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たぶん、お母さんは1960年代後半から70年代にスチュワーデスになったと思います。ジャンボジェットが投入されたのが1971年です。それまでは、DC-8型のジェット機が主流でした。このジェット機は130人乗りで、当時としては花形の旅客機でした。そして客室乗務員は6名でした。そこに、客室乗務員が17名(当時)必要な大型のジャンボジェットが投入されたました。今までの3倍の客室乗務員が必要になったのです。そこで、スチュワーデスを大量募集をすることになりました。1960年代後半頃から、年間に1000人くらいのスチュワーデスを採用しないと間に合わない状態でした。ところが、当時は、短大や大卒の女性はそれほど多くありませんでしたので、募集条件も高卒程度以上としていました。入社試験で、英語力、その他を勘案して、国際線、国内線の配属を決めていました。ですから、国内線専門のスチュワーデスもいたのです。また、スチュワーデスの定年が30才だったこともあり、25、6才ぐらいになると、退職していきました。退職も多かったので、補充採用もかなりしていました。
70年代は、オイルショックなどがあり、景気が良くなったり、悪くなったりでしたが、80年代に入ると、バブル景気が始まりました。それと同時に、スチュワーデスの給料も上がりました。80年代の終りには、当時の為替レートでは、日系航空会社のスチュワーデスの給料が、外資系に比べ、一番高くなってしまいました。航空会社間の競争も激しくなり、運賃を値上げするどころではありません。ますます下がるばかりです。このままでは、他の外資系の航空会社にやられてしまします。そこで、給料を下げるか、一機あたりの客室乗務員の数を減らすかの選択に迫られました。そして、編成数を減らし少数精鋭にすることになったのです。スチュワーデスたちは、今まで、100の仕事をしていたのを、120しなければならなくなりました。国内線だけしか飛べないスチュワーデスでは困ってしまいます。国際線も国内も、なんでもできるスチュワーデスが必要になりました。一人ひとりの能力が高くないとついていけない時代になってしまったのです。
90年代に入り、バブル景気がはじけて、国内景気も、世界景気も悪くなりました。ところが、どの航空会社もバブル時代に飛行機を多く買い、供給座席数を増やしていました。今度は、お客様の奪い合いが始まりました。運賃を安くするから乗ってください、という状態です。そして、運賃を安くするために、どうしたかというと、いろいろな経費を削減したのです。その一つに、社員の給料も見直しが行われました。スチュワーデスの世界では、契約制にすることによって、人件費を少なくしました。
これからの時代、日本の航空会社は、このような厳しい経営環境の中でも、耐えられる人にスチュワーデスになってもらいたいと考えています。そのためには、基礎能力が少しでも高い人が必要になっています。いずれ正社員になり、中堅としても活躍してもらわなければなりません。
日本の航空会社も、外国人旅客をもっと確保しないとやっていけません。又、機内では、外国人スチュワーデスとも一緒に働きます。スチュワーデスは、国際感覚もますます求められる時代になっています。語学力や異文化などに関心をもって大学生活を送るとよいでしょう。経済や政治などにも関心を持っていてください。
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