塾長の雑学講座

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世界最長フライト ハイボール考  政局の見方 箸の持ち方
スチュワーデス第1号 AirlinesとAirwaysの違い IT時代と記念撮影 Noblesse Oblige
最初の太平洋便は飛行艇 「あか抜ける」「派手になる」 女性の社会進出とストレス プライバシーの確保
パーサーの意味 スカーフの歴史 TVドラマ「アテンションプリーズ 欠勤の話
キャビンアテンダント考 スカーフの着用理由 少子化と平均寿命 2-6-2の法則
海外邦人援護統計 スカーフの着こなし  Galleyの使い方 政界型、財界型、芸術系
航空機と飛行機 コニャックとブラックチョコレート キャビンアテンダント(CA)学の本 Duty FreeとTax Free
運航と運行 Landing時のエンジン音 トイレが近い TIMを読もう
搭乗口 なぜ左側 機内販売はたのしい 中間日本語論 情操教育
お・も・て・な・し 財布中身の把握 能ある者、功ある者 チャンスはいただけ
パリでやられた(置引き) お金の数え方の違い ビデ(Bidet)の話 救命に関わる数字(9の倍数)
変なお辞儀  サービスと安全 年齢別勉強内容 呼吸の話
空港名の由来 3つの言葉 2段階上の見方 採用人数
機内急病人発生 だいじょうぶですか お金を渡すとき サービスは技術

世界最長フライト

                    

旅客機の性能が向上し、超長距離フライト、超長時間フライトが増えてきています。

                                   

最長距離便
区 間
飛行距離
シンガポール航空 シンガポール → ニューヨーク
1万6700km
カンタス航空 シドニー → ニューヨーク
1万6200km
エアインディア
ニューデリー → サンフランシスコ
1万5300km
カンタス航空
パース → ロンドン
1万4500km
エミレーツ(UAE)
ドバイ  → オークランド
1万4200km
ユナイテッド航空

ロスアンジェルス → シンガポール

1万4000km
カンタス航空
シドニー → ダラス
1万3808km
     
最長飛行時間
区 間
飛行時間
カンタス航空 ニューヨーク → シドニー
19時間16分
シンガポール航空 シンガポール → ニューヨーク
18時間45分
カタール航空
ドーハ → オークランド
18時間35分
エミレーツ航空
ドバイ  → オークランド
17時間15分
ユナイテッド航空

ロスアンジェルス → シンガポール

17時間55分
エアインディア
ニューデリー → サンフランシスコ
17時間00分

JALやANAのCAたちも、向かい風の中を飛ぶ冬場のニューヨーク→成田では、14時間以上のフライトをしています。キャセイ航空CAは、ニューヨークから日本上空を通過して香港まで飛んでいきますので、JALよりさらに飛行時間が長くなります。フライトが終わったあとはヘトヘトになっています。最近のB777やB787機は、おおよそ18時間ぐらい無着陸で飛行できるようになり、いままで直行できなかった都市への便が増えています。

2018年ごろから各社とも超長距離便の運航を計画していましたが、コロナウィルスの世界的流行のため、就航計画変更を余儀なくされました。2023年になるとパンデミックも落ち着き計画を再開しています。(上記一覧表は2023年末のものです)

 

  (注) 飛行時間と飛行距離が一致しないのは、同じ距離でも追い風で飛行する
       場合と、向かい風では飛行時間が違ってくるからです。

 
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スチュワーデス第1号

スチュワーデス第1号は、看護婦さんだったのを知っていますか。その人は、アメリカ人のエレン・チャーチという25才の女性でした。1930年のことです。当時、彼女は、ミネソタ大学で看護婦としての教育を受け、サンフランシスコのフレンチ病院で働いていました。彼女は、どうしても空を飛びたいと思っていました。曲芸飛行のパイロットになるのが夢でした。当時は、まだ女性がパイロットになれる時代ではありませんでした。そこで、彼女は、ユナイテッド航空の前身であるBAT社に、客室係の仕事をしたいと、何度も通い続けました。当時は、すでに客室乗務員が飛んでしましたが、すべてスチュワード(男性)たちでした。元来、船室係のことをスチュワードと呼んでいて、その呼称を飛行機でも使っていました。

当時、飛行機に乗るような人たちは、ハイソサエティにいるセレブリティな人たちばかりです。それらの人たちをお世話するのは、客船でも、飛行機でも、スチュワードたちの仕事だったのです。彼女は、看護婦は航空旅客のお世話では役に立つと、航空会社を説得して、スチュワーデス採用のOKを取ったのです。そして、その航空会社では、スチュワーデス採用を、看護婦の資格を持ち、教養があり、性格がよくて、25才までの独身女性という条件にすることにしました。そして、エレン・チャーチは、自分を含め、他の7人の女性を集めてきました。初めてのスチュワーデス8人(Original Eight)が誕生しました。飛行機は、12人乗りの複葉機で、アメリカ大陸横断便を乗務することになりました。サンフランシスコからシカゴまで、給油をしたり食事をするために、12回も途中で着陸しながら、20時間かけて飛んでいました。途中、農地に不時着してケガをしたり、病人が出たりすることもありました。荒野だらけのアメリカでは、途中に病院などありませんでしたので、看護婦の資格は、Cabin Crewの仕事に多いに役立ちました。

 「飛行機の旅」 中村浩美著 光文社新書より
 
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最初の太平洋便は飛行艇

1930年に、第1号のスチュワーデスが誕生してから5年後、パンアメリカン航空(のちにユナイテッド航空に吸収される)は、1935年11月に、太平洋航路を開拓し、航空郵便サービスを始めました。そして、その翌年には、太平洋横断定期旅客サービスを開始したのです。その時に使われたのは、陸上機ではなく、マーチンM130という飛行艇でしたパンナムは、3機の飛行艇に、クリッパーー(快速船)の名をとり、それぞれハワイアン・クリッパー、チャイナ・クリッパー、フィリピン・クリッパーと命名しました。そして、チャイナ・クリッパーが太平洋航路第1便としてサンフランシスコを飛び立ちました。現在のように、太平洋をひと飛びというわけにはいきません。途中、ハワイ、ミッドウェイ、ウェーキ、グアムに立ち寄りながらマニラまで飛行していきました。グラム空港ターミナルのコーヒーショップに、パンナム第1便のようすを報じた新聞記事コピーが飾られています。その記事に飛行記録が掲載してありました。サンフランシスコからマニラまで1週間かかりました。

China Clipper 1935
The Westbound Log

Lv. San Francisco
Arr. Honolulu

------
------

03:46 pm Fri. Nov,22
10:19 am Sat.Nov,23
       (20 hours+23 minutes)
Lv. Honolulu
Arr. Midway
------
------

06:35 am Sun.Nov,24
02:00 pm Sun.Nov,24
       (09 hours+24 minutes)
Lv. Midway ------ 06:12 am Mon.Nov,25
Time Advanced One Day Crossing International Date Line Westbound
Arr. Wake
------
01:38 pm Tue.Nov,26
       (17 hours+25 minutes)
Lv. Wake
Arr. Guam
------
------
06:01 am Wed.Nov,27
03:05 pm Wed.Nov,27
       (11 hours+04 minutes)
Remained One Day According Original Schedule,To Arrive Manila, Nov,29
Lv. Guam
Arr. Manila
------
------
06:12 pm Fri.Nov,29
03:28 pm Fri.Nov,29
       (11 hours+20 minutes)

Local Time:  Throughout
Flying Time:   59 hours+48 minutes
Closed Time:  6 Days 7 Hours 46 minutes

当時のようすはYouTube

 
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パーサーの意味

客室乗務員は、長いあいだ、パーサー(Purser)、スチュワーデス(Stewardess)・スチュワード(Steward)と職位名で呼ばれてきました。最近では、航空会社ごとに、さまざまな職位をつけています。

航空機に関わる名称は、船から来ていることをご存知でしょうか。飛行機のことをShipと呼んでいますし、飛行機への旅客搭乗はBoardingです。乗船もBoardingと言います。 Boardingは、Board(甲板)に上がることです。Boarding Pass(搭乗券)もここからきています。その他にも、パイロット(水先案内人)、キャプテン、クルーなども、船関係の言葉なのです。船では、旅客の日常の世話はキャビン・スチュワードが行っています。船員のほとんどは男性でしたが、戦前の日本の客船には、キャビン・スチュワーデスもいたという記録が残っています。主に、女性客と子供の世話を担当していました。現在でも、呼称は変わっているかもしれませんが、女性乗組員も活躍しています。

航空機のパーサーも、船からきている名称なのです。パーサーの本来の意味は、財布(Purse)を持つ人を指しています。つまり、船のホテル部門の責任者で、寄港地での食材、日常品などの調達をしたり、航行中は、旅客が快適に船旅をできるように手配したりしています。寄港地では、旅客の代わりに入国手続きを行ったり、入国係官と折衝をしたりして、旅客がスムースに入国できるようにしています。パーサーは、船会社によって呼称は違いますが、チーフーパーサー、ファースト・パーサー、セカンド・パーサー、アシスタント・パーサー、ウルーオフィサー、スチュワードなどの職種で構成されています。航空機のパーサーの仕事は、船のパーサーほど複雑ではありませんが、それに近い仕事をしています。機内販売の売上金など、Purse(財布)の管理もしています。

 
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キャビンアテンダント考

メディアの影響もあり、今や、すっかり巷の言葉になった「キャビンアテンダント」の呼称だが、なぜ使われるようになったかは知られていない。

もともと、客室乗務員を表す英語は、イギリスで使われていた「Cabin  Crew」だった。1980年代になるとアメリカでは、「フライトアテンダント(Flight Attendant)」が使われるようになった。同じ頃、日本では、「キャビンアテンダント(Cabin Attendant)」を使うようになっていた。Flight Attenantが米製英語であるなら、Cabin Attenantは和製英語である。それまでは、アメリカでも、日本でもこれらの集合名詞ではなく、「スチュワーデス」「スチュワード」を使っていた。

1980年代といえば、まだインターネットは普及していなく、どの企業も、海外とのやりとりはすべて英文電報(テレックス)だった。JALでも、海外支店とのやりとりはテレックスだった。テレックス料金は、一文字いくらなのだ。そこで費用を安くするため、短縮した英単語を使っていた。たとえは、”As soon as possible”は”ASAP”としたり、”Thank you”は”THNX”、”Weather”は”WX”にしてテレックスを打っていた。

当時、JALでは、スチュワーデス(SS)、アシスタントパーサー(AS)、パーサー(PS)、チーフパーサー(CF)の職種コードがあり、集合名詞としては「Cabin Crew」を使っていた。

ところが、Cabin Crewを社内コードにすると、「C/C」になってしまう。すでにパイロットたち運航乗務員は「Cockpit Crew」と呼ばれていて、「C/C」を使っていた。同じ「C/C」では区別がつかなくなる。そこで、Cabin Crewの方は、別のテレックス用語を考えることにした。そこで出てきたのが「Cabin Attendant」で、「C/A」とすることにした。これなら紛らわしくないということになった。

Cabin Attendant「C/A」は、社内テレックス用コードだったのだ。それが、1970年のTVドラマ「アテンションプリーズ」で使われていたため、世間に広がるようになった。その後、メディアが「キャビンアテンダント」を使うようになった。

現役Cabin Crewたちは、自分たちを「キャビンアテンダント」と呼ばない。社内では、「キャビン(クルー)」と呼んでいるし、パイロットのことを「コックピット(クルー)」と呼んでいる。

 
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海外邦人援護統計 

2024.04内容更新

2019年に海外に出た日本人は2008万人でした。さらに海外在留日本人は約141万人でした。海外に行く日本人が多かった分、海外で水難事故や交通事故、さらには犯罪被害に多く遭っていました。強盗、窃盗、詐欺の被害だけでも年間4500件を越えていました。日本大使館が邦人の援護件数が多かったのは、フィリピン、デンパサール(インドネシア)、タイ、韓国、バンクーバー(カナダ)でした。

2021年に日本を出国した日本人は約51万人で、コロナの世界流行で海外旅行する日本人は一挙に減りました。それに呼応するように海外での犯罪被害も激減しました。海外在留日本人も、約130万人まで減りました。

同年に、殺人事件で亡くなった日本人は3人で、フィリピン、メキシコ、米国フロリダで被害に遭いました。スイス、カナダ、オレゴン(米国)での水難事故で3人、ハワイ、上海、シンガポール、タイで4名の方が交通事故で亡くなっています。以前どおり、強盗、窃盗、暴行、詐欺にも遭っています。

外務省海外安全ホームページより

 
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航空機(Aircraft)と飛行機(Airplane) 

航空機と飛行機との違いはなんでしょう。英語でも、AircraftとAirplaneと2つの言葉があります。

「航空機」とは、人が乗って空中を飛行できる乗り物のことで、空を飛ぶ乗り物のほぼ総称を表しています。「飛行機」は、エンジンを動力として翼に生じる揚力で飛ぶ乗り物を言います。気球や飛行船のように、空を飛ぶ乗り物にはエンジンを持たないものがあります。グライダーもそうです。これらは航空機であっても飛行機ではありません。そして、英語では、Aircraftが航空機で、Airplaneが飛行機となります。Cabin Crewは、搭乗する機材のことを言うときは、「今日のShipは〇〇よ」とShipを使うことが多いですが・・・。

(参考) 「飛行機に乗るのがおもしろくなる本」

 
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運航と運行

航空関係のニュース記事を書くのに、ときどき「運行」を使っている執筆者がいます。空と海の場合は「運航」です。大型船舶も飛行機も、航路にしたがって走行するからです。一方、道路や鉄路を走行するのは「運行」となります。

似たような言葉に、「交通」があります。交通は「人」を運ぶことを意味します。「もの」を運ぶのは「運送」です。情報を運ぶのは「通信」となります。

 
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搭乗口  なぜ左側

旅客搭乗・降機は、どの旅客機でも、どこの空港でも、左側(Lサイド)搭乗口から行なわれます。航空機用語の多くは、船舶から来ています。船は、左舷を港に接岸します。そして、左舷から乗船したり、荷物の積載を行なっています。そこで左側をポートサイド(Port Side)と呼んでいます。つまり港側です。旅客機も、ボーディングブリッジは左側ドアーに設置されます。

飛行機の搭乗口

船舶では、左舷はPort Sideと呼び、右舷をStar-board Sideと呼んでいます。飛行機でも、同じように使っています。飛行機の右側(Rサイド)もStar-board Sideです。ただし、船と違って、旅客機では、客室用品や貨物の搭載はStar-board Sideで行なわれています。

その昔、たとえば、バイキングの船は、操舵する舷(Steer-Board)は、船の右側後方にあり、そこで船の方向を操作していました。そのため、それが邪魔になり、右舷を接岸できませんでした。Steer-boardが変化して、現在の「Star-board」になりました。

参考 「海運雑学セミナール」日本船主協会

 
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おもてなし

現役CAの皆さんは、「おもてなし」の最前線にいます。そして、「おもてなしの心」で、日々、機内サービスにあたっています。さて、「おもてなしとは」と聞かれて、皆さんはどのように答えますか。2020年オリンピック招致プレゼンで、プレゼンターの1人として壇上に立った滝川クリステルさんは、日本のおもてなしについて、下記のようなスピーチを行ないました。(スピーチはフランス語で行なわれました)

日本には、「おもてなし」の言葉があります。これには、訪れる人を心から慈し みお迎えするという深い意味があります。そして、それは先祖代々受け継がれきました。日本の先端文化の中にも、この心はしっかり根づいています。おもてなしの心があるからこそ、日本人がこれほどまでに、お互いを思いやり、客人に心配りをするのです。 −スピーチの一節より−

そして、続いて、東京は世界一安全な街であることを、年間3000万ドル分の現金や落し物が警察に届けられている例をあげて説明しています。公共交通機関もしっかりしていること、街が清潔であること、タクシーの運転手さんも親切であることなどを紹介しました。

その次に、きれなブティックや世界最高峰のレストランもあることや、ミシュランガイドで星がついているレストランの数が世界一多いこと、オリンピック会場は都心にあり、お台場近くでは会場から会場への移動途中で、ライブやパフォーマンスが楽しめること、そして、オリンピックを見に来た人たちは、忘れ得ない思い出を残すことになると結んでいます。

滝川クリステルさんは、プレゼンの中で、おもてなしとは、「安全」を確保し、「安心してくつろいでいただき」、そして、「楽しんでいただく」。その準備が、東京はできていることをアピールしました。 この3点をしっかりプレゼンの中に入れ込んでいました。

友人を家に招いたとき、夏の暑い日であれば、冷たいオシボリを用意し、まずは汗をぬぐってもらい、冷たい飲物でのどを潤ってもらいます(安心・くつろぎ)。友だちが来る前には、家のそうじや整理整頓を行い、友達が、家の中で、なにかを踏んづけて足をケガしたり、出っ張った物に身体をぶつけることがないようにします(安全確保)。友だちに、茶菓を出し、お話をしたり、アルバムを見せたり、一緒にビデオをみたりして楽しいひとときを過ごします(楽しませる)。

そして、日本人の多くは、足りないものはないか気配りをし、友だちが楽しんでいるか気づかいをし、もっとおもしろいことはないか気を働かせます。「気配り」「気づかい」「気働き」をしながらおもてなしをします。

「もてなし」(名詞)に相当する英語は、なんでしょう。
「もてなす」(動詞)に相当する英語は、なんでしょう。

おもてなしに相当する英語の代表は「Hospitality」です。ところが動詞「もてなす」は 「Hospitalize」ではありません。「もてなす」に相当する英語の代表は「Entertain」です。 Entertainの仕方は、人それぞれですが、Entertainのないところに、「おもてなし」はありません。

         皆さんは、機内でどうやってEntertainしていますか

これは塾長の考えです。皆さんなりに「おもてなし」について考察してみてください。
皆さんの「おもてなし」に対する考えをぜひ聞かせてください。

 
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パリでやられた(置引き)

同乗Crewが実際に被害に遭ったケースです。真冬のパリ便を乗務し、パリのホテルに到着しました。そして、Crewたちは、Room Keyをもらうまでロビーの片隅で待っていました。そこに、英語がたどたどしい白人のカップルが近づいてきました。パリ観光のことで、CAになにかを尋ねていました。このカップルが去り、CrewたちはRoom Keyをもらったので、部屋に引き上げようとしたところ、ソファーテーブルにおいてあったCAのショルダーバッグがないのです。そのカップルの女性は、マントを着用していました。男のほうがCrewと話している間に、低めのテーブル上にあったショルダーをマントで覆い、そのまま持ち去って行ったのです。気がついたときは、カップルの姿はどこにもありませんでした。

パリ地下鉄の改札口が混んでいて、うしろから押され、そのドサクサに、ショルダーから財布を抜き取られたCabin Crewもいました。
CA 盗難被害 スリ ひったくり
外務省ホームページでは、各地での被害状況と手口について掲載しています。特にプライベートで、慣れていない都市に旅行する場合は、外務省海外安全ホームページならびに在外大使館安全情報を確認しておくとよいでしょう。

≪最近のパリ≫  駐仏日本大使館  安全情報 (最新の被害事例)

被害防止策(海外)

 

(1) 危険といわれている地域や場所には、昼間であっても決して近づかない。
(2) 深夜や早朝の独り歩き、ジョギング、地下鉄の乗車は避ける。
(3) 周囲に不審な人物がいないか常に警戒意識を保ちながら行動する。故意にぶつかりワインボトルを落としたり、メガネやサングラスをわざと壊したりして、弁償を強要するといった恐喝被害に気をつける。
(4) 人前で現金や貴重品を決して見せず、多額の現金は持ち歩かないようにする。現金を持ち歩く場合は、なるべく複数のポケットや財布に分散する。
(5) 親しげに話しかけてくる者には特に注意。あたかも無料でCDを配布しているような素振りを見せていたため受け取ると,法外な金額を請求される場合もあるので,配布物が必要なものであるときにのみ受け取る。警察等を装って近づく犯罪者もいるので、不審に思ったらIDを見せてもらう等する。
(6) 強盗に襲われた場合は抵抗せず、なるべく犯人を直視しない。犯人に武器を取り出すと誤解されるような行動は避け、あらかじめ強盗対策用として20ドル位をポケット等に入れておき、その現金の位置を示し、犯人に取り出させるようにする。

下記被害も多発
*空港、ホテル、レストランでの置き引き
*路上でパフォーマンスを見ている隙に、バックパックから財布等盗難
*空港で日本人を狙った白タク被害(法外な料金請求)

 
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変なお辞儀

最近、スーパーなどでお辞儀をするとき、手でお腹を押さえているのを見かけます。これを通称「腹痛ポーズ」「胃痛ポーズ」と呼んでいます。客室乗務員採用面接をしていると、とってつけたように、ときどきこのポーズをとる受験生がいます。このしぐさを見ると、この受験生は、どこかのCAスクール生だろうと想像してしまいました。CA上がりの講師が、そのように教えているのだと思います。筆者もCA出身ですが、とても違和感を感じます。

日本では、お辞儀のしぐさは、もともと着物から来ていると考えてよいと思います。着物を着たとき、組んだ手を帯のところには持っていきません。手は自然と降ろしています。そのままお辞儀をします。お茶の世界でも、小笠原流(本家)の教えでも、深いお辞儀をしているときの手は、両太ももとあたりにあります。

サービス業である商人の世界では、謙遜したり、下手に出たり、手を出さない(手を押さえる)ことを表したりして、商売の上で、手を合わせることがありました。現代のサービス業でも、その習慣が踏襲されているのか、接客マナー講習などで、そのようなしぐさを指導していることがあります。サービス業は手を合わさなければいけないといことではありません。

韓国や中国では、お辞儀をするとき、手の位置は、日本人よりもっと上に持っていっています。これらの国の時代劇TVドラマを見ていると、チマチョゴリや伝統的中国服のときは、手は袖の中に入れて重ねています。その位置はお腹やみぞおちあたりとなっています。寒さをしのぐためのしぐさかもしれません。日本とは寒さが違います。

韓国方式、中国方式とも、それぞれ伝統文化の中で育まれてきています。日本では、手は下ろし、肘が張らない形が自然です。

ただし、CA訓練でも、美しい立ち姿の練習をします。背筋を伸ばし、どちらかの足をやや前に出し、手を組んだ立ちポーズをとります。ときに、組んだ両手がお腹あたりに来ることもあります。これは美しく見せるためのポーズを作るためです。ポーズをとるのと、お辞儀をするのは、まったく目的が違います。ポーズをとったままお辞儀をするとおかしくなります。

さらにいうと、身体の前で両手を重ねるしぐさは、待機していることを表します。待機のポーズのままお辞儀をするのも、本来のお辞儀に照らし合わせるとやや違和感があります。これはCAの世界でも行なわれています。一般企業(特にサービス業)でも行なわれています。本来は待機の姿勢であることを知っておいてください。

訪日外国人が多くなった現代、立っているときも、お辞儀をするときも、身体の前で手を合わせるしぐさも、注意が必要です。

たとえば、人前でスピーチをするとき、欧米人はそのしぐさをぜったいと言ってよいくらい行いません。それは自分の大事なところを隠すしぐさだからです。そして、そのしぐさはストリッパーのしぐさだからです。

「変なお辞儀」への問題指摘

 
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空港名の由来

日本の空港名は、羽田、伊丹、成田、福岡、札幌など、地名に由来しているところが多いと言えます。外国の空港は、国によって、さまざまな名前のつけ方をしています。知っていると旅客との会話にも役立ちますし、その空港をあらためて見直したくなります。

米国では、歴史的に有名な政治家などの名前をつけているメジャーな空港が多くあります。ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港(JFK)、ヒューストンのジョージ・ブッシュ・インターコンティネンタル空港(IAH)や、有名な国務長官ダレスの名前をつけたワシントン・ダレス国際空港(IAD)やロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港(DCA)、そして、イリノイ州スプリングフィールドには、リンカーン大統領の名前をつけたアブラハム・リンカーン・キャピタル空港(SPI)があります。最近では、リトルロックナショナル空港をビル&ヒラリー・クリントン・ナショナル空港に改名しています。西海岸に行くと、スペイン語のなごりが見られます。サンフランシスコ(SFO)は、聖フランシスコ(Saint Francisco)に因んでいます。ロサンジェルス(LAX)は、「天使(エンジェル)たちの街」(Los Angeles)を意味しています。そして、そのまま空港名として使っています。

ホノルル国際空港は、2017年5月より、元上院議員で、同空港の整備のため、連邦予算の確保に尽力をつくした日系人故ダニエル・K・イノウエ氏に因んで、正式名称が「ダニエル・K・イノウエ国際空港」となりました。 2017.05追記

アジアに目を向けると、シンガポールのチャンギ国際空港(SIN)は、チャンギ島の名前をそのまま使っています。昔、島のまわりが海だったところを埋め立てて空港にしました。バンコクのスワンナブーム国際空港(DMK)は、「黄金の土地」を意味し、国民が尊敬してやまなかった故プミポン国王(ラマ9世2016.10逝去)が命名しました。ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港(CGK)は、インドネシア独立後の初代大統領スカルノと副大統領モハマッド・ハッタの名前から、第2代スハルト大統領が命名しました。マレーシアのクアラルンプール国際空港(KUL)は、黒川紀章さんがターミナルを含む全体設計を行い、大成建設、竹中工務店が工事を担当した空港です。「クアラルンプール」はマレー語で「泥が合流する場所」を意味します。

ヨーロッパでは、アムステルダムのスキポール空港(AMS)の”Schiphol“は「船の墓場」を意味しています。昔、海戦があった場所かもしれません。パリのシャルル・ドゴール空港(CDG)は、ドゴール大統領の名にちなんで命名されました。ちなみに、シャルル・ドゴール(Cherles-de-Gaulle)は、「ゴール地方のシャルル(ぬし)」を意味します。英語読みにすると、「ゴール地方のチャールズ」となります。ロンドンのヒースロー空港(LHR)は、空港開港時に消滅したHeath Row(ヒース通り)もしくはヒースの木が茂っていた村の名前を残したと言われています。フランクフルト空港(FRA)は、アム・マイン地方にあるので、通常、フランクフルト・アム・マイン空港と呼んでいます。フランクは、カール大帝時代の”フランク”族から、フルトは「歩いて渡れる川の浅瀬」、アム・マインは「マイン川流域」となり、「フランク族がザクセン族に追われマイン川を逃げ渡った場所」となります。ローマ・レオナルド・ダビンチ空港(FCO)は、空港コードを見て分かるとおり、本来の空港名は、フィウミチーノ(Fiumicino)空港(FCO)です。現在は、両方の名前で呼ばれています。フィウミチーノは、羽田と同じように近くの漁村の名前です。ヘルシンキ・ヴァンダー空港(HEL)のヴァンダーも町の名前からきています。コペンハーゲン空港(CPH)のCopenhagenは、デンマーク語で、「商人の港」を意味しています。

関所の西側だから「関西」、東の都だから「東京」、昔田んぼと漁村だった羽田村の「羽田」、雷が多く鳴る田んぼから「成田」(諸説あり)など、日本の地名の由来も外国人旅客に教えてあげてください。

 
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機内急病人発生

どのチーフパーサーも、飛行中、急病人だけは発生してほしくないと思っています。筆者自身は、新人Crewのころ、飛び始めて2回目のフライトでCPRを行ないました。残念ながら助けることができませんでした。当時は、AEDなどというものはなく、心臓マッサージをするしかありません。それ以来、飛行中に、重篤人の発生がないことを祈りつつ乗務していました。また、チーフパーサーになってからは、軽症の方でも、かならず自分の目で症状を確認することにしました。人命救助 機内病人手当

そして、乗務人生の最後の最後に、CPRが必要になりました。それはバンコクへ向う途中でした。食事サービスが終わり、客室も静まり始めたころ、お客様が呼吸困難に陥りました。機長に状況の深刻さを説明し、台北へのダイバート(Divert)を依頼しました。なんとか存命のまま救急車に引き渡すことができましたが、残念ながら病院到着後、お客様は亡くなられました。あとで判ったことですが、呼吸困難の原因は、持病の胃潰瘍が出血し、その血液が気管支に入ったためでした。

筆者の2回目ケースのあと、その年は、他のチーフパーサーの便でも、連続して旅客が亡くなりました。ベビーベッド(Baby Bassinet)に寝かせておいた赤ちゃんの呼吸が止まっていたケース、ハワイでダイビングを楽しみ、その直後に搭乗してきた若い女性が、血栓症を発症したケース、おじいさんが心臓マヒを起こしたケースです。いずれも最悪の結果になってしまいました。

筆者が飛んでいた会社では、最盛期には、年間1400万人前後の国際線旅客を運んでいました。緊急ケースがまったく発生しない年もありましたが、平均すると、このような重篤患者の発生が、年間5〜10回の割合で起きていました。

 
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ハイボール考

最近、日本では、ウィスキーが復活してきています。ウィスキーメーカーの宣伝もあり、ハイボールを飲む人が増えています。ところで、皆さんは、機内で、お客様からハイボールのオーダーを受けたら、どのウィスキーをソーダで割って調製しますか。スコッチ系ですか。バーボン系ですか。

ハイボールの名前の由来には、2、3の説があります。アメリカに大陸横断鉄道ができた頃の話です。蒸気機関車には、設備がある駅で給水を行なっていました。その駅には、遠くから分かるように高いポールが掲げてありました。そして、給水している間、旅客にはウィスキー&ソーダがサービスされていました。旅客はポールが立っている駅に着くのを楽しみにしていました。これがアメリカ横断鉄道説です。

もう一つに、スコットランドゴルフ場説があります。スコットランドのゴルフ場で当時珍しかったウィスキーのソーダ割りを試している所へ、高々と打ち上げられたボールが飛び込んできて、「これがハイボールだ!」と言ったという説です。ウィスキーがアメリカに渡る前の話です。 サントリー社は、こちらの説を使ってスコッチウィスキーを使ったハイボールを宣伝しています。

炭酸の泡が上昇するボールのようだったからハイボールと名づけられたという説もあります。

日本で、「ハイボール」を注文すると、スコッチ系ウィスキーのソーダ割りが提供されることが多いかもしれません。実は、「ハイボール」は、お酒(スピリッツ)を清涼飲料水で割り、ロンググラスを使用して作るカクテルの総称です。ウィスキーのジンジャエール割りも、コーク割りも、ジントニックも、ハイボールの一種となります。また、ウィスキー・ソーダにしても、アメリカ人は、アメリカのバーボンウィスキーをソーダで割ったものをハイボールと呼ぶかもしれません。欧米のバーで、これらのカクテルを注文するときは、「Scotch & Soda」とか「Bourbon & Soda」とか、どのウィスキーで作ってほしいかを伝えます。「スコッチ・ソーダ」だけがハイボールではないことを覚えておいてください。そして、焼酎ハイボールを「酎ハイ」と呼んでいますが、これも焼酎を清涼飲料水で割ったものです。

 
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AirlinesとAirwaysの違い

日本航空はJapan Airlines、全日空はAll Nippon Airwaysと、英語名ではAirlinesとAirwaysに分かれています。外国の航空会社でも、アメリカの航空会社は、American Airlines、United AirlinesのようにAirlinesを使い、英国の航空会社は、British AirwaysやVirgin Atlantic AirwaysのようにAirwaysを使っています。そして、昔、英連邦の一員であった国々の航空会社はAirwaysを使っています(除く新興航空会社)。たとえば、オーストラリア系の航空会社は、カンタス航空(Qantas Airways)のように、すべてAirwaysを使っています。英国の影響が強い香港でも、キャセイパシフィック航空(Cathy Pacific Airways)がAirwaysを使っています。一方、戦後、アメリカの影響を強く受けている国々の航空会社は、ヨーロッパでもアジアでも、Airlinesを使っています。そして、Airwaysを使っている航空会社は英語系の航空英語、Airlinesを使っている航空会社は、米語系の航空英語を、社内で使っています。塾長が新人時代、日本航空は、国際線進出に際して、ユナイテッド航空にいろいろ教えてもらいました。全日空は、最初に投入した飛行機が英国製でした。そのため、両社では、使っている航空英語が少し違うところがあります。

各航空会社の英語名を掲載していますので、ご覧になってください。航空会社一覧ページ

CA用語比較講座

 
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「あか抜ける」「派手になる」

「あか抜ける」と「派手になる」は、ファッションを着こなす点ではまったく違います。「あか抜ける」には、それを見た人から、「ステキ」という賞賛の言葉が聞こえてきます。なぜステキという言葉が出てくるかというと、装いの中に、「品のよさ」が感じられるからです。そして、控え目にさりげなく装うことも忘れません。一方、派手に見える場合は、着こなしの目的に、自分を目立たそうとしているところがあります。そこには、品性は二の次になっています。

欧米の上流階級は、ブルジョワジーとして、優雅さだけでなく、上品さを大切にしてきました。これらの顧客を相手にしていた有名ファッションブランドも、やはり品のある優雅さを追求してきました。キャビンアテンダント(CA)になったら、あか抜けてほしいものです。

 
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スカーフの歴史

スカーフは、ヨーロッパの寒い地方の兵士たちが、防寒のための首巻として使っていたものです。それが、1500年代後半〜1600年代にかけて、エリザベス1世やルイ14世の頃、イギリスやフランスの紳士や貴族の首元の飾りとして使われるようになりました。1700年代には、シルク、豪華なレース、金糸、銀糸の刺繍が施され、男性の装飾に欠かせないものとなりました。1700年代末になると、カシミアや白綿のショールが流行し、女性たちはこぞって、肩に垂らしたり、背中にかけたりその優雅さを楽しむようになりました。1930年代には、スカーフも、紳士だけでなく淑女たちのブルジョワジーとしてのステイタスシンボルとなりました。1950年代には、モナコ王妃になったグレース・ケリー、オードリー・ヘップパーンのスカーフルックが人気を集め、さまざまなスカーフの着こなしが見られるようになりました。

          (参考) 「スカーフの歴史」 

制服はフォーマルファッションです。フォーマルな装いのときは、フォーマルにふさわしい着こなしが必要になります。フォーマルにふさわしい着こなしとは、そのアイテムの本来の目的を忘れずに着用することです。

 
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スカーフの着用理由

すでに書いたとおり、スカーフは防寒用品として使われていました。いまでも、本来の目的を持っています。基本は寒さ対策です。

昔の戦闘機乗りは、首に白いスカーフを巻いていました。その雄姿は、若者のあこがれでした。もっと昔の飛行機は、操縦席に天窓もなく、風がビュンビュン入ってきました。もともとは、カッコがいいから着用していたのではありません。首元が寒いのでスカーフを巻いていたのです。それだけでなく、スカーフは、ケガをしたときの包帯の代わりになり、止血帯にもなりました。場合によっては、遭難時に発見をされるための旗にもなります。敵に降伏するときは、白旗としても使用できました。

ボーイスカウトやガールスカウトの子供たちは、ネッカチーフを巻いています。ネッカチーフも、本来の目的は、保温や防塵のためです。レストランのシェフも、首にスカーフやネッカチーフを巻いています。食材を保管している冷凍庫に入るための保温や、汗を吸収するなど着用理由があります。

 
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スカーフの着こなし

あるとき、NHKの職業紹介の番組で、キャビンクルーの仕事を紹介していました。放映されているのは、実機での新人クルーのOJTフライトシーンでした。新人CAは緊張の面持ちで一生懸命サービスしています。そして、OJTインストラクターは、気がついた点があるとGalleyでその都度、指導を行なっています。それはよくあるシーンですが、先輩も新人も、スカーフの着こなしがまったくできていません。「私はCAなのよ」的に、あふれんばかりの結び方をしてスカーフを横に流しています。そのブラウスは第2ボタンまではずし、胸元が開いています。そして、スカーフだけが目立っています。まったく品のよさが感じられませんでした。最近の傾向として、CAもグランドスタッフも、「スカーフの結びが私の命」みたいに、やたらとスカーフを目立たせていて、ファッションバランスの悪い人を多く見かけます。

 
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コニャックとブラックチョコレート

ビジネスクラスやファーストクラスでは、デザートワゴンに、チョコレートも用意している航空会社があります。皆さんは、このチョコレートをどのようにサービスしていますか。

チョコレートは、原産地が中南米で、元来、苦味のある飲物でした。1500年代にスペインに渡り、そこでも広く愛飲されるようになりました。1661年、フランス国王ルイ14世に嫁いできたスペイン王女マリア・テレサが、チョコレートを飲む道具一式とチョコレート専門の料理人を連れて輿入れしました。そして、フランスでも上流階級からチョコレートが広まりました。当初は、飲物であったチョコレートは、その後、食べるチョコレートも開発されました。飲むチョコレートのほうは、オランダのバン・ホーデンンが、チョコレートから脂肪分を取り除き、より飲みやすくしたココアを開発しました。一方、食べるチョコレートは、スイスに渡り、ミルクを加えたミルクチョコレートに発展していきました。

その昔、館での晩餐会では、食事が終ると、男たちは別の部屋に移りました。そこで、葉巻をくゆらせながら、コニャック(ブランディ)を片手に、男同士の話を楽しんでいました。そして、コニャックのそばには、たいていブラックチョコレートが用意されています。誰かが、コニャックにブラックチョコレートが合うのを発見したのです。それが上流社会で広まりました。搭載されているのがブラックチョコレートであれば、本来は、食後酒のために用意されているものです。もちろん、旅客の希望があれば、デザート代わりにサービスすることもあります。

時とともに、コニャック(ブランディ)には、脂肪分が強いブラックチョコレートより、ブラックコーヒーを好む人が増えてきました。ブランディや他のリキュールを飲んでいるお客さんから、コーヒーを頼まれたら、「お砂糖とミルクはいかがですか」などと聞かないでください。あなたは、何もしらないCAだと思われます。やはり、コニャックにはブラックコーヒーなのです。ブラックコーヒーを飲んでいるお客様に、さりげなく、「コニャックはいかがですか」と言ってみてください。ニヤっとしたら、その方は知っている方です。反対に、コニャックを飲んでいるにもかかわらず、コーヒーに砂糖とミルクをくれなどというお客様は、その組み合わせを知らない方です。こういうところで、お客様とかけ引きできるようになれば、あなたはサービスのプロに一歩近づいたことになります。

 
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Landing時のエンジン音

長時間の国際線フライトや一日に何便もこなす国内線フライト、身も心もヘトヘトになります。そして、ベルトサイン点灯でJump Seatに腰を下ろし、心には安堵感が漂います。それでも、耳は、エンジン音やGear DownやFlap Downの音に向けています。特に、Gear Downの音に注意を払います。車輪を出したということは、その空港への着陸が決定したということです。そして、そこで、飛行機は、アプローチ態勢からLanding態勢に入ったことになります。そこからは、エンジン音に耳を傾けていてください。横風が強かったりすると、機体が煽られないように、パイロットはエンジンをふかしたりします。いつもよりエンジン音が強いときは注意が必要です。

先日、知り合いのCabin Crewから、Hard Landingで腰椎捻挫になったとメールが来ました。3.2Gの衝撃だったそうです。硬めのJump Seatに座っていると、相当のショックがあります。横風に負けないようエンジンをふかしたままLandingすると、Hard Landingになることがあります。Landing前は、エンジン音に耳を傾け、いつもと音が違うような場合は、身構えることも必要になります。横風以外でも、Captainが接地をうまくできなかった場合や機長訓練のCo-Pilotが着陸を担当したときなども、Hard Landingになることがあります。最後の最後まで気を緩めずにいることが大切です。

 
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機内販売はたのしい

筆者が機内販売に携わっていたのは1970〜1980年代でした。手元に、その当時、機内販売で受領しためずらしい紙幣やコインが残っています。大日本帝国政府が、戦前に、インドやビルマで発行した紙幣、受領不可なのに受け取ってしまった植民地で発行されたフランスフラン紙幣、1928年、1934年に発行されたアメリカ1ドル札、これらは、すべて機内販売代金受領時に出てきたものです。

当時でも、戦前の1ドル札や5ドル札は、めったにお目にかかれないお札でしたので、見つけると、自分のドルと交換してコレクションしていました。旧ドル札は、財務省のマークはグリーン色ですが、戦前のドル札は、そのマーク部分だけブルーだったり、赤色だったりしました。そのため、すぐに判別できました。

機内販売で、お金を扱うことになったとき、「世界の通貨」を解説している本やコイン収集家のための本などを読んでみたのです。そしたら、貨幣のことがいろいろ分かり、機内で、お金を扱うのがおもしろくなりました。

たとえば、前述の戦前に発行されたドル紙幣は、歴代大統領のワシントンやリンカーンの顔が描かれている上の部分に、「Silver Certificate」と書いてあります。現在のドル紙幣では、「Federal Reserve Note」となっています。Silver Certificateの意味は、このお札は、1ドルに相当する銀と交換できるというものです。これを「兌換紙幣」と呼びます。戦前のドル紙幣は、銀と交換できる兌換紙幣だったのです。現在の紙幣は、その役割を果たしていません。

25セントや10セントコインも、戦前のものはすべて銀製です。収集してみると、それぞれ発行年が違うのでおもしろいです。ところが、戦後に発行されたこれらのコインは、表面は銀ですが、よく見ると、間に、銅が挟まっていてサンドイッチコインになっています。これをClad Coinと呼びます。コインを大量に発行した結果、銀が足りなくなったためと、貨幣の価値が変わったため銅を挟むようになりました。ちなみに、昔は、1ドルコインや50セントコインも流通していましたが、今では、めったに目にすることがなくなってしまいました。

コイン収集家たちは、紙幣を手に取ると、発行番号をすぐチェックします。日本の紙幣は、「XJ431505H」というように、アルファベットの次に数字が6個あります。この数字が、たとえば、「111111」とか「222222」などのようにゾロ目だったり、「232323」みたいに語呂がよかったりするものを集めています。ものによっては、何十倍もの価格で取引されることもあります。

ユーロ札をよく見たことがありますか。今手にしているユーロ札はフランスで印刷されたものですか。ドイツですか。同じ10ユーロ札でも、印刷した国が違います。各国の10ユーロ札を集めてみませんか。お札の裏側のデザインが違いますね。

あなたが今持っている紙幣やコインは、たぶん20年後には流通していないでしょう。アルバムにでも貼っておくと、よい記念になります。

 

 
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財布中身の把握

国際線での機内販売では、売上が数十万円になります。時には、100万円を越すこともあります。機内販売担当者にとって、その管理は大変です。その一つに、売上金の把握があります。

日本の商人は、昔から、お札が10枚貯まると、一束にしていました。1万円札が10枚になると、9枚のお札を1枚のお札で挟むようにして束ねます。手提げ金庫の中にある札入れには、その束が入れられている状態です。また、日本のお札は、それができるようなサイズになっています。アメリカドルでは、同じことをようとしても、サイズがうまく合いません。

そして、商人たちは、その束を数えることで、札入れにいくら入っているか、売上がいくらあるか把握していました。支払いのとき、たとえば、21万円を払うときは、2束と1枚の1万円札を差し出します。そうすると、すぐにやりとりができます。日頃から、同じ札が10枚貯まったら1束にしておけば、一日の終わりに、すぐに売上金を計算できます。

機内販売売上金の集計や販売報告書の作成は、基地到着までの短い時間に仕上げています。この作業を効率よく行なうためにも、普段から売上金の集計と把握をしておくことをおすすめします。また、これは売上金紛失の防止にも役立ちます。

 
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お金の数え方の違い

お金の数え方の違いは、外国滞在経験がある方ならうすうす気がついていると思います。アメリカなどキリスト教文化圏では、左手に札束をもち、数えながら1枚ずつ右手に移していきます。中国人や華僑、そして韓国人は、札束を台の上において、そのまま1枚ずつめくっていきます。日本人は、札束を左手に持ち、右手の親指と人差し指でめくっていきます。銀行員は、両手で持ち、両端を互い違いにづらして、左手に持ち変えて、右手で5枚ずつ数えていきます。

 
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サービスと安全

筆者はチーフパーサー時代、羽田発の沖縄便で、修学旅行の高校生200名全員をコックピット(操縦室)見学してもらったことがあります。他の旅客には、高校生たちの向学のために操縦席を見学させる旨、機内アナウンスして事前に説明し、高校生たちには機内を移動するときには静かにするよう約束してもらい、全員を後方客室からジャンボジェットの2階にある操縦席に連れていきました。キャビンクルーたちには、操縦室前や2階に上がる階段付近にいて誘導の協力をしてもらいました。5人ずつ操縦席に入れて、30秒たったら、次の5人と入れ替わってもらいました。この修学旅行は、学校にとっても、学生たちにとっても、よい思い出になったと思っています。こちらの提案を、機長が快く引き受けてくれたから実現できました。

B-767機で、あるとき、ローカル便を飛んでいたときのことです。それは旅客も多くなく、とてものんびりしたフライトでした。パイロットに飲み物を持っていくと、その日が機長の誕生日だと分かりました。「キャプテン、誕生日記念に、操縦室のドアーを開けっ放しにして、操縦席を見たいと思っている旅客に見学させませんか」と提案したところ、機長からOKが出て、さっそく機内アナウンスです。「今日は機長の誕生日です。機長が希望のお客様を操縦席に招待したいと言っています。皆さん、操縦席を覗いてみませんか」。子供連れの旅客や一度操縦席を見てみたいと思っていた大人の旅客が、遠慮がちに操縦席を訪れてきました。当時、ヨーロッパで外国他社に搭乗したとき、飛行機の搭乗ドアーを入ると、左側にある操縦席のドアーが開けっ放しにしてあり、搭乗客が操縦席を覗き込むと、パイロットが、「Welcome on Board!!」と言っていました。

これらは、1990年代後半の話しです。フライトを演出し、旅客を楽しませ、自分たちも楽しんでいました。いろいろな事件や事故が起こり、安全が最優先になって、これらのこともできなくなってしまったのが昨今の航空業界です。

 
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3つの言葉

接客場面や職場、個人生活など、どこでも使えて、皆さんを魅力的にする言葉があります。それは、「そうなんですか!」「ステキですね!」「すごいですね!」の3つです。

旅客は、One of Themとしてではなく、個としての存在を知っておいてほしいと思っています。旅客のことを気づいてあげる。そして、それを伝えることが個としての存在を認めることになります。そのときに向いた言葉の一つが「ステキですね!」です。この「ステキですね」は、職場生活や日常生活でも使ってほしい言葉です。自分に余裕がないとこの言葉は出てきません。反対に、この言葉を使える女性に、ステキな女性が多いのです。

上司や年上の人は、若い人たちに、経験談や苦労話をするものです。その心の底には、自分を認めてほしいという思いがあります。上司に敬意を示す言葉が「すごいですね」と「そうなんですか」です。特に、「そうなんですか」は、上司の考えや立場を認める言葉となります。これは旅客にも使えます。また、舅や姑にも大いに使ってほしい言葉です。好きな彼には、「すごい!」を使ってみたらどうでしょう。

この他に、「さすが〜」「センスがよいですね」があります。これを合わせると「さ・し・す・せ・そ」になります。

相手を認めることが、よりよい人生を過ごす第一歩となります。

 
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だいじょうぶですか

トイレの前で、貧血を起こした旅客に突然倒れられるのは、国際線Crewなら誰で経験していることです。それ以外でも、機内では、旅客の体調が急変することもあります。そのようなとき、皆さんは、どのような声かけを行なっていますか。よく耳にするのは、「お客様、だいじょうぶですか?」です。

旅客は、自分がどうして倒れたのか分からなくて不安になっています。そこへ、「お客様、だいじょうぶですか?」となれば、旅客はよけい不安になります。ときには、不安そうな声で、「お客様、だいじょうぶですか?」とたずねているCrewもいます。ここで使う言葉は、「お客様、だいじょうぶですからね」です。そして、まず旅客の不安を取り除くことです。なぜなら、不安が高じれば、ショック状態に陥るからです。ショック状態になれば、自分で呼吸をコントロールできなくなり、生命が危険にさらされます。

前のエッセイで、ショック状態に陥った新婚カップルの新婦の話を書きました。あまりの揺れで、空酔いがはげしくなり、不安な気持ちも重なり、ショック状態に陥ってしまいました。そのため、息を吸ってばかりしました。そこで、呼吸を整えさせていくうちに、本人は目を開けるようになり、落ち着きました。しかし、最初に、伝えたのは、「飛行機はどんなに揺れても落ちることはないですから安心してください」「あなたもだいじょうぶですからね」。不安を取り除くことでした。

 
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政局の見方

景気がわるいときは、保守党系が政権をとり、景気がよくなると、労働党系の政党が、躍進するか、政権を取るという歴史が繰り返えされてきています。海外でも同じです。

日本では、バブル経済が90年代前半まで続きました。経済が絶頂期になったとき、衆議院議長は誰だったと思いますか。「おたかさんブーム」を引き起こした社会党の土井たか子氏でした。そして、それと前後して、連立を組んだ社会党の村山富市が首相になったのもこの頃です。労働党系の政党だった社会党が躍進しました。なぜ、躍進したのでしょう。それは、国や企業に富が集まったからです。労働党系の政党は、その富を国民に分配する役割を期待されたからです。

ところが、バブル絶頂期に躍進した社会党は、バブル崩壊とともに、消滅してしまいました。景気後退とともに、不良債権問題が起こり、金融危機になりました。そして、あちこちで倒産する企業が続出しました。景気回復こそが民衆の一番の願いでした。なぜなら、リストラで失業者が町にあふれていたからです。そして、自民党の小泉首相にその願いを託しました。小泉政権は、不良債権処理をはじめ、行政改革、金融緩和政策、民営化政策などを行なってきた結果、好景気期間が戦後最長と言われるほどになりました。

評論家やマスコミがいろいろ解説していますが、2007年の参院選での自民党惨敗は、大衆が富の分配を、労働党系の民主党に託しました。年金問題にしても、格差問題にしても、大衆への分配をちゃんとしてくれと言っていたのです。ところが、2008年にリーマンショックが起きて、景気が急激に悪化し、国家財政もきびしくなりました。威勢のいいことを言っていた民主党は、分配したいけど、その原資がなく、国民の期待に応えられなくなりました。そして、景気はますます悪化していきました。景気をよくするのは、保守党の得意とするところです。そして、2013年の参議院選挙では、国民は、自民党に期待をすることにしました。

80年代、日本が高度成長を謳歌しているとき、イギリスが英国病にかかり、経済が疲弊していました。失業率はゆうに10%を超えていました。その頃、筆者は、初めてのロンドン基地CAたちの訓練を担当していました。彼女たちからも、特に、若者たちの失業率が高いことを聞かされていました。当時すでに、英国の建て直しを担っていたのが、鉄の宰相と呼ばれたサッチャー首相でした。労働組合の反対をものともせず、国営企業の民営化を促進したり、規制緩和を行なったりして経済を活性化させました。そして、それを同じ保守党のメジャー首相が引き継ぎました。そして、英国は長い不況から脱出し、景気も回復しました。その後、政権は労働党に移り、ブレアー首相が誕生しました。

1960年代、アメリカ人は、強いドルをもって世界を闊歩していました。ところが、60年代後半になると、ベトナム戦争の失敗もあり、70年代のアメリカ経済は、財政赤字と貿易収支の赤字を抱え、最悪な状態となっていました。1980年に大統領になったレーガンは、レーガノミックスと呼ばれる経済政策を打ち出し、経済の建て直しを進めました。80年代後半から90年代にかけて、ブッシュ大統領(今の大統領の父親)がレーガン政策を引き継ぎました。そして、経済状態がよくなると、政権は民主党がとり、クリントンが大統領になりました。クリントン政権下で、また、景気が悪くなり、国民は、景気回復を共和党に託しました。そして、ブッシュ大統領が誕生しましたのです。大統領選挙で、共和党が勝つか、民主党が勝つかは、アメリカも景気次第なのです。

 
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IT時代と記念撮影

筆者が、中学生のときの修学旅行は京都でした。そして、そのときのバスガイドさんがとてもきれいで、やさしくて、中学生ながら、彼女に淡い思いを抱いたことを今でも思い出します。バスガイドさんの制服姿はなんとも魅力的で、写真を一枚撮らせてもらいました。その写真は、今でも、アルバムに貼り付けてあります。そして、それは一生の思い出になっています。

サービス業では、消費者がいくら大金を払っても、消費者の手元に商品は残りません。消費者がサービス業にお金を払うのは、それを利用してよかったという思いを持てるからです。サービスの良し悪しは、どれだけお客様によい思い出(感動)を与えられるかにかかっています。担当してくれたキャビンアテンダント(CA)たちと一緒に撮った写真は、旅の思い出としては、最高のものになり得ます。

ところが、IT時代とか、デジタル時代に入り、制服姿の写真が、インターネットの世界で一人歩きする問題が出てきました。これらの世界で、掲載されている写真の大半は、CAに出会えたという「うれしさ」を、見知らぬ人たちにも伝えたいとの思いからです。しかし、中には、違う意図で掲載されることがあります。

写真撮影の申し出があったときは、旅客と一緒に撮るとよいでしょう。それは、旅客のよき思い出になると同時に、旅客も写っているので、インターネットの世界に流れにくい写真となります。

 
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女性の社会進出とストレス

日本人の平均寿命は83.7才です。北欧のスウェーデンは82.4才で、やはり長寿の国と言えます。両国とも、男性の平均寿命は80才代なのです。ところが、女性の平均寿命は、日本86.8.才、スウェーデン84.0才で、3才近くの開きがあります。女性のほうが長生きするのは、どの国も同じですが、スウェーデンでは、平均すると、女性は男性より3.3年しか長く生きられません。日本女性は、男性より7年近くも長く生きています。(WHO世界保健統計)

スウェーデンでは、女性の職場進出が早くから行われてきました。そして、職場では、女性は、男性と対等に仕事をこなしてきました。女性は、元来、女性ホルモンの助けで、高血圧などになりにくく、長生きできるように造られています。ところが、男性に負けないよう働く結果、男性が味わうストレスも抱えるようになっています。飲酒の機会も増え、食生活にも影響が出てきます。その分だけ、平均寿命が男性に近くなっています。

(参考) 日経新聞 「女性の社会進出、寿命に影響」 家森幸男氏

最近、塾長のまわりでも、仕事をバリバリしている女性がダウンしています。日本女性も職場進出に伴ないストレスを抱える人が増えています。塾長の持論は、「ストレスはガンを招く」です。そして、抱える問題が自分のキャパシティを越えていたり、仕事上での問題、個人生活での問題など、複数の悩みを抱えていたときに、ストレスは身体に影響を与えていきます。アメリカでの研究によると、長引く離婚問題はガンの原因の4番目になっています。

日本女性も、スウェーデン女性に近づきつつあります。見栄とか競争心などの欲を捨て、問題解決能力を高めることでストレスマネジメントを行なう必要が出てきています。

 
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TVドラマ「アテンションプリーズ」

皆さんも知ってのとおり、今回のTVドラマ「アテンションプリーズ」は、昭和45年(1970年)頃、日本が経済成長めざましい時代に放映された「アテンションプリーズ」の現代版です。1960年代までは、飛行機は限られた人の乗り物でした。 1970年代になると、ジャンボジェット機が導入されるなど、航空機による大量輸送時代の幕開けが始まりました。多くの人々に海外旅行に行ってもらうために、TV局と航空会社が協力して製作したのが、最初のシリーズです。

日本は、1990年代のバブル崩壊に続き、景気が長いこと低迷していましたが、やっと景気がよくなってきました。最初の「アテンションプリーズ」が放映された頃も、景気はとてもよい時期でした。今回も、また、景気がよい時期での放映となっています。財布のヒモがゆるみはじめた消費者を、航空機利用へ呼ぶ込むための戦略が見え隠れしています。

最初のシリーズは、もうひとつの役割を果たしました。それは、ジャンボジェット機が投入されて、航空会社は、大量の客室乗務員を必要としていました。JALだけでも年間1000人近くのキャビンアテンダント(CA)を採用する必要がありました。CAは別世界の人たちと考えていた若い女性たちに、CAの世界を知ってもらう目的もあったのです。

昨年、やはりANA客室乗務員を扱った、TVドラマ「グットラック」が放映され話題にのぼりました。そのあと、ANAは大量の客室乗務員を採用しています。そして、2006年に行われた新卒者対象の「人気企業ランキング」で、就職したい会社のトップになりました。「グッドラック」は、世間の目を同社に向けたり、優秀な人材確保したりするのに大きな役割を果たしています。

もうひとつ、最初の「アテンションプリーズ」「スチュワーデス物語」など「JALスチュワーデスもの」は、TBS系が行なっていました。2006年に放映された「アテンションプリーズ」はフジTVでの放映となっています。そして、「グッドラック」はTBSでの放映でした。航空会社とTV局との関係が変化しているかもしれません。

 
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少子化と平均寿命

日本人の寿命は、年々伸びてきています。2004年には、平均寿命が男79才、女85才でした。その10年後の2014年には、男性は80.5才、女性は86.83才になりました。男性も80才を超えてきました。一方、女性が子供を産む数は年々減少傾向にあります。厚生労働省の調査によると、15〜49才までの女性が産んだ子供数の平均は1.26人(2006年)を底に少し上向きになり、2014年には1.42まで戻しています。これを、「合計特殊出生率」と呼びます。日本は、さらに、高齢化、少子化の社会に向っています。そして、少子化を防ぐために、政府は、女性が子供を産み、育てやすい環境づくりにいそしんでいます。

魚のイワシやさんまは、大量の卵を産みます。なぜなら、他の魚や動物に襲われてしまうからです。人間にも食べられてしまいます。動物の世界では、種の保存が自然のうちに行なわれています。イワシやさんまは、他の魚に食べられたり、人間に捕獲されても、種が絶えることないよう、大量に卵を産んでいます。魚にかぎらず、動物の世界では、平均寿命は、人間に比べると、短いのが普通です。15年前後しか生きられない犬は、一回の出産で、平均 5,6匹を産みます。

平均寿命が短かった頃は、どこの家でも、多くの子供がいました。衛生状態が悪かったこともあり、子供の死亡率が高かったため、子供が一人二人欠けてもよいように、何人もの子供を産んでいました。そして、大人たちの平均寿命も、それほど高くはありませんでした。厚生労働省の統計では、昭和22年の平均寿命は、男50才、女54才でした。大人たちも、長く生きられないことを知っていました。

これらの観点から見ると、平均寿命と出生率は多いに関係がありそうです。平均寿命の伸びとともに、出生率が低下してきています。そして、今や、政府や産業界は、労働力不足を心配しています。一方では、「たばこは健康によくない」とか「正しい食生活をしろ」とか、平均寿命を伸ばす政策をとっています。そして、女性が子供を産みたがらないのは、育児の環境が整っていないからと結論づけています。女性の皆さんは、育児をしやすい環境になったら、もっと子供を産みますか。

 
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Galleyの使い方

ボーイング社製航空機のGalleyは、日本のジャムコ社製であることはあまり知られていません。世界の航空機の30%は、ジャムコ社製のGalley を使用しています。トイレに至っては50%が同社製なのです。航空会社の要望にそって、ジャムコでは、その航空会社に合ったGalleyを製作しています。また、その要望はさまざまです。

日本の大手航空会社では、早くから、C/Aの女性化を進めてきました。したがって、日本人キャビンアテンダント(CA)が扱えるGalley仕様が求められました。Galleyカウンターの高さ、上部収納スペースへの出し入れ、Mealカートのサイズや重さなど、さまざまに工夫されています。一方、外資系航空会社では、男性C/AがGalley Dutyを行っていることが多いようです。それらの航空会社では、Galleyは、男性の発想で作られています。Galley内の仕事は、男性に任せるような仕様になっています。

国際線機材では、対面式Galleyが多く見られます。この対面Galleyは、Wet GalleyとDry Galleyから成り立っています。Hot Water MakerやCoffee Makerが備わっている側が、Wet Galleyです。そして、もう一方が、Dry Galleyとなります。Wet Galleyカウンターでは、飲物を調整したり、Hot Beverageを用意したりします。Dry Galleyカウンターには、濡れては困るようなDry Itemを置いたり、書類を置いたり、書きものしたりします。そのため、Dry Galleyは、常に、拭いてDryな状態にしておきます。ところが、Dry Galleyに、開栓された飲物などLiquid Itemが置かれっぱなしになっているのを見かけます。反対に、Liquid Containerの下に、機内販売端末機が置きっぱなしになっていたり、入国書類が置いてあったりします。その上にコーヒーのしずくがたれていたりしています。Mealサービス中も、Cabinで Beverageサービスを行って、サプライに帰ってきたときも、SugarやCreamが乗っているTrayがLiquid Containerの下に置きっぱなしになっています。このような時のGalley内は、たいてい混乱して、スムースなGalley Workができていません。

 
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キャビンアテンダント(CA)学の本

CA本は、たくさん出版されています。ところが、客室乗務員のことについて、体系的にまとめられている本はありませんでした。下記の本は、航空旅行客のために書 かれた本ですが、その内容は「キャビンアテンダント(CA)学」と呼んでもよいものです。第1号スチュワーデスが誕生した秘話にはじまり、客室乗務員、機内サービス、制服、航空旅行など、その流れや逸話について書かれています。第1号スチュワーデスは、ユナイテッド航空の前身BAT社で8名が採用されました。UA社では、彼女たちを「オリジナルエイト」と呼んでいるそうです。現役の皆さんにとっては、旅客との会話や講演活動などで、大いに役立つ本です。ぜひ、読んでみてください。空港の書店でも売っています。

読んで愉しい「旅客機の旅」 中村浩美著 光文社新書 ISBN 4-334-03209-5

〈最初のスチュワーデス用マニュアル〉

(1) 勤務中は常に、充分に訓練された奉仕者としての礼儀と慎みを保つこと。常に笑みを絶やさず、しかし、乗客に親密すぎる態度はとらないように。
(2) 途中の降機地では、必ずチケットにパンチを入れること。すべての乗客の手荷物にBaggage Tagを付け、搭乗時にチェックすること。
(3) 乗客用の食事(フライドチキン、リンゴ、ロールパン、ケーキ)、熱いコーヒー入りの魔法瓶を積み込むことを忘れないように。
(4) 制服着用時の機長、副操縦士には、常に礼儀を尽くすこと。搭乗、降機の際には敬礼すること。コックピット・クルーの私物を確認し、迅速に機内に搭載すること。
(当初パイロットたちは、空の職場に女性が加わることを歓迎していなかった。パイロットの奥さんたちはもっと歓迎していなかった。筆者注)
(5) キャビンの壁に設置された時計のねじを巻き、高度計をセットすること。窓枠のホコリを払い、ランプシェードをきちんとする。フライトの前に、籐椅子のシートを床に留めているボルトを確認すること。(制服のケープには、大きなポケットがあって、ここに彼女たちはレンチ、ドライバーを入れていた。筆者注)
(6) プロペラ回転中は、その回転半径に誰も入り込まないように注意すること。
(7) 離陸後、キャビン内に入り込んでいるハエを取ること。(ハエ叩きは必需品だった)
(8) 火のついた吸いさし煙草やごみを、窓の外に捨てないよう、乗客に注意を払うこと。(当時の旅客機は、窓が開いたので、これは重要な仕事。また、乗客が化粧室と使うとき、間違って乗降ドアを明けないように監視するのも重要なことだった。筆者注)
 
― 途中省略 ―
(9) 旅客機が予定外の着陸をする場合に備えて、鉄道の時刻表を常に持参すること。最寄の駅まで乗客を送って行くことが、期待される。
(10) 眠っている乗客を起こすときには、びっくりさせることがないように、その肩にそっと触れること。もし効き目がない場合には、乗客の肘を強くつまんでみること。

これら以外にも、乗客、機長、副操縦士と、食事やデートをするのはご法度でした。看護婦だった彼女たちは、病院勤務のときも、同じような規定があったので、気にはならなかったと書かれています。

 
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トイレが近い

ジャンボジェット機のような大型機材が投入されて30数年が経ちます。この30年間で、大きく変わったことの一つは、旅客年齢層の変化です。それ以前は、国内線でも、国際線でも、飛行機を利用するのは、一部の限られた人たちでした。そのため、年齢層も30,40,50代が中心でした。時代が変わり、現在では、あらゆる年齢層の旅客がいます。そして、これからますます増えていくのが高齢者の方です。航空会社側も、少子化が進んでいる中で、経済的にも余裕のある高齢者の利用に期待することになります。

日本経済の高度成長期には、ご主人の海外転勤で、その家族が搭乗してきました。赤ちゃんや子供連れで海外に行かざるを得ないご家族を、サポートするためのサービスに力を入れてきました。客室乗務員も、赤ちゃんのミルクづくりに始まり、お子さんたちが飽きないよう、エンターテイメントキットを活用したりしてきました。訓練でも教えられました。最近では、赤ちゃん連れの観光旅客が増えていますが、今までに培ってきた経験を活かしサービスにあたっています。子供がいる乗務員は、私生活での経験も活かしています。

これからは、子供の扱いに加えて、高齢者への接し方についての勉強が必要になってきます。たとえば、トイレの問題です。筆者も、若い頃、両親を連れてハワイに行ったことがあります。ところが、旅行中、一番大変だったのはトイレ探しでした。当時、両親はまだ60代前半でした。そして、トイレに行きたいと言われると、「またかよ!」とつい口に出していました。晩年、両親は、トイレが近いからと旅行に行きたがらなくなりました。歳がいった方たちは、いままで一生懸命働いてきて、そのご褒美に旅行に出てきています。ところが、ゆっくり旅行でも、という時には、今度は、身体のどこかに不具合が出てきています。

トイレ近くの座席にして欲しいという高齢者の方は多いのです。ところが、旅行社のパックツアーのため、トイレから離れたところにアサインされることもしばしばです。トイレの近くに空いている席があれば、そちらに移動したいと思っているかもしれません。トイレ待ちしているとき、ガマンできなくなっていることもあります。客室乗務員は、子供がトイレ待ちしているとき、優先的にトイレを使わせることがあります。時には、同じような配慮が必要になります。「ガマンできますか」とそっと聞いてあげるとよいかもしれません。

歳をとると、一般的には遠慮深くなります。中には、こちらから伺う前に、欲しいものをリクエストしてくる方もいます。しかし、飲物が欲しくても、ガマンしている方もいます。そのようなお年寄りへの気配り、目配りも忘れないようにするとよいでしょう。

エンターテイメントキット ・・・ トランプや子供用のプラモデルやお人形などが入っているキット
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中間日本語論

次の日本語を英語に訳してみてください。
 「すべすべした肌」 「さらさらした雪」 「ふわふわした掛け布団」 
日本語では、これらの擬声語、擬態語はあちこちで出てきます。これを専門用語で「オノマトペ」(ギリシャ語)と言います。日本人は、これらオノマトベをよく使いますが、いざ英語に訳そうとすると、「どう訳せばいいの!」ということになりませんか。次の言葉はどうでしょうか。
 「けなげ」 「いじらしい」
やはり英語に訳しにくくありませんか。これらは「やまとことば」です。日本語には、「オノマトペ」と「やまとことば」がとても多いのです。そして、これらの言葉は、とても感覚的でファジーなところがあります。日本人同士なら、これらの言葉を聞けば、すぐに、そのニュアンスを理解します。さらに、「エグい」「ダサい」とか感覚的な言葉が、新たに出現しています。

これらの言葉を英語に訳すときは、一度、別の日本語に置き換えることが必要になります。それから英語に訳すと、よりニュアンスが伝わるようになります。「すべすべした」は「なめらかなさま」ですので、最初に思いつく単語は Smoothです。そして、Smooth Skinと訳すかもしれません。ところが、何かもの足りないのです。そこで、手ざわりがなめらかな絹をもってきて、Silky Skinとすれば、「すべすべした感じ」が出てきます。

「さらさら」「ふわふわ」も同じです。感覚的、情緒的なことばを、そのまま英語に訳すには無理があります。また、一つの英語の言葉だけでは、充分ニュアンスが伝わらないことがあります。「さらさらな雪」は“Dry and powdery snow”とすればよいでしょう。「ふわふわな掛け布団」は“A light, soft and comfortable quilt”といえば、日本語の原意に近づきます。荒木博之氏は、日本語を英語に訳すとき、中間日本語の重要性を説いています。

「けなげ」を英語に直訳すれば、使う単語は、Admirable, Diligent, Hardworkingとなるでしょう。それぞれ、一つだけ使っても、「けなげ」というニュアンスは伝わりません。「けなげ」に対して抱いている日本人の感情は、弱い者、逆境、忍耐、勤勉が含まれているからです。子供のころはそうだったかもしれませんが、横綱になった白鵬がいくら一生懸命相撲に打ち込んでも、「けなげ」とは言いません。親が病弱で、それを助けるために一生懸命働いている子供に、回りの人は「けなげ」だという感情を持ちます。裕福な家の子供にも使いづらいことばです。やはり、やまとことばにも、中間日本語が必要になってきます。ここでも、「けなげ」について分析し、別の日本語に置き換えてみるとニュアンスが伝わるようになります。そして、2つ以上の英語で表現するとよいでしょう。

参考 「日本語が見えると、英語も見える」 荒木博之著 中公新書
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能ある者、功ある者

職場生活をしていると、いろいろな不平やグチが聞こえてきます。その一つに、「なんであいつが・・・」とか、「なぜ彼女が先なの・・・」という出世や昇格に関わるものがあります。入社して3年目ぐらい経つと、同年入社の仲間が次のポストに就きはじめます。10年もすると、同期同士でも、2段階くらい差がついていることもあります。そこで出てくる言葉が、「なぜ・・・」です。時には、「あいつなら納得だ」と思うこともあるでしょう。

昇格している人たちを分類すると、2つに分けることができます。一方は、能力(実力)があるため出世した人たちです。もう一方は、功績をあげて出世した人たちです。

「功には禄を、能には職を」徳川家康

「功には禄を、徳には地位を」西郷隆盛

徳川家康は、家来たちの処遇について、しっかりとした考えを持っていました。その人事構想を持っていたからこそ、日本を統一し、300年間にわたる徳川時代を作り上げることができたと言われています。家康の考えは、「能ある者には職(地位)を与えよ、功ある者には禄を与えよ」というものです。それを取り違えてしまうと、職場の人間のやる気を失わせたり、間違った決断があったりします。その結果、組織が滅びると諌めています。西郷隆盛は「人徳」がある者に地位を与えよと言っています。

ところが、職場では、功績があるものに地位を与えてしまい、能力ある者に禄を与えてしまうような人事が、時として、行われています。功績ある人=能力がある人とは限りません。部下に不満を持たれる上司の場合は、その理由のひとつに、功あって今の地位についていることがあります。

スポーツ選手も名プレイヤーが名監督になれるとは限りません。

 
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ビデ(Bidet)の話

格式あるフランスやイタリアのホテルに宿泊すると、パスルームに、便器のとなりにビデが備えられていました。このビデの使用目的を知らない日本の観光客が、持ってきたそうめんを冷やすのによいと、そこで流しそうめんをしたという笑い話もあります。

ビデが最初に使われるようになったのは、1700年代の初めの頃です。最初は、そこに水をため、お尻や大事な部分を洗っていました。1750年ごろになると、水が吹き上げてくるものも開発されました。グランドホテル時代の到来とともに、ホテルでも設置されるようになったのです。

用足しをしたあと、ビデのところに行きおしりを洗い流します。さらに、元来、ホテルは、宿泊だけでなく、男と女が楽しむための場所でもありました。男女の行為が終わったあと、そこで、大事なところ洗ったり、その中を洗浄したりもします。

イギリスの社会心理学者ピーター・コレット氏によれば、
フランスを訪れるイギリス人やアメリカ人は、ホテルの部屋にあるビデをみて、しばしば面食らう。小便用便器か水洗便器と間違える人もいるし、そこでワインを冷やしたり、

下着を洗ったりする人もいる

                      ピーター・コレット著「ヨーロッパ人の奇妙なしぐさ」より

同著によれば、イギリス人はトイレットペーパー派ですので、トイレットペーパーの品質が向上しました。フランスは、 ビデ派も多く、イギリスほどトイレットペーパーに力を入れて来なかったようです。

ビデは、日本人の感覚ではとても使い切れません。そこで、日本人向けに開発されたのがウォシュレットやシャワートイレです。ビデ機能もついていますが、あまり使う人はいないようです。

 
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年齢別勉強内容

「人生、一生勉強」という言葉があります。新たな知識が入って来なくなると、精神的老化が始まります。20代にして、すでに、老化現象が始まっている人を見かけます。

客室乗務員の場合、20代では、自分の仕事すなわち「サービス」について勉強をします。それにより、自分なりのサービスに対する考え方を確立します。サービスのプロになるための準備期間です。

プロとしてのサービスを実践できるのが30代です。サービス知識を引き続き掘り下げていきます。同時に、人の上に立つ勉強を始めます。よい「リーダーシップ」を発揮するための知識を吸収し、いつその立場になってもよいように準備します。自分だけでなく、部下たちにもよいサービスを提供してもらわなければなりません。

30代後半からは、リーダーシップをとる仕事に加え、「管理の仕事」が入ってきます。部下を持つようになると、「品質管理」「人事・労務管理」「健康管理」などが求められるようになります。30代の終わりまでには、これらについての知識を入れておかなければなりません。

40代は、経営が分からなければならない年齢です。「組織経営」すなわち組織を運営する立場になるのもこの年齢です。組織を運営するためには、自分の組織の使命を知らなければなりません。それを知るためには、会社全体の経営がどのように行われているか勉強する必要があります。組織を運営するためには、「組織とは」を知らなければ、よい運営ができません。また、経営には、数字がつきものです。経営上の数字の把握も必要になってきます。

乗務員は、現場での仕事をしてきていますので、組織論や管理理論に疎いところがあります。これからの時代、女性が管理の仕事に就く機会が増えてきます。その立場になってから勉強したのでは遅いのです。部下から嫌われる管理者ほど、これらの勉強が足りない人たちなのです。

 
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2段階上の見方

教官時代、訓練部長が、いつも部下たちに言っていたことばを、今でも思い出します。
『係長が課長になったら、その日から、課長の仕事ができなければならない。チーフパーサーも同じだ。辞令が出たら、その翌日から、一機の長として部下や旅客に対応しなければならない。そのためには、日頃から上司の仕事ぶりを観察し、勉強し、準備をしておく必要がある。準備ができていないと、上司としての的確な判断や業務処理、部下への対応等ができず、まわりに迷惑をかけることになる』

「2段階上の勉強をしろ」という言葉があります。係長なら、課長の上の部長はどのような考えでいるのか、主任なら、係長を通り越して、課長はどのようにものごとを進めているのかなどを勉強します。Crewの世界も同じです。中堅からシニアーになれば、いづれ自分もHeadで乗務するときのことを、日頃から意識して仕事にあたります。チーフパーサーの日常業務のみならず、フライト・イレギュラリティ時の判断、処理、そして、旅客へのPAなどについて、意識して観察します。参考になる点があれば、手本にします。また、疑問があれば、確認します。

上司それぞれの立場や仕事内容を理解できるようになると、自分の仕事の幅が広がってきます。それが、自分が上司になるための第一歩なのです。

 
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お金を渡すとき

当塾では、キャビンアテンダント(CA)をめざす方たちのために座談会を開き、彼女たちにアドバイスや質問に答えたりしています。会費は、ホテル会場での飲物代実費をいただいています。そして、会費は、座談会終了時に集めています。

お茶の師匠をしている友人(女性)がいます。大学時代以来、いまでも友人としてお付き合いしています。彼女のお茶の稽古を、ときどき、見学させてもらいます。お茶の世界における礼儀作法はどのようなものかちょっと興味があったからです。

その日は、授業料を持参する日でした。生徒たちは、茶室に入り、入り口で挨拶の口上を行い、師匠である友人のところへ進み寄ります。そして、授業料が入った封筒を、扇子にのせ、日々の教えに対するお礼を述べながら、差し出すのです。

めざす人たちとの座談会が終わりになり、会費を集めていると、ある娘が、封筒を差し出してきました。他の人たちは、現金そのままでした。実は、封筒に入れて会費を差し出されたのは、このときが初めてだったのです。

“そうか、お金を渡すときは、包んで渡すのか”
これが、そのときの率直な感想でした。そして、その娘の所作に感激しました。

彼女は、飲物代実費としてだけではなく、座談会でのいろいろなアドバイスに対して、会費を封筒に入れることによって、お礼をしたかったのでしょう。お礼に関わるお金は、慶事のときと同じように、封筒(祝儀袋)に入れて差し出すとよいことが、受け取ってみて初めて分かりました。

社会生活の中で、ときとして急に、ご祝儀をわたす場面に出会うことがあります。バッグの中に、いつも1、2枚、祝儀袋を入れておくとよいと思います。

 
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箸の持ち方

教官をしていた頃、訓練生の中に、箸をちゃんと使えない人がけっこういました。そこで、「箸を正式に使えないとは、キャビンアテンダント(CA)の資格がない」とハッパをかけたのを思い出します。そして、ある時、両親から、「お前、箸をちゃんと持っているじゃないか。何度注意しても直らなかったのに・・・」と言われたと、訓練生の1人が報告に来ました。

人は、その立ち振舞いで、育ちやしつけの良さを見られています。立ち振舞いの中には、歩き方、座り方、姿勢、表情、物腰、手つきなどがあります。お箸の持ち方も、その一つです。お見合いなど正式な席で、お箸を正式に扱うことができなければ、恥をかくばかりでなく、先方の両親から、よい評価は得られません。

CAであれば、だれもが、お箸を正式に持つことができます。しかし、それで安心をしないで欲しいのです。持ち方は、初歩のことなのです。その人の育ちが本当に評価されるのは、食事をするためにお箸を取り上げる時と、食事が終わって、箸置に置くときなのです。

箸置から、右手で箸の中ほどを持ちます。箸を支えるように左手を下側に入れます。そして、右手で持ち替え、箸を持ちます。箸を置く場合は、この反対の動作になります。ここまでは、第2ステップです。これでもまだ不十分なのです。

一番大切なことは、置いたお箸の先が揃っていること、お箸の先の汚れが少ないことです。ここまで注意を払ってください。見る人は、この2点を見ているのです。

 
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Noblesse Oblige

フランス語にノブレス・オブリジュ(Noblesse Oblige)という言葉があります。人の上に立つ者の心得として、現在でも、社会で活躍する欧米人の行動規範になっている言葉です。

騎士道の中世封建時代に、国王や諸侯の家来である貴族たちは、「貴族はその身分にふさわしく振舞わなければならない」「位高ければ、徳高かるべし」と教育されました。貴族たるものは、支配層として、文武のみならず、礼儀作法やマナーにも精通していなければなりませんでした。

子供ころから、水泳などもろもろの運動で身体を鍛え、キリスト教の教えをうけ読み書きを習う。また、食卓の作法など宮廷生活の行儀を覚え、吟遊詩人から音楽について学ぶ。また、主君の奥方など婦人への接し方を覚えます。とくに、女性崇拝については、騎士道の大きな特徴となっています。また、14才になると、騎士見習いになり、軍事訓練を受け、21才で正式な騎士となりました。

騎士は、いざ戦いになれば、先頭にたち、敵に突き進んで行きました。部下に先頭を行かさせるような者は、騎士としての資格がないと考えられていました。この考えは、欧米社会では、現代でも、脈々引き継がれています。

「ヨーロッパ社会と国際マナー」南村隆夫著より
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プライバシーの確保

大学時代の後輩がやっているバーラウンジに、ときどき部下たちを連れて行きます。そのオーナーである彼に、この商売をやっていて一番気をつけることは何か、と聞いたことがあります。一番気をつけているのは、「お客様のプライバシー確保」だそうです。ちょっとした一言で、お客様に迷惑をかけてしまうことがあるからです。いつも利用してくれるお客様が、女性や同僚と来たときなど、「先日は、ありがとうございます」と挨拶してしまうと、「お前、誰ときたんだ」とか「だれか他の女性を連れてきたんじゃない」となるからです。ですから、「いらしゃいませ、ご利用ありがとうございます」と、余計なことは言わないようにしているそうです。

お客様のプライバシーの確保は、このバーラウンジに限らず、サービス業であるならば、ゼッタイ守らなければならない鉄則となっています。機内のお客様についても同じです。

ある企業のトップが、自分のフライトに搭乗してきたとします。公に搭乗している場合もありますが、相手企業と隠密裏に交渉するために、飛行機を利用しているかもしれません。お客様に、搭乗の御礼には伺いますが、どちらでお仕事ですかとか余計なことは聞きません。また、外部の方にも、搭乗していたことを話しません。

芸能界の人たちが利用することもあります。この方たちにとって、機内は、報道陣から逃れられ、リラックスできる場になっています。ある時、当時、清楚な色気があるということで人気のあった女優さんが搭乗していました。タバコなど絶対吸わないだろうというイメージの方でした。当時は、禁煙席と喫煙席がある時代でした。彼女は、禁煙席にアサインされていました。ところが、なにか落ち着かない様子なのです。もしかしたら、タバコが吸いたいのではないか、と思いたずねてみました。やはりそうでした。彼女をギャレーに招き遠慮なく吸ってくださいと伝えました。この姿を、世間に知らせてしまったら、彼女のイメージが変わってしまいます。

ときに、どうみても夫婦でないカップルが、内緒で搭乗してくることもあります。搭乗者名簿を見ればすぐに判ります。搭乗御礼の挨拶に行った時、それぞれに、「○○様ですね」といえば、嫌がられます。そのようなお客様は、だれにも知られたくないと思っているのですから・・・。

あるフライトで、お客様が機内に忘れ物をしました。名前や住所が分かる品物でしたので、忘れ物係の担当者は、お客様の自宅に連絡しました。奥様が電話に出たので、ご主人の忘れ物が、何々便であったことを伝えました。ところが、そのお客様は、家族に内緒で旅行をしていたのです。あとで、夫婦間で、気まずいことになったのは言うまでのありません。たとえ、忘れ物の連絡ひとつとっても注意が必要です。お客様本人と連絡をとるくらいの気遣いが必要なのです。

プライバシーを確保しないサービス業は、信用を失い、顧客が離れていきます。また、プライバシーの確保は、一人ひとりの従業員が注意しなければならない問題です。直接、マスコミにネタを流すことがなくても、親しいからといって、友人に話すのも禁物です。その友人から、他に情報が流れることがあるからです。

また、CA覆面座談会とかメディアに乗せられて、旅客の悪口をいったり、芸能人を批判したりするのは、Crewとしてもっとも品性・品格を疑われる行為です。

 
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欠勤の話

どの会社でも、社員が欠勤するのを嫌うことは、皆さんも知っているとおりです。

ある会社が、1年かけて100の仕事をしてもらうために、社員を1人雇います。その社員が病気で会社を3日休んでしまい、与えられた仕事の97%しか遂行できなかったとします。その人が、100の仕事を仕上げられないため、その会社は、もう1人社員を雇わざるを得なくなります。

この場合、 100の仕事を2人でしたことになります。そのため、病気で休んだ人は、極端に言うと、97の仕事をしたとしても、50の仕事をしたのと同じと捉えられます。なぜなら、その人のために、もう1人雇わなければならなく、人件費が2倍かかってしまうからです。会社とは、欠勤に対して非常に厳しい考えを持っていると思っていてください。反対に、人間は病気になることもありますので、救済の道を用意しているのも会社です。客室乗務員の世界で、ここ20年で一番変わったのは、勤務実績が非常に良くなったことです。仕事に対する女性の意識が大きく変化しています。

 
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2-6-2の法則

皆さんも、いずれ上位職になると思います。上位職になったとき知っておいて役に立つのが2-6-2の法則です。

世の中には、お金持ちは全体の2割しかいません。6割が中流で、あとの2割があまりお金のない人たちです。世の中には、美人と呼ばれる人は、やはり2割しかいません。あとの人達は、普通の人かやや不美人と呼ばれる人たちです。そして、美人と言われる2割の女性たちだけを抜き出して見ると、その人たちにも、2 -6-2の法則を当てはめることができます。2割の超美人、6割の普通の美人、それ以外の2割の美人となってしまいます。

職場に目を向けると、一生懸命仕事をしている人が多くいますが、有能だと言われる人は2割ぐらいしかいません。気になる人も2割くらいいます。どの職種でも同じです。有能なチーフパーサーは、やはり2割しかいません。キャビンアテンダント(CA)の人はどうでしょうか。上位職になると分かりますが、部下の中に、優秀だと思う人がいる反面、気になる人もかならずいます。Crewの場合、選ばれている人たちですので、気になる人は、世間に比べれば少ないと思います。

健康面でも同じです。2割の人が、病気ひとつせず欠勤という言葉に縁遠い人です。年に1、2度風邪などで休む人が6割、そして、なにかあると、すぐ体調が悪くなる人が2割弱います。

世の中は、お金持ちと呼ばれる2割の人がリードしています。組織も同じで、優秀と言われている2割の人が組織を動かしています。

上位職になればなるほど、最後の2割の人達をいかに少なくするかが大きな仕事になります。それと同時に、6割の普通の人を、最初の2割グループに引き上げるのも重要な仕事です。

 
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政界型、財界型、芸術系

会社人間は、タイトルのように、政界型、財界型、芸術系と大まかに3つのタイプに分かれるそうです。部下に対して、タテマエ的にモノを言う人は政界型の人です。表面的なことしか話してくれないような上司はそのような人です。これに対して、裏話や生の話しをしてくれる上司もいます。いわゆるホンネでものごとを行っている人もいます。これらの上司は財界型の人と言えます。一方、組織の中には、マイペースで行動している人もいます。どちらかというと、専門的な仕事をしている人にその傾向が見られます。

政治の大もとである国会は、タテマエとタテマエのぶつかり合いの場であり、妥協が繰り返されます。公の場所で、政治家がホンネを言ってしまったら、かならず物議をかもしだします。ですから、オフレコという言葉があります。一方、企業は利益追求集団ですから、財界型の代表である企業経営者は、ホンネでものごとを行います。企業目的を達成するためには、妥協は許されません。

組合も、一種の政治集団です。タテマエを重んじます。会社との交渉でも、タテマエがしっかりしていれば妥協します。会社側も、組合に対しては、タテマエをしっかり構築して臨みます。会社の中には、このように政治的関わりを持っている人がいます。組合担当や役所相手の仕事を長年担当してきた人は、タテマエを重視した行動になる傾向にあります。組合出身の役職者もそうです。

この人たちとは別の社内経験をしてきた人もいます。社会に役立つ商品を提供することによって、企業利益追求の仕事をしてきた人たちです。企画部門や営業部門や社内教育部門で育ってきた人たちです。財界型の人間と言えます。

タテマエの好きな上司に、ホンネで迫っても通じないかもしれません。ホンネが好きな上司のところに行って、タテマエの話しをしても受けません。職人かたぎの上司は、自分の専門分野のことを話すのが好きかもしれません。これらをバランスよく兼ね備えている上司はあまりいないものです。

 
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Duty FreeとTax Free

皆さんが、機内で販売している免税品は、英語でいうとDuty Free Itemsですか、それともTax Free Itemsですか。日本語だと、「免税品」と一つの言葉ですましていますが、英語では2つの表現があります。

パリのエルメスで、買い物をすると、払い戻しのための書類をくれますが、この書類には“Tax Free”と書いてある筈です。ところが、同じ製品を、HNLの免税店で買うと、Duty Free扱いとなります。HNLの免税店の代表的な店に、「Duty Free Shoppers」がありますが、「Tax Free Shoppers」という名前にはしていません。

東京の秋葉原の電気街には、外国人旅行者も訪れます。一部の店では、Tax Freeコーナーを設けています。秋葉原ではすべでTax Freeの方を使っています。ロンドンの街を歩いていると、洋服の生地などを売っている店などでも、店先にTax Freeと書いてあります。

機内ではどうでしょうか。皆さんは、機内販売をするときに、英語でなんと言っていますか。どちらを使っても、特に問題はありませんが、その違いだけは知っておいてください。日系航空会社の場合、機内では、真珠製品はTax Free Itemです。エルメスなどの外国製品はDuty Free Itemです。ここまで来ると、何となく違いが分かったと思います。

日本の航空会社の機内で、日本製品を免税で販売しています。国内で購入すると消費税がかかりますが、その消費税(Consumption Tax)が免税になっています。一方、Dutyを辞書で調べてみると、「関税」という意味が出てきます。どの国も外国製品を輸入する場合、関税がかかります。Duty Freeというのは、この関税がかかっていないという意味です。エルメスのスカーフは外国製品ですので、日本の国外で使用する前提で、この関税分を引いて販売しているわけです。

したがって、HNLの「Duty Free Shoppers」は、アメリカ製品以外の輸入品を、主に扱っていますので、Tax Free Shoppersという名前をつけるわけにいかないのです。

 
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TIMを読もう

いままで、TIMをじっくり読んだことがありますか。英語で書いてあるので、ちょっと面倒くさいかもしれません。だけど、中堅乗務員になったら、TIMを読めるようになってください。各国のCIQについて詳しい情報が書いてあります。

たとえば、NYCでは、旅客が免税基準以上にタバコを持ち込む場合、州税(具体的な税額)を払えば持ち込めると書いてあります。ところが、SFOやLAX などカリフォルニア州の場合は、免税基準以上のタバコの持ち込みは禁止されています。もちろん、US Visaについても詳細が書かれています。検疫関連もしかりです。

TIMが読めるようになると、各国の入国関係について英語で説明できるようになります。マニュアルに記載されている各国のCIQは、このTIMから来ています。TIMは毎月Reviseされたものが搭載されます。古いものでよいですから、一冊調達して手元においておくとよいでしょう。(TIMを機内搭載していない航空会社もあります)

  TIM ・・・ Travel Information Manual

 
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情操教育

1990年前後に教官の仕事して居た頃の話です。担任教官の手元には、訓練生の履歴書が回ってきます。訓練生がどのレベルなのか、どのような教育を受けてきたのか、どのような家庭で育ってきたのか、訓練が始まる前に、一人ひとりについて把握します。当時の訓練生の資格・趣味欄には、ピアノ、バイオリンなど楽器を弾ける人、華道、茶道などの資格を持っている人が多くいました。キャビンアテンダント(CA)になる人は、子供の頃から、いわゆる情操教育を受けてきた人が、とにかく多いのです。

また、現場でも、優秀な人の人事ファイルを見ると、やはり、資格・趣味の欄には、これらの記述があります。

情操教育の利点は、感じる力を養うところにあるように思います。感じる力のある人は、いろいろなことに関心を持ちます。関心を持つから本を読んだりするのも、自然のうちに行うようになるのかも知れません。これから、子育てをするのなら、ぜひ、進学塾に通わせる前に、情報教育することを進めます。

 
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チャンスはいただけ

中堅乗務員になると、上司から、乗務以外の仕事をしてみないかと、話がくることがあります。パリに行けなくなるとか、面倒くさい仕事はいやだとか言っている人がいますけど、地上研修やプロジェクトチームの話がきたら受諾しなきゃダメですよ。

なぜかというと、地上の仕事をすると、どこの組織が何をやっているか。飛んでいるだけでは分からないことが見えてきます。上の人のことも分かるようになります。それと同時に、乗務プラスアルファの知識や情報が入り、皆さん自身の幅が広がるからです。

客室マネジャー(職制)のところには、ときどき、誰か人を選出してくれないかと話がきます。マネジャーは、この仕事だったら、この部下が適任だと考え推薦します。推薦する前に、皆さんに”このような話がきているんだけど、どうか”というような打診をすることがあります。そのとき、皆さんの反応がよくなければ、”この部下はその気がないんだ”とマネジャーはあきらめてしまいます。他のマネジャーも推薦を出してきますので、そちらに持っていかれてしまいます。

組織というのは、チャンスを与えたのに受けなかった人には、次のチャンスはなかなか与えないものです。他にも、チャンスを与えなければいけない部下はたくさんいるのです。上司が乗務以外の仕事を、あなたに持ってきたということは、あなたに一目置いているからだということを忘れないでください。

 
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救命に関わる数字(9の倍数)

昔の人は、そろそろ赤ちゃんが生まれるよ、と潮の干満をみながら言っていました。生命の誕生は、潮の干満と関係があるといいます。潮の干満は、赤ちゃんの誕生だけでなく、人間の生命と深い関係にあります。

潮の干満は、1分間に9回だそうです。この倍数の数字は、人間が生きていく上で大切な数字となっています。2倍の"18"は「1分間の呼吸数」です。その倍の"36"は「体温」、次の倍数"72"は「脈拍」と「最低血圧」です。そして、"144"は「最高血圧」なのです。

First Aidで、お客様の脈拍をチェックしても、正常値を知らなければ、何にもなりません。忘れたときは、9の倍数を思い出してください。

(参考) 「接客の極意」 秋田美津子著

 
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呼吸の話

読みやすい文章は、読み手の呼吸に合わせて、句読点が打たれています。機内アナウンスで、「間」をうまくとれ、と言われます。「間」とは、話の途中で、聞き手側に、いかにひと息つかせる間合いのことを言います。この「間」を大切しないと、機内アナウンスはよいものになりません。

ところで、呼吸は、「息を吸う」(Inhale)と「息をはく」(Exhale)の二つで成り立っていますが、生きる上で、特に重要なのはどちらだと思いますか。

人間が亡くなるのを、「息を引き取る」と言います。人間は息をはくことができなくなったとき、その命は終ります。つまり、生きる上で、大切なことは「息をはく」ことなのです。

ある時、筆者が乗務するHNL便で、新婚旅行の新婦がショック状態になったことがありました。そのカップルは、結婚披露宴を終え、そのまま新婚旅行に出てきました。新婦は、嫁ぐ前の日は、気持ちもゆれ、よく眠れません。式当日は、朝早くから衣装合わせだの、髪結いだの、一日中休むヒマがありません。そして、式と披露宴です。彼女も疲れきって飛行機に乗ってきました。その日のFlightは、低気圧の影響で揺れに揺れました。かわいそうなことに、彼らは最後尾の座席にアサインされていました。彼女は、疲れきっていたこともあり、空酔いで気持ち悪くなり、とにかく吐きまくったのです。もう吐くものも出てきません。そのうち、あまりの揺れに不安になり、ついにショック状態に陥ってしまいました。

ここで、息をはかせることの大切さが出てきます。ショック状態に陥ると、自分自身で呼吸をコントロールできなくなってしまいます。彼女もそうでした。息を吸ってばかりいるのです。目も開きません。そこで、彼女に対し、何をしたかというと、まずは聞こえるように大きな声で、
 
 「大丈夫ですからね。揺れていますけど大丈夫ですよ。心配ないですからね」
 「私の言うとおりにすれば、あなたも大丈夫ですからね!」

と、安心させたのです。次に、

 「私の言うとおリ、呼吸をして!いいですね!」
 「ハイ、それじゃ、ゆっくり口から息をはいて!」
 「次は、ゆっくり息を吸って!」
 「ゆっくりはいて!ハイ、ゆっくり吸って!」

始めのうちは、まだショック状態が続いていました。自分はどうなるのだろう、という不安を取り除きながら、「ゆっくりはいて!ゆっくり吸って!」を何度も何度も繰り返したのです。呼吸が整ってくると、精神的な不安感も薄れてきます。そして、目が開きました。
 
息は、吸ってばかりいては、「息を引き取る」ことになってしまいます。息をはかせれば、おのずと息を吸います。命を助けるポイントは「息をはかせる」ことなのです。人間は息をはいている限り生きています。

仏教では、呼吸法の大切さを説いています。

      「鼻から3秒くらい息を吸って、いったん止め、

                      そして、ゆっくりできるだけ長く、口から吐き出す」

イライラしたとき、怒りを覚えたとき、人前であがったとき、悩みが多いときなど、どのようなときでも、それをマスターしておくと、自分の精神を落ち着かせ、冷静にものごとに対応できるようになります。

(参考) 「接客の達人」 秋田美津子著

 
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採用人数

国内大手航空会社の場合、キャビンアテンダント(CA)採用募集に際しては、だいたい5000〜7000人くらいの応募があります。ところが応募人数が多いから、よい人材を採用できるとは限らないのです。なぜなら、記念にというか、ダメ元で応募してくる人も多いからです。

よい人材が確保できたかどうかは、応募総数ではなく、採用人数によるのです。筆者がいた航空会社では、1970年代の高度成長期には、毎年1000人くらいCAを採用したこともあります。 B-747など、機材が大型化したことも、採用人数が増えた理由です。それも落ち着き、80年代になると、年にもよりますが、だいたい年間、400人前後を採用していました。いままでの経験からすると、年間の募集人数が300人以内だと、CAに向いている人だけを採用できます。2005年ごろ、ANAは年間800人以上のCAを採用していました。2012年のJALでも新卒・既卒合わせて600人を採用しました。2014年のANAは新卒500名の採用を行なっています。採用人数が未発表の既卒分を入れると相当な人数の採用となります。年間300人を超えた分は、人員確保のために採用した人たちです。適性・語学・教養・健康をバランスよく備えている人は、それほど多くないのです。

 
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サービスは技術

 一緒に飛んでいたCAたちは、皆、一生懸命やってくれていました。接客も悪くありませんでした。チーフパーサーの仕事の一つに、サービス技術を向上させるというのがあります。たとえば、

(1)皿の取り出し方

ファーストクラスやビジネス クラスで、デザートをワゴン(もしくはTrolley)でサービスしますが、ワゴンの中段から5インチ皿を取り出すのが無造作な人が多いように思います。両手で丁寧に取り出すのが一番よいのですが、そうもいかないので、片手で取り出します。そのとき、親指がお皿の表面に触れてしまっているのです。ここはぜひ技術を発揮してほしいところです。片手で、親指を使わずに、他の4本の指だけで、5インチ皿を取り出します。コツは、重なっている5インチ皿の一番上の皿のEdgeに、中指の腹部分をあて、すこし持ち上げます。持ち上がったところで、親指以外の4本の指を、皿の下側に指し入れます。そして、持ち上げ、取り出します。

(2)皿の持ち方

デザートやチーズを盛りつけている5インチを持っている時も、親指が皿の表面に触れている人がいます。基本は、親指以外の4本の指の腹部分で皿を持ちます。親指はあくまで、皿に添える程度です。親指を使って皿を持つことはしません。

(3)飲物調製

飲物は、機内で皆さんが作ることができる唯一の商品です。出来あがった商品(飲物)があふれそうになっていたり、すくなく貧弱に見えるケースがあります。見栄えがよくおいしそうに見える商品を提供してほしいと思います。あふれそうになっているのは、氷を後から入れるからです。グラスには、必ず最初に氷を入れ、それから飲物を入れます。炭酸ものだと、泡が立つから氷を後から入れると主張する人がいますが、やはり素人のやり方です。プロのサービスをしてほしいです。また、氷がプカプカ浮いているような水割りもおいしそうに見えません。

サービスは、技術も必要です。ニコニコして一生懸命やっているだけでは、よいサービスという商品を提供していることにはなりません。

 
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