塾長は、CAをめざす皆さんには、もっともっと海外のこと、異文化のことを知ってほしいと思っています。当ページでは、元JAL CAの久美子さんに、外国での生活体験をつづっていただきました。2年間の英国ケンブリッジでの生活と、イタリア半島の先にあるマルタ島からのレポートです。 「マルタ島だより(旧ケンブリッジだより)は2ページにわたっています。”その1”ページも合わせてご覧ください。 |
くみ子のマルタ島だよりNo01イギリスから、地中海に浮かぶ小さな島、Maltaマルタへ |
突然ですが、2年と3カ月程暮らしたイギリスから、地中海に浮かぶ小さな島、マルタ共和国へ引っ越しすることになりました。 私たち母子2人は、もともと、1年ほど、海外での暮らしを経験したくイギリスへやってきました。それが、1年伸び、そして更にもう1年・・・。日本にいる主人と、いつ日本へ戻ろうかと、タイミングを話していた中、知人より、マルタはいいよぉ!歴史があり、街はとても美しい、人々は地中海の性格(たぶん穏やかなんだと思います)、ヨーロッパにいながら英語も公用語。それに何と言っても温暖の気候、マルタには、イギリスと違った、もちろん日本とも違う地中海の文化があるよ〜と。 そこで、マルタってどこにあるの?いったいどんな国? これくらいの情報と、知人からの勧めのなか、どうせ日本へ帰るなら、その途中に、イギリスで寒い冬がやってくる前に、しばらく地中海気候を楽しもうと、マルタへ移ることを決心しました。 情報量も少ない中、かなり楽天的な決断。 イギリスでの荷造の時も、セーターなんて、ちょこっとあれば良いでしょ!?厚手のジャケットも必要ないでしょ!?と、多くの冬ものは置いてきました。 気分はホノルル旅行!主人とロンドンヒースロー空港で落ち合い、親子3人マルタへ向け飛行機に乗りました。 機内アナウンスで、マルタの天候は曇り、気温は14度と聞き、泳げないねぇ…と話してました。 マルタの寒さは、イギリスと同じ寒さでした。 マルタの冬、気温は14度、でも体感温度は東京の冬よりも寒く、イギリスと同じくらい寒いのです。その訳は、湿度と風です。冬乾燥し、夏湿度が高い日本と逆で、冬、湿度がとても高いのです。 マルタで寒さと戦うことこととになろうとは。 |
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くみ子のマルタ島だよりNo02- マルタ奮冬記− |
青い海、ふりそそぐ太陽、はちみつ色の街並、笑顔の人々、暖かい冬・・・・・。 私たちは12月28日に、ロンドンヒースロー空港よりマルタへやってきました。 町の人に、マルタの冬はいつもこんなに寒いのかと聞くと、12月、1月、2月は最低だよ、最も悪い時期だ、でもちょっとの間だけだからね、直ぐにガラッと変わって、最高に良い季節になるよ。全員がそう答えます。 最低の時期に来てしまった私たち。最低の時しか知らない今は、最高の時期がイメージできません。確かに、海の水は本当にとってもきれい。でも、冬の海は青くないんです。天気は3日に1度はよく、3日に1度は嵐のようです。気温は最高14度、最低9度などと出ますが、体感温度は最高8度、最低3度くらいでしょう。町のお兄さんもお姉さんも、みんなジャケットやブーツを着込んでいます。完璧な寒い冬です。 ホノルルのような気候を想像していた私たちは、予期せぬ寒さに、思考能力も、行動力も止まってしまいました。だけど、マルタに着いた翌日から、借りる家(部屋)探し、7歳の息子の学校訪問、観光と、忙しく予定を立てていました。 10日ほどホテル滞在の後、借りる家へ移りました。 私たちが家を決める際のポイント、それはキャラクターハウスであることでした。 希望通りのマルタらしい家です。 私たちの家は、築100年以上経っており、3階建の2階部分です。となりの家は、戦争で爆弾が落ちて壊れたそうですが、この家はまったく無事だったそうです。 マルタの伝統工芸、床細工。ペイントではなく、色のついた土を練り込んで作る石の床。 たいていの家の暖房はガスストーブです。 この家には、「暖炉」があります。マルタで暖炉を使うとは?初めは飾りかな?と思ってましたが、これはれっきとした暖房手段だったんです。暖炉がある家は少なくはないと思いますが、多くもない感じもします。マルタで暖炉のある暮らしをするようになるとは、本当にびっくりです。 私が寒さに震えていると、大家さんが、カーペット2枚と、電気オイルヒーターを買ってくれました。でも、昼間子供が学校へ行ってしまうと、家には私1人。4メートルも高さのある、広〜い石の箱に、プロパンガス、暖炉に火をつけたところ、ないよりはまし、というくらいの温かさです。壁の高い所には、エアコンも付いていますが、家を温めるには時間も、電気代もかかりそうです。 暖炉に火を入れて、ゆったり優雅に過ごすことはあきらめて、1部屋だけ暖めて、残りの広い範囲は氷のように冷たくなったまま暮らしています。 イギリスの最初の冬も、寒さで体調を崩しました。その時も、皆から、もうすぐ、よい季節がやってくるからね、といって励まされました。春が来て夏が来て、本当に素晴らしい季節を体験すると、次の年の越冬はそれほど辛くはなかったです。 マルタの春から夏は、それはそれは素晴らしいそうです。 でも、どうして?こんなに寒いのに蚊がいる!! |
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くみ子のマルタ島だよりNo03- マルタのカーニバル− |
なんで、マルタでカーニバルなんだろう?と思い、調べてみると、カーニバルとは宗教的なもので、カーニバル=謝肉祭、カソリックの四旬節の断食前に行われる祭りだそうです。
カーニバルの語源も、イタリア語のカルネ・ウァレ(Carne Vale肉よ、お別れじゃ)に由来するといわれ、ファストナハトなどは「断食の前夜」の意で、四旬節の断食の前に行われる祭りであることを意味するそうです。 実際、断食を前に、思い切り食べて飲んで羽目を外しましょう、的な考えなのでしょうか?マルタ人、そしてブラジル人などは、断食を前にカーニバル、イギリス人はというと、パンケーキ・デイです。断食の期間は、肉はもちろんのこと、卵もバターなどの乳製品も食べないので、断食前日に卵を使ってパンケーキを作るという習慣です。カーニバル、パンケーキ・デイ、何とも国民性の違いが伺えます。ちなみに、今現在は、カソリックにおいては、厳格な断食は行われていないそうです。イギリスでもマルタでも、この期間だからと言って食事を節制している人にはお目にかかったことはありません。 マルタ・カーニバルでもやはり大会があり、パフォーマンスを競い合います。大会会場に入るにはチケットを購入します。そして会場の人たちの票によって、毎年優勝者が選ばれます。 大会出場者だけでなく、子供たちや、たまに大人も衣装をつけて歩いています。ハロウィーンの延長のように子供も多かったですが、重厚なドレスや仰々しいカラフルなタキシードを着ている子供が大勢いたのに驚きました。大勢のかわいらしいマリ―・アントワネットを見かけました。 私と息子は、出店も楽しみの一つでした。でも、残念なことに、マルタではほとんど出店がないのです。観光産業が主のマルタ、とくに世界遺産のここヴァレッタです。アイスクリームやポップコーン屋、綿菓子、キャラクター風船などはいつでも数件(本当に数件)だけです。カーニバルだからと言って、新たに出店していたのはというと、このカーニバルの時期だけ販売される甘いお菓子売っている店だけでした。それも3軒ほど。お祭りのときの日本の屋台やたこ焼き屋が懐かしく思い出されました・・・。 ちょっと話はそれますが、綿菓子はヨーロッパでも各地で見かけます。日本の屋台の必須店なので、日本以外の国で見かけると何となく驚いてしまうのですが、ヨーロッパでも人気です。ここマルタの綿菓子はとても上質(?)でした。そして1ユーロ{105円程}です。 数少ない屋台はけっこう繁盛している様子。マクドナルド(屋台ではないけれど)では、入場制限をする程の混雑ぶりでした。せっかくなので、なんでも売って商売したらよいのに、などと日本人の私はいろいろ空想してしまいました。 マルタは今でも、ほとんどの店が日曜日はお休みです。平日だって、多くの店は12時(13時)から16時まで閉めてしまいます。そんな商売っ気のないマルタでは、お祭りでも、屋台はほとんど出ないのです。祭りの日に働いてまで生きて行きたくない、と言っているような気がします。 家族、親戚との絆がとても強く、お金よりも愛、あくせくするより遅れてもゆったり。 |
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くみ子のマルタ島だよりNo04- マルタって、どうなの?− |
マルタに来てはや、2ヶ月が過ぎました。 マルタは、人がよさそうな悪いような、物価が安いような高いような、よいところなのか悪いところなのかが、よく分からないところです。 よく人は、マルタ人は、ぶっきらぼうだけれど人がいい、と言います。 いくらぶっきらぼうでも、中身がよい人ならよいのですが、そこもまたよく分からないのです。 マルタには、マルタ人価格と外国人価格が、普通に公的に存在しています。例えば、マルタ島で唯一の交通機関、バス。マルタ人の場合は1日券が1.5ユーロ。外国人は2.5ユーロです。水道代や電気代、学費にも、マルタ人価格と外国人価格(又はnon EU価格)があるのです。そのせいか、外国人と思えば、個人商店ではかなりの確率でぼってきます。ぼるだけではありません。お釣りもちゃんとごまかします。私はバスを利用しますが、ちょうどの小銭がない時には、5ユーロや10ユーロ札を出します。するとお釣りを必ず1ユーロごまかしてきます。よく行くパン屋でも、お釣りをごまかされます。顔なじみになっているのにごまかされると、とても寂しい気持ちになってしまうものです・・・・・。 じゃあ、マルタ人はよくないかと言うと、そうでもないのです。 街で道を尋ねると、紙と鉛筆を探して、地図を書いてくれたりします。日本人も、とても親切ですが、それとは違った、天然の親切さを感じさせてくれる優しさです。 物価は安いと聞いてきました。もちろん世界中探しても、東京より高いところなどないと思うので、東京と比較すれば、水以外は、マルタは安いです。でも他のヨーロッパと比較したらどうかと言うと、家賃などは広さを鑑みると安く、光熱費は高いです。外国人の私たちにとっても高いですが、マルタ人にとっても、とくに水と電気は高いので、自分たちはあんまりお風呂に入らない、とマルタ人から聞きました。
そして、レストランも安いです。ピザも大きいし、パスタもすごい大盛りです。1皿7ユーロくらいから食べられます。マルタ料理と言っても、イタリア料理のような感じです。パスタは美味しいですよ。 何と言っても、極め付けがお酒です。これは安い。 マルタでは、これらの衣食住以外には、ほとんどお金を使わずとも幸せにやっていけるようです。東京は、ショッピングに出かけたり、テーマパークに行ったり、映画に行ったり、海に行ったりと、何かしたり、出かけないと楽しくない感があり、ちょっとしたことですごくお金がかかりますが、マルタはどこへでも、すぐに行け、海で遊べるのです。冬もどこかに出かけたりしません。お金を使うところが、基本的にないのです。お金を使わなくても生きていけるため、お金を稼ぐ意欲には欠けているように感じます。お金を稼ぐより、家族で過ごすことを大切にしているのです。 その点は本当に気持ちを豊かにしてくれます。 マルタには世界遺産が3つあります。マルタの家々は石造りで、おしゃれな美しい家がたくさんあります。
3月に入り、天気は一気に春になり、空はスカッと晴れ、太陽は高く上がり、差し込む日差しは夏を思わせ、海の色もだんだんと青くなりつつあります。街の雰囲気もがらりと変わってきました。 夏になったらみんな笑顔になるのかもしれない。 私が今思うマルタの一番いいところ、それは、どこに行っても、何を見ても垢ぬけていないところです。そして選択肢が少ないところ。物があふれている日本の世界は、マルタ人には想像がつかないと思います。そんなマルタにポイント10点。 でも、マルタって良いのか悪いのか、今はまだ分からない・・・。 |
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くみ子のマルタ島だよりNo05- マルタのパン “フティーラ”− |
マルタには美味しいものがいくつかあります。それはウサギ、ワイン、そしてパンです。 中でも、そのうち、私たちがマルタを離れた際に、とっても恋しく思うもの、それはこのマルタ・パンのフティーラです。まだ離れたわけではないですが断言できます。 大家さんが近所を案内してくれた際、このマルタ・パンを知りました。マルタで1番おいしいと言われているこの窯焼きのパン屋さん。看板もないので、知っている人にしか分かりません。でも、近くを歩くと、香ばしい匂いが漂っています。
この日、大家さんが、フティーラを買ってくれ、しっかり食べ方も教えてくれました。 大家さんが買ってくれたフティーラは、まだ温かく、とってもよい香り。帰る途中、早く食べたい気持ちを抑えつつ、材料を買い、早速、作ってみました。 トマト、岩塩、オリーブオイル、バジル。これが伝統的な食べ方なのですが、プロシュートハムが大好きで、パルメジャーノチーズ(Parmigiano英Parmesan Cheese)も大好きな、欲ばりな私は、トマトだけなんて、そんなシンプルな食べ方では、食欲が抑えられません。 教わったように、まずはトマトをグリグリなすりつけ、キュウリ、プロシュートハム、パルメジャーノのスライスをのせ、岩塩をグリグリし、オリーブオイルをかけ、バジルをのせ、大きな口あけてガブッと行ってみました。これを食べられない皆さんには大変申し訳ありませんが、かなり、本当にかなり美味しいです。そして、次の日もまた食べたくなるのです。
我が家では、朝は、この丸型パンのスライスをトーストし、そして週2回は、お昼にフティーラを食べています。トマト、ハム、チーズ、塩、オリーブオイルです。バジルでなくルコラもかなりおいしい。こんなにかたいパンを、こんなに食べていれば、きっと歯が丈夫になると思います。ちなみに、フティーラは1つ55セント、丸いのは45セントです。
今日も、パン屋さんに行くと、いつもいる愛想のないおじちゃんとは違い、感じのよいおじちゃんがいました。写真を撮ってもよいかと尋ねると、奥まで案内してくれました。中まで行くと、フティーラが窯に入るところです。若い職人さんたちも感じよく案内してくれました。そして、棚には、兄さんたちのお昼のサンドイッチが並んでいました。そのパンはフティーラでなく、平べったいフランスパンのような形で、見かけないパン、そして美味しそうなハム(プロシュートでなく)がはさんでありました。この次行った時は、あのパンを買ってみたい・・・。普通のハムも合いそう・・・。 マルタのカフェやレストランでは、サンドイッチのことをフティーラと呼ぶことがあります。フティーラでサンドイッチを作ることからそう呼ばれているそうですが、お店ではこのフィティーラ・パンで出てくるとは限らないようです。
マルタは初夏のムード
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くみ子のマルタ島だよりNo06- マルタの嵐 − |
日本に爆弾低気圧と呼ばれた嵐がやってきたニュースを見ました。 こちらマルタでも、1ヶ月前にすごい嵐がやってきました。 あんな感じとは・・・、朝起きて朝食の準備をしていると、雨が強く降ってきた音がしました。ふと見ると、流しの下から水が流れてきたのでビックリです。よく見ると、その水は流しの前の窓から入ってきたものでした。窓はと言うと、典型的なマルタの木枠の窓で、デザインが比較的新しく、鉄の取っ手が付いています。サッシ戸とは違い、密閉度は全く感じられません。 大変だと思い、雑巾で拭いたり、おさえたりしました。だけど、雨が弱まらないため、一向に水の浸入を止めることはできませんでした。はたと、他の部屋は大丈夫だろうかと気づき、家中の各窓を調べてみると、ある一方向に向いている窓からはやはり雨が入ってきていました。急いでガラス窓の外側にある雨どいを閉めるとやっと流れはおさまり始めました。敷いてあったジュータンに流れて行かないようせっせと拭きましたが、おもしろいことに、この雨水は、石の中にも吸い込まれて行きました。そして吸い込まれた水のしみは30分もすると、何事もなかったように消えていました。 その日、たまたまやってきた大家さんに、雨水が漏れてきた話をすると、そんなのは普通だよ、入ってきたら窓に雑巾を当てて押さえておくんだよ、真顔でと教えてくれました。これが普通なのかと再度ビックリしました。 学校から帰ってきた息子に、大家さんから聞いた話をしようと思ったら、その前に、息子の方から話を始めてきました。朝学校に行き、学校の始まりのベルとともに校舎に入る扉を開けると、校舎の中から、どぉーっと水が外に流れ出してきたそうです。やはり校舎の窓からも大量の雨が入り込み、廊下や教室にたまっていたようです。水は流れ出て、授業は普通に始まったと言うことです。 その日は、通りを歩くと、家の中から通りへ水を吐き出している光景を幾度か見ました。 やはり石の家に住む人々は違いますね・・・・・恐るべし、マルタ人!いやマルタの雨!!いや窓!?
マルタはいつもこんな嵐なんでしょ?とのんきに尋ねる私に、友人は、とんでもない、こんなんことはめったにない、と言って驚いた顔で私を見ていました。 すぐそばのロータリーにある電話ボックスが一つ飛ばされ、ブティックのガラスの扉も飛んでいいって粉々に割れていました。家の中にいた時は大したキケンを感じなかったのですが、ここで初めて今回の嵐の威力を知ったのです。 そこで私ははたと気づきました。さすがに石の家。 この嵐の後、近くの湾で、ものすごい大勢の人が釣りをしていました。小船もたくさん出ていました。何ごとかと思い聞いてみると、嵐で、海にある魚の養殖の網が切れ、たくさんの魚が逃げてきていると言う情報から、 こぞって釣ろうとやってきたのだそうです。マルタって面白い! 先日、大家さんの家へ行った際、かわいいサボテンを見かけました。サボテンなのに棘がないのです。棘の代わりに小さな丸いドットがたくさんついていました。かわいいサボテンだね?と聞くと、ベランダに出しっぱなしにしていたサボテンが、あの嵐で棘が、みんな、なくなってしまったと言うことでした。おもしろい! 私は今まで、マルタは寒いのに蚊が出ていやだと言ってきました。殺虫剤をまいて寝ても、毎晩、蚊に刺されていたのです。どこからやって来るのかも分かりませんでした。外から入ってくるのか、それとも家の中に卵でも産んでいるのか?と・・・。この嵐の後、一度も蚊に刺されなくなりました。蚊は外で暮らして、夜、我が家へやってきていたんですね。それがあの嵐で壊滅状態になったのでしょう。1ヶ月経っても、まだ一匹も蚊に刺されていません。ラッキー。 この嵐の次の日、私は半日かけて窓やドアを拭きました。雨によって吹き飛んできた石の粉塵が窓や扉にびっしり付き、どこもかしこもベージュです。扉も、ぞうきんで拭く前に、まず、ほうきでほこりを払ってから拭くのです。 マルタはほこりっぽくて嫌だ、と思っていました。だけど、住んでみると避けられないことですし、キレイにしても直ぐに汚れるので面倒になるんですね。 はた目からは分からないことがいっぱい。マルタはおもしろい。 2月までは気温14度、体感温度6.5度など度表示されていましたが、4月10日の今日は17度、体感温度18度でした。気温は3度しか上がっていないのに、体感温度は12度も上がっているんです。これが地中海気候なんでしょうか?石の家でも、はだしで歩けるようになってきたこの頃のマルタです。
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くみ子のマルタ島だよりNo07- ゴゾ島(Ghawdex) − |
マルタは、3つの島からなる国です。 一番大きな島が、私たちが今住んでいる、首都バレッタがあるマルタ島(東京の半分ほどの広さ)、一番小さな島は、冬は無人島、夏は観光のためホテルもオープンするコミノ島。そして、この2つの島の上に位置し、マルタ島の3分の1程の広さを持つもう一つの島がゴゾ島です。 同じマルタの国でも、ゴゾ島は時間が止まっているようなところです。
マルタ島の一番北の端から、ゴゾ島最南端の港へ、車も人も乗せるけっこう大きな船が45分おきに出発します。 15分から20分で着いてしまいますが、中には、サンドイッチやコーヒー、ビール、お菓子などお決まりの物が売っている売店と、おみやげ屋さんがあり、この辺りからちょっとした旅行気分に入ってきます。 ゴゾには、いくつか観光名所があります。紀元前3000年以前に造られたと言われている、巨石神殿遺跡や蒼の洞窟、美しい港や海岸沿いなどです。 前回ゴゾに来た時は、冬だったため、2泊3日の間、ほとんどホテルにいました。観光バスで通ったけれど、バスの中から眺めただけで、今度はじっくり来てみたいと思っていた場所や、行ったことのない所など、地元のバスで回ることにしました。 シュレンディは、小高い岩の丘に囲まれた小さく美しい漁港町です。漁港町と言っても、その日は天気もよく、波も穏やかだったため、海に浮いているヨットや漁船などは一隻も見当たりませんでしたが、漁業臭さを感じさせない、とてもおしゃれなところです。本格的な観光シーズン前、平日と言うこともあり、私たちが一番乗りという感じでした。 私は、この街で評判のよいレストランに行きたくて、楽しみにしてきました。
良く冷えた(マルタの良いところはどこでもビールがしっかり冷えている)ビールを飲みながら、美しい景色を眺め、新鮮で美味しい食事。さらに、子供は波打ち際で遊べ、料金はとってもリーズナブル、あ〜ゴゾっていいなぁ…て思えたひと時でした。 デザートは、お店を出てからアイスクリーム。この店のアイスが美味しいと聞いてい たのですが、本当、美味しかった!! アイスを食べながらバスで次の目的地へ。ゴゾは小さい島なので、移動も楽です、食後ゆっくり座っていたいと思っても、あっという間に着いてしまいます。
マルタの海は地形がすてきです。
ママはなんだった?と聞かれ、迷わず、レストラン!!! 都会から来た人たちには、マルタもゴゾもたいして変わらないかもしれませんが、私たちマルタの都会(?)に住んでいる人間には、雄大な美しさにリラックスできる一日でした。 今度は、夏だけオープン(もうオープンしています)するコミノ島へ行くのを、今からとても楽しみにしています。 |
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くみ子のマルタ島だよりNo08- うちの大家さん− |
我が家の大家さんは、とってもいい人です。
先日はアーサーの両親のトニーとサンディーがウサギ料理に招いて下さいました。
ウサギは鶏肉と似た感じの味わいです。ウサギはぴょんぴょん跳ねるので、とり肉よりもやや硬めです。そして、ほんの少し臭みがあります。
マルタ人は、基本的に病院は全て無料です。私たち外国人はもちろん有料なのですが、基本的に、外国人は保険に加入していないと長期の滞在許可が下りない仕組みになっています。マルタ人でも中にはプライベート(有料)の病院へ行く人もいます。私たち外国人は、たいていプライベートの病院を使っているようです。 クリニック(診療所)の受付に行き、アーサーがけがの状況を話すと、待つこともなく、奥の部屋に行けと言われました。ノックすると、看護婦さんたちがおしゃべりしていました。一人の看護婦さんが息子の様子を調べ、消毒済みのピンセットを出してきてとげぬきにかかりました。でも、看護婦さんには抜けず、先生を呼びに行きました。すると看護婦さんは、じゃあね、と言って帰って行ってしまいました。どうやら帰る時間になったようです。 しばらくすると、別の看護婦さんがお弁当持ってやってきました。そのうち別の看護婦さんも紅茶を持ってきたり、まるで、職場の休憩所のようでした。先生が来ても何の変化もなく、みんなお茶飲んでました。 そんな様子を先生は全く気にもせず、小さなピンセットで、アイシングスプレーをかけ、痛みを麻痺させてから棘を抜いてくれました。その後は、消毒もせず、「たいていの場合は大丈夫だけど、もし、化膿したり、赤くなってきたりしたらまた来なさい」、と言っておしまいでした。 アーサーはついでに、風邪気味の自分も診てもらいました。喉を見せただけで、薬ももらっていませんが、簡単に診てくれました。この先生は白衣を着ている訳でもなく、自前の紺地ストライプのシャツを着て、全く普通のお兄さんです。 驚いたことに、誰一人、名前や身元を聞いたり、記録に残したりすることもしないのです。もちろん会計もないのです。マルタ人はタダかもしれません。本来、私たちは支払いがあると思うのですが、全くそんなシステムとは無縁の様子で、帰る際は、先生も看護婦さんも、じゃあね、と言うだけだし、受付は無人。アーサーに言っても、誰も取る気はないからいいんだよ、というとで、私たちも払わず帰ってきました。 私たちが診察室にいる間、3歳くらいの子供がおばあさんとはいってきました。転んでおでこを少し切ってしまったようです。看護婦さんがちょろっとみて、何でもないよ、と言われ、消毒もされず、先生にも診せず、帰って行きました。もちろんカルテはありません。マルタとはそんなところです。 帰り際に廊下からカルテが保存されている部屋が見えました。なんだぁ、カルテはあることはあるんだぁ・・・・・たくさんあったので、きっと薬を出す様な治療でもした時だけ、カルテに記録でも残すのではないでしょうか?たぶん・・・・わからないけど・・・・・・。 アーサーが言うに、ここの先生は、今回は政府のクリニックにいたから無料だったけど、別の時間帯は個人でやっていたり、プライベートの別の病院に勤めているよ、というのです。医者の技術は一緒でも、いる場所で、有料だったり無料だったりするので、大きなことでなければ、政府のクリニックが早くてタダで一番いいよ、と言っていました。本当です。受付も記録も消毒も何もなければ早い訳です。 何を言いたいかというと、アーサーはとても穏やかで純真でいい人ですし、ご両親も仲が良く、とてもよい人です。お姉さんがいますが、結婚していて2人の子供がいます。 アーサーの家族は、日本人はとてもよいと思ってくれています。私に妹はいないかとも聞いてきます。アーサーには日本人の奥さんが合うと思うのです。 アーサーが私に頼んでいる訳では決してありませんが、誰かマルタにお嫁さんに来てもよいと思う方、是非ご一報ください。 |
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くみ子のマルタ島だよりNo09- マルタのマグロ− |
マルタはマグロ!! マルタは海に囲まれた国なので、さぞかし皆、魚を食べているだろうと思われがちですが、マルタ人は、意外と、魚は食べません。
数種類と言っても、丸ごと塩焼きにしてもよいような、日本では見かけない魚や、日本でも見かけるカツオやタイ、イカ、タコ、サーモン、そして高級魚のカジキ等です。
マルサ・シュロックという港町で、毎週日曜日に開かれるマーケットの魚屋さんも人気です。
隣の街まで行くと、魚屋があります。
ここマルタでは、マグロの畜養がおこなわれています。4月から6月頃にかけて、地中海沖で、マグロの稚魚や若魚をまき、網漁法で捕まえ、それをそのまま生簀に移し、その後、生簀を海岸近くまで運び設置し、数か月育て、大きくなったマグロを売ると言う仕組みです。 マルタのマグロは、けっこう濃厚で、マグロの中でも高品質で、日本では良い値段で売られているようです。そしてマルタでも、一番の高級魚だと思います。 魚を買う場合、だいたいは、1キロいくらかという値段表示になっているので、例えば、タイ一匹欲しいとすると、丸ごと秤にのせて重さを量ります。料金はその重さによって決まります。その後、ウロコを取ったり内臓をとったり3枚におろしたりと、希望に応じて、それは、それは丁寧な仕事をしてくれます。 マグロの場合、トロの部分、首の部分、一番大きな赤身や中トロの部分とか、それぞれ別れて売っています。 そして、日本ではトロは高く、赤身が安いですが、マルタではどの部分も同じ値段なのです。 残念ながら、私はまぐろに殺されてしまうほどのアレルギーなので、食べることができませんが、友人や家族が食べた感想は・・・・・.こんなにおいしいマグロは、日本ではとても高くて手が出ない、と言っているほどです。 この魚屋には、業者も買いに来ています。5キロほど買っていく人をけっこう見かけます。 マルタに来たら、ぜひ、魚屋さんでマグロを切ってもらい、醤油とワサビを買って、きゅっと冷やした美味しいマルタの白ワインと一緒に、頂いてみたらいかがでしょうか? |
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くみ子のマルタ島だよりNo10- 教会 フェスタ 花火− |
久美子のマルタ島だより No 10 12月の末にマルタに来てからというもの、毎週末に聞こえてくる、おびただしい花火の音。 マルタに、360程ある教会には、それぞれのマリア様が祭られています。
フェスタは週末3日間にわたって行われます。マリア様を担ぎ、ブラスバンドの行進、ご馳走に花火です。
対岸の首都バレッタがとても美しく見える海辺のベンチに座りながら、同じように待っている人に、何時から花火が始まるのかと聞くと、11時半からだというのです。11時半!?遅すぎる!! 対岸のずぅっと奥の方で花火が打ち上げられているのが少しだけ見えます。どこかの教会も フェスタの花火は、空に打ち上げるものと、自転車の車輪のように回転する仕掛け花火との2種類あります。道路には、仕掛け花火がセットされ、あとは火をつけるだけの状態です。近くにいるとバンバンと飛んでくる危険な花火らしい、、。 9時までは待とうと粘っていると、粘った甲斐があり、いきなりすぐ近くからと、対岸からと、花火が打ち上げられました。本当にすぐ近くでびっくりです。何も言わずに始まるし・・・。対岸の花火は、首都のバレッタを背に打ち上げられとても美しい。
どうがんばっても、子連れでは11時半までは待てず、仕掛け花火のセットを横目で見ながら、渋々諦めて帰ることにしました。 花火というと日本を想像しますが、マルタにはいくつか花火工場があります。毎週末のようにたくさんの花火が打ち上げられているのだから、日本に頼っているわけはありませんね。この花火工場は何ヶ所か火事や爆発が起きているそうです。やっぱり、、、。
家に帰って寝ていると、ものすごい音が響きだし、睡眠を邪魔してくれました。 |
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くみ子のマルタ島だよりNo11- ハム・チーズ・カウンター − |
マルタでは、ハムやチーズがお買い得!!
ロースハム系は、中に、ペッパーが入っているもの、ピスタチオが入っているもの、同じようなものでも、高いものから安いもの、小さめの食パンサイズのものから顔より大きなものまで様々です。プロシュートハムも、パロマハムが何種類も並び、見たこともなかったハーブ入りのサラミもたくさん売られています。イタリアからたくさん入ってきているようです。チョリソもある。 このハムやサラミを、店員さんは好みの厚さに1枚1枚スライスし、日本でしゃぶしゃぶ肉を買った時のように、シートに綺麗に並べていきます。
ブーゲンビリアの咲く夕方のテラスで、よく冷やした白ワインと一緒に、そぎ切りのハム。はぁ?、なんとも優雅な時間。食い気の強い私はもう頭の中は豚の足一色。 サラミだって、もし2人家族が一本買ったら、何ヶ月たっても食べきれません。カウンターで、欲しいだけ買えたら、日持ちを気にしなくてもいいし、硬いサラミを大変な思いして切らなくてもいい。
いつ行っても混んでいるハム・チーズ・カウンター。 長寿で、ほかの国に比べ肥満が少ない日本。 |
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くみ子のマルタ島だよりNo12- 3年ぶりの日本− |
久ぶりに日本に帰ってきました。
映画なんてそれはいっぱい。日本路線では、日本語吹き替え映画だけでも30本以上はあったと思うし、もちろん英語だったらものすごい数です。 ボーディング(旅客搭乗)も、出発時刻15分前は全員乗り終わっているというすご技、搭乗開始時刻は出発の45分ほども前です。いろんな場面で、出発時刻の15分前にはゲートを閉めます的なメッセージを見かけ、かなり徹底しています。 私の母は、広いドバイの乗継空港で、出発時刻の5分前にゲートに行き乗せてもらうことができなかったほどの厳しさです。でも、これくらいシビアにしないと、遅れが出たりするのでしょう。いいことだと思います。なんでもギリギリ、カツカツで回しているのではないのですね。今時、余裕があるとは、さすがにアラブ。 子供は、CAさんから荷物になるほどお土産をもらいました。リュックサック、本、ダイアリー、ブランケット、お絵かき帳、色鉛筆、お財布、ポーチ、ぬいぐるみ。さすがお金持ちエアーライン。
食事は、というと・・・・・まあまあでした。エコノミーですから。 びっくりしたのは、日本人のクルーに、水割り(機内で水割り注文する女もめずらしい)を注文した際に、手渡されたのがウイスキーと水だけだったのです。さすが驚きました。「氷も入れて下さい」というと、だって水割りといったでしょ・・的な顔をされました。
7時間(マルタ−ドバイ)+10時間(ドバイ−成田)のフライトも、映画とゲーム、ちょっと広めの座席のおかげで、降りるのが名残り惜しいほどでした。 3年ぶりの日本。ワクワクして成田の空港に着くと、着くなり感動! それと、水の豊かさです。水道をひねって手を濡らす水の気持ちのいいこと。水道の水がこんなにおいしかったなんてすっかり忘れていました。ヨーロッパの水事情は、昔と比べ、とてもよくなってきたとはいえ、日本の比ではない。日本の水は世界一でしょう。 食べ物もなんておいしいんでしょう。ケーキもすっごくおいしい!肉もすっごくおいしい!!肉好きの私は感激でした。どれ程美味しいかというと、6週間で3キロ太るほどおいしかったです。 後ろ髪を引かれつつも、日本を後にし、エミレーツの機内で映画三昧。そして久しぶりのマルタ。タクシー降りて玄関の前に立つなり、ドアの前には、フレッシュな犬のフン・・・。はぁ、マルタは変わってないな〜。 すっかり日本人の味覚に戻ってしまった私には、マルタの食事がつらい、肉が臭い(イギリスも臭かったので日本以外はみんな臭いのでしょう)。 そこで、日本では50度のお湯で食物を洗うのが話題になっていると聞き、さっそく試してみました。面倒くさがりやの私は、50度のお湯でなく、水道の水でじゃぶじゃぶ、ごしごし。すると、なんと、あの臭かった肉が、臭くない!!美味しい!! |
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くみ子のマルタ島だよりNo13- マルタの美しい海− |
なが〜い、なが〜いマルタの夏休み。 私たちは日本で夏休み。6週間、マルタを留守にしました。
知らなかった海の不思議・・・・・5月頃から海で泳ぎ始めて、7月末までは、海の中は緑の海藻が青々と茂り、キレイ色したイソギンチャクや海藻もたくさん見かけます。ところが、9月に戻ってきてびっくりです。あの緑だった海の海藻たちが、肌色やグレーに変わっていたのです。もう緑の草はないのです。海にも四季が・・・。海の草も、季節によって変化するのだと学びました。海水温も日差しも、夏と冬とでは大きく違うので、よく考えれば当然ですが、海は変わらず蒼くキレイなだけに、この変化には驚きでした。 夏休みも、もうすぐ終わりに近づき、焦げる日差しがやわらいだ9月後半に、Comino(コミノ)島へ行ってきました。Maltese(マルタ)島、Goze(ゴゾ)島、そしてコミノ島の3つの島からなるマルタ共和国ですが、現在のコミノ島は、夏の観光シーズンのみホテルがオープンする無人島です。岩だらけの海岸線で、面積3.5平方キロメートルの小さな島です。自生していたクミンにちなんで名がつけられたそうでが(かわいい!)、16、7世紀には流刑地でもあったそうです。
マルタ島の港から1時間半のクルーズです。
海に入るには、このギュウギュウのわきを通り抜けて行きます。 クラゲの姿も見当たらず(マルタでは潮の向きによって大量のクラゲの日もあります)安心して、感動に浸っていると、なんだかふくらはぎのあたりがチクチク痛い。やっぱりクラゲかなと、恐る恐る海の中をのぞいても、見えるのは白い砂と白い魚だけ。でも、またすぐにチクチクと痛い。ゴーグルで見張りながらじっとしていると、、、かわいい白い魚が足に近づき、つんつんとつつきに来ていたんです。魚のサイズは3センチくらいあら5センチくらい。かわいい顔してけっこう痛い。周りを見ると、周りの人も、アゥッ、とか言っている。みんなやられているんです。泳いでいるといいのですが、立っているとやられます。 マルタでは、Dr .Fishなる、魚に足の角質を食べてもらうお店を数多く見かけます。日本でもありますね。これもコミノの魚も同じかなと思い、後日Dr.fishnoのお店でこの話をすると、トルコ原産の魚たちには歯はないため、肌を痛めることはないそうです。もちろん痛くない。そうだね、コミノの魚は普通の口して噛んでいたもんね。弱っている人はきっと食べられちゃうかもしれない。でもおもしろかったぁ。
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くみ子のマルタ島だよりNo14- マルタのバス− |
ただ、一般のマルタ人の運転もかなり乱暴で、バスの運転手に限ったことではなく、タクシーだって、乗用車だってマルタの運転は荒いのです。マルタ人は、狭い道でもどこでもスピードを出し、横断歩道でさえ、未だに歩行者より車が優先な雰囲気があります。 道路は一車線の道が多く、整備も整っておらず、ガタガタ、ボコボコで、細く、カーブもたくさんあります。だからこそ、大きな、時には2両編成のバスの運転手は、運転に集中し細心の注意を払わなくてはいけないのです。 運転だけでも大変な運転手。それに加え運転手には、このほか運賃のやり取りという大きな仕事があります。バスの代金は、毎回運転手に手渡しで、運転手は、合計金額とお釣りを自分で計算しなければいけません。
その上、多くの運転手、何が弱いって、計算が弱い!すごく弱い!お釣りの計算に非常に多くの時間がかかり、お客さんは辛抱強く待たなくてはなりません。 急ブレーキはしょっちゅう、穴ボコだらけの舗装道路を、スピード出して走るので、ジャンプもします。降りる際には、乗客はボタンを押して知らせるのですが、押しても止まらず行ってしまうこともよくあります。乗る際には、バス停で手を上げないとそのまま止まらず行ってしまうことも、またしょっちゅうです。かわいそうな目に合っている人たちを大勢見かけます。 時間にルーズで、そのくせ何やら急いでいるときは、バスに乗ろうと足をステップに乗せているにもかかわらず、こちらを見ているにもかかわらず、ドアを閉めてしまうのです。今までに2度、乗車の際にドアに挟まれました。そのうち1度はドアを開けて、挟んでいだ私を放してから、置き去りにしていってしまいました。あぁ、なんとかわいそうな光景。そして痛かった。 降りる際はもっと危険です。2両編成のバスは、とても長くドアが3ヶ所あり、後部ドアはよく見えないせいか、多くの人が挟まれています。たまにドアが開いたまま走っていることもあり、今まで死傷者が出たことはないのかといつも恐ろしく思っています。もちろん私も挟まれたこともあります。 ドアに挟んでしまっても、謝ることもなく、大丈夫だったかと気遣うこともありません。ただ走っていくのみ。バスに乗ろうと近寄ってくる人に気を留めることもなく走っていくバス、轢かれそうな人たちを何人も見ました。 今日なんか、乗ってきたばかりのお客さんとお釣りのやり取りしながら出発してしまい、左手でお釣りを手探りし、右手は携帯電話で話をし、その右手の肘でバスのハンドルのかじを取っていました。もうびっくり。 満杯のお客さんを乗せながら、携帯のメールを見ている事は日常的で、運転しながらメールを打っていることもあります。 そんなマルタのバスに抗議は来ないのかと思うのですが、察する限り、抗議をしても過去の行為に対する調査などはもちろんないでしょうし、抗議に対して謙虚に受け止め改善する風土はまだないのだと思います。
マルタは世界一、車の保有率が高い国で、お父さんも、お母さんも、大きくなると子供も一人1台車を持つのが一般的です。おじいさんもおばあさんも運転します。そんな中で、バス利用者は車を持てない人たちというカテゴリーにいれられ、文句言える身分か!?ってな感じなのではないでしょうか?文句あるなら自分で車運転しろってなもんです、きっと。 以前に、お釣りをごまかされる、と書いたことがありましたが、最近では、立て続けにおまけしてもらっています。小銭がなく20ユーロ札など出すと、手持ちにあるだけの小銭で乗せてくれました。うれしいけど、会社的には一体どうなっているのでしょう。 皆さん、マルタにいらした際は、バスや車に乗るのも、道を歩くのも、とにかく乗り物にはお気を付け下さい。 |
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くみ子のマルタ島だよりNo15- マルタは素晴らしい!!− |
私たちがマルタに来たのは去年の12月末、 先にも最後にもマルタの最もいいところは“海”です。これは誰に聞いても、海だと答えるでしょう。地中海は穏やかで、深く、蒼く、とても美しい生き物なのだと感じます。 海以外では、 歴史的な美しい建築物の中で暮らし。
人々は比較的のんきで、細かいことに気が回らない人たちが多 物価は比較的安い、特に安いと感じるのは…カフェでコーヒー1杯が1ユーロ、ビールも1.5ユーロで飲める。アルコールは日本とは比較にならない安さです。 さらには暖かい気候。 ファッションに疎く、どんな格好でもOK。 マルタは本当にお金のかからないところ。 私たちのマルタ行が決まり、マルタとはどんなところか調べていた時に、マルタ人は世界一幸せ感が高い国民だと読みました。 確かにマルタに暮らしてみてそれがどういうことか分かりました。 その上、家は石でできているし、地震もないから、一度建てた家に何代も住めます。買わなくても、しばらく待っていれば、おじいちゃんやおばあちゃんから家が回ってくる感じ。 そして、医療はただ、公立の学校もただ、何しろ大きなお金が必要ないので、マルタの人は稼ぐ意欲も低いのです。頑張って無理して「稼がなきゃ」って環境がないのです。テキトーに働きに行けば、お酒飲んでそれなりに生きていける。向上心や野心の強い人には、イライラするところですが、マイペースで生きてけるので、ある意味よいと言えばよいですね。 もちろんマルタにも働き者も、お金持ちもいます。 カルチャーショックといえば、こんな人たちもいるんです。 マルタのよいところに話を戻すと・・・・風俗営業がないのです。チラシも、誘いも一切目にすることはありません。これはすごいことですね。 そして世界一安全な国と言われているマルタ。 地震、津波、トルネードなどの自然災害もないし、石の家なので家事もほとんどありません。犯罪も少なく世界一安全、誘惑がない!! 昨日は日本人の奥さん達とその家族達、総勢23人と会いました。その内マルタ人の旦那さんは1人だけ。話を聞くと、皆さんマルタという国を自ら選んできていました。それぞれ家族の状況によって選んだ理由は違いました、ちょっと目が覚めた感じです!! マルタって皆から選ばれる国なんだって! |
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くみ子のマルタ島だよりNo16 (最終回)- イギリス・マルタ あっという間の3年− |
突然ですが、マルタから日本へ帰ることになり、今回が最終回となりました。 もともと、日本を出たきっかけは、他国での暮らしや経験を通じ、その国の人たち、異文化に交わり、日本人として、その国の人として、地球人として色々なものの見方ができるようになったらいいな、という思いから、突然のイギリス行きでした。 イギリスに9ヶ月のつもりで日本を発ったはずが2年3ヶ月。 私の受けた最初のカルチャーショック。それは、
その後、先進国でも後進国でもないマルタに行き、ちょっと垢抜けない、全体的にモラルは低く、美しいけど汚いし、小さくて非効率的な暮らしを経験すると、はじめは不平不満。しばらくいると、イギリスとマルタ、大英帝国と植民地、立場が人を作ると言いますが、立場が国を作ったんだと(立場だけではないでしょうが)分かり、見方が変わり、それぞれを、いいとか悪いとかでなく受け止められるようになりました。
最近、バイリンガルは2つの言葉が喧嘩してしまうので、語学の習得という意味では、3ヶ国以上が望ましいと言う話を聞きました。今回のイギリスとマルタの3年2ヶ月の滞在を通し、価値観においても、3ヶ国以上が望ましいんだろうなと強く感じています。 なんでもOK。みんな違う。そして、日本の良さに改めて気づいたこと。
動いてみないと始まらない。3年なんてあっという間。 思いもかけず長いあいだ書かせて頂きました、ケンブリッジ便り、マルタ便り。 |
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くみ子のマルタ島だよりNo17 (読者からの質問)- この夏語学留学したいのですが・・・− |
マルタに語学留学とお考えとのことですね。 |
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