パリ・ニューヨーク通信

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塾長は、CAをめざす皆さんには、もっともっと海外のこと、異文化のことを知ってほしいと思っています。当ページでは、元JAL CAの久美子さんに、外国での生活体験をつづっていただきました。2年間の英国ケンブリッジでの生活と、イタリア半島の先にあるマルタ島からのレポートです。

「マルタ島だより(旧ケンブリッジだより)は2ページにわたっています。”その1”ページも合わせてご覧ください。

 その2 その1
マルタ便りNo01 イギリスからマルタMaltaへ   マルタ便りNo10 教会 フェスタ 花火
マルタ便りNo02 マルタ奮冬記   マルタ便りNo11 ハム・チーズカウンター
マルタ便りNo03 マルタのカーニバル   マルタ便りNo12 3年ぶりの日本
マルタ便りNo04 マルタって、どうなの?   マルタ便りNo13 マルタの美しい海
マルタ便りNo05 マルタのパン “フティーラ”   マルタ便りNo14 マルタのバス
マルタ便りNo06 マルタの嵐   マルタ便りNo15 マルタは素晴らしい
マルタ便りNo07 ゴゾ島   マルタ便りNo16 あっという間の3年
マルタ便りNo08 うちの大家さん   マルタ便りNo17 読者からの質問
マルタ便りNo09 マルタのマグロ    

くみ子のマルタ島だよりNo01

イギリスから、地中海に浮かぶ小さな島、Maltaマルタへ

突然ですが、2年と3カ月程暮らしたイギリスから、地中海に浮かぶ小さな島、マルタ共和国へ引っ越しすることになりました。

私たち母子2人は、もともと、1年ほど、海外での暮らしを経験したくイギリスへやってきました。それが、1年伸び、そして更にもう1年・・・。日本にいる主人と、いつ日本へ戻ろうかと、タイミングを話していた中、知人より、マルタはいいよぉ!歴史があり、街はとても美しい、人々は地中海の性格(たぶん穏やかなんだと思います)、ヨーロッパにいながら英語も公用語。それに何と言っても温暖の気候、マルタには、イギリスと違った、もちろん日本とも違う地中海の文化があるよ〜と。

そこで、マルタってどこにあるの?いったいどんな国?
地名だけは聞いたことがあったけれど、共和国だとさえも知らず、インターネットでいろいろと調べると、
・地中海の宝石とうたわれ、マルタ、ゴゾ、ミコノの美しい3つの島からなる共和国
・大きさは、東京都の半分程度の広さに、人口は40万人程
・地中海性気候で、温暖。真冬でも、日中は14.5度あり、夜でも10 度を少し下回るくらい。
・2004年にEUに加盟し、現在、通貨はユーロ、そしてシェンゲン条約圏
・公用語は、マルタ語、英語
・国連の調べでは、世界で最も安全な国としてあげられ、また、デンマークに次、幸せ感が高い国民。大陸に囲まれた地中海に浮かび、ほとんど地震もなく、津波、トルネード、台風、その他、自然災害がないそうです。そんな自然災害がなく、温暖な気候で地中海の風に吹かれて暮らす人々は、のんびりとして、幸福感がとても高いと書いてありました。
・治安も日本と同じように安全
・マルチーズ犬の発祥の地
・国民の98%は、ローマン・カソリック教徒で、大小合わせ、3600の教会がある
・マルタでは、2年前に初めて、法律上離婚が成立、それまでは離婚は認められていなかった
・首都ヴァレッタ(Valleta)は、マルタにある3つの世界遺産のうちの1つに登録され、とても歴史のある美しい街
・マルタは古来より「地中海のへそ」と言われ、その交通上および戦略上の重要性から、多くの民族や文明、勢力が行き交った場所で、小さな島にもかかわらず、歴史のエピソードに富み、遺跡史跡も多い
・物価は安め
・地元料理ではウサギの肉が有名
・国内の公共交通機関はバスとフェーリー
・国内自給率20%

これくらいの情報と、知人からの勧めのなか、どうせ日本へ帰るなら、その途中に、イギリスで寒い冬がやってくる前に、しばらく地中海気候を楽しもうと、マルタへ移ることを決心しました。

情報量も少ない中、かなり楽天的な決断。
何と言っても、あのいろいろと厳しそうなイギリスで、なんとか親子2人無事にやってこれたという変な自信が、地中海性気性のマルタなんてへっちゃらでしょう!と言う気分にさせていました。
何と言っても、マルタは暖かい!暖かければ、物事スムーズに行く!
子供も、海!マルタ行く!
転校先も決めないまま、クリスマス後のチケットを予約しました。

イギリスでの荷造の時も、セーターなんて、ちょこっとあれば良いでしょ!?厚手のジャケットも必要ないでしょ!?と、多くの冬ものは置いてきました。
着いてすぐに、海で泳げないまでも、ホテルのプールで泳ぐ準備もバッチ!

気分はホノルル旅行!主人とロンドンヒースロー空港で落ち合い、親子3人マルタへ向け飛行機に乗りました。

機内アナウンスで、マルタの天候は曇り、気温は14度と聞き、泳げないねぇ…と話してました。
着陸し、タラップを降りながら、私たち3人はあまりの寒さに、まさに氷ついてしまいました。
どういうこととと?14度っていってなかった?なんでこんなに寒いの?

マルタの寒さは、イギリスと同じ寒さでした。
外を歩く人の服装も、ダウンジャケットにブーツ。でも、イギリスでは、どんなに寒い日でも、半そでのお兄ちゃんやお姉さんを見かけます。子供だって、半透明のシンデレラのドレスを着て歩いてます。
でも、マルタは冬服一辺倒です。皆がっちり着込んでいます。
マフラー、手袋、帽子、そんなの皆イギリスにおいてきました。
私は、大きくよみ間違えってしまったのです・・・・・・・・・・・・。

マルタの冬、気温は14度、でも体感温度は東京の冬よりも寒く、イギリスと同じくらい寒いのです。その訳は、湿度と風です。冬乾燥し、夏湿度が高い日本と逆で、冬、湿度がとても高いのです。
お陰さまで、肌はカサカサしなくて良いのですが、体の芯まで冷えてきます。
外を歩けば、海からの風がビュービュー。 

マルタで寒さと戦うことこととになろうとは。
マルタ奮冬記の始まりです。

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くみ子のマルタ島だよりNo02

- マルタ奮冬記−

青い海、ふりそそぐ太陽、はちみつ色の街並、笑顔の人々、暖かい冬・・・・・。
私たち親子が描いたマルタ

私たちは12月28日に、ロンドンヒースロー空港よりマルタへやってきました。
空の上から見たマルタは、曇り空に包まれ、青い海にはみつ色の街、というより、グレーの海に囲まれた、ほこりが舞うベージュの街、という感じでした。
そして何よりも、寒い。あまりの寒さに、笑顔が出ない。

町の人に、マルタの冬はいつもこんなに寒いのかと聞くと、12月、1月、2月は最低だよ、最も悪い時期だ、でもちょっとの間だけだからね、直ぐにガラッと変わって、最高に良い季節になるよ。全員がそう答えます。

最低の時期に来てしまった私たち。最低の時しか知らない今は、最高の時期がイメージできません。確かに、海の水は本当にとってもきれい。でも、冬の海は青くないんです。天気は3日に1度はよく、3日に1度は嵐のようです。気温は最高14度、最低9度などと出ますが、体感温度は最高8度、最低3度くらいでしょう。町のお兄さんもお姉さんも、みんなジャケットやブーツを着込んでいます。完璧な寒い冬です。

ホノルルのような気候を想像していた私たちは、予期せぬ寒さに、思考能力も、行動力も止まってしまいました。だけど、マルタに着いた翌日から、借りる家(部屋)探し、7歳の息子の学校訪問、観光と、忙しく予定を立てていました。
運よく、マルタの雰囲気が漂うよい家(フラット)が見つかり、学校も希望するところに通えることになりました。ポイントをおさえた観光も、寒さに震えながらも、楽しむことができるようになりました。

10日ほどホテル滞在の後、借りる家へ移りました。
さすがマルタです。家さえ空いていれば、その日からでも住み始められると聞きました。
パスポートをコピーし、簡単な書類にサインするだけです。お金は引っ越す日に、デポジット1ヶ月、前家賃1ヶ月分、そして不動産屋に半月家賃払うだけです。退去するときも簡単です。通常は6ヶ月が最低契約期間で、それを過ぎれば、とくに支払う必要もなく、デポジットも返ってきます。

私たちが家を決める際のポイント、それはキャラクターハウスであることでした。
近代化が進む住宅が多い中、昔からの情緒が残る典型的な家は見つけにくくなっているようです。せっかくマルタに住むのだから、少々不都合があってもマルタっぽい家に住みたいと言って探してもらいました。

希望通りのマルタらしい家です。
マルタ・ストーンと言われる、はちみつ色の石を積み上げて作った建物です。
マルタは言うなれば、大きな岩の上に乗っているような島です。
地面を掘れば、岩なのだと思います。島の岩切場から運ばれた大きなブロックを積み重ねて家は作られます。教会も学校も全てこの方式です。
一軒家は少なく、多くは隣の家々とぴったりくっつき、2階、3階建てがほとんどです。長屋のようなものですが、ただ、それぞれの家は、建てられた時期も、人も違うので、長屋っぽくはありませんが・・・。

私たちの家は、築100年以上経っており、3階建の2階部分です。となりの家は、戦争で爆弾が落ちて壊れたそうですが、この家はまったく無事だったそうです。
この家、天井は高いところは4メートルはあり、低いところでも3メートル半はあります。廊下も広く長く、窓も天井近く届いています。

マルタの伝統工芸、床細工。ペイントではなく、色のついた土を練り込んで作る石の床。
この石の床、石の壁、石の天井、扉以外は全て石です。
マルタの家は、夏用に造られているのです。
冬のことは全く考えていない!ですから、冬はすっごく寒いんです!
昼間は外の方が暖かい時がほとんどです。

たいていの家の暖房はガスストーブです。
そして、マルタでガスといえばプロパンガスのことです。
重い鉄のボンベに入ったプロパンガスです。プロパンガスがなくなると新しいボンベと交換しなくてはいけません。家の前まで週2回プロパン売りのトラックがやってきます。トラックのお兄さんが来たら、お兄さんから直接買うのです。私はまだプロパンを交換したことがないのですが、その際は、ボトルを2階の家から自力で下し(エレベーターはありません)、持って上がらなくてはいけません。チップを払うとお兄さんがやってくれるそうですが、何とも大変な話です。主人が1度やってみましたが、かなりの重さに悲鳴をあげていました。

この家には、「暖炉」があります。マルタで暖炉を使うとは?初めは飾りかな?と思ってましたが、これはれっきとした暖房手段だったんです。暖炉がある家は少なくはないと思いますが、多くもない感じもします。マルタで暖炉のある暮らしをするようになるとは、本当にびっくりです。

私が寒さに震えていると、大家さんが、カーペット2枚と、電気オイルヒーターを買ってくれました。でも、昼間子供が学校へ行ってしまうと、家には私1人。4メートルも高さのある、広〜い石の箱に、プロパンガス、暖炉に火をつけたところ、ないよりはまし、というくらいの温かさです。壁の高い所には、エアコンも付いていますが、家を温めるには時間も、電気代もかかりそうです。
ベッドルームにカーペット1枚と、電気ストーブを置き、ここだけはいつも暖かい状態です。

暖炉に火を入れて、ゆったり優雅に過ごすことはあきらめて、1部屋だけ暖めて、残りの広い範囲は氷のように冷たくなったまま暮らしています。

イギリスの最初の冬も、寒さで体調を崩しました。その時も、皆から、もうすぐ、よい季節がやってくるからね、といって励まされました。春が来て夏が来て、本当に素晴らしい季節を体験すると、次の年の越冬はそれほど辛くはなかったです。

マルタの春から夏は、それはそれは素晴らしいそうです。
3月になれば、全てが変わるとみんなが言います。
そんな、よい季節を思い描き、冷たい美しい石の上で耐えています。

でも、どうして?こんなに寒いのに蚊がいる!!
真冬でも、殺虫剤をそばに置いて寝ています!

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くみ子のマルタ島だよりNo03

- マルタのカーニバル−

1年を通して、マルタで1番の行事が、首都ヴァレッタ(Valletta世界遺産)で行われるカーニバルだそうです。今年は、2月17日〜21日の5日間、夜の日あり、昼の日あり、天気もよく、ゆっくり楽しむことができました。

なんで、マルタでカーニバルなんだろう?と思い、調べてみると、カーニバルとは宗教的なもので、カーニバル=謝肉祭、カソリックの四旬節の断食前に行われる祭りだそうです。

私はカーニバルとは、派手に踊って飲んで、楽しむことが目的のお祭りを言うのかと思っていました。確かに内容はそうなのですが、意味合いはまったく違っていました。

カーニバルの語源も、イタリア語のカルネ・ウァレ(Carne Vale肉よ、お別れじゃ)に由来するといわれ、ファストナハトなどは「断食の前夜」の意で、四旬節の断食の前に行われる祭りであることを意味するそうです。

実際、断食を前に、思い切り食べて飲んで羽目を外しましょう、的な考えなのでしょうか?マルタ人、そしてブラジル人などは、断食を前にカーニバル、イギリス人はというと、パンケーキ・デイです。断食の期間は、肉はもちろんのこと、卵もバターなどの乳製品も食べないので、断食前日に卵を使ってパンケーキを作るという習慣です。カーニバル、パンケーキ・デイ、何とも国民性の違いが伺えます。ちなみに、今現在は、カソリックにおいては、厳格な断食は行われていないそうです。イギリスでもマルタでも、この期間だからと言って食事を節制している人にはお目にかかったことはありません。
実際カーニバルは?というと、とても穏やかなものでした。青森のねぶた祭りを小ぶりにし、おとなしく、丸っこくした感じでした。紙を貼って作った山車はカラフルですが、ねぶた程に芸術性は高くはありません。また、リオのカーニバルからやってきて出場しているような人たちもいます。たくさんの羽をつけ飾っていても、真冬のマルタではとても寒そうでした。

マルタ・カーニバルでもやはり大会があり、パフォーマンスを競い合います。大会会場に入るにはチケットを購入します。そして会場の人たちの票によって、毎年優勝者が選ばれます。
マルタ・カーニバルの楽しみ方は、
1) 会場に行って、山車や踊りなどのパフォーマンスを見学し、票を投じる。
2) 出場者が会場へ行く道をぶらぶらしながら山車や派手な衣装を眺める、
3) 自ら大会に出場する。
4) 大会に出なくとも、自ら着飾って、気分を盛り上げる。
私たちは2番で道をブラブラする組でした。

大会出場者だけでなく、子供たちや、たまに大人も衣装をつけて歩いています。ハロウィーンの延長のように子供も多かったですが、重厚なドレスや仰々しいカラフルなタキシードを着ている子供が大勢いたのに驚きました。大勢のかわいらしいマリ―・アントワネットを見かけました。

私と息子は、出店も楽しみの一つでした。でも、残念なことに、マルタではほとんど出店がないのです。観光産業が主のマルタ、とくに世界遺産のここヴァレッタです。アイスクリームやポップコーン屋、綿菓子、キャラクター風船などはいつでも数件(本当に数件)だけです。カーニバルだからと言って、新たに出店していたのはというと、このカーニバルの時期だけ販売される甘いお菓子売っている店だけでした。それも3軒ほど。お祭りのときの日本の屋台やたこ焼き屋が懐かしく思い出されました・・・。

ちょっと話はそれますが、綿菓子はヨーロッパでも各地で見かけます。日本の屋台の必須店なので、日本以外の国で見かけると何となく驚いてしまうのですが、ヨーロッパでも人気です。ここマルタの綿菓子はとても上質(?)でした。そして1ユーロ{105円程}です。

数少ない屋台はけっこう繁盛している様子。マクドナルド(屋台ではないけれど)では、入場制限をする程の混雑ぶりでした。せっかくなので、なんでも売って商売したらよいのに、などと日本人の私はいろいろ空想してしまいました。

マルタは今でも、ほとんどの店が日曜日はお休みです。平日だって、多くの店は12時(13時)から16時まで閉めてしまいます。そんな商売っ気のないマルタでは、お祭りでも、屋台はほとんど出ないのです。祭りの日に働いてまで生きて行きたくない、と言っているような気がします。

家族、親戚との絆がとても強く、お金よりも愛、あくせくするより遅れてもゆったり。
マルタ人とはそんな人たちです。

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くみ子のマルタ島だよりNo04

- マルタって、どうなの?−

マルタに来てはや、2ヶ月が過ぎました。
友人に、マルタはどう?とよく聞かれます。そして、自分でも自問しているところです。

マルタは、人がよさそうな悪いような、物価が安いような高いような、よいところなのか悪いところなのかが、よく分からないところです。

よく人は、マルタ人は、ぶっきらぼうだけれど人がいい、と言います。
全員ではありませんが、ぶっきらぼうです。たまに失礼なくらいぶっきらぼうです。
道を歩くと、大きな声で言い争っているような人を見かけます。ケンカをしているのかと思い、遠巻きに見ていると、じゃぁね、バーイ!と言って別れて行きます。あれはいったい何だったんだろうか、ケンカじゃなかったの?という具合です。マルタの人は、笑顔もなく大きな声で、けんか腰に会話をするのです。

いくらぶっきらぼうでも、中身がよい人ならよいのですが、そこもまたよく分からないのです。
というのは、発展途上国でありがちな、外国人からお金をぼる傾向があるのです。

マルタには、マルタ人価格と外国人価格が、普通に公的に存在しています。例えば、マルタ島で唯一の交通機関、バス。マルタ人の場合は1日券が1.5ユーロ。外国人は2.5ユーロです。水道代や電気代、学費にも、マルタ人価格と外国人価格(又はnon EU価格)があるのです。そのせいか、外国人と思えば、個人商店ではかなりの確率でぼってきます。ぼるだけではありません。お釣りもちゃんとごまかします。私はバスを利用しますが、ちょうどの小銭がない時には、5ユーロや10ユーロ札を出します。するとお釣りを必ず1ユーロごまかしてきます。よく行くパン屋でも、お釣りをごまかされます。顔なじみになっているのにごまかされると、とても寂しい気持ちになってしまうものです・・・・・。

じゃあ、マルタ人はよくないかと言うと、そうでもないのです。
とても親切で優しい人たちが大勢います。

街で道を尋ねると、紙と鉛筆を探して、地図を書いてくれたりします。日本人も、とても親切ですが、それとは違った、天然の親切さを感じさせてくれる優しさです。
大雑把ですが、けっこうきちんとしています。かと思うと、ルーズです。期待しなければ、まあまあよいのですが、期待すると裏切られる、という感じです。マルタ人に限ったことではありませんが・・・。

物価は安いと聞いてきました。もちろん世界中探しても、東京より高いところなどないと思うので、東京と比較すれば、水以外は、マルタは安いです。でも他のヨーロッパと比較したらどうかと言うと、家賃などは広さを鑑みると安く、光熱費は高いです。外国人の私たちにとっても高いですが、マルタ人にとっても、とくに水と電気は高いので、自分たちはあんまりお風呂に入らない、とマルタ人から聞きました。

食料品は多くを外国に頼っているので、自給できないものは海の向こうからやってきます。地元でとれる野菜のブロッコリーや人参などはとても新鮮で安くておいしいのですが、輸入のアスパラガスときたら、古くて高くて、何日もしなびたままお店に並んでいます。今日、トラック売りの八百屋さんで買ったマルタのイチゴは2.5ユーロ。マルタのイチゴは、とてもかたくて大きくて、日本のように繊細な味ではないですが、この時期楽しめます。トラックの八百屋さんは、観光客からはぼるようですが、普通はスーパーよりも安くてだんぜん新鮮です。月曜・木曜にやってくるトラックの八百屋さんは、新鮮な野菜や果物がいっぱいで、いつも賑わっていて、私のお気に入りです。

また、お肉の安さにも感謝しています。鶏モモ肉は1キロ4ユーロです。100グラムではなく、1キロです。豚ロース1キロ6.5ユーロ〜、牛肉は一番高く、安いもので1キロ8ユーロから40ユーロくらいのものまであります。ちなみにウサギ肉は1キロ6ユーロです。鶏肉以外は、日本の方が断然おいしいですが、肉好きの我が家には、マルタっていいね、に1ポイントです。

 

そして、レストランも安いです。ピザも大きいし、パスタもすごい大盛りです。1皿7ユーロくらいから食べられます。マルタ料理と言っても、イタリア料理のような感じです。パスタは美味しいですよ。

何と言っても、極め付けがお酒です。これは安い。
レストランでは、たいてい、ビール1杯、ワイン1杯、ジュース1杯、水1本(小)、コーヒー1杯が同じ値段です。スーパーでは、ビールも500Mが50セントから買えるのです。ワインも安物は750MLが1.2ユーロから売っています。ウイスキーやその他のハードリカーも、すべてとっても安いです。これで2ポイントです。

マルタでは、これらの衣食住以外には、ほとんどお金を使わずとも幸せにやっていけるようです。東京は、ショッピングに出かけたり、テーマパークに行ったり、映画に行ったり、海に行ったりと、何かしたり、出かけないと楽しくない感があり、ちょっとしたことですごくお金がかかりますが、マルタはどこへでも、すぐに行け、海で遊べるのです。冬もどこかに出かけたりしません。お金を使うところが、基本的にないのです。お金を使わなくても生きていけるため、お金を稼ぐ意欲には欠けているように感じます。お金を稼ぐより、家族で過ごすことを大切にしているのです。

その点は本当に気持ちを豊かにしてくれます。
ただこれも、マルタがEU なってしまってからは、だんだんと変わってきているようです。EU内は、みんな自由に行き来ができ、仕事も住まいも自由になったため、マルタを離れ、他のヨーロッパの国で働き、マルタでよりも高給を取る人たちが増えてきているそうです。家族はマルタで、お父さんは他のEUでというパターンも出てきているそうです。

マルタには世界遺産が3つあります。マルタの家々は石造りで、おしゃれな美しい家がたくさんあります。

でも、石灰石の石は、風が吹くと、石埃を飛ばし、雨が降るとそれがドアや窓について直ぐに汚れます。建設ラッシュでもあり、街の至るところでクレーン車が働いています。とても埃を感じさせる街です。さらに、犬のフンの始末が徹底されていないので、踏まないようにいつも気にして歩かなくては大変なことになります。公道はけっこうゴミで汚れています。自分の家の前を掃き、ゴミは両隣の道に残して行くなんて当たり前です。道行く人も、多くの人が道を譲ることもしなければ、こちらが道を譲っても目も合わせません。

3月に入り、天気は一気に春になり、空はスカッと晴れ、太陽は高く上がり、差し込む日差しは夏を思わせ、海の色もだんだんと青くなりつつあります。街の雰囲気もがらりと変わってきました。

夏になったらみんな笑顔になるのかもしれない。
マルタの人が変わらなくても、私自身の感想は大きく変わると思います。

私が今思うマルタの一番いいところ、それは、どこに行っても、何を見ても垢ぬけていないところです。そして選択肢が少ないところ。物があふれている日本の世界は、マルタ人には想像がつかないと思います。そんなマルタにポイント10点。

でも、マルタって良いのか悪いのか、今はまだ分からない・・・。

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くみ子のマルタ島だよりNo05

- マルタのパン “フティーラ”−

マルタには美味しいものがいくつかあります。それはウサギ、ワイン、そしてパンです。

中でも、そのうち、私たちがマルタを離れた際に、とっても恋しく思うもの、それはこのマルタ・パンのフティーラです。まだ離れたわけではないですが断言できます。

大家さんが近所を案内してくれた際、このマルタ・パンを知りました。マルタで1番おいしいと言われているこの窯焼きのパン屋さん。看板もないので、知っている人にしか分かりません。でも、近くを歩くと、香ばしい匂いが漂っています。

スーパーや食料品店でも、マルタ・パンは買えますが、ここの焼きたてのフティーラは最高です。
マルタの代表的なパン、フティーラは、平たいドーナツ型で、外側はかたくバリッとしていて、内側はもっちり、かなり小麦粉がふってあり、食べる際に、顔に小麦粉がかかる感じです。噛み切るのも一苦労、噛めば噛むほど味が出る感じです。

この日、大家さんが、フティーラを買ってくれ、しっかり食べ方も教えてくれました。
フティーラを水平に切り、中を開きます。この開いた面に、半切りにしたトマトをしっかりつかみ、トマトのジュースをたっぷりと塗り込みます。フティーラの皮はとてもかたいので、トマトをグリグリなすりつけてもへっちゃらです。なすりつけて、ぐちゃぐちゃになったトマトは、そのままパンにのせます。次に、塩です。天然の岩塩やSea Saltのようなおいしい塩を使わないとだめだよ、と大家さんは言います。そして、最後はオリーブオイルをふりかける。これで出来上がり。バジルがあれば最高。もちろん、プロシュートハムやチーズ、何でも好きなものをはさんで食べてよいんだよ、と。

大家さんが買ってくれたフティーラは、まだ温かく、とってもよい香り。帰る途中、早く食べたい気持ちを抑えつつ、材料を買い、早速、作ってみました。

トマト、岩塩、オリーブオイル、バジル。これが伝統的な食べ方なのですが、プロシュートハムが大好きで、パルメジャーノチーズ(Parmigiano英Parmesan Cheese)も大好きな、欲ばりな私は、トマトだけなんて、そんなシンプルな食べ方では、食欲が抑えられません。

教わったように、まずはトマトをグリグリなすりつけ、キュウリ、プロシュートハム、パルメジャーノのスライスをのせ、岩塩をグリグリし、オリーブオイルをかけ、バジルをのせ、大きな口あけてガブッと行ってみました。これを食べられない皆さんには大変申し訳ありませんが、かなり、本当にかなり美味しいです。そして、次の日もまた食べたくなるのです。

フィティーラ以外で、美味しいマルタ・パンは丸型のパンです。外はガリッ、パリッとしていて、中はもっちりです。スライスして食べます。

我が家では、朝は、この丸型パンのスライスをトーストし、そして週2回は、お昼にフティーラを食べています。トマト、ハム、チーズ、塩、オリーブオイルです。バジルでなくルコラもかなりおいしい。こんなにかたいパンを、こんなに食べていれば、きっと歯が丈夫になると思います。ちなみに、フティーラは1つ55セント、丸いのは45セントです。

このパン屋さんの入口ですが、まったく何の看板もありません。写真で看板があるのは、パン屋さんのとなりの八百屋さん(定休日)のものです。パン屋さんは扉がいているだけです。中に入っても商品がキレイに並べられているわけではなく、焼き上がったパンを棚で冷ましているだけ。買いに来たお客さんは、入口から2歩程入り込めますが、作業の邪魔になったり、窯も危険だったりで、立ち入らないでほしいムードが漂っています。買うと、透明なビニール袋に入れてくれるだけなので、私はいまだにパン屋さんの名前を知りません。

 

 

 

 

 

今日も、パン屋さんに行くと、いつもいる愛想のないおじちゃんとは違い、感じのよいおじちゃんがいました。写真を撮ってもよいかと尋ねると、奥まで案内してくれました。中まで行くと、フティーラが窯に入るところです。若い職人さんたちも感じよく案内してくれました。そして、棚には、兄さんたちのお昼のサンドイッチが並んでいました。そのパンはフティーラでなく、平べったいフランスパンのような形で、見かけないパン、そして美味しそうなハム(プロシュートでなく)がはさんでありました。この次行った時は、あのパンを買ってみたい・・・。普通のハムも合いそう・・・。

マルタのカフェやレストランでは、サンドイッチのことをフティーラと呼ぶことがあります。フティーラでサンドイッチを作ることからそう呼ばれているそうですが、お店ではこのフィティーラ・パンで出てくるとは限らないようです。

不思議な事に、このパン屋さんには、女性より男性が買いに来ています。そして、男性は結構パンを食べながら帰ります。このおじさんはフティーラを3つ買って、その1つの半分は家につくまでに食べると言ってました。(写真はフティーラを買って食べながら帰るマルタのおじさん)

 

 

マルタは初夏のムード

道を歩く時も、日陰を選んで通るほどです。天気がよい日ごとに、海がどんどん青く透明になって行きます。今までは見えなかった海の底が白く見えるようになりました。海辺のお店もどんどん再開(冬は閉鎖しているところが多いのです)し始め、気分もリゾートです。海沿いのカフェで、フティーラ。マルタ・スタイルです。

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くみ子のマルタ島だよりNo06

- マルタの嵐 −

日本に爆弾低気圧と呼ばれた嵐がやってきたニュースを見ました。
春の嵐と言いますが、その類とはかなりかけ離れたすごい威力の嵐だったようですね。

こちらマルタでも、1ヶ月前にすごい嵐がやってきました。
天気予報では、数日前から強い風になると言っていましたが、当日金曜日の午後には、警戒宣言が出されました。必要のない人は外出せず、車もできる限り乗らないように、等々です。地中海性気候をまだ知らない私は、いつもの雨風だと思っていました。これより少し前に、やはりものすごい風と雨がやってきたので、あんな感じかと想像していました。

あんな感じとは・・・、朝起きて朝食の準備をしていると、雨が強く降ってきた音がしました。ふと見ると、流しの下から水が流れてきたのでビックリです。よく見ると、その水は流しの前の窓から入ってきたものでした。窓はと言うと、典型的なマルタの木枠の窓で、デザインが比較的新しく、鉄の取っ手が付いています。サッシ戸とは違い、密閉度は全く感じられません。

大変だと思い、雑巾で拭いたり、おさえたりしました。だけど、雨が弱まらないため、一向に水の浸入を止めることはできませんでした。はたと、他の部屋は大丈夫だろうかと気づき、家中の各窓を調べてみると、ある一方向に向いている窓からはやはり雨が入ってきていました。急いでガラス窓の外側にある雨どいを閉めるとやっと流れはおさまり始めました。敷いてあったジュータンに流れて行かないようせっせと拭きましたが、おもしろいことに、この雨水は、石の中にも吸い込まれて行きました。そして吸い込まれた水のしみは30分もすると、何事もなかったように消えていました。

その日、たまたまやってきた大家さんに、雨水が漏れてきた話をすると、そんなのは普通だよ、入ってきたら窓に雑巾を当てて押さえておくんだよ、真顔でと教えてくれました。これが普通なのかと再度ビックリしました。

学校から帰ってきた息子に、大家さんから聞いた話をしようと思ったら、その前に、息子の方から話を始めてきました。朝学校に行き、学校の始まりのベルとともに校舎に入る扉を開けると、校舎の中から、どぉーっと水が外に流れ出してきたそうです。やはり校舎の窓からも大量の雨が入り込み、廊下や教室にたまっていたようです。水は流れ出て、授業は普通に始まったと言うことです。

その日は、通りを歩くと、家の中から通りへ水を吐き出している光景を幾度か見ました。
私はこれは木枠の窓だから水が漏れるのだと思いましたが、そうばかりではありませんでした。マルタには、サッシ窓の家も多くあります。そのサッシでさえ雨がいっぱい入ってくるのだそうです。大家さんの家も、その日は海に面したサッシ窓から大量に入り込んだと言っていたし、友人のマンションの窓からもいっぱい入ってきたと言ってました。確かにマルタでは、それが普通のことなのでした。

やはり石の家に住む人々は違いますね・・・・・恐るべし、マルタ人!いやマルタの雨!!いや窓!?

少し前にそんなことがあったので、嵐が来ると聞き、今度は、雨どいも含め戸締りをしっかりしました。実際、この嵐、雨と言うよりものすごい風でした。なので、雨が入り込むようなことはありませんでしたが、窓から海を眺めると、見たことのない高波としぶきでちょっとわくわくしました。

マルタはいつもこんな嵐なんでしょ?とのんきに尋ねる私に、友人は、とんでもない、こんなんことはめったにない、と言って驚いた顔で私を見ていました。

すぐそばのロータリーにある電話ボックスが一つ飛ばされ、ブティックのガラスの扉も飛んでいいって粉々に割れていました。家の中にいた時は大したキケンを感じなかったのですが、ここで初めて今回の嵐の威力を知ったのです。

そこで私ははたと気づきました。さすがに石の家。
雨どい、ガラス窓、鎧戸と三重に閉ざされた窓からは外の音もほとんど聞こえず、もちろん石の家は揺れることもないのです。全く揺れません。聞いていなければ普通の日です。恐るべし石の家、マルタの家。

この嵐の後、近くの湾で、ものすごい大勢の人が釣りをしていました。小船もたくさん出ていました。何ごとかと思い聞いてみると、嵐で、海にある魚の養殖の網が切れ、たくさんの魚が逃げてきていると言う情報から、 こぞって釣ろうとやってきたのだそうです。マルタって面白い!

先日、大家さんの家へ行った際、かわいいサボテンを見かけました。サボテンなのに棘がないのです。棘の代わりに小さな丸いドットがたくさんついていました。かわいいサボテンだね?と聞くと、ベランダに出しっぱなしにしていたサボテンが、あの嵐で棘が、みんな、なくなってしまったと言うことでした。おもしろい!

私は今まで、マルタは寒いのに蚊が出ていやだと言ってきました。殺虫剤をまいて寝ても、毎晩、蚊に刺されていたのです。どこからやって来るのかも分かりませんでした。外から入ってくるのか、それとも家の中に卵でも産んでいるのか?と・・・。この嵐の後、一度も蚊に刺されなくなりました。蚊は外で暮らして、夜、我が家へやってきていたんですね。それがあの嵐で壊滅状態になったのでしょう。1ヶ月経っても、まだ一匹も蚊に刺されていません。ラッキー。

この嵐の次の日、私は半日かけて窓やドアを拭きました。雨によって吹き飛んできた石の粉塵が窓や扉にびっしり付き、どこもかしこもベージュです。扉も、ぞうきんで拭く前に、まず、ほうきでほこりを払ってから拭くのです。

マルタはほこりっぽくて嫌だ、と思っていました。だけど、住んでみると避けられないことですし、キレイにしても直ぐに汚れるので面倒になるんですね。
かなりのキレイ好きでなければ、いつも窓をキレイにしておくのは無理。

はた目からは分からないことがいっぱい。マルタはおもしろい。

2月までは気温14度、体感温度6.5度など度表示されていましたが、4月10日の今日は17度、体感温度18度でした。気温は3度しか上がっていないのに、体感温度は12度も上がっているんです。これが地中海気候なんでしょうか?石の家でも、はだしで歩けるようになってきたこの頃のマルタです。

嵐もおさまり、また、マルタらいし明るさが戻ってきました。

 

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くみ子のマルタ島だよりNo07

- ゴゾ島(Ghawdex) −

マルタは、3つの島からなる国です。

一番大きな島が、私たちが今住んでいる、首都バレッタがあるマルタ島(東京の半分ほどの広さ)、一番小さな島は、冬は無人島、夏は観光のためホテルもオープンするコミノ島。そして、この2つの島の上に位置し、マルタ島の3分の1程の広さを持つもう一つの島がゴゾ島です。

同じマルタの国でも、ゴゾ島は時間が止まっているようなところです。
主な産業は観光業、そして農業、漁業です。
マルタ人は、老後はゴゾに住みたいと思っている人が多いと聞きます。
マルタ島と比較すると、緑の部分が多く、とてもリラックスできる場所です。

私たちも、イースター・ホリデーにゴゾ島へ行ってきました。
ゴゾへ渡るフェリー乗り場までは、家のそばからバスに乗り約1時間。

マルタ島の一番北の端から、ゴゾ島最南端の港へ、車も人も乗せるけっこう大きな船が45分おきに出発します。

15分から20分で着いてしまいますが、中には、サンドイッチやコーヒー、ビール、お菓子などお決まりの物が売っている売店と、おみやげ屋さんがあり、この辺りからちょっとした旅行気分に入ってきます。

ゴゾには、いくつか観光名所があります。紀元前3000年以前に造られたと言われている、巨石神殿遺跡や蒼の洞窟、美しい港や海岸沿いなどです。

前回ゴゾに来た時は、冬だったため、2泊3日の間、ほとんどホテルにいました。観光バスで通ったけれど、バスの中から眺めただけで、今度はじっくり来てみたいと思っていた場所や、行ったことのない所など、地元のバスで回ることにしました。

シュレンディは、小高い岩の丘に囲まれた小さく美しい漁港町です。漁港町と言っても、その日は天気もよく、波も穏やかだったため、海に浮いているヨットや漁船などは一隻も見当たりませんでしたが、漁業臭さを感じさせない、とてもおしゃれなところです。本格的な観光シーズン前、平日と言うこともあり、私たちが一番乗りという感じでした。

私は、この街で評判のよいレストランに行きたくて、楽しみにしてきました。


シュレンディにつくなり、目当てのレストランで一番よい席を予約してから、行動し始めることにしました。一番よい席というのは、もちろん海に面した席なのですが、その席から、海にすぐ出られるのです。海といっても、入り江の小さな砂浜で、子供が食べるのに飽きたら、海、そしてまた食べる。子供も楽しめ、親もリラックスして食事が楽しめる、小連れには完璧、そしてとても美味しいお店です。イタリア・マルタ料理というところでしょうか。ピザを頼んでも、だれにでも必ず、ブルッケスタが出てきます。ハムとルッコラがたっぷり乗っていて、うれしいおまけの1品です。パスタはエビのトマトクリームソースを注文しました。日本だったら2人前ぐらいの量です。もう1品はヤリイカのガーリック・ソテーです。やわらかく、日本人も大好きな味です。

注文の際、お姉さんが、イカはメインサイズしかないけれど、パスタはどうする?前菜サイズの小さいのにする?と聞いてくれたのに、足りなかったら悔しいので、メインサイズにしたのが間違いでした。美味しかったけどパスタもイカも全部食べきれませんでした。まだまだマルタのことがよく分かっていない私のようです。

 

良く冷えた(マルタの良いところはどこでもビールがしっかり冷えている)ビールを飲みながら、美しい景色を眺め、新鮮で美味しい食事。さらに、子供は波打ち際で遊べ、料金はとってもリーズナブル、あ〜ゴゾっていいなぁ…て思えたひと時でした。

 デザートは、お店を出てからアイスクリーム。この店のアイスが美味しいと聞いてい   たのですが、本当、美味しかった!! アイスを食べながらバスで次の目的地へ。ゴゾは小さい島なので、移動も楽です、食後ゆっくり座っていたいと思っても、あっという間に着いてしまいます。

 

次の目的地はアズール・ウィンドウです。ここは自然にできた大きな岩の窓です。何千年もかけてこの窓ができたのですが、いつかはなくなってしまうと言われています。この窓も圧巻でしたが、この海岸一帯すべて圧巻です。アズール・ウィンドウの上を登っている大勢の人たちがいるので、私たちも行ってきました。窓の上とは全く感じさせない(?)安定感で、素晴らしい景色でした。でも、ここへ上がって来る途中、立ち入り禁止の札が小さく見えました。柵も何もないので、冬、風の強い日は危険・・・・。

マルタの海は地形がすてきです。
多くの海岸は砂浜ではなく、岩石からなっています。
岩石の波打ち際に立つと、行ったことはないのだけれど、どこか違う星に来たような思いがします。

朝8時に家を出て、夜7時半に家につきました。
大満足の一日でした。


息子に、今日一日でよかったことは何?と聞くと、悩んだ末、トカゲ!!!と言っていました。マルタにもたくさんいるのですが、ゴゾにはもっとたくさんいました。確かにかわいい。

ママはなんだった?と聞かれ、迷わず、レストラン!!!

都会から来た人たちには、マルタもゴゾもたいして変わらないかもしれませんが、私たちマルタの都会(?)に住んでいる人間には、雄大な美しさにリラックスできる一日でした。

今度は、夏だけオープン(もうオープンしています)するコミノ島へ行くのを、今からとても楽しみにしています。

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くみ子のマルタ島だよりNo08

- うちの大家さん−

我が家の大家さんは、とってもいい人です。
34歳、独身、現在は無職、彼が所有しているこの家を、私たちに貸して、自分は両親の家で暮らしています。
私たちがこの家に決めた理由の一つには、家が気に入った事だけでなく、大家さんがよい人だったと言うことも大きかったのです。
ほとんどだぁ〜れも知人のいないマルタに来て、私たち母子が暮らすにあたり、頼れる人が近くにいてくれることは、何よりもありがたいと思ったからです。

この大家さん、名前はアーサー(Arthur)といいます。
この家に住み始めた当初、アーサーはほぼ毎日、私たちが住みやすいようにと、大工さんと一緒に家の手直しや、デコレイトにやってきました。そして、近所を一緒に歩き、お店や郵便局など案内してくれました。 家の前のドクター(往診専用)も紹介してくれ、これで病気の時も一安心です。


あるときは、アーサーのおじさんがやっているバード・パークへ連れて行ってくれたりもしました。 アーサーは、身長は190センチ〜2メートルはあると思います。引き締まった体で、顔はイタリア人の様、ルックスは申し分ありません。

アーサーの住んでいるご両親の家は、人気の街スリ―マのシーフロント(シーサイド)に立っているマンションです。そのマンションのペントハウスが彼らの家です。その広いこと、そして眺めのよいこと、優雅な暮らしぶりに圧倒されます。

先日はアーサーの両親のトニーとサンディーがウサギ料理に招いて下さいました。
アーサー曰く、お父さんのトニーの方が、料理が上手だと言うことです。この日は、初めはチーズとカンパリ・ソーダで迎えて下さり、その後、プリモがウサギのパスタで、セコンドがウサギのソテーでした。デザートはマルタでも有名なシシリーのお菓子屋さんのスイーツで、ワインはマルタワインのよく冷えた白でした。とても心がこもったおもてなしに、とても美味しいお料理、それもウサギ!マルタの優雅な一面を見た一日です。
アーサーはいつも、家のウサギ料理はレストランより断然美味しいと言っていましたが、本当でした。この日は両親2人で作って下さいました。

 

 

 

 

ウサギは鶏肉と似た感じの味わいです。ウサギはぴょんぴょん跳ねるので、とり肉よりもやや硬めです。そして、ほんの少し臭みがあります。


いつも、何かあったらいつでも電話してね、と言ってくれているアーサーとご両親。
昨日は8歳の息子が通う学校から、昼間、電話がかかってきました。長いとげが爪の中に刺さり、病院に連れて行った方がいいから、ということで迎えに行くことになりました。と言っても、車もなく、まだマルタで一度も病院へ行ったことがない私は、どうしたものかと考えていると、アーサーの顔がよぎりました。思いきって電話してみることにしました。状況を話すと、10分で迎えに行くからといって、快く車で迎えに来てくれました。アーサーはどうやら風邪で調子が悪く休んでいたところ、私から電話があったようです。学校に着いて、子供に会ってみると、指の爪なので見かけはまったくたいしたこともく、アーサーにはとても申し訳なかった気持ちになりました。でも、確かに病院でとってもらうしかない状態でした。アーサーに聞いてみると、地元の政府運営のクリニックがいいよ、と言って連れて行ってくれました。

マルタ人は、基本的に病院は全て無料です。私たち外国人はもちろん有料なのですが、基本的に、外国人は保険に加入していないと長期の滞在許可が下りない仕組みになっています。マルタ人でも中にはプライベート(有料)の病院へ行く人もいます。私たち外国人は、たいていプライベートの病院を使っているようです。

クリニック(診療所)の受付に行き、アーサーがけがの状況を話すと、待つこともなく、奥の部屋に行けと言われました。ノックすると、看護婦さんたちがおしゃべりしていました。一人の看護婦さんが息子の様子を調べ、消毒済みのピンセットを出してきてとげぬきにかかりました。でも、看護婦さんには抜けず、先生を呼びに行きました。すると看護婦さんは、じゃあね、と言って帰って行ってしまいました。どうやら帰る時間になったようです。

しばらくすると、別の看護婦さんがお弁当持ってやってきました。そのうち別の看護婦さんも紅茶を持ってきたり、まるで、職場の休憩所のようでした。先生が来ても何の変化もなく、みんなお茶飲んでました。

そんな様子を先生は全く気にもせず、小さなピンセットで、アイシングスプレーをかけ、痛みを麻痺させてから棘を抜いてくれました。その後は、消毒もせず、「たいていの場合は大丈夫だけど、もし、化膿したり、赤くなってきたりしたらまた来なさい」、と言っておしまいでした。

アーサーはついでに、風邪気味の自分も診てもらいました。喉を見せただけで、薬ももらっていませんが、簡単に診てくれました。この先生は白衣を着ている訳でもなく、自前の紺地ストライプのシャツを着て、全く普通のお兄さんです。

驚いたことに、誰一人、名前や身元を聞いたり、記録に残したりすることもしないのです。もちろん会計もないのです。マルタ人はタダかもしれません。本来、私たちは支払いがあると思うのですが、全くそんなシステムとは無縁の様子で、帰る際は、先生も看護婦さんも、じゃあね、と言うだけだし、受付は無人。アーサーに言っても、誰も取る気はないからいいんだよ、というとで、私たちも払わず帰ってきました。

私たちが診察室にいる間、3歳くらいの子供がおばあさんとはいってきました。転んでおでこを少し切ってしまったようです。看護婦さんがちょろっとみて、何でもないよ、と言われ、消毒もされず、先生にも診せず、帰って行きました。もちろんカルテはありません。マルタとはそんなところです。

帰り際に廊下からカルテが保存されている部屋が見えました。なんだぁ、カルテはあることはあるんだぁ・・・・・たくさんあったので、きっと薬を出す様な治療でもした時だけ、カルテに記録でも残すのではないでしょうか?たぶん・・・・わからないけど・・・・・・。

アーサーが言うに、ここの先生は、今回は政府のクリニックにいたから無料だったけど、別の時間帯は個人でやっていたり、プライベートの別の病院に勤めているよ、というのです。医者の技術は一緒でも、いる場所で、有料だったり無料だったりするので、大きなことでなければ、政府のクリニックが早くてタダで一番いいよ、と言っていました。本当です。受付も記録も消毒も何もなければ早い訳です。
とにかくアーサーのお陰で、簡単に棘も抜く事が出来ました。
そして、消毒もしなくても、指は全く大丈夫でした。

何を言いたいかというと、アーサーはとても穏やかで純真でいい人ですし、ご両親も仲が良く、とてもよい人です。お姉さんがいますが、結婚していて2人の子供がいます。

アーサーの家族は、日本人はとてもよいと思ってくれています。私に妹はいないかとも聞いてきます。アーサーには日本人の奥さんが合うと思うのです。
彼の仕事は、マルタを紹介する仕事、いわゆる観光業です。

アーサーが私に頼んでいる訳では決してありませんが、誰かマルタにお嫁さんに来てもよいと思う方、是非ご一報ください。

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くみ子のマルタ島だよりNo09

- マルタのマグロ−

マルタはマグロ!!
新鮮な地中海の本マグロ(黒マグロ)、安い、美味しい!!!

マルタは海に囲まれた国なので、さぞかし皆、魚を食べているだろうと思われがちですが、マルタ人は、意外と、魚は食べません。
マルタ中を探しても、魚屋自体が数件しか存在しません。
値段は、肉に比べ、割高で、料理に手がかかるためかもしれません。

私たちが住む、スリーマの街には魚屋はありません。スーパーで冷凍になった、魚介類、切り身の魚を買うか、週に一度来る移動魚屋さんが持ってくる数種類の魚が買えるだけです。      

 

 

数種類と言っても、丸ごと塩焼きにしてもよいような、日本では見かけない魚や、日本でも見かけるカツオやタイ、イカ、タコ、サーモン、そして高級魚のカジキ等です。

 

マルサ・シュロックという港町で、毎週日曜日に開かれるマーケットの魚屋さんも人気です。
サメとは違うと言っていましたが、小ぶりのサメのような魚も並んでいます。

          

隣の街まで行くと、魚屋があります。
魚屋の店内は、日本人の私たちには一見の価値ありです。
見るからに新鮮そうだけど、グロテスクな顔の魚や、赤い魚が、並んでいます。
大きなカジキマグロも売っています。

写真の奥では、お姉さんがカジキマグロを切っていて、カジキのとがった鼻が見えると思います。でも、何と言っても日本人がうれしいのはマグロでしょう。
写真の右手前がマグロです。
新鮮で美味しい、生の本マグロが、日本と比べ物にならに程、とっても安く売っているのです。

ここマルタでは、マグロの畜養がおこなわれています。4月から6月頃にかけて、地中海沖で、マグロの稚魚や若魚をまき、網漁法で捕まえ、それをそのまま生簀に移し、その後、生簀を海岸近くまで運び設置し、数か月育て、大きくなったマグロを売ると言う仕組みです。
マルタのマグロの8割は日本行きだと言うことです。

マルタのマグロは、けっこう濃厚で、マグロの中でも高品質で、日本では良い値段で売られているようです。そしてマルタでも、一番の高級魚だと思います。

魚を買う場合、だいたいは、1キロいくらかという値段表示になっているので、例えば、タイ一匹欲しいとすると、丸ごと秤にのせて重さを量ります。料金はその重さによって決まります。その後、ウロコを取ったり内臓をとったり3枚におろしたりと、希望に応じて、それは、それは丁寧な仕事をしてくれます。
値段はその日の市場の値段に比例し、日、または、季節によって違います。

マグロの場合、トロの部分、首の部分、一番大きな赤身や中トロの部分とか、それぞれ別れて売っています。
赤身と中トロは何キロもある大きな塊です。端から希望の大きさに切っての量り売りです。
ちなみに、私たちがマルタに越してきた冬は、1キロ当たり20ユーロ〜25ユーロ程で売られていました。でも、4月以降は安い時は1キロ10ユーロの日もあります。

そして、日本ではトロは高く、赤身が安いですが、マルタではどの部分も同じ値段なのです。
トロも赤身も同じ値段だなんて、もう、トロ好きの人には天国です。
この魚屋さんには、寿司キットや、海苔、ワサビも売っているので、日本人は旅行の際でも、美味しいマグロが、新鮮で安く食べられると思います。

残念ながら、私はまぐろに殺されてしまうほどのアレルギーなので、食べることができませんが、友人や家族が食べた感想は・・・・・.こんなにおいしいマグロは、日本ではとても高くて手が出ない、と言っているほどです。

この魚屋には、業者も買いに来ています。5キロほど買っていく人をけっこう見かけます。
マルタにはお寿司屋さんや、お寿司を出す店がけっこうありますし、回転寿司もあります。そのせいか、多くのマルタ人はお寿司が大好きで、ご馳走です。
レストランでは、カルパッチョやステーキも良く目にします。
いくらマグロが安いと言っても、お寿司屋さんではやはり高価です。

マルタに来たら、ぜひ、魚屋さんでマグロを切ってもらい、醤油とワサビを買って、きゅっと冷やした美味しいマルタの白ワインと一緒に、頂いてみたらいかがでしょうか?
日本ではなかなか味わえない贅沢だと思います。

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くみ子のマルタ島だよりNo10

- 教会 フェスタ 花火−

久美子のマルタ島だより No 10
教会 フェスタ 花火

12月の末にマルタに来てからというもの、毎週末に聞こえてくる、おびただしい花火の音。
夜8時半頃から夜中まで、眠れないほどの騒ぎです。
何度か花火を見ようと、窓の外を見たり、海岸沿いまで行ったりしましたが、一度も見ることができないままでした。そのうち事情がわかってきました。

マルタに、360程ある教会には、それぞれのマリア様が祭られています。
そして教会(教区)ごとに、フェスタ(お祭り)がおこなわれ、花火が打ち上げられるのです。
一年を通じ、週末に行われます。とくに夏に行われるところが多いようです。
私の住むスリーマにある教会の一つで、この週末はフェスタがありました。

飾りつけは、数週間前から始まり、日が近づくにつれ派手に飾られていきます。
日本でお祭りの時に、提灯が飾られように、教区内の通りに大きな旗がはためき、飾りつけがされ、広場に大きなマリア様が置かれます。

マルタの教会は、外見はとても古く地味な建物から、大きくて立派な建物まで、まちまちですが、中に入ると、金銀でピカピカ、色鮮やかでまさに南ヨーロッパ。ラテンです。さらに多くの教会の外壁には、たくさんの電球がついていて、夜になると電気がつき、更にラテン。
イギリスのシックな教会とは全く異なり、かなり派手!

フェスタは週末3日間にわたって行われます。マリア様を担ぎ、ブラスバンドの行進、ご馳走に花火です。
金曜日の夜、一番賑やかなのは土曜日の夜、そして日曜日の昼間。
普段は閉まっている教会の扉は、開け放されて、通りからでも中のお様子がよく見えます。

夜8時半になると、教会の中に祀られているマリア様と同じ像を担いだ若者を先頭に、まだ30度はありそうな暑い街路を、白いシャツにネクタイを締めたバンドの行進が続きます。この一行は、教区内をゆっくりと進み、1時間ほどかけて海岸沿いの広場にやってきます。
この教会の前の建物はクラブになっていて、このクラブ内でFeast(ご馳走)をみんなで頂くらしく、おいしそうなご馳走がいっぱい運ばれていまいた。

対岸の首都バレッタがとても美しく見える海辺のベンチに座りながら、同じように待っている人に、何時から花火が始まるのかと聞くと、11時半からだというのです。11時半!?遅すぎる!!

対岸のずぅっと奥の方で花火が打ち上げられているのが少しだけ見えます。どこかの教会もフェスタなのでしょう。あっちの教会ではもう打ち上げているのに、こっちは11時半だとは・・・?
マルタでは、この時期の8時半はまだ明るく、おまけにどこかでも花火が上げられているので、きっと時間をずらしているのだろうけれど、なんとも遅すぎ!でも、マルタの人たちは夜が遅いのです。
すごい暑さなのでその気持ちはよく分かってきましたが・・・。

フェスタの花火は、空に打ち上げるものと、自転車の車輪のように回転する仕掛け花火との2種類あります。道路には、仕掛け花火がセットされ、あとは火をつけるだけの状態です。近くにいるとバンバンと飛んでくる危険な花火らしい、、。

9時までは待とうと粘っていると、粘った甲斐があり、いきなりすぐ近くからと、対岸からと、花火が打ち上げられました。本当にすぐ近くでびっくりです。何も言わずに始まるし・・・。対岸の花火は、首都のバレッタを背に打ち上げられとても美しい。

この前座花火、打ち上げられては休み、また打ち上げられては休む、という大迫力というわけにはいきません。前座だからでしょう。でも、花火自体はしっかり大きなものです。その証拠と言おうか、マルタ人のずぼらさというか、、、見えますか?写真の一番上に光る小さな光はお月様、そして打ち上げ花火が縦に連なり、一番下のオレンジの光、これは火事です。花火の火の粉が落ちて、付近の林が燃えたのです。あぁ、、、マルタぁ、、、。

どうがんばっても、子連れでは11時半までは待てず、仕掛け花火のセットを横目で見ながら、渋々諦めて帰ることにしました。
でも待望のマルタの花火を見ることができ、満足。火事も鎮火。

花火というと日本を想像しますが、マルタにはいくつか花火工場があります。毎週末のようにたくさんの花火が打ち上げられているのだから、日本に頼っているわけはありませんね。この花火工場は何ヶ所か火事や爆発が起きているそうです。やっぱり、、、。


不思議に思うのは、こんなに違った文化や歴史、気候にもかかわらず、日本のお祭りととても似ているのです。日本では、それぞれの神社に祀られている神様を、地元の人たちで年に一度祝い、笛や太鼓を鳴らしたり、神輿を担いだりと、お酒を飲んでご馳走を食べる。
趣旨と形式があまりにも似ているのに驚きます。

家に帰って寝ていると、ものすごい音が響きだし、睡眠を邪魔してくれました。
あぁ、今頃やっと本番だァ!!!!!

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くみ子のマルタ島だよりNo11

- ハム・チーズ・カウンター −

マルタでは、ハムやチーズがお買い得!!
マルタでは、ハムやチーズはカウンターでの量り売りが主流です。
すでに、スライスしたものや、ブロックになってパックされているものもありますが、カウンターで買うほうが、断然、種類が豊富。
量も、好きなだけ買えるので、何種類か少しずつ買って楽しめます。
お客さんの中には、ハムを2スライスだけ買っていくような人もいます。
お店の人は、少しだろうと、たくさんだろうとお構いなし、という雰囲気ですし、味見もできます。

棚の上には30種類ほどのハムが並んでいます。
ハムと一口で言ってもいろいろで、ロースハムのような日本でも見かけるものや、プロシュートハム系、そして、サラミがあります。

ロースハム系は、中に、ペッパーが入っているもの、ピスタチオが入っているもの、同じようなものでも、高いものから安いもの、小さめの食パンサイズのものから顔より大きなものまで様々です。プロシュートハムも、パロマハムが何種類も並び、見たこともなかったハーブ入りのサラミもたくさん売られています。イタリアからたくさん入ってきているようです。チョリソもある。

このハムやサラミを、店員さんは好みの厚さに1枚1枚スライスし、日本でしゃぶしゃぶ肉を買った時のように、シートに綺麗に並べていきます。


中でも、私が感動的だったのは・・・カウンターの真ん中に置かれた、大きな豚の足です。この大きな豚の足をそぎ切りするものです。レストランではなく、スーパーで、こんなにパフォーマンスの高いハムがあるなんて!もちろん人気です。(右写真)
骨があるので、機械では切れないのです。
骨の部分を避け、ナイフでそいでいくのですが、なんとも贅沢ではないですか?

ブーゲンビリアの咲く夕方のテラスで、よく冷やした白ワインと一緒に、そぎ切りのハム。はぁ?、なんとも優雅な時間。食い気の強い私はもう頭の中は豚の足一色。
私も買ってみたい!!食べてみたい!!
美味しくないなんてことはないと思うけれど、一応味見をさせてもらって・・・・・うぅ?ん、オイシイ!!!
値段を聞いてみた。なんと、なんと、100グラム65セント、65セントですって!!! 1キロ650円!!!日本では考えられない安さに耳を疑いました。
なんとも得した気分でウキウキしながら家に帰って、マルタを絶賛。

サラミだって、もし2人家族が一本買ったら、何ヶ月たっても食べきれません。カウンターで、欲しいだけ買えたら、日持ちを気にしなくてもいいし、硬いサラミを大変な思いして切らなくてもいい。

チーズも同じくです。
やはり30種類はあると思います。
チーズは、更にいろんな国から来ているようです。
カッテージ・チーズやモッツァレッラ・チーズはとてもフレッシュです。フランスのチーズも豊富です。ヨーロッパ中の有名なチーズが揃っています。パルメジャーノも、熟成されたものから軽めのものまで、何種類も揃っています。バターも並んでいます。
このチーズの売り場の素晴らしいこと。
ナイフで切って、量り売りはもちろんのこと、サンドイッチ用に欲しいと思ったら、四角いサンドイッチ用のチェダーなど、好みのチーズをスライスしてもらえます。グラムでなくても、10枚スライスして下さい、とも頼めます。スライス・チーズなんてものを買って、一枚一枚はがさなくてもいいんです(スライスチーズも売ってますが・・・)。
パルメジャーノなどの粉チーズが欲しい時は、希望のチーズをほしい量だけその場で粉にしてくれます。
なんとも気の利いたサービスです。

いつ行っても混んでいるハム・チーズ・カウンター。
こんなに美味しくって、安くって、種類が豊富だったら・・・みんないっつも食べちゃうなぁ・・・みんな大きくなるわけだなぁ・・・。

長寿で、ほかの国に比べ肥満が少ない日本。
物価が高いってことは健康の秘訣でもあったなんて、マルタに来て知りました。

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くみ子のマルタ島だよりNo12

- 3年ぶりの日本−

久ぶりに日本に帰ってきました。
今回はエミレーツ航空に初めて乗りました。
マルタ−ドバイ−成田

私の中では、お金持ちの航空会社というイメージのエミレーツ。
私たちの乗った最新鋭の飛行機(A380)には、ファーストクラスにシャワーもついていました。
エコノミーだって座席は確実に私がいた航空会社より広く、長距離を乗っていても、かなり楽に過ごせました。エコノミーのトイレでさえ、ファーストクラスのように金ピカで豪華な仕様でした。

映画なんてそれはいっぱい。日本路線では、日本語吹き替え映画だけでも30本以上はあったと思うし、もちろん英語だったらものすごい数です。

ボーディング(旅客搭乗)も、出発時刻15分前は全員乗り終わっているというすご技、搭乗開始時刻は出発の45分ほども前です。いろんな場面で、出発時刻の15分前にはゲートを閉めます的なメッセージを見かけ、かなり徹底しています。

私の母は、広いドバイの乗継空港で、出発時刻の5分前にゲートに行き乗せてもらうことができなかったほどの厳しさです。でも、これくらいシビアにしないと、遅れが出たりするのでしょう。いいことだと思います。なんでもギリギリ、カツカツで回しているのではないのですね。今時、余裕があるとは、さすがにアラブ。

子供は、CAさんから荷物になるほどお土産をもらいました。リュックサック、本、ダイアリー、ブランケット、お絵かき帳、色鉛筆、お財布、ポーチ、ぬいぐるみ。さすがお金持ちエアーライン。

 

食事は、というと・・・・・まあまあでした。エコノミーですから。

びっくりしたのは、日本人のクルーに、水割り(機内で水割り注文する女もめずらしい)を注文した際に、手渡されたのがウイスキーと水だけだったのです。さすが驚きました。「氷も入れて下さい」というと、だって水割りといったでしょ・・的な顔をされました。

そういうCAもいるかと思うと、すばらしいCAもいました。トイレに並んでいると、順番が来た時にちょうどクルーがやってきました。そして、申し訳ないけれど、ごみを流したいので先に使わせてくれないかと頼まれ譲りました。通常、CAが入った後は、きれいに掃除してくれているだろうと思い中に入ると、よろしい!元CAの目から見ても合格点。きれいに掃除されていました。でも、この方は、ただ者ではなかった。便座に便座カバーを敷くほどのできたCAでした。長いことCAをしていた私も、便座カバーまでは敷いたことはなかった。彼女は、次は女性が使うことを知って準備してくれたのかもしれない。これはとても気が利いています。この方はたぶん中国人CAのような気がしますが、いずれにしても、サービスに対する思いが高いのだなぁと感心しました。

7時間(マルタ−ドバイ)+10時間(ドバイ−成田)のフライトも、映画とゲーム、ちょっと広めの座席のおかげで、降りるのが名残り惜しいほどでした。

3年ぶりの日本。ワクワクして成田の空港に着くと、着くなり感動!
空港、電車、道、歩道、どこにもゴミが落ちてない!掃除が行き届きすんごくキレイ!!おお、日本ってなんて清潔なんだろう!って感激しました。マルタは埃とゴミと犬のフンでいやだぁ!!常々思っていましたが、こんなキレイな所で暮らしていたんだから無理もない。ホントに日本ってキレイです。

それと、水の豊かさです。水道をひねって手を濡らす水の気持ちのいいこと。水道の水がこんなにおいしかったなんてすっかり忘れていました。ヨーロッパの水事情は、昔と比べ、とてもよくなってきたとはいえ、日本の比ではない。日本の水は世界一でしょう。

食べ物もなんておいしいんでしょう。ケーキもすっごくおいしい!肉もすっごくおいしい!!肉好きの私は感激でした。どれ程美味しいかというと、6週間で3キロ太るほどおいしかったです。
本当に日本って、たくさんおいしいものがあって、いろいろな選択肢があって、楽しいところだ、とつくづく実感です。

後ろ髪を引かれつつも、日本を後にし、エミレーツの機内で映画三昧。そして久しぶりのマルタ。タクシー降りて玄関の前に立つなり、ドアの前には、フレッシュな犬のフン・・・。はぁ、マルタは変わってないな〜。

すっかり日本人の味覚に戻ってしまった私には、マルタの食事がつらい、肉が臭い(イギリスも臭かったので日本以外はみんな臭いのでしょう)。

そこで、日本では50度のお湯で食物を洗うのが話題になっていると聞き、さっそく試してみました。面倒くさがりやの私は、50度のお湯でなく、水道の水でじゃぶじゃぶ、ごしごし。すると、なんと、あの臭かった肉が、臭くない!!美味しい!!
洗っただけで、臭みがきれいに取れ、味もおいしくなっちゃいました。
さすがきれい好きの日本。いい情報をありがとう!!

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くみ子のマルタ島だよりNo13

- マルタの美しい海−

なが〜い、なが〜いマルタの夏休み。
マルタの学校は、6月末から夏休みが始まり、9月末から新学期が始まります。

私たちは日本で夏休み。6週間、マルタを留守にしました。
9月に戻り、久々のマルタは、数日前に来た、ものすごい嵐のためか、気温はぐっと下がりとても過ごしやすくなっていました。


マルタでは、9月に入ると冬まで、たびたびストーム(嵐)がやってきて、海水の温度を下げていくそうです(冬は最低海水温度が14度程)。マルタの海水温度は7、8月が最高で、27度程です。9月末で、25度まで下がりはじめていますが、晴れてさえいれば海日和です。ライフ・ガードは9月半ばで撤収し、観光客もぐっと減ってきます。ですが、海でも陸でも、たぶん今の季節がマルタで一番過ごしやすいのではないでしょうか。日本より日差しは強いとはいえ、もうあの焦げる暑さになる日は減っています。

知らなかった海の不思議・・・・・5月頃から海で泳ぎ始めて、7月末までは、海の中は緑の海藻が青々と茂り、キレイ色したイソギンチャクや海藻もたくさん見かけます。ところが、9月に戻ってきてびっくりです。あの緑だった海の海藻たちが、肌色やグレーに変わっていたのです。もう緑の草はないのです。海にも四季が・・・。海の草も、季節によって変化するのだと学びました。海水温も日差しも、夏と冬とでは大きく違うので、よく考えれば当然ですが、海は変わらず蒼くキレイなだけに、この変化には驚きでした。

夏休みも、もうすぐ終わりに近づき、焦げる日差しがやわらいだ9月後半に、Comino(コミノ)島へ行ってきました。Maltese(マルタ)島、Goze(ゴゾ)島、そしてコミノ島の3つの島からなるマルタ共和国ですが、現在のコミノ島は、夏の観光シーズンのみホテルがオープンする無人島です。岩だらけの海岸線で、面積3.5平方キロメートルの小さな島です。自生していたクミンにちなんで名がつけられたそうでが(かわいい!)、16、7世紀には流刑地でもあったそうです。

マルタの多くのパンフレットにも使われるコミノのブルー・ラグーンには、この時期は毎日、大小多くの(と言ってもマルタなので・・・)ボートに乗って、大勢(けっこう)の海水浴客がやってきます。
私たちの乗ったツアーのボートも、平日にもかかわらず50人は乗っていました。

マルタ島の港から1時間半のクルーズです。
いつも潜っている岩だらけのマルタの海岸とは異なり、ここには、また別の美しさがありました。
感動的です。真っ白の砂!透き通った水、波もなく、プールのようで、不思議な感覚。

ブルー・ラグーンは、広さは後楽園ドームほどでしょうか。ほとんど断崖絶壁ばかりのコミノでは、この美しい真っ白な砂が広がるビーチは、20メートルほどしかありません。その小さな浜にぎっしり貸し椅子が並べられ、多くの大人が笑っちゃうほどギュウギュウに座っているんです。とてもかわいい光景でした。

海に入るには、このギュウギュウのわきを通り抜けて行きます。
白い砂なので、底まで透き通って、よ〜く見えます。
一見して、残念、魚がいないんだなぁと思いきや、ゴーグルつけてみてみると・・・・やったぁ、よく見ると真っ白い魚がたくさん泳いでいる!!白い砂の海では白い魚だ!自然って本当に素晴らしい!!

クラゲの姿も見当たらず(マルタでは潮の向きによって大量のクラゲの日もあります)安心して、感動に浸っていると、なんだかふくらはぎのあたりがチクチク痛い。やっぱりクラゲかなと、恐る恐る海の中をのぞいても、見えるのは白い砂と白い魚だけ。でも、またすぐにチクチクと痛い。ゴーグルで見張りながらじっとしていると、、、かわいい白い魚が足に近づき、つんつんとつつきに来ていたんです。魚のサイズは3センチくらいあら5センチくらい。かわいい顔してけっこう痛い。周りを見ると、周りの人も、アゥッ、とか言っている。みんなやられているんです。泳いでいるといいのですが、立っているとやられます。

マルタでは、Dr .Fishなる、魚に足の角質を食べてもらうお店を数多く見かけます。日本でもありますね。これもコミノの魚も同じかなと思い、後日Dr.fishnoのお店でこの話をすると、トルコ原産の魚たちには歯はないため、肌を痛めることはないそうです。もちろん痛くない。そうだね、コミノの魚は普通の口して噛んでいたもんね。弱っている人はきっと食べられちゃうかもしれない。でもおもしろかったぁ。

あとひと月ほどは、天気が良ければ気持ちよくマルタの海を楽しめそうです。
非常に寒い冬の日でも、嵐以外なら毎日入っているひとを見かけますが、私はもちろん冬はお休みでしょう。
海水で鼻の中や耳、全身つかることによって、風邪もひきにくくなるし、健康になるとマルタの人は言っています。
私は厳しい冬に備えて、しばらくは泳ぎだめです。

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くみ子のマルタ島だよりNo14

- マルタのバス−

マルタといえば、以前は、レトロでとてもかわいいバスで有名でした。「となりのトトロ」の猫バスは、マルタのバスをモデルにしたと言われています。このマルタのバスは、1年半ほど前にArrivaという外資の会社に変わり、今ではどこにでも見かけるバスに変わってしまいました。 見かけは普通、でも運転は、通常では許されないほど乱暴なバスなのです。

 

公共交通機関はバスだけのマルタ。流しのタクシーは少なく、多くの観光客がバスを利用します。車のない私たちも、かなりの頻度で利用しているので、バスがどんなものかよく分かってきました。マルタのバスは危ない乗り物なのです。

 

 

ただ、一般のマルタ人の運転もかなり乱暴で、バスの運転手に限ったことではなく、タクシーだって、乗用車だってマルタの運転は荒いのです。マルタ人は、狭い道でもどこでもスピードを出し、横断歩道でさえ、未だに歩行者より車が優先な雰囲気があります。

道路は一車線の道が多く、整備も整っておらず、ガタガタ、ボコボコで、細く、カーブもたくさんあります。だからこそ、大きな、時には2両編成のバスの運転手は、運転に集中し細心の注意を払わなくてはいけないのです。

運転だけでも大変な運転手。それに加え運転手には、このほか運賃のやり取りという大きな仕事があります。バスの代金は、毎回運転手に手渡しで、運転手は、合計金額とお釣りを自分で計算しなければいけません。

6月から8月にかけてマルタの観光客の数は、冬では想像もつかないほどの増加ぶりで、乗ってくる度に、○○まで行くか、どう行けばいいのか?などと聞かれ、この時期は、運転手は走っているよりも、切符に携わっている時間のほうが長いほどなのです。

その上、多くの運転手、何が弱いって、計算が弱い!すごく弱い!お釣りの計算に非常に多くの時間がかかり、お客さんは辛抱強く待たなくてはなりません。
運転や運賃のやり取りが大変でイライラするのかと思いきや、いやいや、ただ単に運転手の性格が乱暴なんでしょう。

急ブレーキはしょっちゅう、穴ボコだらけの舗装道路を、スピード出して走るので、ジャンプもします。降りる際には、乗客はボタンを押して知らせるのですが、押しても止まらず行ってしまうこともよくあります。乗る際には、バス停で手を上げないとそのまま止まらず行ってしまうことも、またしょっちゅうです。かわいそうな目に合っている人たちを大勢見かけます。

時間にルーズで、そのくせ何やら急いでいるときは、バスに乗ろうと足をステップに乗せているにもかかわらず、こちらを見ているにもかかわらず、ドアを閉めてしまうのです。今までに2度、乗車の際にドアに挟まれました。そのうち1度はドアを開けて、挟んでいだ私を放してから、置き去りにしていってしまいました。あぁ、なんとかわいそうな光景。そして痛かった。

降りる際はもっと危険です。2両編成のバスは、とても長くドアが3ヶ所あり、後部ドアはよく見えないせいか、多くの人が挟まれています。たまにドアが開いたまま走っていることもあり、今まで死傷者が出たことはないのかといつも恐ろしく思っています。もちろん私も挟まれたこともあります。

ドアに挟んでしまっても、謝ることもなく、大丈夫だったかと気遣うこともありません。ただ走っていくのみ。バスに乗ろうと近寄ってくる人に気を留めることもなく走っていくバス、轢かれそうな人たちを何人も見ました。

今日なんか、乗ってきたばかりのお客さんとお釣りのやり取りしながら出発してしまい、左手でお釣りを手探りし、右手は携帯電話で話をし、その右手の肘でバスのハンドルのかじを取っていました。もうびっくり。

満杯のお客さんを乗せながら、携帯のメールを見ている事は日常的で、運転しながらメールを打っていることもあります。
マルタのバスは危険。とにかく注意と運が必要です。

そんなマルタのバスに抗議は来ないのかと思うのですが、察する限り、抗議をしても過去の行為に対する調査などはもちろんないでしょうし、抗議に対して謙虚に受け止め改善する風土はまだないのだと思います。

マルタの友人に、私たちがバスを使うというとすごく驚かれます。バス(公共機関)は健全で安全な乗り物だと根付いている日本や諸外国の人には、分かりづらいことですが、最近はどうしてそう言うのかが良くわかります。マルタでは、きっと昔から今現在まで、バスとは乱暴で野蛮な乗り物という認識なのでしょう。だからバスを利用する私たちを見ると驚くのだと思います。

マルタは世界一、車の保有率が高い国で、お父さんも、お母さんも、大きくなると子供も一人1台車を持つのが一般的です。おじいさんもおばあさんも運転します。そんな中で、バス利用者は車を持てない人たちというカテゴリーにいれられ、文句言える身分か!?ってな感じなのではないでしょうか?文句あるなら自分で車運転しろってなもんです、きっと。

以前に、お釣りをごまかされる、と書いたことがありましたが、最近では、立て続けにおまけしてもらっています。小銭がなく20ユーロ札など出すと、手持ちにあるだけの小銭で乗せてくれました。うれしいけど、会社的には一体どうなっているのでしょう。

皆さん、マルタにいらした際は、バスや車に乗るのも、道を歩くのも、とにかく乗り物にはお気を付け下さい。

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くみ子のマルタ島だよりNo15

- マルタは素晴らしい!!−

私たちがマルタに来たのは去年の12月末、
もう少しで1年です。運転が荒いだの、犬のフンだらけだの文句言っていましたが、今回は、マルタのよいところに目を向けてみました。

先にも最後にもマルタの最もいいところは“海”です。これは誰に聞いても、海だと答えるでしょう。地中海は穏やかで、深く、蒼く、とても美しい生き物なのだと感じます。

海以外では、
野菜が新鮮なこと。日本より大きくて、色はぐっと濃く、味も歯ごたえもしっかりあります。畑で殺虫剤をまく姿を見かけますが、買ってくる野菜にはいつも青虫やカタツムリがついています。なので、きっと日本で言う有機野菜の部類に入るのではないでしょうか?

歴史的な美しい建築物の中で暮らし。
築100年以上の建物がたくさん残っていて、歴史と文化が感じられます。


首都バッレッタは世界遺産の街。坂道だらけで情緒満杯。ヨーロッパとアフリカが混ざった美しく不思議な街並みです。高台から眺めるマルタは、ハニー・ストーンのはちみつ色の街、その中に見える美しい教会の丸い屋根、そして、青い海と空です。海から上る朝日、そして海に浮かぶ大きなお月様、足元を見てしまうとゴミがありますが、その先は美しい。

人々は比較的のんきで、細かいことに気が回らない人たちが多いので、他人のことは気にしません。こちらとしては、人の目も気にならず、気楽にだらだら(果たしてよいことだろうか)生活できます。

物価は比較的安い、特に安いと感じるのは…カフェでコーヒー1杯が1ユーロ、ビールも1.5ユーロで飲める。アルコールは日本とは比較にならない安さです。

さらには暖かい気候。
4月から今10月末まで、半袖の暮らしです。

ファッションに疎く、どんな格好でもOK。
マルタ人だけでなく、ロシア人だったり、近隣ヨーロッパから来ている人たちだったりするかもしれませんが、みんな着の身、着のまま。水着だけで歩いている人もいるかと思えば、顔や頭を黒の布で覆ったアラブの女性もいる。穴が開いていたって、汚れていたって、なんでもあり。自分が気にならなければ、ファッション代はほとんど必要なし。ファッションに頭を悩ませることもないです。中にはすごい厚化粧にハイヒールでばっちり決めている人もいますが、そんな人も、ダサイTシャツの人も、他人にはただの他人なのです。

マルタは本当にお金のかからないところ。
物価が安いとかの問題ではなく、マルタはお金を使うところが極めて少なく、また、その機会も少ない。東京のようにネオンも誘惑もない。

私たちのマルタ行が決まり、マルタとはどんなところか調べていた時に、マルタ人は世界一幸せ感が高い国民だと読みました。

確かにマルタに暮らしてみてそれがどういうことか分かりました。
東京にはたくさんの遊び場、モノ、食べ物があふれ、楽しむにはお金のかかることばかりです。どこまで行っても、何かを手に入れても、まだまだ持ってないものばかり、欲しいものが山積です。でもマルタには、ステキなものは海しかないのです。大都市にありがちな大きな誘惑がないのです。目にしないから欲が生まれず、いつも穏やかな気分でいて、特に幸福だぁといかないまでも、不幸感は少ないのだと思います。誰だってあの輝く朝日と、大きな月を見たら、生きている幸せを感じると思います。

その上、家は石でできているし、地震もないから、一度建てた家に何代も住めます。買わなくても、しばらく待っていれば、おじいちゃんやおばあちゃんから家が回ってくる感じ。

そして、医療はただ、公立の学校もただ、何しろ大きなお金が必要ないので、マルタの人は稼ぐ意欲も低いのです。頑張って無理して「稼がなきゃ」って環境がないのです。テキトーに働きに行けば、お酒飲んでそれなりに生きていける。向上心や野心の強い人には、イライラするところですが、マイペースで生きてけるので、ある意味よいと言えばよいですね。

もちろんマルタにも働き者も、お金持ちもいます。
マルタでお金持ちの象徴の1つがボート。ボートでパーティを開いたり、ボートで家族や友人と数日から数か月単位でクルーズに出かけたりするのです。息子の友達(8歳)家族も、ベット・シャワーがいくつもついた大きなクルーザーで、休みに入ると、家族4人でイタリアやギリシャに出かけます。夜は港に泊まり、昼間は泳いだり、ショッピングしたり、食べ歩きなど。初めて聞いた時にはカルチャーショックでした。8歳(もっと小さなときから)の子供を連れて家族だけで船で外国にクルーズ!?大人も子供も逞しい!!
そしてお金持ちはずっとお金持ちなのでしょう。だってお金が減らないからね。

カルチャーショックといえば、こんな人たちもいるんです。
大家さんのいとこは、海賊から船を守る会社で働いています。地中海では未だに輸出入品を狙う海賊がいて、こういった船は大きなガンを持ったガードマンを配備しているそうです。海賊だなんて・・・カルチャーショックでした!!マルタでの刺激といえばこんなカルチャーショックくらいです。

マルタのよいところに話を戻すと・・・・風俗営業がないのです。チラシも、誘いも一切目にすることはありません。これはすごいことですね。

そして世界一安全な国と言われているマルタ。
マルタ人は大きな悪いことはできそうもない人たちです。犯罪件数が低いのです。外国人にとっても、マルタには欲しいものもあまりないでしょうし、何と言っても小さな島国なので、逃亡するには船か飛行機しかないので直ぐ捕まってしまいそうです。

地震、津波、トルネードなどの自然災害もないし、石の家なので家事もほとんどありません。犯罪も少なく世界一安全、誘惑がない!!
マルタって素晴らしい!!私たちが安全に暮らせるのも、マルタのおかげ。

昨日は日本人の奥さん達とその家族達、総勢23人と会いました。その内マルタ人の旦那さんは1人だけ。話を聞くと、皆さんマルタという国を自ら選んできていました。それぞれ家族の状況によって選んだ理由は違いました、ちょっと目が覚めた感じです!!

マルタって皆から選ばれる国なんだって!

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くみ子のマルタ島だよりNo16  (最終回)

- イギリス・マルタ あっという間の3年−

突然ですが、マルタから日本へ帰ることになり、今回が最終回となりました。

もともと、日本を出たきっかけは、他国での暮らしや経験を通じ、その国の人たち、異文化に交わり、日本人として、その国の人として、地球人として色々なものの見方ができるようになったらいいな、という思いから、突然のイギリス行きでした。

イギリスに9ヶ月のつもりで日本を発ったはずが2年3ヶ月。
その後、「マルタは美しい海に囲まれた、歴史のある小さな国。そして、日本のように安全。イギリスもいいけど、日本に帰る前に、マルタに寄り道して、また違った文化を経験するのもいいんじゃない」と、主人の友人の勧めがあり、やはり突然、マルタにまでも行ってしまいました。
トータルで3年2ヶ月。友人もたくさんでき、異文化をたっぷり体験してきました。

私の受けた最初のカルチャーショック。それは、
「なんでもOK」
イギリスに行って少し経った頃に気づきました。
何をどうやっても、他人に迷惑をかけなければ、何でもOKなんだ!決まりはないんだ!って。
私はよく、「みんなはどうするの?」とか、「普通はどうするの?」と人に聞き、無意識のうちに周りの人に合わせたり、自ら制約を見つけたりしていました。イギリスでもマルタでも、国籍は関係なく、小さなことから大きなことまで、「普通」って言葉も、「皆は?」「一般的には?」なんて言葉も、会話の中にはないんです。普通なんてものは存在しないし、やり方は人それぞれで、何も決まっていないから、なんでもあり!なんでもOK!!なんです。
なんでもOKは、この3年2ヶ月の中で、私の最大の収穫の1つです。

もう1つの収穫・・・・
「イギリスを一方的に見ていた」
日本からイギリスに渡り、暮らしていた時は、無意識のうちに、日本とイギリスを比較し、日本人から見た一方的な見方をしてきていたなと、今になるとわかります。
イギリスの美しさや豊かさ(物質的にではなく自然や精神的な面)や、イギリスで育まれてきたマナーは、日本にはないもので、一種あこがれのような思いも生まれていました。

その後、先進国でも後進国でもないマルタに行き、ちょっと垢抜けない、全体的にモラルは低く、美しいけど汚いし、小さくて非効率的な暮らしを経験すると、はじめは不平不満。しばらくいると、イギリスとマルタ、大英帝国と植民地、立場が人を作ると言いますが、立場が国を作ったんだと(立場だけではないでしょうが)分かり、見方が変わり、それぞれを、いいとか悪いとかでなく受け止められるようになりました。
イギリスが優雅でいられたわけ、そしてそのために背負っているもの。パソコンが普及し、情報が行き渡っている今の時代、先進国の苦労や苦悩は傍目にもよくわかります。
そんな中で、今なおこの状況でいるマルタ共和国などは、望んでそうしているのだろう、と想像するようになりました。

8歳の息子を見てもよくわかります。
一つの国、日本だけにいたら、それが当然でそれが正しいとなり、二つ目の国イギリスに行くと、違いがあることに気づき、どっちの方が良くって、どっちが悪いかの比較をするようになります。三つ目の国マルタに行くと、何がいいとか悪いとかではなく、それぞれ違うんだという捉え方に、見方が変わります。
モノの価値、その基準は千差万別。皆違うんだからと・・・。

最近、バイリンガルは2つの言葉が喧嘩してしまうので、語学の習得という意味では、3ヶ国以上が望ましいと言う話を聞きました。今回のイギリスとマルタの3年2ヶ月の滞在を通し、価値観においても、3ヶ国以上が望ましいんだろうなと強く感じています。

なんでもOK。みんな違う。そして、日本の良さに改めて気づいたこと。
自由な心と行動は世界を広げ、周りの目や一般論に捕らわれ過ぎず、目的を持って好きな道を行けば、周りはついてくる。
頭でなく、体で学んだ3年2ヶ月でした。

イギリスにいても、マルタにいても、本当に日本人であることで助けられたと思います。
世界で一番貢献度の高い国民NO1は日本だったように、世界中の多くの人たちは、日本人は礼儀正しくて、きちんとしていて、信頼が置ける人種だと思っている、と感じる機会はとても多かったです。
このことは、世界に出て行く多くの日本人への追い風です。

動いてみないと始まらない。3年なんてあっという間。
大変なことはいっぱいあったけれど、出かけて行ってよかったと心から思います。
老婆心ながら、スチュワーデス塾のみなさんたちにも、この追い風に乗って、夢と目的を持って、世界人として活躍していって欲しいと思います。

思いもかけず長いあいだ書かせて頂きました、ケンブリッジ便り、マルタ便り。
塾長・川井さん、そして読んでくださった皆さんに、心から感謝しています。
どうもありがとうございました。

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くみ子のマルタ島だよりNo17 (読者からの質問)

- この夏語学留学したいのですが・・・−

マルタに語学留学とお考えとのことですね。
ご存知かと思いますが、マルタは、安全面では較的安心だと思います。
公用語はマルタ語と英語で(マルタ人の全員ではないですが、多くの人たちが話すことができます)、ヨーロッパ(英国以外)で唯一英語を話す国です。
そのため、イギリスに行くより物価の安いこともあり、ヨーロッパの国々からもマルタにきて英語を勉強する外国人が大勢います。
EU圏の国の人は自由に滞在できるので、留学も身近です。
ただ、マルタはイギリスの植民地となるまでは、マルタ語のみを話す国でしたので、
公用語といっても、多くのマルタ人が話す英語は、マルタ英語です。
文法的には同じでも、発音的にはマルタ語なまりの英語です。
英語講師にもよりますが、イギリス英語の発音を身につけるのは難しいかと思います。

語学だけでなく、マルタという国で生活してみたいとか、
夏休み気分で楽しみたいとか、ほかの要素が強いのであれば、春から秋まででしたら、
楽しいかもしれません。
また、生活も金銭面もとても楽だと思います。

目的に合わせて、よく考えられたら良いと思います。

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