom, le passager americain dans le siege 3A?Il est un acteur de Hollywood3A席のアメリカ人って、ハリウッドの俳優さんでしょ?彼の名前を知ってる?
この時、ファーストクラスは16席すべて満席でしたが、その中でも3Aに座るアメリカ人は、搭乗時から際だって目立っています。20代の新人俳優で、今回、ハリウッド映画の主役を演じ、その映画の公開にあわせたキャンペーンのため、世界の各都市を回っておられているところだそうです。彼の隣席3Bには、マネージャーらしきアメリカ人男性が座っています。MTVのロゴマーク入りのTシャツを着ていて、怒ると怖そうです。
クロードは私の問いかけに、答えました。
Son nom? Je ne veux jamais le connaitre!彼の名前!僕は知りたくもないね!
まあ、クロードがそういうのにもれっきとした訳があります。その俳優は、ミールサービス中、終始、目に余るお行儀の悪さだったのです。たとえば、私が、メインコースはお肉にするか魚にするか伺うと、大きな声で、私の話し方をまねして返事してみせたり、コース最後のデザートを、クロードがお皿にせっかく綺麗に盛り合わせたのに、それを手づかみでかきまわしむしゃむしゃと食べたりとかです。確かに、いくら有名人とはいえ、バッドマナーにもほどがある… 私はクロードの見解にうなづきました。
Tu as raison (それ、言える)じゃあ、あとでね。
Repose bienよくお休み
私はキャビン最後部のクルー用仮眠室へ向かいます。
プルミエを背にして、1番目のカーテンを開けると、ここはル・クラブです。クラブのギャレーには、数名のオテスにスチューが集まり、シェフと笑い話をしながら食事中です。フランス人オテスが私を見て誘ってくれます。
Keiko, tu veux des sushiケイコ、お寿司食べない?
成田からパリへの直行便には、お寿司やお味噌汁が載せられています。ありがとう、私はイクラをつまみました。
Et avec du miso-soup?お味噌汁はいかが?
せっかくですが、私はコーラをカートから取り出し言いました。
Je prends un coca avec les sushi. 私は、お寿司にはコーラなんです。
Un marriage du sushi avec le coca, c’est si bon.お寿司にコーラのとりあわせ。それがいいのよ!
ノーン!フランス人クルー達は、人差し指をふり、だめ出しをします。
「お寿司には、やっぱりミソスープでしょ!それで、最後にはthe vert(テ ベール緑茶)でしょ!」
「それに、ミソスープはあなたの体にいいのよ!」
お味噌汁は、フランス人クルー達に人気があります。フランスのポタージュスープやオニオングラタンスープに比べると、カロリーが低く、豆で出来ている健康食とのこと。だけど、私にはミソスープはどうにも当たり前の存在でして… しかし、そうですよね、そろそろボンヌサンテ(健康)を考えて、炭酸飲料水は控えなくっちゃね。
「J’ai comprise(ジェコンプリわかりました) ところで、プルミエにいる俳優さんって、どんな映画に出てるのか知ってますか?」
シェフが教えてくれました。
「彼は、ターザンの主役だ」
はいな、はいな、あの行儀の悪さ、映画のプロモーション作業の一貫だったのね。納得であります!

そして次に、2番目のカーテンを開けます。ここから先はエコノミークラスになります。おっと、エコをなめてはいけません。満席でなければ、充分リラックスできるのもボーイング747の良さです。途中の空席で、私は使用していない毛布を、1枚拝借して仮眠室へと向かいます。後部のギャレーを覗くと、ミッシェルがフリードリンク用カートに補充するための氷を砕いていました。ミッシェルは日本語が堪能なスチューです。
「ミッシェル、プルミエにハリウッドのアクターがいるのよ。彼、ターザンなんだって!」
Ah bon. Mais je ne m’interesse pas aux tarzan.(僕は、ターザンには興味がないね。)ケイコはハリウッドが好きなんだ。
「そうでもない。でもアメリカの歌は好きよ♪ マドンナとかね。」
マドンナか。彼女はむしろ良いダンサーだね。歌なら僕はこういうのがいいな
Ecoutes, tu connais cette chanson?ほら、君、この歌知ってる?
ミッシェルは氷を砕く手を止めて、控えめに歌いました。
♪ 沖のカモメに、深酒させてよ。いとし、あの娘とよ、朝寝するダンチョウね。♪
知ってますよ、演歌歌手「八代 亜紀さん」の『舟歌』。ミッシェルは歌がとても上手です。
So lovely song,n’est ce pas?愛らしき歌、だよね?
ミッシェルはしみじみと言います。ふ〜ん、フランス人の彼にとって、日本の演歌はラブリーなんですね。私もお返しに、ヘタな演歌を小さい声で歌います。
♪お酒は安めのカンがよいー。魚も安めのイカがいいー。
カーン、鐘ひとつ、私の演歌はひどい。ミッシェルは首をふり、私はまたダメ出しされました。もう、おとなしく休みます。 かくして、私は各ギャレーで日本文化をフランス人のクルー達より再認識させられ、はしごを昇って2段ベッドへもぐりこみました。

では、みなさま、3時間半の仮眠の後、またギャレーでお会いしましょうね。
P.S. その頃、ターザンがおとなしくしてくれれば、いいけどね、n’est ce pas?
(参考1) マッハは速度を表す単位。マッハ1は音と同じ速さ。従って、マッハ2なら音の倍の速度で、音のカベを突きぬけることになります。
(参考2) コンコルドは、英仏共同で開発した飛行機の名前。2003年に空より引退。パリ−ニューヨーク直行便の飛行時間は3時間45分、コンコルドの乗務員は、より選抜された優秀なクルーでした。
(参考3) ギャレーとは、飛行機の中で、食べ物・飲み物を準備する場所。薬箱や子供向けおもちゃもギャレーに置かれています。

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パリの思い出 第九話
パリの深夜、初秋、サスペンスを体験する
モンパルナス大通りを歩いていると、イチョウの葉が色づき始めたことに気づきます。緑から黄金色へと、季節はオートヌ(automne)、秋、初秋の頃です。ロマンティックです。

パリでは、四季の移ろいがおだやかにやってきます。昨夜、モスクワから帰ってきた私は、初秋のパリに出会い、今宵は月を見ながら一人で家ごはんの予定でございます。大型スーパーのイノ店で秋鮭1匹、ほうれんそうの缶詰、ぶどうとクリームキャラメルを買って部屋に入ろうとすると電話がやかましく鳴っています。
「アロー」、あわてて、扉の鍵をあけ受話器を取りました。電話はカラオケ仲間のパリ駐在員オイカワさんからでした。CA同期と彼との3人で外食のお誘いでした。一人ご飯は明日にしますかね。買ってきた食料品を冷蔵庫に入れて、何に着がえるか思案していると、たちまち15分が過ぎてしまい、あわてて、口紅をひきました。じきに、オイカワさんが車で迎えに来る頃、ほら、来ちゃった。私は、ベランダから『今行くサイン』を示して手をふり、大慌てでお財布と化粧ポーチをハンドバッグに入れ、部屋の鍵を閉め通りで待つ車へと急ぎました。
深夜、秋の風はひんやりしています。食事のあとサンミッシェルのカラオケクラブ『柳生』で、それゆけドレミファ、歌いすぎて、ずいぶん帰宅が遅くなりました。時間は、深夜の1時20
分です。オイカワさんは、私たちを順に、各アパートの門まで送り、最後にご自身の部屋へ、モンパルナス駅の向こう側へ車を走らせて行きました。じゃあね、お休み〜。アパートに住む人々は眠りにつかれたのでしょう、建物は静まり返っています。玄関口の照明も消されています。暗い玄関で、壁に備えつけられた暗証番号パネルのボタンをいつもどおり押しました。”57802”
そして最後に*ボタン。この番号を押すと、玄関口の自動扉があくってわけ。私の住む、このアパートは築50年、パリでは新しいほうの物件でセキュリティーもしっかりしています。でも待って、扉が、あきませんよ。もう一回ゆっくりね、ボタンを押します。57802*、開きません。もう1回、57802*、なんでよ、だめ、開かない。そして同時に私は、がくぜんと打ちのめされました。思い出したのです。先週、大家さんから電話が入り10月1日から暗証番号が変わるって、それで、私は新しい番号を、手帳に書きとめたことを。そして今は、10月1日午前1:30
です。ひょっとして、手帳をバッグに入れてこなかったか探しました。でも私の記憶どおり、バッグには財布と化粧ポーチしか入っていません。どーしよー。モンパルナス大通りを振り返っても、カラオケ仲間の車はもう見えません。
私は、自動扉をゆさぶりました。壁をたたいてみました。しかし、石造りの建物はあまりに強固で、微動だにしません。1
階に住む管理人さんは、私に気づく様子などありません。アパートは依然として静まり返っています。私は、やけで、5 桁の番号を色々とあてずっぽうに押してみました。アブラカタブラ〜、キセキよおこってください〜!
探偵小説なら、ここで見事に扉は開くところでしょうが、でももうダメ、わたしは、ぐったり番号打ちをあきらめました。パリの夜って、サンミッシェルのような繁華街は別として、通常は終わりが早く、スタンドもカフェも閉まっています。メトロの終電などとっくに過ぎています。又、コンビニはパリにはなく、歩くひとの姿もありません。

あー、こんな時どうする?えっ?携帯で、会社の同期に連絡すればって?それがですね、この当時、携帯電話なるものは普及しておらず…
まぁ、みなさまメモリを巻き戻して頂いても、携帯がないなんて想像もつかない?ではこう考えて見てください。携帯電話のバッテリー切れで充電するすべがなく、真夜中にひとり暮らしのアパートの表玄関で、部屋に入れず途方にくれていると。私は、力任せはあきらめて、この状況をどう切り抜けるか、落ち着いて考えました。
・案1、オイカワさんの部屋はここから徒歩15 分、彼はもう帰宅した頃です。そこへ行き助けを求む。→ しかしこれは、あたかも私が彼の部屋に押しかけたいがための演出ともとられかねない、案1 は却下です。
・案2、モンパルナスビアンブニュ駅の前に、メリディアンホテルがある。空き部屋があるはず。→ そこで朝まで宿泊。
うん、悪くないね、案2 は、これでいこう。けど、ホントは、自分の部屋で休みたかった、帰ったらクリームキャラメルを食べようと思ってたのに。
Quelle idiote de moi
私はなんとおろか者なのだろう。
なぜかフランス語のつぶやきがでてきて、3 階のベランダを見上げます。もうでもこれは起きてしまった事、行かなくては。私はアパートの玄関を去りました。
メリディアンホテルのフロントは、おだやかに明かりが灯されており、フロントのギャルソンはてきぱきとカウンターで仕事をしています。ロビーにも何人かの人がいます。やったね、案2
は正しい選択だったよ。
Je voudrais une chambre pour une personne cette nuit.
シングルで今夜1 泊、お部屋はありますか?
Attandez!
お待ちください
ギャルソンは、私の全ての荷物である小さなハンドバッグをちらりと見てから、宿泊状況を調べました。
L’hotel est presqu e complet, mais nous avons des chambres avec deux lits.
ホテルはほぼ満室でして、ツインベッドの部屋でしたら空きがございます
Quel est le prix de cette chambre?
その部屋はおいくらですか?
「4万5千円です。マドモワゼル」
がっくり、甘かったです。メリディアンはフライトでよく利用するホテルですが、自分で支払うとこんなに高かったのですね。私が一夜のために支払える金額でないです。
「少し考えます」、私はよろよろと、広いロビーのソファへ向かいました。その向こうにプレートで仕切られた公衆電話台が目に入りました。あっー!これだ、「案3」、AM2
時+8時間は午前10 時、大阪は今、朝の10 時です。家に電話するのです。実家の番号だけは暗記しています。私は、この春ハハ殿に、ベルサイユに住む大家さんの電話番号を、念のため渡していたのです。
「もしもーし、アタシ、アタシ」
「はいはい」
ハハは、家事に追われている時間帯で、すぐに出ました。公衆電話の回線は意外とクリアです。
「大至急、大家さんの番号教えてよ。訳はあとで!」
「はいよ、ちょっと待ってよ〜。言うから、ひかえや」

ホテルの電話台に備えられた、メモとボールペンに感謝!ナイスサービスありがたき!よーし、最後のステップ、私は、深呼吸しました。通常、私は、夜の9時以降に、よそのひとに電話をしたり致しません。でも今回のみご容赦下さい。トゥルー、トゥルー、トゥルー「アロー」。大家さんご夫妻は寝室に電話を置いているのでしょうか?
3コールで応答あり。この世で最も低い周波数のフランス人男性の声です。彼は睡眠地帯をさまよわれているようですが、それでも、しっかり暗証番号は伝えてくださいました。
「夜分あまりにおそく本当に、申し訳ありません。お休みでしたか?」
「・・・・・・・(むごん) ha・・・・(ためいき)」
そして、私は無事にクリームキャラメルを食べ眠りにつきました。そして、これ以降ずっと後生、私はちょっとお使いにでかける時にでも、必ず手帳を持って出けるようになったとさ。
(参考写真) パリの家具付きステュディオ私が住んでいた部屋は34 uのステュディオで、家賃は光熱費込みで34,000フラン(日本円で、8 万円くらい)大家さんは優しい方でした。
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パリの思い出 第十話
ある晴れた日、ピクニックに出かける
今朝は秋晴れ、ピクニックに出かけます。電車にのって出かけます。日本から遊びに来ているミドリちゃんと二人です。昨晩の打ち合わせの結果、予定としては、SNCF(フランスの国鉄)の列車にゆられ片道70分、パリ郊外のとある駅で下車、午前中は教会を見た後、町並み散策、そして午後にはお城見学というたっぷり日帰りコースを企画しました。

さて、パリ市内を走る国鉄線には主要な6つの駅があります。有名な北駅( Gare du Nord
) それに東駅( Gare de l’Est
)、これらの駅からは、フランス国内の他に、イギリス、ドイツ、オランダ、それにスイス等々、ヨーロッパ大陸の他国へつながる列車も発車します。そして、SNCF主要6駅の中のひとつに、モンパルナス駅があります。本日の目的地は、パリ郊外で、地図上フランスの中心にあたるところです。ローカル線ですから普通列車か急行になります。私たちは普通列車でゆっくり行くことにします。この場合、座席予約はなしでも大丈夫、それでは窓口で切符を買ってみましょう。
―
Au guichet
(駅の発券窓口にて)
ドゥウ ビエ プー シル ヴプレ
Deux buillets pour s’il vous plait
(○○駅までの切符を2枚お願いします。)
デ ビエ アレルトゥーウビサンプル?
Des buillets aller-retour ou billets simple?
(片道ですか、往復ですか?)
ジヴドゥレ ドゥウ ビエ アレルトゥー
Je voudrais deux billets aller-retor
(往復2枚をお願いします。)
往復チケットの場合、使用期限があります。帰りが未定な場合は片道でご購入ください。)
切符を買ったら、電光掲示板の時刻表(
Horaire
)で、何番のプラットホーム(
quai
)から自分の列車が発車するか確認します。(下の図参照)日本で新幹線に乗るのと同じ要領です。
A Destination |
de Depart |
Arrive |
Remarques |
(到着駅) |
(発車時刻) |
(到着時刻) |
(特記事項) |
Lyon |
9h30 |
11h30 |
a l’heure(定刻) |
Marseille |
10h00 |
13h00 |
retard de 15 minutes
(15分遅れ) |

「15分後に18番線発!」
SNCFモンパルナス駅の構内は、とても広いです。長いエレベーターが何機もあり、それに乗って各ホームへ向かいます。エレベーターに乗る前に改札フロアの自販機で、ペットボトルの飲み物とあめを買いました。本日の旅の友となるものです。コインを入れ希望の品番を選択すると、色とりどりの袋入りのあめは、ゆっくり動き、そしてにわかにガシャンと取り出し口に落とされてきました。18番線のホームに昇り切符をコンポステ(打刻器で穴をあけること)、列車の窓側に並んで座りました。電車はパリの郊外へまっすぐな線路を進み始めます!さぁ、ピクニックへ出かけましょう。
車窓を楽しんでいるうちに到着です。知らない土地を訪ねるとこれまでの考えに幅が出てきます。今この町に来て新たに思うこと、私の住んでいるパリ市内は、モードの発信地、華の都という地位を保ち続けておりますが、(そしてこれからもずっとそうでしょう)が、でも、パリは案外現実的な都市とも思えてきました。なぜかというと、パリ郊外に位置するこの町の様子は、子供のころ読んだ本に出てきた絵のような風景だったからです。目の前に、舗装された広い道路に等間隔の並木がずっと続きます。並木の後ろには、ゆったりと建てられた、戸建の家々が建ち並んでいます。鉄製の門の間から、庭をのぞくとりんごの樹が植わっています。出窓には、赤や白色のゼラニウムの鉢が置かれ、通りを歩く人のために家の人が飾ってくれているかのようです。白い壁、レンガ造りの三角屋根、どの家にも個性があるのですが、全体を包む一体感。今回、フランスに始めて旅行に訪れたみどりちゃんはこの景色に大喜びです。私もこの住宅街がたいそう気に入りました。
「あー、本物のフランス人は、こんな可愛らしい家で暮らしているのか〜」
ウラヤマシイかぎり。ブルジョワジーのフランス人ならば、平日はパリの16区あたりのアパルトマンで暮らし、オフの日はこの町のような郊外の戸建で過ごすとか、おうわさは伺っておりましたが、こうまで素敵だとは!感銘のため息がでます。

「だいたい、こんな素敵なところで育つからさぁ、フランス人ってかっこよくなるのよね?」
「というよりも、先祖代々かっこうがいいからこういうところに住めるのとちがう?」
答えはどっちでしょうか。きっとどちらも正解ですね。バッグパックを背に持ちみどりちゃんと私はそんな他愛のない議論をかわしながら、町並み散策ときれいな空気を楽しみました。
ところで、おなかがすいてきました。それはそう、だって、もうお昼を頂く時間です。私たちは何か食べ物を売っているような店を探し歩きました。ところが、これは企画外、どうも住居以外には何も見つかりません。いったん駅前の教会まで戻りましたが、あいにくお土産しか売られていません。
「しくじったね。おにぎりでもにぎって持ってこればよかったね〜」
「モンパ(ルナス)の駅で、バゲットのサンドイッチでも買ってこればよかったよね〜」
「部屋にあったビスケット持って出たらよかったのにね〜」
今度はさっきと反対方向に行ってみました。すると細い川(
la livier )が流れていて、小さな丸みのある橋がかかっています。橋の真ん中に立ち、あたりを見渡すと、おっ、あれは?なにやら1台の小さな屋台が見えます。向こうの木陰の下で、そのビニールの屋根が風にゆられています。アイスクリームの屋台かな…
とにかく行ってみよう、 En route!
屋台まで走って近づいてみました。何だろう?それは、クレペリの小さなワゴンでした。ちょっと赤い顔の、クレープ職人さんがいます。
「Vous desirez, Mademoiselles?」
(クレープはいかがですか?お嬢さん)
「Oui, bien sur」
(もちろんお願いします。)
クレピエさんは、お玉にたっぷりクレープ生地をのばし大きな円形に広げます。ただパリ市内のクレペリとは違って、なにぶん小さなワゴンです。ですから中にいれるもののチョイスは二つのみ。シュクレかチョコクリームのどちらかです。で、私はチョコクリームを、みどりちゃんはシュクレ(お砂糖)を、シルヴプレ。出来上がったクレープは、日本のクレープの3倍ほどの厚みがあり、おなかの持ちもよさそうです。それで、そのお味は?それが、シンプルなクレープではありますが、公園のベンチで頂いた分厚いこのクレープ、これまで食べたどのクレープの100倍もおいしかったです。
さて、皆さま、パリにお出かけの際に、お時間がございましたら、ぜひ列車の旅を試してみてくださいね。その場合、今回私たちはたまたま屋台に出会えましたが、やはりお弁当を持って出かけられることをお勧めいたします。では、良いピクニックを!Bon pique-nique!

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パリの思い出 第十一話
リヴォリ通り99番地にて
ルーブル美術館の建物は、1190 年に建てられ、その後、ルイ14世が都をベルサイユに移すまで宮殿として使用されていました。なるほど、この階段の大きな踊り場や真鍮製のてすり、王族が使うにふさわしく荘厳です。踊り場の壁には大きな宗教画が展示されています。日本から観光に来た友人のみどりちゃんは、上のフロアで絵画を1
枚1 枚鑑賞中。あ〜 しかし、入場後、エントランスの頭上の壁画に圧倒され、その後、名だたる芸術作品にとりかこまれ約2 時間、私はいささか退屈気味です。階段でこっそりあくびをしておりました。そこへ『ナポレオンの戴冠式』を見終えたみどりちゃんが走ってきました。
「次はモナリザを観に行こう!」
豪華な階段を降り、1 階『モナリザの間』へ。観光客から社会見学の団体小学生まで、ここには人があふれています。有名なモナリザの微笑み、ルーブルの中でも、この絵は扱いが別格らしく、触れられないように展示されています。みどりちゃんの希望では、次は彫刻鑑賞、ルネッサンス時代から古代ギリシアへ、それからそれから、ファラオ時代、ピラミッドへと!やれやれこの調子では、ルーブル美術館に数日は通うことになりそうです。まあ、ゆっくり参りましょう。
「ここでいったんお昼休憩とします。外を散歩してみよう!」
ルーブルの入場券は一日有効となりその日のうちなら再入場が可能です。さて館内の回廊を渡って外のリヴォリ通り99
番地に出てきました。「この界隈はですね、世界有数の宝石専門店が並んでおります」とガイド役の私は説明。ここは第1 区、パリの中心部です。リヴォリ通りからサントノーレ通りに入り、ヴァンドーム広場へ向かいましょう。念のため買い物袋を持って歩いてきた背の高い娘さんに道を聞いてみます。

Excusez -moi. Ou se trouve la place de Vendome?
すみません、ヴァンドーム広場はどこですか?
Allez tout droit par la. Ensuite apremiere uer, tournez adroite .Ce n’est pas loin .
こちらをまっすぐ進んで、最初の通りで右に曲がってください。遠くはないですよ。
Merci beaucoup.
それにしても、今のひと、なんとも可愛いかたでした。小さな丸顔、つんと上がった鼻、そのうえ背が高くて、ちょうど私の胸の高さが彼女の腰の位置でした。風になびくブロンドのさらさら髪。そよ風のような存在感です。「すっご〜い。スタイルいいね」。わたしたち、思わず振り返り、彼女の完璧な後姿を目で追います。カラーンと鈴の音、背後のブティックの扉が開き、買い物を終えた若い男女のグループが、店内から通りに出てきました。引き締まったスタイルにブロンズ肌、褐色の髪の女の人、ミドリの瞳をした巻き毛の男の人、おしゃれな帽子がよくお似合いで、それぞれ個性的ではっとするほど華やかな人たちです。彼らは快活にルーブルの方角へ向かっていきました。

「あんな大人っぽくって、きっと18歳くらいよ」
日本人と比べると、フランスの若者は大人っぽく、その後成人してからも更に大人っぽい、というのがフランス人に対する我が見解であります。
「18 歳くらい?貫禄あるね〜。でも、みんながみんな、あんなに綺麗なわけ?」
「まあね。特に10 代は、たいがいああよね。珍しくない」
私が自慢する必要はどこにもないが、びっくるするみどりちゃんに、私は得意げにすらすらと説明いたしました。それにしても今日は綺麗な人をよく見かける日です。宝石が飾られたショーウィンドーケースのガラスに私達の姿が映ります。あの人たちを見た後だけに…
私たちは同じ思い、ふーとため息がでます。
さて、宝石は高価なため、見るだけにとどめておきました。それでは、おみやげにガトーはいかがでしょうか?リヴォリ通りには、世界で始めてモンブラン(栗のケーキ)を生み出した老舗のpatisserie
パティスリ(ケーキ屋)があります。中には食事用に設けられたテーブルもあり、ここでお昼もいただくことにします。店内に座り、通りを眺めていると、大きなカメラを肩にぶらさげた男の人たちが忙しそうに往路し、テレビ局のカメラも運ばれている様子が見えます。さては誰か有名人が来ているのでしょうか。私はギャルソンに聞いてみました。
Qu’est -ce qu’il ya?
何があるのですか
「ルーブルの中庭でパリコレクションのショーが始まるんだよ」
そうか、これはパリコレ!プレタポルテ!世界中の有名デザイナーが集まりファッションショーが開催されるのです。さては、さっきから通りを行き交っていた美男美女たちは、ショーのモデルさん達ということですか。道理で、九頭身だったわけです。
「よりすぐりやんか。世界中のよりすぐりの綺麗な人やんか!」
ホットショコラを飲みながらみどりちゃんは横目でご指摘。ですよね、私は頭をかきます。先ほど、ここフランスではトップモデルの容貌が標準的なルックスであると説明いたしましたこと、深く撤回いたします。
パティスリを出て、通りの向かい側に広がるチュイルリー公園にやってきました。聞こえてくる小鳥の鳴き声もフランス仕込みか、大層可愛らしい声です。みどりちゃんが、歌壇に咲く紫色の花と白い花を1
本ずつ欲しいとのことで、庭師さんにお願いして摘ませてもらいました。
「これを押し花にして、日本に帰ったら額に入れておきます」
「それは、いいお土産ができましたね」
噴水のそばで、庭師さんが聞いてきました。
「君たちって、アジアの女優さん?」
なんですと、女優さん?生まれて初めて言われました。公園の噴水を覗くと、水面に私たちの顔が横広に広がりゆれています。
「そうかなぁ、女優さんやって!」
要は、フランスの殿方は女性をほめるのがお上手なだけでしょうが、でも庭師さんのその一言のおかげで、わたしたち、もう、のりのりなんです。この気持ち、歌いましょう。ここはパリ、「Paris a tes amours! Ca c’est Paris! Ca c’est Paris!」
参考写真:リヴォリ通り
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パリの思い出 第十二話
南フランスの潮風によせて
噴水、泉、小さな川に太い河、運河、湖、それから海!私は、フランスにおける水のある風景がすべて好きです。この日、航空会社のフランス人里親さんが、私達日本人オテスを南の海に連れ出してくださいました。南フランスとはコートダジュール、プロヴァンス地方を指します。本来パリからTGVテージェーベー(仏国の超特急列車)で行くのが良かったみたい。
車で出かけた私達はかなりの時間をミニヴァンの中で過ごし、渋滞を乗り越え、ついに目的地に到着しました。車を降りて少し進むと向こうに紺碧の海岸が広がりはじめています。白い波の音が聞こえ、心は躍ります。さっそく公共のレンタル自転車を借り出し、この海岸線をまっすぐに進むこと一同大賛成です。顔にそそぐ向かい風、肩の右には空色の海、左には高級コテージの白い建物、私は空のかもめと競争中です。そして自転車で潮風を切るとこんな歌が口ずさまれてくるのです。
「Under the boardwalk down by the sea♪On a blanket with my baby ... is where I'll be」
この浜辺にはまっすぐに板敷きの遊歩道が続き、そこでは裸足で歩いたり、板の上のベンチに腰かけて目前に広がる海を日がな一日ぼんやり眺めることも出来ます。
実を言うと、私ここに来るまで、あまり海の景色が好きではありませんでした。嫌いということではないのですが、別に〜、という位置づけでありました。それまでに私の訪れた海というと、主として日本海の湾岸で、あの濃い緑色と群青色で出来た水が、荒々しく大きな岩に打ち上げるさまがなにやら恐ろしい感じさえして、実際その日本海に入ってみると塩辛いし、子供の頃には遠泳教育という名のもとで、そこで1kmも泳がされたりし、足は届かないしクラゲはいるしで怖かったものでした。そんなコワガリズムな当方が、ここ南仏ならば、海を見て歌いながらサイクリングをするときたものですから、ところ変われば人の気持ちは変わるものです。
この気持ちの変化は、地質学的な事実に基づくものとも言えましょう。詳しいことは分かりませんが、日本列島を取り囲む海底プレートは、はるか昔から海の底を旅してきた四つのプレートがひしめきあい構成されているのですって。ついでに言うと、その上の細長い日本列島だからこそ、地震多発の火山国なんですって。日本海沿岸に人が佇むとき、その島の脆さがゆえ個人の思いを不安にさせたのでしょうか。実際、海にちなんだ日本人の音楽は哀愁のある旋律が多いですよね。恨みっぽいものもあるぐらい。(桑田佳祐さんの楽曲と日本唱歌は除きます)それに比べると、欧米の海に寄せる音楽で、例えば私が歌えるものをあげると、フランス人作曲家フランシス・レイの「Du
soleil plein les yeux(邦題:さらば夏の日)」でしょ、ブラジルなら我らがジョビンの「イパネマの娘」でしょ、それに、いま私が歌っているモータウンレーベルの「Under
the Boardwalk」どれも軽快で明るくて爽やかです。皆さんも歌ってみてくださ〜い。
では、物語の世界ではいかがでしょうか?海にまつわるお話… アメリカならメルヴィルの『白鯨』(←私こと英米文学専攻しておりましたが、この小説は題名しか存じません、近いうち読んでみます)、ヨーロッパの文学なら、そう、あれなら知ってます。『人魚姫』!けれども人魚姫はたいそう悲しい運命のお姫様でした。海を捨てて陸に上がるも、結局この若い娘のひたむきな恋慕の情は打ち砕かれ、最後は海の泡になってしまいました。この明るい白い波しぶきからは、にわかには想像し難い哀しい物語でした。他方、暗い日本海の姫様といえば、伝説『浦島太郎』の乙姫様ですね。この方は、人魚姫に比べると結構なご身分です。ご実家の竜宮城では日々鯛や平目と宴を催し、享楽的まさに80年代バブル時代の常世の島。その上、よく考えてみると乙姫様は意地が悪い方です。ウラシマ氏と結婚生活を海底で送られている頃は一見優しそうな絶世の美女ですが、ひとたびウラシマ氏が彼女の元を離れて帰郷を嘆願するとしたところ善意を装い老化促進の媚薬をプレゼント。
かつては仲がよかったのでしょうに、これは腹いせでなされたことなのでしょ、乙姫さん?
そこから先のお話は皆さまもご存知ですよね。まあ私のこの見解も相当ひねているとは言えども、この浦島太郎の海物語には、日本民族の性質が語られているとかいないとか…
道はゆるくカーブしてきました。自転車の速度を弱めます。けれど、私の目の前にはこの南仏の海岸が続いているのです。従ってひねた見解はいりません。すがすがしく参りましょう、サイクリング、サイクリング、ヤッホー、ヤッホー♪
Oh the sun beats down and melts the tar up on the roof
And your shoes get so hot you wish your tired feet were fire-proof
Under the boardwalk down by the sea
On a blanket with my baby ... is where I'll be
海岸の歌「Under the Boardwalk」の英詞第一小節です。
子供の頃のマイケル・ジャクソンがカバーで歌っていたものです。
追伸:パリの街や郊外の観光地では、自転車をレンタルすることができます。この夏フランスで休暇を過ごされる方はお試しくださいね。でも、2009 年のヨーロッパの夏は暑いみたいですけど。アレアレ!ふらんす!

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パリの思い出 第十三話
ラララ、ラバンバ深夜便!
夕暮れのシャルルドゴール空港のターミナル1、成田空港行きのフライト
279便、これから私が乗務する深夜便のお話をはじめます。さて3ヶ月のバカンスを終え、久方ぶりのお仕事であります。長いお休みの間、ニースの海岸やパリ郊外散策ツアーで過ごしたきらきらとした日々を、そっと思いかえしては、ふっとため息が漏れてしまいます。バカンスよ、カムバック!カムバック トゥー ミー!でも、幸い仕事始めは、夕方発の長距離線です。ですから、お客様はお静かに過ごされることでしょう。ボンソワール皆様、ビアンブニュアボード、ようこそ黄昏のジェットストリームへ、バカンスあけで気合の出ないオテスの私にしばしお付き合いくださいませ。
今夜はボーイング747−400機恒例の2階席ビジネスクラスを担当いたします。よかったよかった、なぜって2階席のギャレーなら、1階より気楽に仕事が出来ますでしょ。それに今夜の2階席には、珍しく日本人のお客様が皆無なんです。階段を上がって来られたのはヨーロッパの白人系の方々、年齢層は多分60代くらい、有閑富裕層の雰囲気です。それでもエナジーにあふれていらして、お食事サービス中、イタリア語が客室内に意気揚々と飛び交っています。もともと、パリ発日本便の日本人乗客専門で雇用されている私は、これでは今夜は日本人オテスとしてRaison
d’etre(レゾンデートル=存在理由) がない?かもしれませんが、でもこの際、レゾンデートルなど無くとも、むしろ今の私には好都合です。つまり、虫のいいことを申し上げますと、欧米のお客様は、日本人乗客と違って自立されているので、必要以上に、乗務員にサービスを求めないものです。しめしめ、静かな夜の逃飛行が期待できそうなのです。私は、debarrasser(デバラセ=動詞、片付けるの意)をすませ、バーカウンターをしつらえると、早々にギャレーにこもり、カーテンを引き、折りたたみ椅子を広げ腰掛けました。どうぞ皆様も快適にお休みくださいませ。
キャビンが消灯され、飛行機は星空の上をおだやかに飛行しています。折りたたみ椅子にもたれ、雑誌をめくる手を止めて、私はこう思いました。それにしても、なんでしょうかキャビンが随分とにぎやかじゃない?イタリア人のお客様は、皆様団体観光のご一行様で、夕食の後も、まだまだ仲間同士、興奮冷めやまらぬようです。そこへ閉めておいたカーテンの隙間から、巻き髪のイタリアンご婦人が顔をあらわし声をかけてきました。
「Can I have Sake?」
彼女はにこやかにおっしゃいます。お酒の瓶なら、確かカウンターにいくつか並べておいたはずだけど・・・。 私は慌ててカーテンをあけ、ミニバーを確認すると、おーらら〜、食後30分たらずにして、早くも出していた日本酒は飲んでしまわれたようで、空っぽの酒のビンが数本戻されています。私は、voiture(ボワチュール=女性名詞で、車。ここでは機内の飲食物を運ぶカートのこと)
から日本酒のビンをとりだし、彼女に渡しました。更に、もうお二方年配のイタリア男性が近づいてきました。
「I want Sake, too」「Oh, Sake, Please!」
Sure ! Certainly、しっかし『このペースだと、お酒がなくなっちゃうで〜』。私は懸念して、ミニバーにクロネンブルグ(フランスのビール)を並べました。するとバーの周りに、数名の方々が集まり、ビールの缶をあけ乾杯しなおしています。おつまみのアーモンドやあられもあっというまになくなり、あわてて補充、すると今度は氷が切れているので、氷を補充して・・・。
続けてピーン、コールボタンの音です。私は前方部の依頼主の席に向かうと、アルコールで表情がほぐれた数組のご夫妻たちが、私と記念写真を撮りたいとのこと。With
pleasure! 私は彼らと並んで左に右に決めのポーズ!
「We are planning to climb Mt.Fuji.」
アーハン、なるほど、フジヤマ、オサケ、日本の観光がそんなに楽しみでいらっしゃるのですね。有難いことです。ブルネットのご婦人が、メモを取り出し私に言います。「漢字であなたの名前を書いてくださる?」。私は、書きました。その隣の方もメモを渡してきます。ついさっきまで日本人オテスとしてのレゾンデートルはこのフライトでは皆無と思っていたわたくし、事態は一転し、サインまで頼まれ人気急上昇というか、大変です。ミニバーには又お酒がないとのこと、私は1階のギャレーから日本酒をおすそ分けしてもらい、階段をかけあがり戻ると、またもや氷切れ。慌てて再補充して、プラス、彼らの日本観光相談には笑顔で応じ、約40名の精力的なイタリアのお客様のアテンドにくるくる目が回りそうです。とても一人じゃさばけなーい〜!(相方はただ今仮眠中也)
フランス人もそうですが、イタリア人といえば、より典型的なラテン系の民族です。情熱のかたまりみたいな方々です。宴もたけなわ、彼らの明るく豊かな声量でもって、笑い声や冗談話が2階席に充満していました。そして、ついに中央部から歌声がはじまりました。
Para bailae la bamba, para bailar
la bamba.
続けてにわかに2階席の皆様一同声を高らかに合わせます。
Y arriba, y arriva, Por ti sere, por ti sere, Bamba bamba, Bamba bamba.
使用済みのverre(ヴェール=男性名詞 グラス)と新しいグラスを入れ替えていたところ、写真を撮ったご夫妻が私の肩をひいていくものですから、すっかり輪の中に入れられ、わたしも彼らと肩を組みあい、歌います。
ラララ、ラララ、ラバンバ、ラララララ・ラバンバ♪ ヤリバ ヤリバ!
私の小さな声など、彼らの歌声の中ではかき消されますが、彼らの中にほとばしる、ラテン魂を存分に体感するのでありました。ちょうどラバンバの歌が3番目に入ったところ、中央部の座席に座る一人の白人紳士がアイマスクをつけたまま、むっくと立ち上がる光景が目に入りました。背が高く細面な顔立ちの方です。彼は足を広げ一呼吸し言いました。
「That’s so, so ridiculous!」
はい、リディキュラス=愚かしいこと、今、あの方はそうおっしゃられましたよね。そう、私はまがりなりにも、目下、このキャビンのサービス従事者でした。私は歌の輪を離れ、慌ててMr.アイマスクの席へかけ寄りました。彼は、耳栓をはずして、アイマスクをもちあげ、首をゆっくり左右に振り、私に訴えます。
「ボクは、この飛行機が成田に到着したら、その足ですぐに東京で大事なコンフェランス(会議の意。ミーティングと異なる点は、複数の会社が集まって行われる規模の大きな会議)があるのだよ。そこで、僕は議長を務める責任があるのだよ。だから今ここで眠るために、あえて夜行便に乗ったというのに、これじゃあ全く眠れやしない。全く、なんてso
ridiculous!」
彼は不運を嘆きます。彼の秩序ある整然としたリズムの英語から推測すると、英国紳士の方だと思われ間違いないです。情熱のラテン対する気品のアングロサクソン、いまや英国紳士の頭からは怒りの湯気でも湧き出しそうです。本日、彼だけが唯一この2階席で観光団体に所属していないビジネス渡航の方だったのでした。しかも、こんな逃げようもない中央の席に、アイマスクをしてぽつんとひとりで・・・。いやはや気がつくのが遅れ申し訳ないです、この3時間ほど耐えに耐えていらしたことがよく分かりました。
私は、気をひきしめてラバンバ合唱隊にお願いをしました。
「For another passenger’s sleep, could you enjoy your flight a little bit softly, please?」
かようにソフトにお願いしたところ、イタリアのお客様はおおらかで、あっけらかんとご了解くださいまして、ひとまず歌声はひけました。それから、少しずつ、お酒のおかげか賑やかな話し声はおさまってゆき、窓は閉められてゆき、皆様徐々にに高度1万メートルの眠りについてゆかれました。

Madams et Monsieurs, c’est le
capitaine. Nous allons atterrir a l’aeroport de Narita, Tokyo apres deux
heures. Maintenant le temps de Tokyo est midi, Mercredi, octobre 15.
(機長よりアナウンス:当機は約2時間後に、東京成田国際空港に着陸の予定でございます。現在の東京の現地時間は、10月15日(水)正午12時でございます。・・・)
機長の仏語と英語のアナウンスが聞こえてきます。お目覚めになられましたか?皆様、雲の下は、きっと今日も快活な東京の午後でしょう。私は閉められていた2階デッキの窓を開けてまわります。窓の外は青空です。Petit
dejeuner(プティデジュネ=朝食)のオムレツがまもなく焼ける頃です。機内を点検していると、ビジネス英国紳士は、アイマスクと耳栓を取り、7時間前てんてこまいだった私を見て、めくばせしてにんまり。控えめな深い声で言いました。
「Those eye mask and earplugs worked effectively somewhat.」(これらのアイマスクと耳栓は幾分効果的に働きましたよ)
ホントに、このフライトは大変でしたが、でも、楽しいラララ・ラバンバ深夜便でした。私は、彼に熱いおしぼりを差し出しペコリと頭を下げるのでした。
文中、歌われている曲は「ラバンバ」という有名な古いラテンの曲です。
最近でも日本のテレビCMで「あらら、ちょっとネムイな〜」という替え歌が使用されているのを聞きました。
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パリの思い出 第十四話
マダム ヴィヴィンバとムッシュ マンタロウ
パリには素敵なレストランがそこかしこにあります。アールヌーヴォー様式の三ツ星レストランから、じっくり煮込まれたオニオングラタンスープがご自慢のこじんまりとしたレストラン等々。そんなパリに住んでいて、結局、わたしが何度も足を運んでしまうレストランは、restaurant de coree (レストラン ドゥ コレ=韓国料理レストラン)でした。もちろん、ご飯が食べたければ日本食レストランもパリには数多くあります。それでもなお、その韓国料理店の石焼ビビンバの出来立ておこげご飯に、私はとりこになり、もうこれで何回ここに足を運んだことでしょう。今夜も扉をあけると、『あら、また来たの〜』といった様子でお店の韓国人の娘さんが出迎えてくれました。
程よい高さの天井と、ぽっこりと灯された照明が、アジア人には落ち着くのでしょうか。16区に構えるこのレストラン、在仏日本人には口コミでとても人気があるのです。さて、奥のテーブルで、今夜も、先にCA同期・先輩たち3名がすでに座っていてメニューを見ているところです。私は、この日の午後にアンカレッジからモンパルナスに戻ったところです。いくつかの空港を2週間ほどかけて転々とフライトしていたので、早く暖かいものを食べて時差調整をしたくて、石焼きビビンバをオーダーしようとすると、お店の娘さんが、それを見こして先にこう言いました。
「ビビンバsans viande, avec un verre de menthe a l’eau? N’est ce pas?」
そう、彼女が言ったのは、私のいつものメニュー、肉ぬきのビビンバで、飲み物はマンタロウです。マンタロウというのは、明るい緑色をした冷たい飲み物です。直訳すると「水にミント」。ですから、menthe a l’eau(マンタロウ)と書きます。
飲み物が、テーブルに運ばれたところで、A votre sante!(アボートゥルサンテ=乾杯)。近況報告やらウワサ話なんかをしているうち、なにやら話題の矛先が私に向けられました。
「そういえばこの前、スチュー(Steward)のブノワがケイちゃんのこと怒ってたんだよ!」
「えっ!なんでよう?」
私は、マンタロウを飲むストローを口からはずしました。マンタロウのミントがのどをとおって思わずひんやり・・・。ブノワが私の悪口を同期に言うだなんて!
ブノワという名のスチューは、フランス人クルーの中で、際立って日本人に親切な青年で、日本人オテスたちは、たいがい彼の顔と名前を知っています。そういえば、最近、ロワシーにあるオフィスビルの通路やらせん階段で彼にすれ違うたび、いつも私に気さくに声をかけてくれていたのです。交わす会話はいつも同じくだりでした。以下のようとなります。
「On ira au cafe ensemble?」(一緒にカフェにでも行こうよ!)
「Ah oui, ce sera amusant !」(はぁい。いいですね)とわたし。
「Quand ? Quand tu veux me voir?」(いつにする?)
「Maintnant je ne suis pas sure, bon je te telephonerai.」
(今、予定が分からなくって。また、今度電話しますね)
「OK,appeles-moi!」
という流れの会話が3セットほど繰り返されたこと、私も記憶に新しいです。だけど、なんたって彼はそんなに怒っておられるの?
続けて同期は言いました。
「ケイコはメシャンだって。そこまで、ブノワは言ってたんだから」
「ひぇ〜!メシャンってか?」
メシャン(mechante)というのは、意地の悪いとか、悪意があるとか、他に有害なんていう類の意味をもつ形容詞です。私はあわてて緑のマンタロウを飲み干してしまいました。とりあえず動揺を隠すためです。そして、私はここ暫くの彼とのやり取りを、皆に打ち明けました。
「それはですね、相手は日本人じゃないんだから、ハッキリ言わなきゃダ〜メでしょ!また電話すると言われればフランス人は本当にそう思って電話を待っているものよ!」
(帰国子女で同期T美ちゃん)
「はっ、はっきりといっても、一体どう言うのん?仕事のとき険悪になるようなこと言いたくないやん…」
「そこは、それそれ適当に!例えば、パリにいるときはお料理教室に通っていて忙しいとかさぁ…」 (インターナショナルスクール出身のR子先輩)
「ふ〜む」 (大阪府出身のワタシ)
「そんな深刻にならなくとも、ちょっと忙しいから無理だと手短に断れば済んだことよ。最初にそう言っておけば、フランス人は大人だから、相手に何らかの事情があると悟り、詮索もしてこなければ二度とは誘っても来ない。結果として、かえって怒らせることにもならないものよ」 (ヨーロッパの女子寄宿学校出身 A先輩)
「なんだー、そう言えばよかったのですね〜」
と、私はがっくり頭をもたげます。
ところで、『フランス人は冷たい』という一般的なうわさを聞いたことがありますか?あれはワタクシ思うに大ウソです。ひとたび親しくなると彼らは、友人関係に非常に情が厚く、そのぶん、友人がウソをついたりして裏切ると、日本人よりずっとがっかりされるようです。フランスの男性は、大胆かつ繊細なのですね。私は、その場しのぎの対応で、ブノワをがっかりさせてしまったのです。では、謝罪した方がいいのでしょうか?同期や先輩たちは、私の問いにしばしの間をおき、意見を提示してくれました。
「けれど、謝ってもケイちゃんが意地の悪いメシャンであるという印象はブノワから払拭できないでしょ」
「むしろ彼とは暫く話さないほうがよいのでは?」
「そうこうしているうち、あっという間に彼も怒りを忘れて、他の子に声掛けを再開するでしょう」
Je suis d’accord.(ジュスイダコー=了解)
いかんせん後の祭り、謝っても修復不可能ということなのですね… そして石焼ビビンバが運ばれてきました。私は、たっぷり盛られたナムルと卵をスプーンでかきまぜながら、自分の発言の甘さをかみしめます。そして、マンタロウをもう一杯お願いしました。
さて、その後、実際に皆のいう通り、ブノワの怒りはじきに冷めたようで、私の悪口を言うことも一切なく、かといって、もう私には話しかけてくることもありませんでした。これに懲りたワタシは、外国人との会話で言葉のニュアンスの違いに気をつけようと思います。最後に言い訳したいのだけれど、日本語では『君に又連絡するよ』と聞かされた場合、その真意をフランス語に直訳すると『Adieu=さようなら(二度と会わない場合に使用する)』になるんです。これ、絶対に間違いない!じゃあ、又ね、A tout a l’heure!
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パリの思い出 第十五話
お客様はマネーゲームがお好き?
Hors-taxe免税品とは、旅行者に対して商品にかかる関税・消費税等の税金が免除されたもので、多くは空港ゲート内の小売店や飛行中の機内でその販売がなされています。そして、日本人のお客様は免税品が大好きなようです。
「みなさま、只今より各後方部のギャレーにて免税品の販売を行います。ご購入をご希望のお客様は、お座席の商品一覧カタログをご参照の上、ギャレーまでお立ち寄りくださいませ!」
お食事サービスの片付けが一段落したところで、先輩の日本語アナウンスが流れております。私はエコノミークラスを担当中、スチューのシャルルと最後方部ギャレーの中に、3台のカートを使い、ちょっとした囲いとカウンターを設け、にわか免税品販売店を立ち上げました。そして、まさに今エコの前方からご婦人たちが立ち上がり、こちらへカタログとお財布を持って意気揚々と直進して来られるお姿を見て、お客様の免税品に対する熱いパッションを感じとり、こちらも思わず武者震いをするのでありました。なにしろ本日は全席満席で、エコノミークラスは99%日本人の観光客で占められています。日本人オテスとしてのレゾンデートル発揮するなり!商売繁盛で売りまっせ〜!今しがたCCP(セーセーペー=チーフパーサーの略称)より配布された最新為替レート一覧表が、しっかとギャレー脇に添えられております。
さて、機内販売で扱っている免税品のラインアップについて少し説明しておきますね。まずは、フランス製のビジュー(宝石)として、バカラのペンダントからイヤリング、スワロフスキーのブレスレット等々があります。お高いめなので自分の目で確かめたうえご自分のために買われる方が多いみたい。そしてビジネス渡航の男性客には、モンブランやカルティエの万年筆・スウォッチの腕時計が、それに奥様からご主人様へのお土産としてはエルメスのクラバット(ネクタイ)などが人気商品として挙げられるでしょう。さらに、航空会社オリジナルのマグカップや人形などはいつも争奪戦とあいなります。また、日本人のお客様の場合では機内で知人の方へのお土産物を購入されることが多く、その際は、やはり口紅やコスメパレット、香水等が選ばれております。
一番乗りのご婦人がどうにか通路をかき分け進み、ギャレーに到着されました。開口一番カタログ写真を示し毅然とおっしゃいます。
「このコスメパレット、3セットいただけるかしら?」
シャルルがカートからすばやく、3箱取り出すと彼女はほほを紅潮させて喜ばれます。そう機内の免税品販売は、いかんせん数に限りがございますから、先着順です。毎度ありがとうございました。
「こちらは1品52ユーロですので、3点合計156ユーロでございます。お支払いはいかがなさいますか?」
「あー、私ねユーロはもっていないのよ。円でお支払いしてもいいかしら?」
はい、もちのロン、結構でございます。といったものの『私、換算するのが苦手なんです〜』。 私はシャルルとご婦人に背を向けて、為替レート表を照合しノートブックを広げ計算をします。えっとえっと、52ユーロのコスメセットが3箱で、156ユーロでしょ。それで目下1ユーロが132.474円だから、156かける132.474となり、四捨五入の小数点以下切り上げして!
「お待たせいたしました。合計2万とんで6百6十6円となります」
「…、今、1円は何ユーロなの?」
「こちらの最新情報では、1円を基準と致しますと、0.0075ユーロ、でございます」
ご婦人は、面倒になったのか計算法についてそれ以上深く追求もせず、お財布からお札と硬貨をあわせて支払われ、品物を受け取ってゆかれました。

お次に並んでいる4人の女の子たちは、卒業旅行からの帰路でしょうか、皆同様に一人に一つずつコスメパレットがほしいのだって。しかし、シャルルが残念そうに言います。
「Il y en a trios.(あと3箱あります)」
彼女達は仏文学ご専攻のようで、シャルルのフランス語を聞いて理解し、中でも品物にあぶれてしまった一人の女の子が悲嘆にくれてしまいました。でも、大丈夫、やさしいシャルルが対応策として、Coffret Miniatures aux Parfums(香水のミニボトルセット)を彼女に披露すると、それは大層可愛いといって気に入っていただけました。香水を使用後もボトルはなくならないし、思い出の小瓶になるんじゃない?それで、他の女の子も香水セットに変更するとのこと。
「香水セットは一箱30ユーロです。お支払いはいかがなさいますか?」
ここから先は、日本人の私の出番です。(あまり面白くない役回りだが)
「スチュワーデスさん、私、ユーロの小銭を使いきってしまいたいのです。不足分は円払いでもいいですか?」
「わたしは、ドルとユーロの小銭使っちゃってもいいですかぁ?」
は〜い!皆様、この際結構でございますよ!またしても、私は皆にくるりと背を向けノートブックを広げ為替レート表をにらみ必死です。日本到着前に、機内で外貨を使いきりたいのはごもっともです。しかし小銭はつらいぜ、お客様。
「Ca vas?(大丈夫?)」電卓を持って、切羽詰っている私を案じて、シャルルがノートを覗いてきました。Ca vas pas! 大丈夫ではありません、ヘルプミー!ワタシは彼に小声で説明をします。今、彼女らが出された紙幣および貨幣の合計から、残り金額を円に換算してお客様から頂かなければなりません。
「米ドルが3ドルあるから、1.4703かける3でユーロ値にして、20ユーロ札が1枚と、20セント硬貨が3枚で60セントでしょ、10セント硬貨が1枚で70セント……」
soixante-dix(フランス語で七十のこと。和訳すると六十と十という意味です)あらあら、フランス語で計算していたらますます混乱してきました。やはり、私は計算が苦手です。
(一応、数字のこと下の黒板に書いておきました。ご参照ください)

さて、シャルルとのチームワーク合算でなんとか彼女らの精算を済ませ、お次は上品な老婦人、画家とか音楽家とかそんな雰囲気の方です。私は、まだまだ彼女の後ろに続く長い列を見て思わず威勢よくなってしまいます。へい、いらっしゃいませ!
「ねーえ、さっきの学生さんが買っていらした香水セットにはオードトワレも入っているの?」
彼女は香水セットを指し示します。パルファムは濃度15〜25%で香りの持続性が長く、他方オードトワレは5〜10%の濃度で、男性向け香水としてはオードトワレが一般的ですが、高級品としてはパルファムが優位でございます。
「いいえ、こちらは全品パルファムになります」
「あ〜ら、そう。このミニパルファムは、私の弟子にパリのお土産として一つずつ配るのにちょうどいいわ。残り全部頂ける?それにコスメパレット3つお願いね」
へい、毎度ありがとうございます!シャルルは、品物を袋に入れ彼女に爽やかに渡します。メルシーマダム!
「お支払いは、いかがように、なされますか?」私は更なる複雑なお会計を懸念し、低いトーンの声になります。
「これで、お願いできる?」
ご婦人は、長財布からクレディットカードを取り出されました。あっ、そうして頂けますとは、実に助かります。速やかに、シャルルはカードを受け取り切っています。カード払いでしたら、そのまま"ユーロ建て"で精算するのみ、外貨換算はカード会社のお仕事です。ご婦人は救世主です。お陰様で売れ筋商品が只今完売いたしました。
さて、ルポ(仮眠)の後シャルルに耳打ちされたのだけど、CCP(チーフパーサー)が念のため後で機内販売の収支をカウントしたところ、どうにも解析不明な不足分ユーロセントがあったそうな。でも、シャルルは明るく言います。これはごく小額だしさ!
「僕らがこうして話しているうちにも、地上ではレートは変わっているからね!Ca ne fait rien, Keiko!」
今日のフランス人シェフが細かくなくって良かった。これが日本人の上司なら今頃通路に立たされてるところだったよね。いずれにせよ、過度な小銭精算は今後は躊躇(ちゅうちょ)させていただくこと、なにとぞ宜しくご了承くださいませよね、お客様!またのご来店をお待ちしております。A tout de suite

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パリの思い出 第十六話
サロン・ドゥ・ボテでパームをかける
「突然ですが、本日、髪にパーマネントをかけます!」
私は、アパートの窓から見える11月の空に向かいそう誓いました。外の気温は摂氏9度、時はイベール(l'hiver冬)、パリの街は木枯らし到来の季節となりました。私の住むアパートの部屋には、オイルヒーターが備え付けられており、ほかほかと穏やかに暖かく、そんなある初冬の朝のことです。
私がパーマをかけたいと動機づけられたのは、先日の香港フライトで一緒だったフランス人オテスのエリザとの出会いによります。エリザは亜麻色の髪をしています。そしてステイしていた香港島のホテル最上階パノラマレストランで彼女とすれちがったとき、彼女の髪が、なんていうか、こうただ無造作に、くるくるとまとめていて、そのさりげないシニヨンの遅れ髪が、自然にカールされていて、ワタシだってあんなふうに髪を装ってみたいと、そう思ったからです。
アパートの窓からふりかえり、私は外出する前にやっつけなければならない洗濯物に目を向けました。フライトから帰った翌日は、目が覚めたら、まず一番に洗濯を行うのが常なのです。私は、みかん箱よりひとまわり大きいくらいの四角い簡易洗濯機を、"うんとこしょ"と持ち上げバスルームへ、そこでバスタブの両淵を支えにして、今度はそこに"どっこいしょ"、簡易洗濯機を載せました(これが結構、重たいんだよね〜)。洗濯機のドラムの中に、洗い物と粉石けんを入れ、お次に、水をためましたらば、スイッチオン!ドラムは回ります。ガランガシャンと半回転、次に速度を速めてもう半回転ガランガシャ、スムーズな音で回っていますね。Ca marche!(That's running!)
次に、キッチンでクロワッサンを温めながら、オブニー(OVNI在仏日本人向けフリーペーパー)に目を通します。どこか手ごろなサロン・ドゥ・ボテ(Salon de beaut?美容室)はないでしょうかね?実は渡仏後はこれまで、美容室は日本便乗務のとき、大阪や東京ステイのときに済ませていました。しかしこのたびは、エリザのような、自然なカールをつけるのですから、当然フランス人ヘアデザイナーさんにお願いすべきでありましょう。オブニーをめくると、中ごろのページの下段に、美容室の広告がありました。場所は2区です。2区といえば、パリの中心部に位置しておりまして、ここにはパリの日本人街「リトル東京」があります。それに名物パサージュ(Passages)「ギャルリ・ヴィヴィエンヌ」もあります。ですから、わたしは躊躇なくこの美容室に行くことにしました。
さて、午後になり出かけます。モンパルナス大通りの並木道には今、マロニエの落ち葉が積もり始めていて、枯葉が、茶色いブーツのヒールと、かしゃかしゃとからみあいます。それで私は、思わず、かの有名な一曲"枯葉"のメロディを口ずさんでしまうわけ。Les feuilles mortes、枯葉、ホンモノです。今日は、通りの小さなバス停からバスに乗り、ギャルリー・ヴィヴィエンヌへ向かうことにしました。バスに乗り込むと、ここにも一人のすてきな巻き髪を見つけました。赤いタートルネックのセーターの女の子、肩先にゆれるブロンドの柔らかいカール、なんとも素敵です。"やっぱり、髪にカールつけないとさ、この冬は始まらないよ"と、女の子のシルエットをこっそり見ながら、ワタシは2区へと向かうバスに揺られ、胸をはずませるのでありました。

バスを下車しまして、美容室に向かう前に、ちょっと寄り道していきませんか?ギャルリ・ヴィヴィエンヌに入りましょう。ギャルリ・ヴィヴィエンヌというのは、パッサージュのひとつで、つまりアーケード、だから日本語でいうなら商店街、ですかね。いえいえ、商店街って言っても、大阪の天六商店街とか東京は中野のパール商店街とは、イメージが全然まったく違います。天井を見上げてみてください。パッサージュのずっと先まで続くガラス張りの円形屋根は、雨をしのぐためのものですが、そこには豪華な模様がほどこされているでしょ。それに、足元を見てくださいな。色とりどりに、モザイクタイルが全面に敷きつめられており、どこかオリエンタルな荘厳さが漂っているでしょ。はい、これがパリのパサージュです。だけれど、商店街としての機能は確かでして、パティスリ(P?tisserieお菓子屋さん)、ブティック(Boutique)、リブレリ(Librairie本屋さん)などが並び、店先にはポストカードの陳列台なんかも置かれています。雑貨屋さんの店先には、椅子の上に大きなバスケットが置かれ、かごの中に布で作られたクマのぬいぐるみがいくつも入っていました。1つ、15ユーロか… パリの雑貨って、決して華美でなくても味があって心をひくものが多いのです。私は、いったんは通り過ぎたバスケットの前にひき寄せられ、身の丈25cm、中肉ぎみのクマを一つ、二つと取り上げました。一つはクリスマスのプレゼントとして、もう一つはワタシの小さな部屋のためにです。

さて、欲しいものが多くなるばかりなので、パッサージュ散策はこの辺りで終わりにして、本題のサロンドゥボテ(美容室)に戻りましょう。私の髪を担当してくださるのは、いかにもがんこそうなヘアーデザイナー、おそらくこの店で一番経験豊富なのでしょう。店内では、スタッフも、彼には一目置いているようすが伝わってきます。そして、彼はワタシの要望に真剣に耳を傾けます。
「Bonjour, mademoiselle. Voulez-vous une coupe?」
(いらっしゃいませ。カットでよろしいでしょうか?)
「Oui, un peu plus court. Et je voudrais une permanente!」
(はい、少しだけ切ってください。それにパーマネントをお願いします)
Voila、そう言って、私はあらかじめ用意していた雑誌の切り抜きで、理想とする巻き髪の女の子の写真を、彼に差し出しました。写真のモデルは白人の女の子です。Hum~ ヘアデザイナーさんは、あごに手をやり写真をながめました。そしてワタシの髪に触れて、様子をチェックしています。
「では、Allons-y!」(どうぞこちらへ)シャンプー台へと向かいます。では、これよりパーマネントの作業開始となります!
しばらくお待ち下さい。
鏡の前で、サロンのスタッフたちが私を取り巻いて言います。
「Tu es tres magnifiqueマニフィック!」
「Oui,ゴージャス」
「黒髪の巻き毛よ、美しくダイナミック!」
皆の過大な絶賛に、私はしらけました。これって、ゴージャスかぁ?まぁ、言いようによればゴージャスかね!私は、ふつふつとこみ上げる怒りを抑えお会計を済ませました。
その日の夜、部屋のテーブルに鏡台をのせて、私はくるんくるんのカールの一部を引っ張ります。手を離すと髪は勢いよくコイルのように縮れていきます。ワタシのイメージしていたのは、ふわふわと陽射しにとけそうな柔らかいカールだったのよ。しかし冷静に考えてみると、決してヘアーデザイナーさんだけの責任ではありません。結局、フランスの女の子は髪が細くて柔らかいのです。彼女らの髪型をサンプルとして、黒くて硬い髪質の私に同量のパーマ液を使用すると、そうとうきつくパーマがかかってしまうのでした。あーあ、なんともタンピー(Tant pis! 残念!)
かくして、ワタクシは、明日もサロンに赴き、パーマネントをすっかり落としてしまい、元のストレートの髪に戻してもらうことに決めました。では、明日もまたギャルリ・ヴィヴィエンヌでね!
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パリの思い出 第十七話
最終回 モンパルナスよりラムールをこめて
「皆様、只今、ご搭乗機はシベリアの上空高度1万メートルをパリに向けて飛行中でございます」
今頃、地上におかれましては、オリオン座が美しくその星座を描き冬の夜空に広がっていることでしょう。その星の合間をまっすぐに進む、白色の飛行機B747-400が見えますか?そう、尾翼のところに赤と青の線の模様が美しいその飛行機、私が乗務しているエールフランス277便です。
さて私は、機内にて7才と5才のキッズフライト(注釈1)の男の子二人組が、毛布をかけて眠っている可愛いらしい姿を確認して、頭上の読書灯を静かに消しました。客室には、他にも子供連れのフランス外交官ファミリーや、東京在住の日仏ハーフのリセエンやリセエンヌたちが多く搭乗されています。みなさま大変幸せそうで、穏やかな雰囲気が広がっています。この飛行機が、パリに到着する日時は12月24日のお昼過ぎ、ちょうどクリスマスイヴの日です。今ここにいるフランス人のお客様は、大概、日本在住の方で、クリスマス休暇のため、故郷のフランスへ帰省されるところです。ギャレー脇ジャンプシート付近で、眠りにつけない子供達が集まって窓の外を覗いたり、スチューとボール遊びをして過ごしています。一人の金髪の少年がポケットから、あめ玉をとりだし、私に差し出してくれました。水色と白のうずまきのあめ玉です。私は、小さな男の子のくれたうずまきのあめ玉を見て、去年までのクリスマスのことをふと思い出しました。
(注釈1)保護者同伴のないお子様だけのフライトのこと
1年前のワタシ…、ワタシは神戸にあるきわめて厳格な女子大学に通っていて英文学の勉強をしていました。学校を卒業したら、英語を話せるようになって、いつかはイギリスやフランスなどヨーロッパに行ってみたい!そんな思いでいっぱいの女学生でしたから、授業のない冬休みにも、なるべく英語を使うように、関西在住外国人の子供たちのベビーシッターをして英語に慣れつつ、ついでにお小遣いを稼いでいたりしたものでした。それで、去年のクリスマス、私がいつもお世話していた小さな女の子ファティマちゃんと、たくさんのうずまきのあめ玉を一つずつセロファンに包んでツリーの飾り物を作った情景が今、ふっと呼び起こされたのです。
思えば、学校に行っていた頃は、いつだって私はホントに冴えない子でした。実際せっかくのクリスマスだというのに、時給8百円のアルバイトに明け暮れているのがそのよい例です。それに私の性格といえば、声が小さくてウルトラ級の引っ込み思案でしょ。おまけに運動音痴で、手先も不器用、こんなに何拍子も悪いことがそろっているものだから当然自分のことが好きじゃなかったのです。そんな折、いよいよ卒業後の進路を考える頃、英字新聞の求人欄を読んでいて、スチュワーデスの募集広告を見つけました。なになに、『合格者は春よりパリでの居住が必須となる・・・』『指定日に東京の会場まで履歴書を本人が持参すること、郵送不可』。おーなんと、これは、急がねば!引っ込み思案のワタシが初めて積極的になったのがこの時です。でも、背もさして高くないこんな私がスチュワーデス受験なんて言うとおおよそ皆に笑われるから、だから、こっそり東京までの列車に乗ろう!そして私は都内の会場まで履歴書を持っていったのでした。そんな思いつきで、厳しい面接を突破できたのだから、この世の中は摩訶不思議です。
さて、その後は、青天へきれきの感慨にふけっているひまもなく、身辺はにわかに賑やかになり、そしてワタシは、学校を卒業したこの春、フランスにやって来ました。(その後のことは、これまでにお話してきましたね)フランス人の上司やクルーと出会い、ヨーロッパやアジアの他にもアメリカやカナダなど世界中のいろいろなところへフライトし、ジェットストリームとともに、まばたく間に、私は快活になり、自分の意見を言えるように、そんな風に変わってゆきました。そうして、1991年の春・夏・秋そして冬は、きらきらと彩られ、明日はいよいよパリで迎える初めてのクリスマスイヴ、でございます!

CDG到着後フライト終了で挨拶ビズーを済ませ、まっすぐ午後にアパートに帰宅、軽く仮眠をとってから、私は夕方パリ16区の日航ホテルにやってきました。そこで、パリ在住日本人たちの集まりで、シャンペン片手にクリスマスディナーとやらをいただくのです。私は、お気に入りのビロードのワンピースに、髪はまっすぐ肩におろし、新しく購入したいつもより高いヒールの靴を履いています。同期のはるみちゃんと、ウェイティングルームのカウンターに並んで、背の高い椅子に腰掛けました。カウンターバーの目の前には壁がガラス張りになっていて、クリスマスのイルミネーションが一望できます。とりわけ素晴らしいのは、やはりla tour Eiffel(エッフェル塔)です。今年の夏休み、日本から遊びに来ていたみどりちゃんとこの塔に何度も昇りました。(ちなみにみどりちゃんは、よっぽど楽しかったそうで来年またパリに来るそうです。)
CDG ・・・ シャルル・ド・ゴール(Charles de Gaulle)空港
私は、バーカウンターでこの夜景を目の前にして、隣に座っている同期のはるみちゃんに聞きました。
「はるみちゃん、この前、大使館のパーティーで会ったステキなあの方、今夜来るのでしょ?」
実は、私は、ステキなその方に再会するのが楽しみで、フライトの疲れも吹き飛ばし今夜のパーティーに参加することにしたのです。
「うん。野暮用が入らなければ、来るって行ってたけど・・・」
それを聞いて私は、うっとり自分の思いにひたります。カウンターの前に盛られた野菜スティックをつまみ、かじらずにはいられません。きゅうり3本、にんじん3本、それからラディッシュ、かじっていると、はるみちゃんからストップが入ります。
「ちょっと、けいちゃん、ち〜いと食べすぎじゃない?肝心のディナーのとき食べれなくなるわよ」
フライトの直後で、空腹とはいえ確かに食べすぎです。気が付けば、バーカウンター共有の野菜スティックは、私のせいで、すでに半分は減っています。私は、スティックをかじるのは中止し、手鏡をとりだし、唇を整えました。
その頃、グランドピアノがある奥の部屋で、静かな演奏が始まります。この曲なんていうのだっけ、クリスマスの静かなジャズの名曲です。パリの夜空に、エトワール広場の黄色や青、紫のイルミネーションが交差し反射しています。殿方たちが到着するまで、私たちは、心地よいピアノの音を耳に、そしてクリスマスのパリをみつめます。
「ステキね〜」
「いろいろあったけど、パリに来てホント良かったよね〜」
それは、本当にそう、はるみちゃんの言うとおり。さまざまな光線が織りなすこの夜空をみていると、この1年のことが、日曜のモンパルナス駅前で回っているメリーゴーラウンドのように思い出されます。仏語単語集から取り出して言うのなら、reve(夢)、espoir(希望)、chagrin(悲しみ)、それに、amour(ラムール)そしてvoyage(旅)。こんなのが全部、私のパリの思い出。でも、今挙げたこれらの言葉ってそろいもそろって全部男性名詞ですね。私はそう気づきました。日本語の文法ではつかみにくいけど、フランス語の名詞って、これといったルールなしにそれぞれ男性名詞と女性名詞にふり分けられています。
そして、時は、現在2009年の終わり、『ちょっと待ってくださいなぁ!』、私はあの日の私に呼びかけます。だけど、ひとつ忘れちゃあいませんか、マドモワゼル?フランスで教わった一番大事なこと、他に女性名詞の言葉がひとつあるでしょ?『ほら、それjoie(喜び)っていうの!la vie de joie(喜びの生命)っていう例のもの!』だけど、そうたしなめてみても、22歳のあなたはきっと冗談ばかり。くすくす笑って、それから、けらけらころころと私をからかってみせることでしょう。それから明日、またパリに朝陽が昇れば、モンパルナスの大通りを意気揚々と、駆けぬけていくことでしょう。 -Fine-(完)
―エピローグ―
アタンション、シルヴプレ!皆様1年間にかけて連載させて頂いたこのお話はこれをもって終わりとなります。このお話にアクセスしていただいた方々に心よりメルシーとお礼を申し上げます。さて、来たる2010年は、エールフランスが大阪に就航してちょうど40周年を向かえます。さらに羽田空港からパリへの直行便が就航される日も近いようですね。私とパリの合言葉、合言葉は、アレアレ、フランス!
2009年12月
文と絵/ エールフランス国営航空 第8期生
客室乗務員K

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